-Label.3 Trac.3-
拠点として使っている仮設テントが強風に吹っ飛んだ。原因は、カースティが『台風に擬態したらどうなるか?』という思いつきに始まり、わざわざ竜巻を起こしてまで実験してみたからだ。
「まぁ、そう上手く擬態出来たからと言って、その力を操作できるとは限らないよねぇ」
あっけらかんと自分の犯した失態に笑顔を返すカースティ。うんうんと同じく悪びれない様子でキットが頷く。
「呑気にしてる事じゃないですよ! どうするんですかテント!!」
「まぁまぁニサク君、おかげでこんなに素敵な……』
カースティは言葉をタメると、腕を広げ、キットと二人で揃ってくるりと回った。流石長年付き添った相棒、息がぴったりだ。こんな時でなければ感心するところだけど、このタイミングでは逆に質が悪い。冷たい視線をニサクはプレゼントしてやった。
「ほら、あな! に住める訳だし!」
「住、め、る、かああああああああああああああああい!」
ニサクの突っ込みに綺麗なエコーが掛かる。
冬寒く 夏暑い。そんなとある街の洞穴に、本日開店、移動型「なんでもや もものき」。
***
「え、ここですか……ね?」
思わず疑問を小さく呟きながら、女性は崖にぽっかり空いた穴に話しかけた。探していた文字を掲げた看板はどう見ても此処に立っているし、目印にすると良いと教わったトラックもすぐそばに止まっていて、人の気配はする。が、お店と聞いていた風貌にはあまりにも遠い。とはいえ前例がないわけではないので、まあ似たような事情があったのだろうと勝手に納得してから、彼女のはその洞穴に足を踏み入れた。
「こんにちは~?」
足を踏み入れて数歩で、洞穴の全貌が明らかになり女性はその様子に唖然としてしまう。書物がやたら散らかっている折り畳み式のテーブルに、無造作に置かれている生活用品と書類。恐らく、その向こう……詰まれた段ボールの奥に生活スペースがあるようだ。なにやら取り込んでいるのか遠くから声はするものの、なかなか人の出てくる気配はない。ややしばらくして、どたばたと言う音ともに、赤毛の青年が飛び出してくる。
「いらっしゃいませ、どうぞそこにッ」
「あっ、はい」
青年は、女性を椅子に座らせるとまた奥に引っ込んでいった。
「ほら、お客さんですから~もう食べるの止めてください、ほらあ!」
「わかったよう、引っ張らないでいたたたた首締まるストールはだめえっ、うぇっ、いたぁぁい!!」
箱山の向こうから響く声に苦笑を浮かべながら、女性は一周、手持ち無沙汰に周囲を見渡した。
「……洞穴ねー……ははは」
彼女の脳裏に浮かぶのは、遠い昔に抜け出してきた実家の姿。沢山のお伽話と、劣等を詰め込んだ洞窟の事だった。
***
「お待たせしました……いらっしゃいませ、なんでもや「もものき」へ。僕がマスターのカースティ……です……」
そこから更にややしばらく。ようやく一礼をして現れたのは、漏れていた声を聞く限り、首を絞められかけたせいか青い顔をした、桃色の髪を持ったマスター、カースティだった。
「どのようなご依頼で……ゲフッ、しょうか」
「だ、大丈夫ですか……?」
「はい、なんとか」
女性は苦笑したまま、とりあえずカースティの息が整うのを待ってから本題に入る。彼女の名はベリィング・プレナイト。暗めの茶色に染めたセミロングの髪に、紺のテーラードジャケット、薄いグリーンのワンピースと黒いタイツ。背丈だけ見ると小柄で特別スタイルが良い訳でもないが、その装いと落ち着いた丁寧語は当に出来る社会人、という印象だった。職業を聞けばアイドルマネージャーと作家を兼業しているらしい。
「プレナイトさん、ね。でも君、と言えばいいのか、なんというか……異邦の方ではないよね。その名前、出身国の言語じゃないよね?」
名前を聞いたカースティが一番最初に感じた違和感はそれだった。風貌を見てもその名は一般論で言えば不釣り合いなそれ。職業柄と言われればそれまでかもしれないが、訳ありな雰囲気を感じ取ってしまう。
「仮名では受けていただけないものでしょうか?」
