神様の特別授業

「さて、まずは皆に問う。『魔法』とは何か?」

ここは魔術専門学校「スターダー学園」。僕はここの魔法工業科に入りたてのしがないただのいち生徒だ。

『神様』の特別授業がある、と突然のアナウンスがあって講堂に全生徒が集められたある日のこと。教科書で見るのとは雰囲気がまるで程遠い、背丈の小さな少女にしか見えないその存在が教壇に登って、その容姿の意外性におおよその生徒がざわついた。

それは僕も例外ではなく、顔だけ見れば案外かわいらしい見た目な事に一瞬呆気にとられる。

そのざわめきを圧えたのは、彼女の背に重なる神様の証である6枚の羽根でも、意志の強いまるですべてを見通せそうな金の瞳でもない。

ただ、その静かな講堂にスッと通った声で投げかけられた一つの『問い』だった。

魔法使いの集うこの学校で『魔法とは何か?』と改めて聞かれると、誰も明確に答えられない。

この国で『マジカリスト』と総称される魔法を使える人種は、使う事を『当たり前』として教えられてきたからだ。

例えばそれは「君たちはなぜ目玉がついているのか?」みたいな、一言で言えば『そう言われましても』と返したくなるような質問で、しかもそれがその力の頂点である神様に問われてしまっているのだから、余計に返答が出てこない。

その当たり前ながらに哲学的な質問にしん、とした所で、教壇の上の神様が真面目な表情から一点、悪戯を含んだ笑みを零す。どうやら予想通りの反応を面白がっているように僕には見えた。

……噂では、おおよその一般人には消耗が激しすぎて使えない『予知魔法』が使えるって噂も聞いたけど……まさか本当なのだろうか?

「今やこうして専門学科が作られ学問として学べるほどに一般化した存在だが、かつてはそうではなかった。これから話すのは、魔法を覚える者全てに知って欲しい歴史と知識だ。堅苦しい話はしないつもりだが……少しお喋りが趣味なんだ、ついてきてくれると嬉しい」

神様はその悪戯な笑みを引っ込めて、質問への解説を続ける。どうやら魔法の成り立ちや仕組みについての解説が『特別授業』らしい。突然の『神様』の登場に呆気に取られていた周りがバタバタと記録を取り始めたのを見て、僕も荷物からノート型の端末を取り出してメモの用意をした。

「かつて、世の裏でのみ存在を認められていた『魔法』。我々、魔法を扱う『マジカリスト』は普通の人間には扱えない器官を鍛える事により、魔力で魔法をコントロールしている」

そうして講堂に設置された立体のパネルに、魔法を使えない人間と『能力者』と呼ばれる魔法を使える人間の体内図が表示される。

その図の2つに相違するのはただ一箇所、血管や神経にも似た何かが身体を巡る様だ。

なぜ目玉がついているのか? を問われたのと同じ意味と表現したのは、見当違いかも知れないけどあながち間違いではないと僕は思う。

なぜなら、魔法は僕らの体内機能の一つだから。

「妖精や悪魔、天使と呼ばれる魔族の者、その血を引く人間である能力者。例外として器官を持たないものの魔力を切り売りする『魔女』から魔力を買った者……。魔法を使える存在は大きく分けて3つに分類される。まあ、科学技術で再現出来るものも一部あるから、科学再現も含めると4つだがな」

神様が4本指を示しながらにそう言うと、次にパネルに表示されたのは、教科書と同じ妖精、天使、人間の図解だった。魔族にも色々種類は居るけれど、よく比較として上がるのがこの3種。特に妖精の人は小人ぐらいの大きさの人も居れば、人間と何ら変わりない見た目でも長寿命だったりとバリエーション豊富だ。天使も魔力で作られた羽根さえ出さなければ人間と見た目は何ら変わりないけれど、魂だけを入れ替えて生まれ変わることで何千年生きたり、基本的に闘争本能に優れていたりとその生態は人と大きく違う。

