こどもはたたかえない④-2
そうして結局、全員同じ籠ので観覧車に乗った。私達はその後少し待ってステージへと向かい、すぐに双子ちゃんの出番は来た。私はステージ袖で今回の活動の流れを説明する。
「とりあえず、町の事や指定区域の事、種族などの説明を私達からして、その後双子ちゃんを紹介してしてライブが始まる、っていう流れなんですけど……」
「そ、それまさか僕がステージに立たなきゃいけないやつですか!?」
「……そうですよね。想定内の反応です」
ライさんには期待していなかったけど、やっぱり広報活動としてステージに上がるのは拒否されてしまった。録画番組のカメラを向けられただけでもパニックになってしまうヒトに、まさかトークを求めるなど、夢のまた夢だ。今日はもう一回発作も起こしてるようだし、これ以上無理させると危険なのも分かっている。ので、私は片手を上げた。
「……勿論、私が行きますよ」
「「お姉ちゃんも歌うのー!?」」
「まさか!!」
自分が入れた仕事ですしね。仕方なく、自分が任務を負う事にする。……と、双子ちゃんはとんでもない発想をしてきた。私は驚きに声を上げてしまう。ケンさんが、しっ、と人差し指を自分の唇に押し当てて、私は思わず己の口を押さえた。危ない、ステージに声が漏れてしまう所でした。
「音胡さん、元吹奏楽部でしょう、ステージ登った経験ぐらいはあるんじゃないですか?」
「そ、それが無いんですよ……私、楽器を広く浅くやってたので、個々の熟練度はそんなに高くないんです。発表会に選ばれたこともありません……ライさんこそ、歌ならどうなんですか……?」
がっくりする私。それを言われると、ちょっと緊張してきたぞ。演出的にはライさんが歌った方が、PRになるんだけどな……と、微妙な期待を寄せてみる。
「情けない話ですが、歌う前に卒倒すると思います……」
「うん、分かってます」
「……あ、あっさり言いますね、ひどいです……」
おっ、歌唱力については言及無しでした。スティーブさんもケンさんも突っ込まないし、歌自体は上手いのかな? これは後で、カラオケにでも連行の刑ですね。
「……じゃあ、行ってきます!」
「「いってくるねーっ!!」」
「いってらっしゃい」
「頑張れよー」
「噛むなよ~」
最終打ち合わせを終えるとすぐに出番は来て、私は双子ちゃんと共にステージへと向かう。うーん、ケンさんの一言が余計です。悪いヒトではないのに、なんていうかこう、いちいち小憎たらしいのはなんでなんでしょうか。
そして迎えた本番。結果から言えば、上手く行ったと思う。私は簡単に、この町がどうして指定地域であるかの経緯、ライさん達、獣人の方々がそもそもどんな存在であり、今どのような生活を送っているかの説明、双子ちゃん二人がどんなアイドルであるかの説明をこなした。とはいえ、遊園地で子供のアイドルを紹介する、という行為は警察であっても、なんというかこう、事務的ではない。『ヒーローショーのお姉さん』のようなテンションを要求され、私はくたくたになって舞台から降りた。
双子ちゃんのパフォーマンスは初めて見たが、可愛らしい上にアクロバティック。歌も上手で、二人の声が重なると本当に華がある。アイドルとして素晴らしく出来上がっていた。……二人の頑張りを見ていると、それを教えてくれたマネージャーさんを思い出す。二人は元気にやってます。貴女が教えてくれた生き方を、自分のモノとして諦めずやってます。私は舞台袖から、彼女に送る用に何枚か写真を撮った。
双子ちゃんは三曲程のパフォーマンスを終えると、最後まで笑顔で誰にでも対応した。彼らを知らない町外の人、久々に見た世代の人、この町の地域住民にも等しく、手を抜かずやり抜いた。そうしてステージが終わって送られた声援は、少なくとも温かいものばかりだった。この声も、マネージャーさんに届いてくれるといいな、と思う。
「お疲れ様でした」
「楽しかったよー」
「でも疲れたよー」
舞台が終わり、双子ちゃんもステージ裏へと戻ってくる。ライさんは双子ちゃん用に、水とタオルを買いに行ってくれていた。こういう裏方仕事は、ライさんは得意な方だ。
「んじゃあ帰るかぁ、双子もばあちゃんトコに帰さねえとな」
「えー、まだ遊びたーい」
「スティ、次は僕もおぶってー」
割と何もしていないのに一人一仕事終えた感たっぷりのケンさんは、伸びをしながら最後まで双子ちゃん護衛の任務を果たそうと、のぞみくんと手をつなぐ。しかし、いのりくんはスティーブさんの足元にくっついたままだ。先程ののぞみくんと同じように持ち上げて欲しいらしく、スティーブさんによじ登ろうとする。
「親父さんのこと気に入っちゃったなぁ」
「んー、もう友達ー!」
「友達ー!!」
ケンさんは呆れてそう言うと、二人はスティーブさんの事を声を揃えて『友達』と表現した。のぞみくんもスティーブさんの方へ駆け出してしまい、スティーブさんは仕方なく二人を小脇に抱える。
「あぁ、俺とお前らは友達だ!」
スティーブさんはその言葉に、すごく嬉しそうだ。その姿を、少し離れて見ていたライさんは、ちょっと悲しそうに微笑む。でもその顔は、少し穏やかな優しい顔だった。その隣を歩いていた私は、その表情に気づいて声を掛ける。
「スティーブさん、楽しそうですよね」
「そうですね、良かったです……手を引いて良かったのかもしれません」
ライさんはそう呟いた。まだ寂しそうだけど、その笑顔に嘘は見えない。私は仕方ないなぁ、とため息を吐いて空を見上げる。日が落ちかけた秋空は昼間とは違う綺麗さがある。と、空の端、紺色のグラデーションの中に、一筋の白線が糸を引いた。
「あ、ライさん! 流れ星ですよ!!」
「あっ、本当ですね! ……お願いしないとですね」
お、ライさんからお願い、なんて言葉が出るなんて意外です。ここで、スティーブさんに何か言うのかな……と思うと、私は見つけたかいがあるなあ、と思ってしまう。まあ、もう流れ星はとっくに消えてしまってるんだけど。
「……もう遅くないか?」
とか思ってたらケンさんがド正論で口を挟む。ううん、親切なんだけど余計なお世話です。黙ってて下さい。そんな気持ちで私はケンさんを睨む。ケンさんは流石に気まずさを感じ取ったようで、目を伏せてそっぽを向く。
「……えーと……そうですね、音胡さんが僕の不甲斐なさに愛想を尽かして辞めませんように……」
「辞めませんよ!!??」
しかし、ライさんのお願い事は、期待していたそれと違った。私は慌てて否定の声を上げる。私の大きな声は、夕刻の静かな町に響いた。
「おい、レイル。それは星の上に願うんじゃなくて、お前の努力だろ」
「あはは、所詮願掛けですよ。宣言も兼ねてです」
スティーブさんもその発言に呆れつつの説教をした。ライさんは苦笑する。な、なるほ……ど? 私はその謎の宣言に困った顔をライさんに向けた。けど、ライさんは理由を話すことはなく、悪戯に笑うだけだ。ま、まあ、頼られて悪い気はしませんけど。
「……宣言、そうだな。俺も、しようかな、宣言」
ライさんのその発言に、スティーブさんは少し考えて立ち止まった。一同でその行動に首を傾げる。スティーブさんは私達を振り返ると、真面目な顔で告げる。
「紹介したい相手がいるんだ、皆、少しだけ付き合ってくれよ」
***
すっかり日も落ちきって薄暗い中、たどり着いたのは霊園だった。夜の霊園、というとライさんが真っ先に驚きそうなものだが、幸い、手入れの行き届いた霊園には、昼間のように明るい街灯が設置されていた。町の人が募金で設置したものらしい。
スティーブさんが先導して、立ち止まったのは小さな十字架。港町で海外文化の色濃いこの地域は、お墓や住居、文化なんかに和洋の文化が交差することがある。この霊園も、和式と洋式のお墓が混在していた。
スティーブさんは真っ先にそのお墓の前に跪き、祈りを捧げる。その足元にあったのは……市販薬の瓶らしきものにに入った貝殻が三つ。そして、比較的綺麗なままの花だった。
「……綺麗にされてるな」
「ちゃんと管理してましたよ。誰かさんは全然来なかったですけど」
ライさんはため息混じりに、冷たく言い放つ。誰の事だか私には分からなかった。
「兄ちゃんは掃除下手くそだからなぁ、来た所で役に立つかどうか……」
ああ、前署長のことでしたか。やはり家族に疑問を持っていたからなのだろうか、家族の用事にはあまり手を出さない人らしい。
「……スティーブさん、ここは……」
私は説明の無いままだったので、思い切って先に聞き出す。答えたのはライさんだった。