何か都合が悪いのだろうか、不安そうな表情でプレナイトは問う。その先に言葉がなかった所を見ると、どうしても本名を明かす気はないらしい。
「いいよ、いいんじゃない? まぁ、お代未払いで逃げなければ、だけどねー。……えー、プレナイト……『葡萄石』……」
カースティは名前を復唱すると、さらさらと依頼書類に名前を書いた。
「で、依頼内容は?」
カースティがそうして顔を上げ、話を促すために指先を差し出す。プレナイトはそれに応え、静かに、一枚の絵を差し出した。似顔絵だ。黒髪の肌の白い女性。青い瞳が強くこちらを睨んでいる。
「名前は……すみません。今は明かさないでお願いします。もしも貴方がたが信用に足りると判断したらもう少し情報提供します。報酬も上乗せして構いません。絵はほんの記憶で私が描きました。詳しくはお話しできませんが、この人に私は助けられました。この人を探したいんです」
「ふーん……」
カースティは絵を手にして、じとりと見つめた。その表情は珍しく、真剣に近い。落ちた目線が静かにその絵を捉える。
「カースティさん、さすがにこれは難しすぎますよ」
もものきの受付係、兼雑用。赤毛の青年ニサクは耳打ちする。言葉を喋れない金髪の男装少女、キットもその手元覗きこもうと一生懸命跳ねていた。
「…………」
カースティは少し呻いて、プレナイトを見た。雰囲気から見てふざけているようには到底思えない。が、警戒も怠っていない雰囲気からも、ニサクの言う通り難易度は高そうだ。でも、彼女はきっとこの様子だと自分でもこの相手を探したのだろう。いろんな人に頼んで、断られて、ここに来たのだろう。こちらをこれまでに警戒しているのに、それでも依頼をしてくる辺り、藁にもすがる思いといったところに見える。何よりプレナイト本人が俯き、祈るような表情で答えを待っていた。
仕方ない。困っている人は放っておけない。それがカースティの、昔からの悪い癖だった。
「……いいよ、受けます。 受けましょう。」
「ええっ!?」
先に悲鳴を上げたのはニサクだった。いつも面倒事に巻き込まれる側としては、明らかにリスクがありそうな案件を請け負うのだけは勘弁してほしい。さっきの助言もそのつもりだった。
「あ、ありがとうございます!」
プレナイトはぱっと顔を上げ、次に勢いよく頭を深々下げる。その感動の様子を見ると、カーステぃも諦める様子はないようで、ニサクはすぐに肩を落とした。
「よし、そうと分かれば早速調査に出ようか!」
そう言ってカースティは勢いよく立ち上がる。キットがその言葉に、同意の意味を込めて跳ねる。
「じゃーまずは、ニサクくん」
「はいっ!」
こうなったカースティは、普段のだらしなさも忘れ、きちんとこの店のマスターの顔をする。その指示に応えようとニサクは身構えた所で、己を差された指は背後に転がされている布切れへと水平移動した。
「テント、早いとこ直しといてねっ」
「…………頑張ってますよ、数日前からすごく」
***
そうして、名も知らない女性の調査が始まった。しかし、もう生きているかも分からない、容姿だけが手がかりの彼女を探すのは、ほぼ不可能に近い。手がかりは、あの絵と、プレナイトの記憶……そして、もうひとつだけ。
カースティは、あえてそれを黙っていた。
「うーん、なんか曖昧でいいならひとつ情報があったんだけど……」
そうして知らないふりをして、カースティが指さしたのは一枚の新聞。キットとニサクはそれを覗きこむ。それは、遠い昔の、今や廃墟と化している建物で起きた事件のニュースだった。その内容はテロ行為を犯した組織団体のアジト。そこで起きた不審死だった。しかし、プレナイトが示した探し人と一致しているのは殺された側ではない。……殺した側だ。
試しにコピーして、プレナイトに見せてみた。彼女は眼を見開き、しかし記事やそれに付随する写真を何度か近づけたり離したりして吟味する。それだけで大体の場所は把握したらしい。行ってみます、と席を立った。
「ちょっと待って、君一人で行くの?」