……って、先週習ったばかり。僕らが習ったのはこの3種の違いだけ。

魔法の購入も知らなかった訳じゃないけれど……科学再現も出来るのは知らなかったかも知れない。科学に優れたこの国では予想外とまでは言えないけど、あるものはあるんだなあ。一応手元のメモに残す。

「魔女から魔力を買った者は魔法を扱う器官が備わっていないか、備わっていても未発達が故に大きく魔法を使い続けるとその力に耐えきれず、大半は身を滅ぼす。……余程の命を掛けた願いが無い限り、魔法を『買う』事は推奨されるべきものではない。負担の量で言えば一定の他人に魔法を使い続けることも同等だ。自分以外に魔法を掛けることは慎重になった方が良い」

……神様は神妙にそう言うけれど、少し前まで魔法の売り買いは違法であり禁忌だったとおばあちゃんから聞いた。勿論今も罰せられるには罰せられるんだけど、『買う側にもそれなりの理由があるかもしれない』という、ある意味での情状酌量を求めたのは今の神様の提案だそうだ。

……何か、神様にもどうしようもないことがあったのだろうか? なんてちょっと勘ぐってみる。

ただの偉い人、っていう印象しかなかったけれど……こうして目の前に出てみれば彼女だって元は天使だ。魂を使いまわして何千年と生きてる間に色々あったのだと思うと、そう僕らと遠い存在には思えなくなる。

「魔族は種により性質の違いはあるものの、能力者を含め基本的にその仕組みは変わらない。個人の得意不得意や、習性による得意不得意を除けば、おおよその中身は同じだ。……だが、諸君も既にこの学園生活の中で実感しているとは思うが、個々によって魔法の威力も性質も、再現できるものも出来ないものもある。習っているとはいえ皆が皆同じ魔法を同じ威力、同じタイミングでは使えない。それは個性として捉えるべきだろう。得意を伸ばすのは一つの手段とも言える」

現に口調こそ偉そうだけれど、神様の解説の中には何か優しさというか柔軟性を感じる。

ただの厳しくて偉そうな人をイメージしていたけど、そうじゃないみたい。

まだ先生達も萎縮の様子を見せているし、生徒もピリピリした雰囲気だけど……最初よりは授業じみてきた。

「勿論、魔力は自然にも滞留している。魔法の扱いを極めた者は周りの魔力を扱うことも出来るし、魔力が枯渇しきった者は周りの魔力に飲まれてしまうこともある。勿論、環境によっても扱う魔法の加減は違う。同じ力を使ったつもりでも、同じ結果が得られないこともあるだろうな」

そこまで神様は解説すると、ついていた教壇から一歩離れた。

「それでも何故、仕組みが同じはずのものを皆が等しく扱えないのか?」

少し芝居じみた歩みで教壇から離れ、両腕を軽く広げて神様はまた問いを生徒達にぶつける。芯の通った声に、またしん、と講堂の空気が張り詰めた。

「魔法を扱う器官は感情の側にあり、感情と一心同体だ」

くるり、と数歩離れた教壇へ戻りながら、神様はその問いにまた自分で答えを返す。

「医学的な事を言って間違っていたら先生たちが慌てるだろうから省くとするが、『天使は泣いたら死ぬ』という諺にもある通り、我々の魔法は感情に直結している。この学園では呪文としての魔法を教えているようだが……」

瞬間、神様の隣にいた天使がさっと神様に耳打ちを零す。

どうやら彼……いや彼女……? 神様より余程背丈も高く体型も良い上級天使は、神様の側近らしい。

偶然席が近いのと、あまりにも静かすぎる講堂のせいで囁き声も聞こえてしまった。

「神様、それ言っちゃうんですか……」

「何、何かまずいか?」

やってしまったか? といった顔で振り返った神様に、萎縮したままの先生たちが揃って首を振る。

ならいいかと開き直ったのが目に見えて、また神様は少し大げさに教卓に向き直した。

「嘗ては呪文がないのが普通だったが、魔法が世に広まった今、皆が同じ魔法を使うには『名』がなければ伝えられない。名が無いと教えられないからであって意地悪ではないことは分かって欲しいが……実は呪文など無くとも、『願う』ことさえできれば魔法は成立する」