「アニーとポートの眠る場所です。……彼らはまだペット世代で亡くなったので、ここはペット霊園になります。……彼らは、父と……エッジの名が刻まれる墓には入れません」
スティーブン・エッジ。それが彼のフルネームだ。その名が刻まれるお墓に、ペットだった二人は入れない。死んでも、スティーブさんと双子はもう共にいられない。
「……二人が望んだのは、自分達より、他の誰かと俺が同じ墓に入る事だったよ」
スティーブさんもしんみりとそう言い放って、十字架をそっと撫でる。双子もそれを悟っていたのかもしれない、という趣旨の発言は……その場にいた全員の表情を少しだけ暗くさせた。
「……あの、おじちゃん」
「何だ?」
そんなしんみりした空気を破ったのは、ライさんの声だった。私はその次に聞こえた声に、耳を疑う。
「いのりくん、のぞみくんと暮らしませんか。彼らが今いる家は仮の住まいです。引き取り手が見つかるまでの……貴方が家を見つけて手続きすれば、彼らを子として迎え入れる事が出来るはずです」
「な、何言ってるんですかライさん!?」
いのりくん、のぞみくんはケンさんの後ろで、黙って事を見ていた。自分達がどこで暮らすのか、その決定が誰かに委ねられてしまう事は、己の身をもってよく知っている。確かに懐いているスティーブさんに引き取られたら幸せかもしれない。扱いにも慣れているし、彼らの事にも詳しい。のぞみくんの発作の事だって、ライさんで慣れているスティーブさんなら対応できる。
でも、それは……ライさんが望むものじゃないはずだ。
「いいんです、おじちゃんが二人といて楽しいなら」
「……レイル」
スティーブさんは墓前から立ち上がり、ライさんの目の前に立った。ライさんは自分から言ったにも関わらず、その答えに緊張しているようだ。ギュッと目を瞑る。私もその様子に、ただ自分の手を握りしめていた。
なんで、ライさん。なんでそんな事。自分が傷つくだけのこと……。
私は一瞬、本当にライさんの行動を疑った。しかし、すぐにその行動の目星はつく。彼の生まれを考えると、容易い話だった。
……そうか、ライさんはわからないんだ。自分が傷つくことでしか、多分、スティーブさんの幸せを願えない。自分が、傷つくことでしか育たなかったから……。
察してしまって、私は心苦しくなる。
「何言ってんだ、俺の子はお前だろ、レイル」
「っ……!!」
緊張が走ったその場を切り裂いたのは、スティーブさんの優しい声だった。そのまま、スティーブさんはライさんの頭をわしわしと撫でる。
ライさんはその言葉を数秒、反芻すると、嬉しかったのか、照れ混じりにへにゃりと柔らかい笑顔で笑った。初めて見る、ちょっとにやけたような間抜けな笑顔だ。
「……なあ、俺の息子可愛すぎないか?」
「ど、同意しますけど、口に出す事じゃないですよ!」
その笑顔に、スティーブさんは興奮した様子で私に報告してくる。うん、分かります。今のは明らかに可愛かったです。ライさんは照れまくって、耳をピコピコ動かしてました。
「……あぁ、とんでもねえ茶番に巻き込まれちまった」
「「ちゃばーん?」」
一方、緊張から開放されたケンさんは、肩をすくめる。双子ちゃんに変な言葉教えないで下さい。
「……気遣いは嬉しいよ。ありがとうな。でも、やっぱり、あいつらとは違うよ。……こんなに元気じゃなかった。やりたかったけど出来なかった事がいっぱいあったはずなんだ。……それを後世に託した、その最初がレイルで良かった。俺はそう思うよ」
「……おじちゃん……」
スティーブさんはもう一度十字架の前に座ると、目を細めてそう呟く。ライさんはその言葉に、軽く拳を握りしめる。恐らく、ライさんは今、双子にジェラシーを感じていた自分を恥じていたのだろう。
「……よし! お前ら、整列!! ……あいつらに紹介させてくれ」
スティーブさんは立ち上がると、大声で号令を掛ける。私達はその声を合図に横に並んだ。ライさん、私、いのりくん、スティーブさん、のぞみくん、ケンさんの順に。スティーブさんは双子ちゃんと肩を組んでいる。
スティーブさんは軽く深呼吸をすると、少し張った声を上げた。これが、スティーブさんの『宣言』だ。
「……アニー、ポート……聞いてくれ。俺の息子はこんなに立派になった。お前らそっくりの新しい友達もできた。……ちょっとサボっちまったけど、俺は……俺は、元気でやってるよ。約束、ちょっとだけ破っちまったけど、絶対取り返して見せるから、見守っててくれ」
気づけば夜空はすっかり透き通った星空で、遠くには見事な明るい月が浮かんでいる。なんていう星かも知らないけれど、月の隣には明るい星が幾つも寄り添っていて……その何処かにきっと、二人は居るんだろう。スティーブさんの声は徐々に優しく、優しい声で、夜空に染み渡るように、そう宣言を終えた。
「……僕は」
その言葉が終わるや否や、ライさんも続けて声を出す。その手が、私の手を握っていたので、私は応援の意味を込めて握り返した。……やっぱり、ふにっとした。
「……君たちが、文字通り必死で成し遂げた事を敵わないと思った事がありました。越えられないと思った日も、無駄にしてしまおうと思った日もありました。だけど、君たちが救ってくれたお蔭で僕はその間違いに気づきました……まだ、少しだけ悔しいですが、競うものじゃない。向き合っていかないといけないものだと、皆が教えてくれました」
ライさんはそこで、一度深呼吸をする。反対側のライさんの手をのぞみくんが握った。ライさんはのぞみくんに一瞬微笑んでから、続きを吐き出した。
「……君たちは、僕の兄です。最初の兄さん達に……僕は家族として、誓おうと思います。家族として、兄さん達が残した願いと向き合う努力を続けていきます」
言い切ったライさんは、敬礼をした後で深く頭を下げる。強い、敬意の証を示す為に。私も、スティーブさんも、恐らくケンさんも、その言葉にほんのりと泣いていた。双子ちゃんも、しんみりとただライさんの言葉に耳を傾けていた。ライさんの悲しいけど勇気ある誓いに、それぞれの後悔や辛さ、感動を重ねて。
ライさんは泣かずに誓いを言い切ると、長く長く頭を下げた後で満足そうに微笑んでいた。
***
「お、久しぶりだね、音胡さん」
「OBさん、お久しぶりです」
秋も深まってきたある日のこと、私は久しぶりにOBさん宅に訪れた。パトロール帰りにふと思い立って庭先を覗くと、偶然目が合ったのでお邪魔したのだ。気づけば双子ちゃんの件以来、OBさんと会ってなかったので、お久しぶりになってしまった。
「今日は一人なのかい?」
一人でやってきた私を見て、OBさんは首をかしげる。私は頷いた。ちなみに、今日はライさんはサボりではなく、別々に仕事をしてるだけです。
「先日の双子ちゃんライブでうちの町を知った方から、隣町に一人暮らしの鼠のヒトがいる、という情報を頂きまして……情報提供者の方が連絡して御本人が駅まで来てくださるそうなので、ライさんが地域課代表として会いに行ってます」
OBさんは私の説明に頷いた。OBさんに促されてお家の敷地へと招かれたので歩みを進めると、OBさんは申し訳無さそうな顔で私を出迎えてくれる。
「そうか、双子の件もお疲れ様だったね。それと……すまない、スティーブの事を黙っていて……ライの混乱を避けるためだったんだが、結局色々あったみたいだな」
そうだ、彼は元々スティーブさんの上司でした。恐らくライさんが忙しかった間、スティーブさんの諸々はすべて彼任せになっていたのだろう。謝られてしまって、私は慌てて首と手を横に振る。
「いえいえ、丸く……とは言い難いですが、無事に収まりましたしいいんじゃないでしょうか。ライさんは今日もちゃんと仕事してますし。私は私で残った仕事を片付けるの頑張りますよ」
「早速寄り道してんじゃねえかよ」
「違いますよ、仕事の一貫で……ってあれ、ケンさん?」
聞こえてきた声に反論しながら庭先へとお邪魔すると、ケンさんがひょっこり顔を出した。その後ろで、スティーブさんと双子ちゃんが遊んでいる。ああ、そう言えばスティーブさんはOBさんのお家に居るんでしたね。
「すっかり犬のお巡りさんから双子のお守りさんになっちまったよ、全然交番に居られねえ」
「早く双子ちゃんもご家族決まればいいんですけどねぇ、いや、地域課としては力になってあげられなくて申し訳ないですけど……」
双子ちゃんはどうやらスティーブさんとプロレスごっこでもしているらしい。のぞみくんがスティーブさんの顔に張り付いて、スティーブさんは割と本気で苦しがっている。そろそろ窒息するのでやめてあげて!