「情報さえ頂ければ大丈夫です。結構経験も旅慣れしてますし、この国の殆どのエリアは把握してますご心配なく!」
そう言うと、彼女は現在滞在していると言う街にさっさと帰っていってしまった。とはいえ、こんな曖昧な情報一つで人を一人で廃墟に向かわせるのは流石に店としても、人としても気が引ける。カースティは慌てて後を追うつもりで立ち上がった。
「ああ、追いかけないと……!!」
カースティは反射的に、外に置きっぱなしのトラックにとび乗る。が、その腕をニサクが止めた。
「ちょっと待って下さい。洞穴に色々置きっぱなしじゃ流石にまずいですよ!」
「あっ、そっか。ごめん、今すぐ片付けるね」
カースティは自身の能力を駆使して、ものを運んだり片付けたりしていく。ものの数分で洞穴は元の姿を取り戻した。なんでも屋(洞穴)、緊急早期閉店。
「ああ、テントまだ縫ってないのに……」
「車の中でも縫えるでしょ?」
「こんなぎゅうぎゅう詰めの車内で縫えません……そもそもなんで僕だけ後部座席、てっ」
そのまま3人、無理矢理に座席に乗り込んでトラップを走らせる。慌てて詰め込んだ荷物は相当に不安定だったらしい。ニサクの頭に、段ボールの角がヒットした。
***
「あれ、もしかして急ぎすぎた?」
「この場合の『追いかける』は、彼女の滞在先へ追いかけるべきだったんじゃ?」
おおよそ1時間後。3人はプレナイトより先に、現場に到着してしまった。仕方なく、先に調査を進めるため、廃墟に足を踏み入れる。老朽化してぎいっ、と鳴る床。割れた窓。軋むドア……それのどれをとっても不気味以外の言葉はなかった。
「うわぁああぁ……!!」
「まだ何も出てないよ」
「まだ!? 何か出る予定あるんですか!?」
ビビリまくりで背後に隠れ歩くニサクに、カースティの冷静なツッコミが入る。そうは言っていないかもしれないが、明らかにその雰囲気は『出る』やつだった。殆ど戦闘能力などないニサクがそんなものに出くわしたら溜まったものじゃない。自分より小さなキットが物怖じせず居る姿を見て、ふと気づく。
「……考えてみたら、この中で僕だけ能力者じゃないから戦う手段ないじゃないですか! 一般人は車に戻ってテント縫ってます!」
「誰もいない場所に一人きりだけどいいの?」
「……やです」
カースティの鋭いツッコミを受けたニサクが肩を落とした。
仕方なく、うす暗いコンクリートの廃墟の中を、3人で歩いていく。ニサクだけが怖がっている現状、ニサクより若いはずの2人は能力者ともあり全然怖がる様子を見せないのが恨めしい。特にキットは防御の力があるおかげで、ちびっこながら割と怖いもの知らずなのだ。
正直、面倒事を運ばれたな、と思っていたプレナイトと、彼女が今ここにいたら一般人同盟を組みたいぐらいだ。
(これでプレナイトさんも能力者だったら終わるけど……そうそう能力者って居ないですよね……? あの人、きちんとしててこの二人よりは明らかにちゃんと社会人してるっぽかったし……)
進んでいくと、やたらに開けた部屋に辿り着く。損傷の激しい場所だが恐ろしいほどに何もない。
「まるでもぬけの殻だね……何かから逃げたのかな……」
カースティが、まるでその瞬間を見たかのように重々しく呟いた。細かく確かめるべく、3人が別の方向へ歩み出した時……。
ニサクの足元ががらりと崩れた。
「あっひゃあああああああ!?」
一般人とは思えぬ身のこなしで、ニサクは床が崩れ落ちる前に一気に駆けあがる。その瞬間だけなら、ニサクは人間離れした芸当をやってのけた。
「老朽化してるかもだから、気を付けてね」
「もっと早く言ってくださいよおおお!」
ニサクは地面を這うように身体を引きずって、慌ててその場所から離れる。こんなところで死にたくはない。地面に気をつけながら進もうとすると、今度は近くにあった瓦礫がふわりと浮いた。
「ちょっ、ええっ? 老朽化って浮きますっけぇ!?」
またもや人間離れした身のこなしで、ひらりと飛んでくる瓦礫を避ける。床に瓦礫が叩きつけられる音が建物に反響して、それは不気味な効果音になった。
「ひぃいぃ……いっそ……殺してぇ……!!」