二度目のざわめきが講堂を支配する。

それは僕もそうで、うっかり手にしていたペン型のデバイスを落としそうになる。

それはそうだろう。僕らはこの学校で魔法を教わる際、『呪文』で魔法を教わっている。特殊な例があるのは分かっているけれど、基本的には呪文で扱うのが一般的だと思ってきたからだ。

「勿論、手法によって精度は変わってくる。呪文が一番安定して統一の魔法が扱えるのは間違いではないから、何も無駄な手段を教えている訳では無い。何事も基礎からだ。だが、応用として詠唱なしの感情だけでの魔法の展開や、言葉以外で表すことによって精度を上げる技法もあるという事だ」

そう言うと神様はまるで品定めのように講堂を視線で一周した。

「流石にあれから時も経ったな、知ってる顔はもう居ないか……でも、歌唱科が良い例だな。誰かこちらに来てくれないか。1コーラスだけで良いので手本を……」

そう神様が零すと、歌唱科の子たちが恐縮して一斉に首を横に振る。

……そりゃあそうだろう。全校生徒と先生、神様の前で歌えだなんて無理にも程がある。

「ええと、では書き文字で魔法を使う文芸科はどうだ?」

勿論、生贄のバトンを渡された文芸科の生徒たちも同じく首を横に高速回転。

「……魔法美術科は?」

同じく美術科も。

「……私の顔はそんなに怖いか……? まあいい」

その態度に若干神様は傷ついたのか、少しだけ不満そうな表情で項垂れた。

ちなみに僕の学ぶ魔法工業科は、作業効率を高めるために運搬とか安全に関する魔法とかちょっとした医療知識とかを学ぶ学科だ。

魔法は呪文中心なので、歌唱科や美術科みたいな表現での魔法は学ばないので手本になれそうにはない。

「仕方ない、身内の見様見真似だが手本にはなるだろう」

そう言うと神様は教卓に置かれたマイクをスタンドから外して口元に構えた。

その講堂に側に静かに控えていた側近らしい天使も一瞬、冷静そうな顔に似合わず狼狽える。

何が始まるのだろうと誰もが思った瞬間、神様が歌を口ずさんだ。

天界の古い言葉で紡がれた歌詞は、人間の僕にはよく内容が聞き取れない。

けれど、その声に乗って講堂に星空が広がった。キラキラと綺麗ではあるけれど、星明かりしか映さない景色にはどこか寂しさも感じて……。きっとそれが歌の内容なのだろう。景色と講堂の様子を見渡せば、特に歌唱科の子達がその景色に目を輝かせている。

……歌唱科の歴史はこの学校で一番古い。

始祖となったらしい魔法アイドルは何千年と前の能力者だった、って卒業生の誰かが暴いた噂も聞いた。

もしかしたらそのアイドルって神様の知り合いだったりするんだろうか。身内の真似とか言ってたし。

神様の歌声は1コーラスで止み、一瞬で講堂はまた元の姿に戻る。

その後にはもうキラキラと空中に光だけを反射して……何も残らなかった。

「稚拙ですまないがこの通りだ。感情が籠もれば籠もる程、精度は高くなる。話すより歌で表現する方が得意なら尚更だ」

後ろで側近の人が頭を抱えているのにも構わず、神様はそう言いながらマイクをスタンドに戻す。

どうやらかなり神様の授業は段取りを越えてるらしく、ポーカーフェイスながらも後方で明らかに側近が肩を下ろした様子からも、先生達含めて裏方全員をハラハラさせているんだなあ……と部外者なりにその苦労をちょっと察してしまう。