「……こいつら、この間のライブの反響もあってよ、『英雄の再来』って呼ばれてるんだよ。そんな有名人の端くれを迎え入れるのには勇気が居るだろうなぁ」
「あ、なるほど……」
ケンさんは軽いため息を吐く。私もその話を聞くと、ため息が出そうだった。ライさんじゃないけど、アニーとポートの影響がこんな所にまであると、あの二匹の影響の凄さに押し潰されそうになる。
「……心配だよ、ここまで面倒見てればいい子なのはすげえよく分かるから」
ケンさんはそう呟いた後、思い出したように手を打った。OBさんの隣に置いてあった封筒を持ってきて、私に手渡す。
「これを親父さんに見てもらってたんだ。前に検査したDNAと、調査した誕生日の特定が終わったよ。後で地域課に出すつもりだったけど、丁度いいから確認してくれ」
「お、じゃあ、双子ちゃんの誕生日わかったんですね! どれどれ……」
私は封筒を開ける。DNA検査の方はもう確信してたけど、当然のようにアニーとポートとは違うという結果。そして誕生日。獣人を造れるぐらいに科学が発達してから何十年と経過した現在、この世界では身体検査だけで綿密な生年月日を逆算出来るようになっていた。私は書類を引っ張り出し、その日付を探す。
「いのりくんが四月一日の夜、のぞみくんが四月二日の早朝……へぇ、日付跨ぎかぁ」
「誕生日パーティが二回出来るよね!」
日付を跨ぐ双子とは珍しい。そう思って感心していると、いのりくんはそう言って嬉しそうにした。なるほど、その発想はなかった。私は日付跨ぐなんて、ちょっと双子としては寂しいなぁ、という考えが脳裏を掠めていたんだけど、子供の発想って柔らかいなぁ……。
「二日も続けてパーティとか勘弁して欲しいぜ……」
「アニーとポートはどうだったんですか?」
一方、祝う方である大人のスティーブさんは、その発言にげっそりする。そうですよね、普通は一度に済ましますよね。……そう言えば、アニーとポートの時はどうしたんだろう、と思って聞いてみる。
「一度に決まってるだろ……つっても、一歳はやらなかった。どうせ理解できないだろうと思ったし、そもそもあの時代はちゃんとした日付まで確定出来なかったんだよ。法でさ。七月生まれってだけ決まってたから、俺は勝手に七月七日にして。二歳と三歳は二人まとめてやったよ。……四歳は、祝ってやれなかった。出張で留守にしてる最中だったから」
その話に一番肩を落としたのは、二人が生きていた時代を知るOBさんだった。彼は、スティーブさんが留守にしている間も、弱っていく二人に寄り添っていた人物だ。
「……スティーブ、すまない」
「……いえ、先輩が悪いんじゃないっす。むしろ先輩は、あいつらを病院にも連れてってくれて、字まで教えてくれました。動画だって、先輩が流さなければ、あいつらは本当の二人きりで死んでくはずだった……あいつらの最期を充実させてくれた恩人ですよ」
OBさんは何も言わなかったが、ただ、静かに首を横に振る。そんなしんみりしてしまった空気を破ったのは、のぞみくんの声だ。
「ライ兄のお誕生日はいつ?」
「どうやってお祝いしてたの?」
その言葉にいのりくんも続く。そう言えばそうだよな……。えーと。
「ライさんは……いつでしたっけ?」
「あ? 九月七日だな」
私はパッとライさんの誕生日を思い出せなかった。そう言えば去年は書類騒ぎで、私の誕生日には配慮してもらったけど、ライさんの誕生日の事は配慮出来なかったからだ。そんな質問に、スティーブさんはさらっと答える。そのあんまりに冷たい言葉に、一瞬スルーしかけたが、私は言葉を反芻させて瞬きを繰り返した。
「明日じゃないですか」
「そうだなぁ」
まるで他人事な言い方に私は困惑する。そこまで冷たい方でしたっけ、スティーブさん。もう二十歳越えたとはいえ、自分の息子の誕生日ですよ? もう仲が悪いわけでもないでしょうに。
「……いや、なんつーか。ほら、あいつってこう……お誕生日おめでとう! って言いづらいっていうか」
「……生まれてきたことを、祝いづらいって事ですか……?」
「思ってねえ訳じゃねえよ? 勿論、あいつが生まれてきたことだって、俺の子になった事だってすげえ嬉しいよ!! ……だけど、あいつ自身は、どっちかって言うと、自分なんか、みたいな考え方するし、欲しいものも言わねえだろ……二人暮らしでおっさん一人で、盛り上がってたらウザいかな、と……兄ちゃんが来た頃には、もう子供って呼べる程の年齢でもなかったし……」
あーーー!! そこですよ、スティーブさん!! その遠慮がライさんを傷つけてるんですよ!! 私は内心にそう叫ぶが、口に出すのは本当にギリギリの所で我慢した。そんな事を言えば、二人の間は余計にギクシャクしてライさんが不利になってしまうし、ライさんの頑張りは無駄になる。
「……じゃあ、誕生日祝ったことって、もしかして?」
「無い訳じゃねえぞ!? ケーキと小遣いぐらいはちゃんと用意した! 本当はクラッカー鳴らして、手紙渡して、おもちゃ用意してやりたかったけど……けど」
私はその発言に地団駄を踏む。あー、ダメです。これ、アカンやつです。耐えきれません。言っていいでしょうか。はっきり言いますよ。
「これダメなやつや!!!!!!!」
「わっ、なんだよ急に」
その場に居た一同が、飛び跳ねる程の暴言を私は吐いた。ケンさんと双子ちゃんは驚きに毛を逆立てる。スティーブさんはその暴言に驚かされた苦情を返した。
「……じゃあ、パーティしよ!」
「えっ?」
しかし、その驚きからすぐに回復したいのりくんが、その可愛らしい声を張り上げた。私は思わずその言葉を聞き返してしまう。すかさず、のぞみくんもそれに続いた。
「今日と明日、今までの分ぜーんぶしよ!」
「……今までの分……」
スティーブさんは、その言葉を何回か噛み締めた後、強く頷いてちょっとやけくそ気味に腕を振り上げる。
「……そうだな、今までの分、明日の朝までたっぷりやってやろうぜ!」
双子ちゃんもそのマネをして、『おーっ』と声を上げる。私も便乗して、やっぱりやけくそで腕を大空に突き上げた。ようし、やるならやってやるか、という気持ちで。ああ、やっぱり子供の発想って凄いや。
「……まじかよ、夜通し?」
ケンさんはその場の勢いに冷たい目線を送りながら、呆れて頭を抱える。
「ははは、面白いじゃないか。私も入れてくれ、会場としてうちを使ってもいいぞ」
OBさんは意外とノリがいいらしく、笑って部屋を貸してくれる事となった。そうなると、早速作戦会議だ。
「では、私は仕事終わりにライさんを上手く誘導してきます。時間、短いですが……それまでに各自、プレゼントを用意してきて下さい」
「おう、任せたぜ、音胡ちゃん」
私とスティーブさんは、敬礼を交わす。その子供じみたノリについていけないケンさんは、退屈そうに大きなあくびをしていた。そんな彼の膝下で、いのりくんが聞く。
「ケン兄、これも茶番?」
「……おう、壮大なやつだ」
「茶番じゃないです、計画です。壮大な計画です」
私は誤解を訂正すると、作戦会議を続ける。あくまで、壮大な計画を練っているのだ。遊んでいるわけではない。
「スティーブさん、会食の用意をお願いします。とにかくライさんの好物でテーブルを埋めて下さい」
「おうよ、あいつの好みなら大体把握済み……だけど、データベースが五年前から更新されてないけど大丈夫かな?」
「多分大丈夫です。今でも十分、子供舌で甘党ですから……」
私は遠い目をする。少なくとも、ライさんの好みが何処かで変わったとは思えない。私は彼の好きなものとして、お饅頭とアイスと苺しか知らないけど。あ、あと唐揚げ。
「あ、ケンさん……和菓子屋さんの息子さんって今、あのお饅頭作ってます?」
「うん? 作ってるし売ってるよ、朝、双子も並べるの手伝ってたし」
あ、そうなんですか。双子ちゃん、勤勉で関心です。此処でサボって誕生日会の話している私とは全然違う。あ、いえサボりじゃないですけど。
「少し買ってきて貰えませんか、ライさん、あれすごく気に入ってて」
「おう、そういうことなら」
ケンさんは頷いてくれる。良かった、あまりに呆れてたので協力してくれないかと思いました。
「OBさんは、飾り付けをお願いします。遠慮せず、ゴテゴテに誕生日会っぽくしてくれて結構です」
「よし、分かった。ライが怒り出しても知らないぐらいに豪華にしてやろう……あぁ、でも、飾り付けれるような材料がないな……いっそ、花紙とか飾りたいのだが」
OBさんはそう言うと、そこらへんの引き出しやタンスを探し回る。確かに、一般家庭の子供も居ない家に、花紙や折り紙は普通無いよなぁ……。
「お姉ちゃん、僕はー?」
「僕達は何したらいいー?」
まだまだ元気とはいえ、ご年配のOBさんに買いに行かせるのも忍びないし、代わりになるようなモノを調達できないかな……と、頭を悩ませていると、双子ちゃんが指示待ちをしている事に気づいた。私はその姿を見て、手を打つ。