身体的ダメージと精神的ダメージに腰が抜ける。ニサクの叫びと騒ぎに、一足先を行っていてその場に居なかった二人が駆けつけける。瓦礫の次に跳んできた机や椅子を、吹き飛ばして飛ばして見えない何かを倒していた。カースティは自身の擬態能力で風に擬態したようだ。テントを飛ばした実験が早くもこんな場所で役立つなんてと一瞬ニサクが感動した所で、さらに追い打ちをかけるように、廊下の先に積まれていた箱が猛スピードで迫ってきた。
「うわああああ前言撤回! 殺さないでくださああああああぁぁ!!!」
そのスピードは他の机や椅子と戦っていた二人も追いつけない。もうだめだ、箱に殺される。誰もがそう思った瞬間。
ニサクの目の前で、キィンと耳に来るような、硬い金属音にも似た高く鋭い音がした。
「……え?」
ニサクは思わず覚悟に瞑った目を、恐る恐る開ける。
「……プレナイトさん……?」
まさかの壁を突き破り、ライトグリーンのミニクーパーが回転しながら文字通り飛び出してきた。どんな強度なんだよその車……ツッコミ慣れた頭が瞬時にそう思考したが、高速で走る奇っ怪な箱から助け出されたので黙っておく。
「この人たちに手を出すなら、私を倒してからにしてください!」
声高らかにプレナイトが叫ぶと、一斉に廊下に置かれていた椅子や机が、まるで言葉が通じたかのように飛び出してきた。プレナイトはそれをひらり、と交わすと、何処から出したかも分からない小さな銃でそれらを打ち抜く。その標準はブレを感じず、百発百中だ。
なにやら叫び声のようなものを上げて、椅子や机がごとん、ごとんと物理の法則に従って落ちていく。全ての椅子や机が落とされると、廃墟に入った時からしていた笑い声のようなものが遠ざかっていった。てっきり古くなった機械かなんかの環境音だと思っていたのだが……ぽ、ポルターガイスト…?
「ニサクさん、大丈夫ですか?」
腰を抜かしたままのニサクに、プレナイトが手を差し伸べる。
「あ、貴女はなんなんですか……やっぱり、能力者、ですか……?」
「さあ、なんでしょう?」
とぼけたように彼女は笑う。確実に彼女は能力者だ、ニサクは儚い一般人同盟の夢が崩れていくのを感じた。
結局、この廃墟から見つかったのは、ひとつのメモだった。まるで固有名詞だけが消えたような、意味不明な言葉が並んだ紙切れと、貼り付けられた写真。その写真にはいまいち不明瞭だが、よく似た少女と一人の少年が写っていた。メモの読める部分には『悪魔』『ターゲット』という言葉が並んでいるが、ニサクにはその意味が分からない。ただ、その情報はプレナイトが記憶する何かに触れたようだ。
「……なるほど……」
プレナイトは明確なことを言わないまま。とある場所を、自分から割り出した。
「カースティさん、南側の大陸の海岸沿いまで行きましょう」
「……南の海岸? 何故そこに?」
「……この数字、緯度と経度です」
プレナイトは続いて、そのメモに記された数字を差す。ただの数字の羅列にしか見えなかったそれは、どうやら一つの地を指した緯度と軽度らしい。
***
辿り着いたのは、歩く場所も無いぐらいに背の高い草が生え茂ったた孤島。過去に悪魔が島流しにあった場所なのだと地元では語り継がれているらしく、長年人の手は入っていないと聞いた。噂通り手入れはされておらずちゃんと手入れさえされていたら、ここまで陰鬱な雰囲気ではないだろう。もったいない気持ちになる。
この国には何度も、隅々まで足を運んだつもりだったのに、こんな所があるとは知らなかった。プレナイトはそう呟いた。
「まるで意図的に人を受け入れなかったような雰囲気すら感じますね……」
プレナイトはその、荒れただけの景色を見渡す。丘に生え揃った草木でさえ、まるで人間を拒むかのように背丈が高い。プレナイトも、カースティ達も身長は高くないので安易にその草陰に埋もれてしまう。それがなんだか、不自由を表しているようで息苦しく感じる。
「おーい、向こうに一軒だけ民家があったよ!」