「だが、精度を上げると同時に制御も難しくなり、魔力の消費量も増える。怒りや悲しみのような強い感情下では特に注意が必要だ。魔力の消費量も掛ける対象が自分から離れる程強くなる。己の手で出来ることを簡略化するような魔法なら消耗は少ない。……例えば衣服や髪型などの自分の姿を少し変える程度であれば微量だが、完全な別人になろうとすれば消費量が上がる。自分ではない他人の身体や記憶を弄るような魔法を使うには、自分も相手も負担が大きいだろう。治癒魔法を使う学科の者は特に注意するように」

そんな気まぐれに振る舞う神様の視線が、急に鋭くなり、講堂の空気が今日一番と言っていい程に凍った。

続く言葉に僕も背筋が伸びる。

簡単な応急処置の治癒魔法を習っているけれど、これはあくまで『応急処置』だ。

人の身体を全て魔法でどうにかしようとすれば、掛ける側も掛けた側も危険な目に合うと習っているからこそ、その言葉にドキッとしてしまう。

「下手に魔力を消耗すれば命の危機にもなりかねん。種によって程度は違うが、人間である能力者を含めて魔力が身体にあることで我々の肉体は強化を受けている。魔力という支えを失うことで肉体とのバランスを崩す可能性もある。勿論、そうなると私の仕事が増えてしまう……」

神様の仕事……それはこの世界にある『願い』を聞き入れ……世の均衡を保つこと。そう習った。

つまりは魔法の使い方を誤れば、命どころか世界を危機に陥れる可能性だってあるという事だ。

「この場に居る者がその危機の場面で、私と真正面から顔を合わせぬよう気をつけて貰いたいものだな」

神様はその言葉の重さとは裏腹に、まるで面白いジョークでも言ったかのようにはは、と笑い混じりに肩を竦めた。

けれど、その言葉は僕らにとっては冗談に全くならない。しんとする生徒達を見て、神様は小首を傾げた。

「……別に脅したつもりはなかったのだが?」

「……神様、自身のお立場を忘れて居ませんか? 冗談のつもりでしょうが、学生から見たら脅しですよ。魔法の使い方を教えに来たはずなのに脅してどうするおつもりですか……」

側近の天使もこれには突っ込まざるを得なかったのか、いつしか小声の耳打ちだったツッコミも普通の会話の音量になっていた。

……なんだこれ。いつの間にか位の高すぎるコントを見せられている気がする。

「…………まあ、そのぐらい緊張感を持ってくれた方が安全だと思うことにするか」

神様はどうやらそれで自分のズレたジョークに気づいたらしい。仕方なさそうにまた肩を竦めて、教壇に向き直る。

「脅したように見えたのなら申し訳ない。だが、別に怯える必要も使い淀む必要もない。折角その力があり、学ぼうと思い、この学園の地を踏んだ機会は是非とも活用して欲しい。間違いがあればここの教員も、我々、世界の均衡を保つ天の者と地の者も

……手を貸す覚悟は出来ている。その為に作られた学園だ」

神様はそう言うと、今までの誂うような笑みや、鋭く険しい表情ともまた違う意志の強い微笑みを浮かべて頭を下げる。

「一つでも多くの願いが叶えられるよう、こちらも願っている。……授業は以上だ」

そうして颯爽と教壇を降りると、少し遅れて学生たちが拍手を送った。

僕もペンを置いて、教壇を降りると余計に小さく見える背に拍手を送る。

色々な意味で圧倒はされたものの、教科書でしか見られなかった相手が実在して、しかもこんなにも生徒思いに語ってくれた事は素直にありがたいと思えた。

「……なあ、少年。そんなに私は怖いか?」

「まあまあ怖いですね」

「……そうか……」

講堂を出ていきながらに側近に確認を取る様子も最後に聞こえてくる。

まだ自分の提案に萎縮された事は気にしてるらしい……少ししょげながら講堂を後にした。

少し自由すぎるところがあるらしいのもまあ、ちょっと親近感が芽生えたかもしれない。

同時に側近さんは大変そうだな……という同情も少しだけ感じたけど……。

僕は授業のメモを保存すると、端末を閉じて立ち上がる。

多分、今日ばかりは僕に限らないんだろう。次の授業への気合は十分だった。