「……あ、なら、双子ちゃんに飾りとクラッカー、買ってきて貰おうかな?」
「っはぁ!?」
「え、な、なんですか……」
我ながらナイスアイデアだと思ったんだけど、双子ちゃんより先に叫び声を上げたのはケンさんだった。私はその勢いに引く。
「お前、鬼かよ。まだここに来て一ヶ月と数週間の子供二人にお使いさせるってのか?」
「え、ええ……でもケンさん、案内したんでしょ? 十分慣れてますよ。お店ぐらい行けると思いますよ。二人だってもう十歳ですし、アイドルやってるんですよ? お店の手伝いだってしてたんでしょ?」
テレビでよくやるお使いの番組だって、最少二歳数ヶ月とかでお使いしてますよ? どうしてそんな反応になるんだろうか。
「でも、こいつら、普通の十歳よりは幼いっていうか……学校も行ってなかったから、ちょっと疎いし……」
双子ちゃんはこの町に保護されるまで、義務教育を受けないまま十歳を迎えている。今は、年相応に追いついてから入学する為、事前学習を進めている最中だった。確かに、実年齢よりは分からない事が多いかもしれないけれど、そこまで驚くほど双子ちゃんがしっかりしていない訳じゃない。何なら、この中で一番しっかりしてるのは多分双子ちゃんだし。
しかし、慌てまくるケンさんを見ていると、私は一つの心理が浮かぶ。
「もしかして、心配なんですか……?」
……その行動は、完全に親バカのそれだった。
「ばっ……!! ……心配に決まってんだろ!!!」
「……うん、全く意地張れてませんよ」
ケンさんは羞恥に、ヘナヘナとその場に崩れ落ちる。薄々感づいてはいましたが、ケンさん、一回情が湧くと弱いタイプだったんですね。毎日双子ちゃんの面倒を見ていれば、親バカ精神も根付いてしまうという訳だ。
「ケン兄、僕達大丈夫だよ、ライ兄に喜んで貰うためだもん」
「お買い物ぐらい大丈夫だよー」
そんな崩れ落ちたケンさんの背を、ゆすゆすしながら励ます双子ちゃん。こんなヒトにも優しい。天使がいます。しかしケンさんは回復しない。
「……うっ、うっ、お兄ちゃんは許しません……」
「じゃあ、双子ちゃん、お財布とメモを預けるね。此処をまっすぐ行って、三つ目の横断歩道を行くと大きい通りに出るから、その反対側の角に赤い看板のお店があるの。そこが百円ショップだから、そこでクラッカーと、お花を作る紙と、折り紙を買ってきてくれるかな。ちょっと多めに持たせておくから、もしも他にも飾りとか、プレゼントに使えそうなのがあったら、二つまで買ってきていいよ」
「おい、認めねえつってんだろ!? しかも大通りに行かせるだと!? 強盗に会ったらどうする!?」
私はそんな気持ち悪いモードに入ってしまったケンさんを完全無視して、双子ちゃんにお財布とメモを入れたエコバッグを持たせた。いのりくんがそれを持って、しっかりのぞみくんと手を繋ぐ。所持金、約六百円を襲う強盗が居たら、むしろ見てみたいと思う。捕まえたら逮捕率も上がるし。
「いってきまーす!」
「いってきますっ!」
そうして出かけていった双子ちゃんを、私は手を振って見送った。
「あぁぁ、あいつら、薬持ってたか!?」
「持ってましたよ、何度確認したと思ってるんですか」
「地図は渡したのか?」
「メモの後ろに描きましたよ……ほら、ケンさんにもお使いお願いしてるんですから、いつまでもしょげてないで行ってきて下さい。ライさんですか貴方は」
私は未だに謎の親バカを発揮するケンさんの背中を突き飛ばして、OBさん宅の敷地から追い出した。
「……お前、上司を罵倒に使うのいい加減やめろよ……」
「……ごもっともです」
***
音胡に追い出されて、俺もお使いへと繰り出す……と、思ったら大間違いだ。まんじゅう貰ってくるぐらい、後で出来る。今は何より双子が心配だ。十歳だからとか関係ねえ。何歳だってひとり……いや、ふたり歩きさせるなんて、あの女め。
俺はこっそり、二人の後をつけていく。遠目から見たら俺が犯人みたいだな……と、邪な思考は捨てて。双子は手をつないで、その手を振り回しながら歌っていた。次の新曲の練習を兼ねるお使い。二人は買い物を任されたせいか、とても楽しそうだ。
「「わっ」」
「おっと、ごめんねー!」
と、思ったら目の前から来たチャリと鉢合わせて、二人は立ち止まってしまった。チャリに乗った男は軽く謝っただけで、さっさと先に行ってしまう。クソっ、歩行者優先だぞ軽車両め。交通違反で捕まえてやろうか。通りすがりに軽く睨んでやったら、男は青ざめていた。
「ねえ、のぞ?」
「なあに、いの」
しばらく双子は歌いながら歩いていたが、不意にいのりが口を開き、歌は止まる。のぞみはすぐに返事をした。
「……ライ兄喜んでくれるかな、お誕生日、嫌いじゃないかな」
いのりは不安気味に呟く。のぞみはその言葉に、ギュッといのりの手を握りしめた。
「僕、ライ兄がちょっとお誕生日、怖いの分かるよ」
「……僕も分かるよ。あのまま、あのまま僕ら、テレビの見世物のまんまだったら、きっと嫌いになってたよね……」
電柱の影から、その様子を眺めていた俺の胸も、チクリと痛んだ。俺も、多分……ペットとして可愛がられるだけの人生だったら、『お誕生日おめでとう』だなんて、無責任な言葉に違和感を覚えたと思う。俺でもそう思うんだから、ライや双子のような……大人に弄ばれた奴なんか、たまらなく嫌だろうな。
「……でも、ライ兄に知ってもらわなくちゃ、お誕生日は楽しいって!」
「……!! そうだよねっ、頑張ろうね!!」
そう言って励まし合う双子の笑顔が眩しすぎる。本当に、自然にそうして誰かを想うことは、寂しさから悪の道に走った俺には、笑えないぐらい立派なことだった。その立派な考えを自分の半分しか生きて来ていない子供が出来るというのに、俺は今のこいつらより年上でそれを出来なかった。本当に己を恥ずかしく思う。
いのりとのぞみはまた歌を歌いながら、楽しそうに歩き出す。順調に歩みを進め、無事、大通りまでたどり着いた。
「いのー、次、なんだったっけ?」
「……なんだったっけ……誰かに聞いたら分かるかな……」
だが、二人の歩みはそこで止まる。どうやら道順を忘れたらしい。ほら、やっぱりダメだったじゃねえか。俺は二人の前に出て行こうとする。が、のぞみが先に言い出した。
「そうだっ、お姉ちゃん、メモの裏に地図書いてくれてたはずだよ。メモ貰ったんだから、人に聞いたら頑張ってなくなっちゃう! 諦めないで僕たちだけで頑張ろう、ねっ!」
そう言って二人はバッグから地図を取り出す。人に頼らず遂行しようとするその姿勢に、俺は感動した。ここは双子の成長の為だ、手を出すのはやめよう。俺は二人の勇気を尊重して、踏み出しかけた足を戻した。
「うーんと……こっちかな! 行こう!」
「うんっ」
が、突如として来た道を戻る二人。まだ教育を受けていない二人は、地図が読めなかった。おい! 音胡! 俺は居ない音胡に心の中でキレる。……恐らく音胡にとっても想定外の出来事だろうけど、心のやり場がなかったので取り敢えず八つ当たりだ。
俺はつけてる事がばれないように、慌てて二人が横切って行くのを電柱の陰でやり過ごす。今になって己の邪魔くさい図体と耳と尻尾を恨みながら、必死で身体を捻る。
「ああ、曲がっちまったよ、あっちじゃ先輩の家にも逆方向じゃねえか……」
隠れながらも俺はどうするべきか悩んだ。しかし、そうこうしてるうちにも、二人はあらぬ方向へ行ってしまう。どうにか軌道修正してやらないと、でもどうやって? これがお使い番組なら、変装したスタッフが声をかけたりするだろう。けど、それは俺には通用しない手段。この町で茶毛の芝犬獣人は今の所俺だけだ。黒毛は何人かいたけど。他人のふりをした所で、どうやったって特定される。
誰かに連絡して誘導してもらうことも考えた。が、もう皆用事で散り散りだ。恐らくすぐ駆けつけてくれそうなのは音胡だけだが、音胡に連絡したらつけていった事がバレる!
俺は慌てて周囲を見渡した。すると、そこにあったのは工事現場の迂回看板。絵で通れない事を示すそれなら、仮に双子が文字を満足に読めなかったとしてもきっと通れない事を悟ってくれるだろう。幸い、休工中のマグネットも貼ってある。
「……よし、先回りするしかねぇ!」
俺は慌ててマグネットを剥がし、その看板を担ぎ上げて走り出した。許してくれ、泥棒じゃないんだ。これは警官として町民を守る勇気ある行動なんだ……! そう言い訳してみるが、聞いてくれる相手はいない。……通報されませんように。
「……あれ、ここ通れないのかな?」
「本当だ、えっと、こ、うじ、中……だって。仕方ないからあっちから行こー」
間に合った……。俺は双子が曲がり角を曲がっていったのを確認して、次の先回り先を頭の中に思い描いた。あと二回曲がれば元の道へ戻る! 方向転換さえ上手く行けば、双子も道を間違えたことに気づくはずだ……!!