プレナイトとは別の方向に調査をしていたカースティが手を振って呼ぶ。プレナイトは島の真ん中にある大樹の幹に額を付けると、誰に祈るでもなく「待っていてくださいね」と呟いた。
カースティに案内されて辿り着いた民家は、比較的綺麗なままだった。さっきまでの建物と同じぐらいに廃墟と化してはいるものの、さっきと違って嫌な感じは一切ない。それだけで、何故かプレナイトは酷く安心したような顔をしていたのを、カースティは見逃さなかった。
揃って部屋を一つ一つ見て回ると、実験器具があったり、本棚があったり……。キッチンに転がっていたのは二人分のカップだった。家族が居たのだろうか。『彼女』の家族は、どんな人だったのだろう……彼女も、家は、家族は、嫌いだったのかな。それとも愛されていたのかな。自分の環境と重ね合わせて想像を巡らせてみる。
「これは?」
「流石に読めませんね……」
リビングと思しきところには、ひとつの書き置きも発見した。やはり、名前の部分が消えていて、手がかりにはならなかったが。
「 …さんへ。たまにはこちらにも顔を見せて下さいね。 さんも、心配しています。 それと、命を狙って、ごめんなさい。 くんへ宜しく。」
この文字が示す意味は、さすがにプレナイトには分からない。ただ、あの人があの後も完全な平穏の中に居たわけじゃない事だけが読み取れて苦しくなる。ただ、続く文が優しく見えた、それだけが救いだった。
***
その頃、カースティは、とある一室に足を踏み入れていた。偶然手にとったのは、日記のような、何かを記したノートだった。恐らく、プレナイトが探しているであろう人物。そしてこの民家の家主のものだろう。字に見覚えがある事に眉を寄せてしまった。
それでも手がかりの為にページを捲る。やはり、名前は飛び飛びに抜けていたが、その内容は『伝説の悪魔』の話に似ていた。ただ、その内容は、細部がまるで違う。この国の言い伝えでは、悪魔は人の命を狙って現れるものとされている。ただ、今この手元にある文字列はそれを否定していた。『殺したくなかった。』一文字だけ強い筆圧で綴られたフレーズを、カースティは思わず指でなぞった。
違う、違う、と訴えうようなその中身。あの人の心の声。それは、本人の弁解のようなものだった。
「……君は、ずっとそう言っていたんだもんね、そう、ずっと……」
プレナイトとニサクは別の部屋を散策している。いるのは、何も言わない、言えないキットだけだ。
「でも、僕らにとっては……伝説こそが真実だったよ。君は不幸を連れてくる人殺しだった。君にとっては不本意な結果かもしれなかったけど……僕らにとってはその結果が全てだったんだ……」
カースティはそのノートを、「プレナイトさんに言っちゃだめだよ」と言って燃やした。
***
カースティが書斎から見つけたらしいメモで、プレナイトはまた新たな手掛かりを得た。なんだか連想ゲームみたいになっていくな、と思いながらに受け取ったのは、ここからそう遠くない港街の地名だった。元は封筒か何かだったのだろうか、中途半端に擦れた住所は隣国の小さな独立国を指しているが、それ以降の番地までは分からない。恐らく印字ミスかなにかだろう。見たことのないスタンプの跡がある。
「公的文書に押すやつだねえ。それも国から出るレベルの」
「……つまり、これはこの国の書類用の封筒ですか」
「見る限り封もされてないし、書き損じってとこかな。国の関係者だったのかもね」
その一言で一行はその独立国へと足を運ぶ事になった。独立国、コルトード・フォルク。大きなお城がある、森の奥の小さな街。今でもそのお城で働いていた人たちや、その子孫がそこに住んでいると聞き、何か知っている人も居るだろう。手掛かりは随分近くなった。
まずは城の関係者を探そうとしたところで、カースティが有力情報を得た。その城下に、誰も住んでない家があるらしい。一行は、まずそこを目指して歩き出す。
……途中から、道を聞き出した当人だからと先陣を切っていたカースティを、プレナイトが追い越したところで違和感は始まっていた。プレナイトは、その家を目の前にすると、息を呑んで驚愕の顔をする。