俺は看板を携えながら、双子が道を反れないように監視を続ける。もう少し歩いて、曲がり角に差し掛かりそうになったら全力で先回りしよう。
「ねー、いのー」
「なーにー、のぞー」
双子はまた手を繋いでぶらぶらさせながら、少し退屈そうに話し始めた。回り道をしているせいで、長い道中に飽きてきているのかもしれない。さっきとは逆に会話が始まる。
「……僕ら、お家決まるかなぁ」
「……結局、おばあちゃんちも長くは居られないもんね」
「……!」
始まったのは、双子の住処についての話だった。俺はその言葉に息を呑む。結局、まだ家族の決まっていない二人は、今いる和菓子屋も仮住まい。二人はその立場をよく分かっていて、今朝の手伝いも住まわせて貰っているお礼として始めたものらしい。子供としてはあまりに出来すぎた遠慮は、テレビの世界で学んだ上下関係だ。
「……おじいちゃんもパパさんも優しくしてくれるけど、やっぱり落ち着かないよ、僕、マネージャーさんのお家帰りたい。スティみたいなパパとか、ライ兄やケン兄みたいなお兄ちゃん欲しかった……」
「……ダメだよ、のぞ。マネージャーさんは赤ちゃんと暮らしたいんだよ。スティにはライ兄がいるし……アニーとポートがいるんだよ……僕らがいるところは……」
そこまで言って、いのりの口は止まる。『無いんだよ』と続けるつもりだったのだろうか。しかし、のぞみの目にみるみるうちに涙が溜まっていき、その言葉は紡がれることはなかった。
「もうやだよぅ、僕、寂しい。……お勉強頑張っても同い年の子に追いつける気がしないし、歌も踊りも頑張ってるけど全然上手くならないもん。本当のパパママも、きっと僕らが要らない子だから捨てたんだ……新しいパパママやお兄ちゃんなんか見つからないんだ、うっ、ぅぅ、ぅわぁぁぁぁぁん……」
「……のぞ、やだよ。泣いちゃダメだよ……ライ兄のお誕生日の飾り買いに行かなきゃなんだから!」
いのりも泣きそうになるが、それをぐっと堪えていのりの手を引いた。俺はその姿を後に、先回りする為に路地を駆け抜ける。泣きながら。神様、おめえって奴はどうしてそう意地悪なんだ。あの子達が何をした。あの子達だけじゃない。例えば、ライが何をした。アニーとポートが何をした。意地悪なら、悪いことをした俺にしてくれればいいのに。
「ここも通れないね」
「うっ、ぐすんっ、うん……」
双子が曲がっていくのを、俺はまた看板越しに確認する。いのりはのぞみの手を引いて、俺が狙ったように方向転換してくれた。のぞみはまだ半泣きのままだが、いのりの言葉に確かに頷く。
「ふぅ、これで元の大通りに戻るな……さて、気づいてくれるといいんだが……ん?」
俺は二人の姿を見届けて、看板を戻そうと思った。その時、道の向こう側から何かがやってくる事に俺は気づく。チャッチャッチャッチャッと、規則正しい足音。黒くて四つ足の影が見えた。
「あっ、ほら見てよ、のぞー! 大きいワンちゃん!」
「……ぐすん、本当だぁ」
二人の目の前に現れたのは、黒いラブラドールレトリバーだった。しかも、かなりでけえ。首輪はしているが、リードはついていない。飼い主らしき奴も見つからない。おい、誰だよ、放し飼いにしてる奴は……。
双子はその犬に近づいていく。おい待て、迂闊に犬になんて近づくな……! と心の中で突っ込みかけて、俺も犬だったわ、と気づいてしまった。犬は近づいてくる双子を見て足を止める。が、次の瞬間、ドワン!!! と吠えた。ゾッとする程、鳴き声まででけえ。双子はその一声にドン引きして、後ずさりする。
「……なんか、機嫌悪そうだね」
「……ごめんね、お散歩中に」
双子は犬にぺこり、ぺこりと謝ると、踵を返して猛ダッシュした。が、それが運の尽き。犬はその双子の背を、恐ろしいことに唸りながら追いかけてきたじゃねえか。
「「ひゃぁあぁあぁぁあぁ!!!」」
双子の悲鳴が、昼間の路地裏に響く。折角軌道修正した双子は、パニックのあまりにめちゃくちゃな道順を辿り始めた。俺も慌ててその背を追いかけるが、ピンチになった子供の足と来たら……めちゃくちゃ早い。仮にもアイドルの二人、日々のレッスンで足腰は丈夫だ。
さっさと犬が諦めてくれればいいのだが、どうやら咄嗟に逃げた事が犬を刺激したらしい。双子は必死に逃げ回るが、全然離れてくれない。
「っ……いたっ……!!」
「のぞ!!!」
二人は手を繋いで暫く逃げ回っていたが、不意にのぞみが転んでしまった。手の離れたいのりは慌てて、のぞみの元へと戻る。が、のぞみは立ち上がれない。
「っ、ふぅっ、う……」
「の、のぞ……あっ、苦しいやつ、来た……?」
「……っ、発作か!」
のぞみはそのまま、地面に膝と頭を付いてうずくまってしまった。いのりが思い出したように言った言葉に、必死に頷く。発作で気分が悪くなってしまったようだ。
「薬、薬……あぁ!!」
いのりは慌てて、のぞみの薬をポケットから取り出す。ライと同じスプレーの薬。が、手を滑らせて落としてしまった。ボトルはクルクル回りながら地面を転げ、有ろう事か犬の目の前へ滑り落ちる。犬は不思議そうに立ち止まった後、それを何度か嗅いだり、噛んだりした。
「……ワンちゃん、返して……それがないと、のぞは苦しいままだから……おとなしく、しててね……?」
いのりはそれを取り返すべく、勇気を出して犬へと近づいていく。犬はいのりが一歩踏み出した瞬間、またドワンッ!!! と吠えた。
「ひいっ!!」
「いのっ、いの……うっ、うぅぅ……」
萎縮してしまういのり。のぞみは苦しさと恐怖に挟まれて、うずくまりながら泣いている。犬はスプレーに見飽きたのか、また二人に向かって突進してきた。
「っ……!!」
咄嗟に、いのりはのぞみの前に両手を広げて立ちはだかる。明確に、勇敢な弟を庇う兄の姿だった。その行動に、のぞみはポカンといのりを見上げる。
「……い、の?」
「……僕は泣かないよ、怖いけど、寂しいけど、僕、半日だけでもいのの兄ちゃんだもん。ライ兄やケン兄みたいなお兄ちゃん、僕だって欲しいけど、いのの本当の兄ちゃんは僕だけだもん!!」
俺はその言葉を聞いて、返しかけた看板を持って立ち上がった。看板を弁償しようが、つけていった事を音胡に怒られようが知ったこっちゃない。のぞみの勇気を無駄にしない為には、二人共無事でライの誕生日会に参加させなければならない。どうってことない。
――犬の姿を持って生まれた癖に、犬が怖いぐらいどうってことねえ!!!!
「うぉぉおおおぉぉぉぉぉおお!!」
「「ケン兄っ!!?」」
結論から言えば、看板を持ち上げて叫びながら迫ってくる男に、ビビらない犬は居ないと思う。というか、人でもビビる。俺も普通に町で出会ったら職質してると思うし。
でも、そんなシュールで滑稽な勇気でも、人のために心から勇気を出したのはきっと初めてだった。悪の道に走った俺が、いくら警官になったとはいえ心の底から善へと踏み出せる日は来ないと思っていた。そんな俺を変えてくれたのが十歳の兎の子供だなんて……面白すぎるじゃねえか。
「いのり、今のうちにこっちだ!! 姿さえ見失えば追って来ねえ!」
「う、うんっ、で、でも、のぞ、歩けないの!」
「薬ものぞみも拾って行く、先に走れ!」
俺は看板を投げ捨てると、犬が怯んでいる内に地面でうずくまったままののぞみと、転がった薬を拾い上げ、のぞみを脇に抱えたまま駆け出す。走りながら、薬をのぞみに投与して、大通りへと戻ってきた。
「っ、はぁあっ、ここまで来れば人通りもあるし、大丈夫だろ……」
「……かっこよかったよ、ケン兄!」
「ケン兄すごかった、ありがとう!」
のぞみを降ろすとすっかり発作は治まったようで、飛び跳ねて喜んだ。ライみたいに副作用が出ないのは体質か? だとすると、ライは副作用を我慢してあの薬を使ってるんだな……。なんか、途端に悔しいような悲しいような気分になるのは何故だろうか。でもまあ、何はともあれ良かった、無事で。突然に走り出したせいで、俺の足の筋肉は無事じゃなさそうだけど。すげえ攣ったわ。
「……いいよ、お前らが無事なら。ほら、買い物行かないとだろ。お店はあっち」
「あれ? そうだったの?」
「思い出した、ここから反対側の角の赤い看板……あれだよ、いこーっ!!」
店の方向を指差すと、どうやら道順を思い出してくれたらしい。双子は元気に駆けて行って、店を見つけた。迷わずまっすぐ入店すると、すぐにお目当ての棚を見つける。
「折り紙と、お花紙と、クラッカー……あとプレゼント買えるね。どうしようか?」
「ライ兄、何欲しいのかなー?」
頼まれたものは流石に覚えていたらしい。後はどうやらライにあげるプレゼントだ。俺はその姿を商品棚の影から見守っていたが、途中で見守るのをやめた。そろそろ俺も買い物に行かなきゃだし、プレゼントの覗き見は野暮ってもんだろ?
「ねえねえ、これはどう?」
「えー、それ、いのが欲しいだけじゃないの?」
「違うよ、ねえ、耳貸して……どう?」
「ああ、なるほどー」
二人はその長い耳を持ち上げて、こそこそ話をする。うん、そのやり取りも可愛らしいな。俺は物陰から一人で頷いていると、不意に肩を叩かれる。
「……お客様、大変申し訳無いのですが、ちょっといいですか?」
「……あっ、すんません、えっと……これ、ください……」
決して不審者と間違われたんじゃねえ。俺はパーティグッズを買いに来たんだ。多分、要らねえと思うけど、愉快な鼻ヒゲ眼鏡を店員に手渡した。畜生、変な無駄遣いした。領収書を地域課に出したら経費で処理できたりするかな。
***
「ライさん、今日この後お時間ありますか?」
「……? はい、大丈夫ですよ?」
夕方。スティーブさんから予定通り準備が終わったという連絡を受けて、私はライさんにそう切り出した。ライさんは机に書類をトントン叩き付けて、帰る準備をしている所だった。滑り込みセーフだったみたいだ。
「双子ちゃんが見せたいものがあるーって言ってまして。スティーブさんに見せに来たんですって。ライさんにも見て欲しいそうなので、お仕事の一貫として見てあげてくれませんか?」
「ええ、構いませんよ。でも、仕事の一貫である必要は無いと思うのですが……」
「いやいや、プライベートと仕事の区切りはきちんとしないと!」
慌てる私にライさんは首を傾げた。タイムカードはこっそり切ってある。でも、ライさんには制服のまま来て欲しかった私は、ライさんの腕を強引に引く。
「さぁ、行きましょう、今すぐ。双子ちゃんが待ってます」
「え? ちょっ、せめて通勤着に着替えさせてくださっ、えっ? ええー?」
「まぁまぁまぁまぁ」
ちなみに双子ちゃんをダシに使ったのは、ライさんがいきなりのザ・誕生日会に、仮に引いたとしても、子供のすることならば……と思わせる為の工夫です。子供を盾にした訳ではありません。発案は双子ちゃんだし。
「わ、分かりましたから引っ張らないで下さい……痛いです、あと、もう少しだけ片付けさせて下さい……書類出しっぱなしはまずいです」
「あっ、すみません……」
ライさんは強引すぎる私の行動に、涙目で訴える。私は慌てて手を離した。ライさんは時計とカレンダーをちらり、と見ると、片付けを再開する。あれ、もしかしてライさん、気づいてるんじゃない? 考えてみれば、日付見たら分かるよね? 誘い方は完璧だったのに……。
「……そういえばそろそろ」
「は、はいっ? えーと今日って、何日デシタッケー?」
ほら、やっぱり気づいてる!! 私は慌てて取り繕う。ライさんは怪訝な顔を一瞬したが、すぐに私から目線を外して言葉の続きを吐き出した。
「いのりくんのぞみくんの検査結果が帰ってくる頃ですねー」
「そ、そうですね!」
あっ、話の大本が出てきてしまいました。その検査結果は誕生日の事じゃないですか。
「……さて、では行きましょうか」
「……そ、そうっすね」
「? どうしたんですか、音胡さん……なんだか様子が変ですよ、今日」
私は笑って誤魔化す。あちゃー、私は少しがっくりしつつ、OBさん家へと向かった。
「OBさん宅、なんか久々ですね」
「そうですね……」
私は会場が迫ってくる内に、確実にサプライズ失敗である事を確信しつつあった。そうだよな、ベタすぎるよな。まともな誕生日会を受けたことがないライさんでも、流石に分かる白々しさだよな……。
ちなみに、誕生日会あるあるの、入ったらクラッカー鳴らしておめでとう! というのは、やめようと私から言ってある。びっくりする系の演出は、ライさんがびっくりしすぎてしまうのでタブーにしました。悲鳴で始まる誕生日会はあんまりだと思ったので。
……それでも不安だ……大丈夫かなぁ、ライさん。勝手な同情で企画しちゃったパーティだけど、本気で誕生日、嫌いかもしれない。怒り出したりしたらどうしよう。私はライさんの顔色を伺いまくる。誰が人の気持ちを考え上手ですって? 全く分かりませんよ。
「……音胡さん? 本当に大丈夫ですか?」
そんな顔色真っ青な私を、心配するようにライさんは覗き込んだ。
「へっ?」
「な、何か、あるなら……言ってくださいよ。その、頼りないかもしれませんけど……あの、音胡さんの事は信頼してます、から」
そして、歯切れ悪く意味深な事を言い出す。隠し事が嫌いなライさんに、誕生日サプライズなんて諦めろって事でしょうか。
「や、やだなー!! なんでもありませんよぉ、ライ部長!!」
「い、いたいです」
私はそんなライさんの背をばしばし叩いて誤魔化す。そう、何も悪いことはしてない! 自然に、自然にOBさんの部屋へ向かった。
「こんばん、は?」
「おっす」
「お疲れ様、ライ」
「よお、お疲れさん!」
「「ライ兄、おつかれさまー!!」」
ようやくたどり着いたOBさんの家。ドアを開けたライさんは、ドア前で足を止めた。目の前には、テーブルいっぱいのご馳走を囲む皆。部屋はもうあからさまに、手作り感満載の飾り付けが施されている。私はその後ろで、ライさんの反応を祈るように待つ。
ライさんはなんとか驚いてはくれたらしく、暫くその場で固まっていた。そして数秒後、ようやく口を開く。
「……へぇ、現実にこの飾り付けって出来るんですね」
「ハァ!!!????」
が、ライさんから発されたのは、なんというか、異次元にずれた感想だった。私は得意の大声で、ライさんを背後から吹き飛ばす。ライさんは悲鳴すら上げられないぐらい、肩を跳ねさせて驚いた。
「えっ、待って待って、待ってください!!」
「え、僕なんか変な事言いました!?」
「言いましたよ!!!!!!」
ライさんは自分が悪いの? という顔をして当然のように驚く。私は完全な混乱でライさんを問い詰めていた。
「現実に、って言いましたか? 最早意味が分かりませんっ!!!」
「……す、すみません。僕、これとか、ファンタジーというか、フィクションというか……だと思ってました……?」
これ、と言って指さしたのは、双子ちゃんが頑張って頑張って頑張り抜いて買ってきた花紙だった。ちなみに頑張って頑張って頑張り抜いて、は親バカモードのケンさん談である。買ってくるだけで大袈裟な……。
「ファンタジー……? フィクション?」
「え、絵本とか、アニメとかの中でしか見たことなかったので……な、なんか、すみません」
私は衝撃の事実に戦慄する。誕生日会をファンタジーだと思っていた? 訳が分かりません。私は咄嗟にスティーブさんを睨んだ。スティーブさんは頭を抱えてうつむきながら、手のひらをこちらに向けている。
「スティーブさん! 貴方の教育どうなってるんですか!」
「ごめん、俺も超混乱してる。ごめん、本当にすまない、レイル。俺が悪かった」
「は、はぁ……僕、なんで怒られて、謝られてるんでしょう……?」
ぽかんとするライさん。勿論、こっちも一同ぽかん状態だ。私は恐る恐る、次の質問を口に出す。
「……じゃあ、この状況を見て……何をするのか、理解できない……?」
「……な、何かのパーティだということは察せますが、趣旨が……双子の見せたいものって聞いてたので……ええと、検査結果が分かったからですか?」
か、感づいてなかった。おかしいな、そこまでワードが出ていて何故察せないんでしょう。
「双子ちゃんの検査結果は確かに出てますが、そうじゃないです。ちなみに、双子ちゃんの検査結果といえば……」
「DNAと誕生日ですよね?」
ライさんは小首をかしげる。スティーブさんは、最早泡を吹いて倒れそうなレベルで混乱していた。OBさんがその背を眉を寄せて撫でている。此処だけ見たら事故に遭った人のお葬式の光景だ。
「……今の台詞に答え出てますよ」
ライさんは流石にその妙な空気に気づき始めたのか、完全に狼狽えてくる。暫く考えて、私はヒントとしてカレンダーを指さした。ようやく気づいたのは、そこから六秒程後。明らかにハッとして声を上げた。
「……え? 僕、の……?」
「なんで気づかないんです?」
私は呆れ返ってため息を吐く。ようやく軌道修正されて良かった。そう思って安堵した瞬間、ライさんはブワッと涙を零し始めた。泣くのは想像出来たとしても、予想外の泣き出し方に次はこちらが狼狽える番だった。
「えっ、えっ? うわっ、すみませんライさん、その、悪いことをしようとしたんじゃないんですよ!? その、ええと、いい意味で、ライさんを祝いたかったんですよ!?」
私は慌ててライさんを宥める。やっぱり誕生日祝われるの、嫌だったのかな、と思ってしまったからだ。しかし、ライさんはなんとか首を横に振る。
「うぅっ、ひっく、ち、ちがいますっ、嫌じゃないです……忘れてました、自分の誕生日なんて!! す、すみません、感極まって、しまって……ちゃんと、祝われたことっ、うっ、なかっ、たので……音胡さんの誕生日だって、僕、祝って良いのか分からな、くて、言い出せなくて!! 結果スルーしてしまった、のにぃぃぃ……!! 僕てっきり、音胡さんの態度がおかしかったから、っひっく、ついに辞める話なのかなとも……!!」
「えっ、いえ、私の事はいいんですよ!! 辞めませんし!!??? ……っていうかスティーブさん、本当に貴方って方は最低ですよ!!」
私は慌ててライさんの背を撫でながら、やっぱり怒りの矛先はスティーブさんにあった。ライさんの教育、サボってたんじゃないですか!?