「私……ここ、知ってます……この家、知ってる……?」
静かに、そう声を漏らす。
「でも……なんで、記憶にあるんだろう……? この街には、私……入ったことも、存在すら知らなかったのに……?」
泣きそうな顔で、頭を抱えるプレナイト。幾ら国が違うとはいえ、隅々まで歩き回ったはずの地域に知らない街があったショック。その知らない街に来たはずなのに、この家……いや、この付近。この路地。全部に何故か馴染みがある。もっと広かった気がするけど。もっと大きかった気もするけど。もっと……もっと誰かと一緒に居た気がするけど……。プレナイトの記憶の穴が塞がりそうで塞がらない。
カースティとキットは困ったように顔を見合わせる。2人は、既にプレナイトが追いかけている人物を知っていた。本当の意味まで、しっかりと。
「君は家を調査してるといいよ。ドアは開けてもらってるから。……僕たち聴き込み行ってくるから、何か、思い出せるといいね」
「はい、ありがとうございます……」
一人にして欲しい、というプレナイトを置き、3人は街への聞き込みに向かった。
「プレナイトさん、どうしたんでしょうか……」
街のはずれに向かい、十分に距離が取れた所でニサクが呟く。その言葉にカースティは振り返って、ようやく口を開いた。
「彼女が探している人物に、僕らは会ったことがある」
「……え?」
キットも強く頷いた。その二人の表情が冴えない顔色である事から、ニサクはなんとなくカースティ達がその正体をプレナイトに話さなかった事も察した。あまりに暗く、そして怒りのような、悲しみのような。あまりにも複雑な顔をしていたからだ。
「君は、この土地に根付く伝説の悪魔の話を知ってる?」
「え……あ、はい。一応、うろ覚えですけど」
『伝説の悪魔』。この国の各地に現れては、人間を黒い翼で呪い殺す存在。おとぎ話や都市伝説の類に近い、子供の頃に誰もが一度は聞かされる話のひとつだ。
「その元ネタとでも言えばいいのかな、実在したんだよ。伝説の悪魔……『サナ』」
「え、それ……じゃ……プレナイトさんは『伝説の悪魔』を探してるんですか?」
ニサクはその真実に混乱する。例えば人間が人魚を探そうとして海に潜るような、少し非現実的な話だった。ただ、カースティがその悪魔に出会い、しかも実在するとなれば、プレナイトもきっとその悪魔に接触した経験があるのだろう。似顔絵を描いてこれるぐらいなのだから、わりと鮮明かつ近くで。
「うん。彼女が探しているのは『サナ』だろうね。あの、島の家にあったものに見覚えがあったから。……だから、彼女は……探してる人について、詳しいことを言わない。伝説の悪魔を探しているのだと悟られないように一人で探す。だけど一人で全部は手が回らないから、曖昧な情報だけを僕らに処理させている。確信に触れたらそこでゲームオーバー」
カースティは少し気まずい話に落ち着きがなかったのだろう、気を紛らわすように足元の石を蹴り飛ばした。それは、少し先の、民家の池に転がり落ちる。
「僕らが君の村に来る前、僕とキットがまだ自分の故郷から旅に出る直前ぐらいの時……まだ子供だった僕はその悪魔と、村のはずれで共に過ごした。僕達以外にも、ちょっと行き場を無くした子供たちがいてね、身を寄せ合っていた所に彼女もいたんだ。彼女はその頃既に『悪魔』の片鱗を持っていて、行く場所がなかったんだろうね」
キットもその話に静かに頷いた。昼下がりの港町は嫌に静けさを保っていて、遠くに波の音が聞こえるだけだ。眼の前の二人の話と相まって、ニサクには自分の呼吸音すら聞こえそうな程に、今、この国のこの時間がしんとした世界に見えてしまった。
「でも、ある日『サナ』と、その彼女が連れていた一人の子、そして僕らの間で揉め事が起きた。なんて言えば良いのかな……。種族差別、というか、立場が違うからこそのいざこざだね。彼女と、彼女の子は、複雑だった。僕らみたいな単純な能力者じゃなかったから。『悪魔』っていうのは人間が勝手に呼んでるだけで、彼女はそうじゃなかったから……」