「すまんっ!! 本当にすまない!!! 俺もレイルの誕生日、どう祝っていいか分からなかったんだ!! 今日はその詫びも兼ねて、本当に全力を尽くしたから! これは現実だ!!!」
「ライ兄、泣かないでっ!!」
「明日だけどお誕生日おめでとーっ!!」
「ほら、ライここ座れよ、なっ!?」
「ライ、ほらこれ好きなやつだろ、寮の隣の惣菜屋さんがライの為に作ってくれたんだぞ!」
その場にいた全員が、ライさんを宥め始め、ライさんは泣きながら頷きながら席につく。本当にスティーブさんは、申し訳なく思っていたらしく、ライさんの好物で埋めきったテーブルはめちゃめちゃ豪華だった。私はライさんの隣に座ると、では、と祝いの言葉を仕切り直す。
「……ライさん、改めまして……今までと、明日の分まで! お誕生日おめでとうございます!」
双子ちゃんが選んできてくれたクラッカーが、部屋を交差する。キラキラしたテープが華やかに飛び出して、星型のスパンコールが散った。なんとセンスのいいクラッカーだろうか。流石アイドル。演出が上手い。
「……ところでケンさん、その鼻眼鏡は一体? 人間用なので貴方の顔に全く一致してないですけど……?」
「聞かないでくれ、色々あったんだ」
それよりもケンさんの格好が気になったけど、なんか色々あったらしい。突っ込んだら真顔で遠い目をされた。
***
宴もいい感じに進んできた所で、最初にライさんにプレゼントを手渡したのは双子ちゃんだった。
「ライ兄にあげるー」
「ライ兄、はい、これもー」
「わぁ、ありがとうございます、なんでしょうか」
二人が手渡したのは、丸めた画用紙だ。ライさんはそこにかけられた赤いリボンと青いリボンを解くと、くるくる回して広げていく。出てきたのは、クレヨンで描かれた似顔絵と、拙いけれど手紙だった。
「あれ、双子ちゃん、文字書けたんだ?」
学校に行けず、教育を受けていない双子ちゃんは、文字を読むにもまだ拙いはずだ。私は不思議に思って聞き返すと、双子ちゃんは揃って頷いた。
「マネージャーさんが前に教えてくれたの」
「のぞしか書けないから、僕は絵にしたー」
なるほど。マネージャーさん、本当は自力で双子の教育もしたかったんですね。……ちゃんと、教えてあげて、いつかマネージャーさんに手紙を送れるようにしてあげたい。
「じゃ、俺からはこれ」
そしてケンさんが手渡したのは……猫じゃらしだった。ライさんは困惑した様子でそれをクルクル回すと、不愉快そうな顔全開で呟く。
「……僕にこれをどうしろと言うんですか……?」
そこに、いつものふんわり笑顔のライさんは居なかった。
「嘘に決まってんだろ……マジギレやめろよ怖いから」
ケンさんは悪戯に笑うと、別に白くて平べったい箱を取り出した。中身はハンカチだ。紺と黒の斜めストライプの合間に、金色の線が引かれた上品なデザイン。意外なセンスだ。
「うん、ライさんに必要すぎるモノですね!」
私はそれを見て深く頷く。しょっちゅう泣いているこのヒトには、いくらあっても足りないだろう。
「でもプレゼントがハンカチってどうなんですか? あ、もしかしてケンさん、異動します?」
しかし、プレゼントでハンカチといえば、周知の通りお別れのプレゼントだ。私はその違和感にツッコむ。
「しねえよ! ……あっ、でも引っ越そうかなって思ってんだ、けど……」
「はぁ?」
どうやらケンさんはその意味を忘れていたらしく、もしかして異動でもするのか? と思いかけた私の思考を強く否定する。が、すぐに唐突な引っ越し話を暴露された。
朝から会ってたのに何故、今報告した!? と私が驚いていると、ケンさんは双子ちゃんを両腕に引き寄せて、真面目な声を出した。
「……俺、双子と暮らしてぇなって……なあ、お前らはどうなんだ。いのり、のぞみ?」
双子ちゃんはその言葉に、驚いたように顔を見合わせる。すぐに二人は確かめるように頷き合った。
「……ケン兄はいいの? 僕らのお兄ちゃんになってくれるの?」
「たりめーだろ」
いのりくんがそう確かめる。双子ちゃんの表情はみるみるうちに明るくなっていき、二人で手を取り合って喜んだ。しかし、スティーブさんだけはその言葉に苦い顔をしている。
「おいおい、ケン、お前まだ未成年だろ? 親御さんにどう説明するんだよ。しかも嫁さん貰う前だぞ、いきなり子持ちかよ?」
「……親は俺がやりたいって言ったことに反対なんかしねえっす。たとえ俺がどんなに苦労するかもしれなくても、止めてなんかくれねえ。でもそれでいいよ。それに、二人は子供じゃなくて、兄弟として迎え入れてえなって思ってるし……結婚するにしても、二人も一緒でいいって言ってくれる嫁を探すよ」
一同からおおっ、という歓声と拍手が巻き起こり、スティーブさんは仕方なく笑った。
「なるほど、お前も大人になったもんだ。……でも、二人を寂しがらせるようなら俺は許さねえからな、悪ガキめ」
「……上等。でも、協力はお願いするよ、なぁ、地域課様?」
「ええ、勿論ですよ!」
スティーブさんは、自分のようにならないようにだろうか、ケンさんにがっつりと釘を刺す。ケンさんはその言葉に拳を突き出して誓う。ライさんもその誓いと協力に賛同して、ケンさんと拳を合わせた。
双子ちゃんもその約束を見て、自分達に訪れた新しい『家族』を自覚したのだろう。嬉しそうにケンさんの膝の上に座る。ケンさんはそんな二人が可愛いようで、両手に抱きしめては、すっごいにやけていた。こうしてまた、自分の目の前で新しい繋がりが生まれるのは、地域課の一員として嬉しい。私の目標が一つ叶ったのだから。
……でも、同時に羨ましくもある。血の繋がらない家族と、こんなにも想い合うことが私にはまだ出来ていないから。ケンさんの思いも、スティーブさんの思いも、すごくキラキラした物に見えてしまう。
だから、私はつい口を滑らせてしまった。宴の雰囲気に流されたのかも知れない。
「羨ましいなー、私の父親は再婚だからここまで可愛がってくれな……ハッ!?」
「え」
「えっ?」
「音胡、再婚家庭なのか……」
あああああ!! 今までライさん以外に言わなかったし、言いたくも無かったのに!! それを知っているライさんは、冷や汗をかきながら微妙な顔で笑っている。何で喋っちゃったんだ、私の馬鹿! ライさんに配慮してお酒すら用意してないのに。
「ま、今どき珍しくもねえよな、あるある」
「だな、俺もバツイチだしなぁ」
あれ、気にされてなかった。私は拍子抜けしてしまった。今まで、この話題を人に出すと気まずくなるから言いたくなかったんだけど……。驚いて思わずライさんを見ると、ライさんは声に出さず、『大丈夫ですよ』と口パクしてくれた。
……そっか、大丈夫なんだ。私はそれで落ち着いてしまった。
そしてプレゼント渡しが再会された。スティーブさんは、自分が教えた魚釣りをライさんがまだ続けていると知り、新しい釣り竿をプレゼントする。丁度欲しかったものらしかったライさんは、釣り竿をケースから取り出して、うわぁと嬉しそうな声を上げた。
「お前、俺の使ってたやつ持ってっただろ……あれは返せよ」
「あはは……あれ、使いやすくて。すみません……」
「で、今度一緒に行こうぜ、いつもの海じゃなくて、もう少し遠くにさ」
息子と自分が教えた魚釣りだなんて、親にしたら嬉しいだろうな。ライさんもそう思っているようで、嬉しそうに返事をした。
続いてプレゼントを渡したのはOBさん。プレゼントは深い紺のネクタイだった。
「PR活動や双子のライブで成果が出れば、出張が増えるだろう? 町外に制服では行けないから、きちっとした格好で行ったほうが印象がいいだろうと思ってな。ライに似合いそうなのを丁度見つけられたと思うんだが……」
「ありがとうございます、シックでかっこいい色です!」
ライさんはこれも嬉しそうに、自分に合わせてみている。流石OBさん、実用を考えて仕事に合ったチョイスだ。現役時代、かなり出来る上司だったんだろうな。
プレゼントを渡していないのは、これで私だけになった。ライさんは期待しているらしく、私の方をじっと見ている。私はわざとじらして、少し黙ってみた。確実にそわそわしてきたライさんは、段々涙目になってくる。
「……音胡さん、は……?」
「っ、あはははは……すみません、反応が面白くて……!」
「ひっ、ひどいですー!」
私は耐えきれなくなって笑い転げる。ライさんはいつものように耳を立てて必死の抗議だ。他の皆はその態度に若干引いていた。
「……音胡、薄々気づいてたけど……お前結構サドっぽいな……」
「えっ!? そっ、そんなつもりじゃ!?」
ケンさんが直球な感想を漏らして、私は驚愕した。そんなつもりはなかったんですけど!!