カースティはそこまで話すと、ニサクに背を向けた。この先は自分の醜さも話さなければいけない話。人の顔を見て話せることではなかった。静かにキットがその手を握ってくれる。久々に臆病な気持ちになっていた。
「……複雑だからこそ、彼女は僕らの事を一番に考えてはくれなかった。彼女は自分が連れてきた子の事を守るのに必死で、その子と自分の立場を選び続けたんだ。……だから、僕らはその子を人質にして、彼女の考えが改まるまで拘束した。話を聞いて貰えるまで説得するつもりだった。その為に同じ舞台に上がってもらわなきゃいけなかった。彼女はそれでも考えを改めなかった。どっちも譲らない口論は長く続いた。」
「……話し合えなかった、って事ですよね……?」
背後からするニサクの声色からは表情が察せない。ただ、カースティはその質問に静かに頷くことしかできない。
「……僕、知っててやったんだ。他の皆も知ってたと思う。今でもずるいと、思うけど……。他に彼女から取り上げてダメージになるものが思い浮かばなかった。……その子は身体が弱くて、僕らが拘束する事で彼女から引き離した結果……その子が亡くなるまで対立が続いた。そうして彼女は、諦めた。もう守るものがなくなったから」
カースティはそこまで話して一息、口を噤む。他になんて言っていいか分からない。ニサクは何も言わなかった。
「和解ではなかった、ただ、彼女は僕達の元を去った。でも、確実に彼女が入ってこなければ起こり得なかった事件だった。彼女が去った後も、結局誰が悪かったのかで僕らは争って、最終的には空中分解のように、ばらばらになった。……そして逃げてきたのが、君の村だったんだ」
そこで、カースティは語るのを辞めた。終始、カースティの口調は静かだった。
「そ、それは……」
ニサクは言葉を詰まらせる。どう言葉を掛けても、正解も不正解も見いだせなかった。譲らない抗争、それは正しくもあるし、間違いでもある。分かり合えないからこその答えを、お互いはお互いを理解出来なかったために出せなかったそんな結末。
「そういう意味で僕のとっての彼女は、やっぱり悪魔だった。彼女がどんなに苦しんで、否定しても、僕には悪者にしか見えなかった。でも多分、彼女から見た僕も、今思えば悪魔だったんだろうなあ……!」
「……カースティさん……」
カースティはそういうと怒りか、後悔か、叫び気味に語気を強めて地面を踏みしめる。いつも明るく振る舞うカースティの姿を見ていたニサクは、その姿に圧倒されてしまった。この青年がそこまで窮地に追いやられた過去がある事を知らなかった。そのショックに胸を締め付けられる。
「……ニサクくんは僕を人殺しだと思う?」
そうしてようやく、カースティは振り返る。ニサクの表情も、カースティに負けないぐらい苦くて複雑な表情だった。敢えて意地悪な質問を問いかけてみれば、ニサクの表情は更に曇る。
「…………今ここで聞きかじっただけのカースティさんの意見だけでは、どうにも……」
「……素直だね。そういう所、あの時の僕らにあったら多分違ったんだろうな……」
あの時は子供だったしね、とカースティは残念そうに笑うと、来た道を戻る。話をしている間に時間は過ぎていた。聞き込みも、カースティが既にその正体を握っているのであれば必要はない。そろそろプレナイトの元に戻ってもいい頃合いだろう。
「僕らにとって悪魔でも、恐らくプレナイトさんにとっては違うんだよね。彼女が『サナ』を悪い意味で探してるとすれば、伝説の話を知っているであろう僕達にそのまま話して仲間にするだろうから。彼女は何らかのきっかけでサナ本人に接触した。その上で会いたいと願ってる。でも、今まで見つけたメモみたいに、彼女の記憶も穴ぼこの状態なんだろうね……」
カースティは、静かに街の方を見た。そびえ立つ城が、悲しげにそこにあるだけだった。
***
プレナイトは眼の前の民家のドアを開き、静かに足を踏み入れた。ホコリをかぶった床に靴音が虚しく響く。手入れはされていないようだった。廊下から、リビングまでは長くない。静かにテーブルを撫でる。角の丸みですら酷く懐かしく感じておかしくなりそうだ。