さて、ライさんをいじるのはここまでにして、私は少し大きな包み紙をライさんに渡した。他のプレゼントより重みがあるそれに、ライさんは首をかしげる。
「結構大きいですね……では、失礼して……な、なんでしょうこれ? マットでしょうか?」
包み紙を開けると、出てきたのは丸まった黒いゴム板のようなものだ。ライさんはそれを床に転がすように広げた。
「あっ、ピアノですね……こんなポスターみたいな……ま、丸めていいんですか、これ?」
「はい、玩具のキーボードなんですけど、ちゃんと弾けるんですよ」
「うわぁ、凄いですね! で、でも僕キーボードなんて弾いたことないですよ?」
私は頷く。ライさんに楽器知識がない事は既に分かりきっていた。
「ライさん、釣り以外の趣味探してるって言ってたじゃないですか。楽器なら、私教えられるかなーと思って。双子ちゃんのライブの時に歌の事を聞いたら、歌が下手とは仰らなかったので、音感も大丈夫そうですし。それなら持ち歩けるので、休み時間にでも教えてあげられると思います……嫌でなければ、ですけど……それで、私にも機会があれば釣り、教えて下さい」
そう言うと、ライさんは声にならない叫びを堪えるように、歯を食いしばった。そしてまた、ボロボロと泣き出す。
「ううぅ……音胡さん、優しすぎます。僕には勿体無い部下ですぅ……」
「ま、またそれですか……」
「僕、頑張りますんで、ぜひご教授下さいぃ……」
ライさんはプレゼントを抱きしめながら、何度も頭を下げながら泣きまくる。
「……僕、今日……生まれてきてよかったって、本気で、初めて、今思ってます……生きてれば良いことある、なんて、正直嘘だって思ってましたけど、こんなにしてもらって僕は幸せです……」
そうしてライさんが続けて話したのは、やはり今までの『誕生日おめでとう』に対する認識が良くなかった事だった。涙を拭い拭い、嬉しさに言葉を詰まらせていた。
「……はい、そう思って頂けたなら、私達も準備したかいがありますよ」
私もその姿に、少しだけ目が潤んだ。死のうとすらしたヒトが、誕生日を祝われて泣く日が来るのなら……それは、すごくすごく、嬉しいことだ。
「ですから、まずは泣き止んで下さい、ね? 泣いてると後悔しますよ?」
私はライさんを宥めると、鞄からとあるものを取り出した。携帯電話と、携帯型のプリンターだ。中にインスタントカメラのフィルムが入っていて、携帯の無線通信で写真を印刷できるものだ。他に、シャッター付きの自撮り棒も用意する。
「……えっ? 写真、撮るんですか?」
「そうです。このままじゃ泣き顔映されちゃいますよ?」
ライさんは慌てて顔を拭う。
「OBさん、この間見せてもらったアルバム、最後のページが埋まってなかったですよね」
「ああ、確かにそうだなあ……なるほど、それでライは制服のままなんだな?」
「察しが良くて幸いです」
私は頭を下げる。OBさんはアルバムを持ってきてくれた。私はライさんの制服姿の写真がないこのアルバムに今のライさんを収めるために、ライさんの着替えを阻止したのだった。
「待って下さい、この間っていつですか? いつ見たんですか?」
「ライさんがケンさんにボロクソ言われて出勤してこなかった日でーす!」
ケンさんはその言葉に気まずい顔をする。どうやら言い過ぎた事は自覚したようですね。でも、あれで足が遠のいちゃうライさんもライさんなので、お咎めしませんけど。
「っていうかこのアルバム、僕が捨てようと思ってたやつです!! 何で此処にあるんですか!!? そうです一言言いたかったんですけど、OBさん、僕のことなんでも音胡さんに話すのやめて頂いていいですか!!」
ライさんの苦情が爆発する。アルバムを指差しながら、バタバタと腕を振り回して抗議を始めた。その仕草と言えば、完全に我儘な子供のそれだ。
「ライ、音胡さんは私が言おうが言わまいが、恐らくなんとしてでも君のことを知りに行くぞ。諦めなさい」
「う、ううぅぅぅぅぅ……僕のプライドは……」
ライさんは頭を抱えて唸る。双子ちゃんはその姿に大爆笑。スティーブさんは、呆れ返って肩をすくめていた。
「ほら、ライさん、みっともない姿を映されたくなきゃ笑って下さいね~」
「脅迫です、あんまりです……」
そうして、アルバムの最後のページは埋められた。
泣き笑いのライさんと、その隣で笑う私。数ページぶりの同じ写真に写るスティーブさん。いつもより少しふざけて、ケンさんが買ってきた鼻眼鏡をかけているOBさん。双子を両脇に抱えて、見たことのないような優しい笑顔のケンさん。アイドルスマイル全開の双子ちゃん。
……これが、アルバムの最初のページで怯えた目をしている少年の未来の姿だなんて、誰が思っただろうか。
***
それからまた宴は続き、気づけば日付は越えていた。
「……お、寝ちまった? 流石に夜通し起きてられなかったか」
「ですね。ちょっと夜更かししただけでも本当に眠そうにしてるんで、夜通しは保たないとは思ってましたけど……明日、休みでよかったです」
いつの間にか寝落ちしていたライさんに、私は上着をかけてあげる。ライさんは、私が渡した丸めるピアノを抱きしめたまま、すーすーと寝息を立てて眠っていた。そこまで気に入ってくれるとは思ってなかったので、利便性を取っておもちゃを手渡した事をちょっと後悔する。
「悪いけど起こしてやってくれないか、此処で寝かせるのも可哀想だろう、もう帰らせよう。ケンは双子を頼む」
「おうよ、ほら、帰るぞ二人共。明日またパパさんに話しに行くから」
「「はーいっ」」
双子ちゃんはすっかり、ケンさんをお兄ちゃんとして慕っている様子だ。双子ちゃんですら起きてたのに……と思いつつ、私はライさんを起こすために、肩を揺する。
「ライさん、ライさん、起きて下さい。もう帰りましょうですって」
「……ふぁ、ああ、すみません……寝ちゃってました」
ライさんはあくびをしながら起き出す。そんなライさんにスティーブさんが頭を小突いて声を掛けた。
「よ、改めてお誕生日おめでとう。今までちゃんと言ってやれなくてごめんな」
「あ、ありがとうございます……!」
「もう色々やり尽くしたし、今日の所は解散しようぜ。ほら、上着」
ライさんはその言葉掛けだけで、しっかり目が覚めたらしい。良かったね、ライさん。スティーブさんは、ライさんが部屋の片隅に畳んで置いておいた上着を、拾い上げてポイと放り投げて渡した。ライさんは、それをなんとか受け止める。……先輩とはいえ、制服を乱暴に扱って欲しくないですけど、そこは突っ込まないでおきましょう。
「そうだ、私明日の朝、用事ついでに署に寄るんで、ライさんの分も着替え持ってきましょうか?」
「いいんですか? すみません、お願いします。……多分、今の時間起きてると、僕起きれないので、玄関に下げていただけると嬉しいのですが……」
「了解です」
私は回りを片付けながら立ち上がる。飾り類はスティーブさんとOBさんが片付けてくれるそうなので、お言葉に甘えた。ライさんはどうやら飾りを何個か持ち帰りたいらしく、綺麗なのを物色して壁から外している。
「音胡ちゃん、送ってくよ。真夜中に女の子一人は危ないだろ、護衛するには現役じゃなくて申し訳ないけどな」
「ありがとうございます。ライさんよりは頼りになりますよ」
私も帰る準備をしていると、スティーブさんが家まで送り届けてくれる事となった。私はその配慮に頭を下げると、まだ花紙を物色しているライさんを横目に笑った。
「う、うう……言い返す言葉がないです……」
「嘘、嘘ですよ!? ライさんだってその気になれば、投げ飛ばせるって知ってますからね?」
ライさんはその言葉に、耳もしっぽもしょんぼりさせて悔しそうに震えている。流石に言い過ぎたので、急いでフォローした。
「お邪魔しました! すみません、片付けお任せしちゃいますけど……」
「いやいや、こちらこそ楽しかったよ、ライ、音胡さん。またな」
ライさんとスティーブさんと共に、OBさんの家を後にする。ライさんの家は逆方向なので、途中の交差点でライさんに手を振る。ライさんも控えめにだけど、振り返してくれた。プレゼントを両手いっぱいに抱えた姿勢では、手を振るにも少し辛そうだけれど、その顔は満面の笑みで満たされている。
「じゃあ、おやすみなさい。ライさん」
「はい、おやすみなさい。 ……また、来週」
交わされるいつもの挨拶。そうして歩き出すライさんのしっぽは、機嫌良さそうにゆったり揺れて、やがて夜道に溶ける。いつも泣いてばかりだったライさんが、ここまで楽しそうにしている姿を見れば、今日まで隣でやってきて良かった。この時は本当にそう思っていた。
スティーブさんが返ってきてから色々あったけど、来週も何時も通りの穏やかなライさんの笑顔と、雑用ばかりの地域課がそこにあると……この時の私は信じて疑わなかったのだ。
……だけど、そのライさんの笑顔を破る者が……あまりにも身近な場所に居るなんて、この時の私は想像もしていなかった。
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