不思議な感覚だった。間取りが分かる。誰が此処に座っていたのか。でも、それが誰なのか。ここに何が仕舞ってあるのか。戸棚には見覚えのある絵が数枚入っていた。変な色合い。でも感情をすべて写したような絵。でも、それを描いたのは――私? 手のひらにクレヨンの感触が蘇る。
私の記憶の中に、こんな場所はない。でも、確かに知っている。身体が、心が、愛おしかった生活を。絵の束を持つプレナイトの手から、一枚の紙が落ちる。ひらひらと左右に揺れながら、彼女のつま先にぱさりと落ちた。
静かに拾い上げる。やはり、少し毒々しい色をしているけれど、それは人の絵だった。黒髪の女の子と、ポニーテールの女の人が描かれている。拙い字。もう掠れていて読めはしない。そこに誰と何が描かれているのかなんて、絵だけじゃ分からない。
「サナさん」
だけど、プレナイトの鼓動は、まるで真実に辿り着いたかのようだった。思わず、咄嗟に紙を抱きしめた。
「ここに、居たんですね……サナさん……」
それがいつかは、分からない。いつまでだったかも、分からない。今どこにいるのかだって、分からない。
だけど、それは、プレナイトにとって……探し続けたあの人が、実在している証拠だった。あの日の約束は夢ではなかった。この国の隅々を探し回っても、噂しか聞かないあの人の面影。耳に残る歌声、あの日握られた手。全部、嘘でも幻でもおとぎ話でもなかった。この世界にいる。同じ世界にいた。それだけで、心強い真実だった。
「ありがとうございました」
プレナイトが深々と頭を下げる。カースティは複雑そうな笑顔で、ただ手を振って彼女を見送った。あの民家をひと通り見終わったらしい彼女は、あんなに執着していた人探しをあっさりやめると言い出した。まだ何も得ていないじゃないか、とニサクは言ったが、何故か彼女は満足そうにいいのだと断る。
諦めが付いてしまったのだと、彼女は言った。
「依頼されてた『人探し』は完了していないから、お代はいいよ」
カースティはそう言ったが『プレナイトはいいえ、ここまで連れ回してしまったので』と小切手を押し付けた。それもカースティは受け取りを拒否する。プレナイトは少ししょんぼりしながら、「お礼は贈りますね」と言って立ち去った。
その言葉に、プレナイトが立ち去ってから、困ったような表情を浮かべるカースティ。
「僕はたとえ仕事でも、あの悪魔に再会する勇気が無かった。だから知らないふりをしてわざと遠ざけたのは、僕だ……。なのに、会えなくても、か……強い人だね」
その言葉は、ただ虚しく風に流れていった。
***
「カースティさん、プレナイトさんから荷物が」
「あーもう、いいって言ったのに……ずいぶん律儀な人だなぁ」
後日、カースティの元に、プレナイトからの荷物が届いた。箱を開けてみると、CDが2枚、色紙が1枚、本が3冊、そして、お代の小切手と手紙。
『その節はありがとうございました。お礼ついでに仕事でプロデュースしているアイドルのCDとサイン、あと私が書いた本もどうぞ』
手紙の端には、ベリィング・プレナイトと走り書きのサイン。
「は、販促してるなあ……!!」
「なんていうか、やたらに強い女性でしたね……いろいろと……」
***
「あー、いい天気だ……」
ビルの窓を開け放つ。高層ビルの一角からの都会の眺めは最高だ。海風がそよぎ、青い宝石みたいに輝く海にかかるのは、長い長い橋。
ラジオを付けているオーディオからは、聞き慣れた可愛らしい声がする。
『本日のエンディング曲は、各界から期待の寄せられるHANEの新曲―……
彼女の歌声は、この賑やかな街の隙間を蝶のように舞う。私はその旋律を辿りながら、出来あがった原稿に著者名を書いた。
最後に著者名を書くことで、話を締めくくるように心がけている。
これで、私の好きな人探しは終わった。でも、私の物語はまだ始まったばかりだ。
鈴乃つばさ、と書いた原稿を抱え、プレナイトは外へ飛び出した
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