重い出ばなし

それは久々に落ち着いた休日を過ごしていた日のこと。

丁度サナさんが眠ってしまったところに、ルナさんが遊びにやってきた。

サナさんは魘される事が多かったり元々の警戒の強さから睡眠を取ることが少ない。2徹、3徹は平気で過ごせる。仮に眠っても3時間ぐらいで起きてしまう。その代わり眠ったら滅多な事では起きないし、寝起きも酷く悪い。無理に起こしたところで機嫌を損ねるだけだろう。

私もルナさんもそれをすっかり見越した上で『起きるのを待ってた方が懸命ですね』とお互い苦笑を交わす。このパターンは珍しい事じゃないので慣れたものだ。いつもの通り、サナさんが起きるまで待って貰う為にもルナさんを部屋に上げた。

「サナちゃん、また徹夜してた?」

「また、っていうか常っていうか……」

「……あー……だよねえ……本当はやめて欲しいんだけどなあ……」

ベッドで眠るのはあまり好きじゃないらしいサナさんは、ソファに小さくなって眠っている。その寝顔を困り顔8割、微笑ましさ2割の複雑そうな笑みを浮かべながらに、ルナさんはため息交じりで覗き込んだ。

顔に掛かる髪をそうっと払って寝顔を見るのは、起きている時なら怒られるから……とこれまた少し呆れ気味に言う。その仕草も表情も、ただの心配や家族としての情だけでは言い表せない。どこか不安定で曖昧な煮えきれないような。そんな雰囲気だった。

「……眠っては欲しいけど、寝顔を見てると正直心配になるんだよね。二度と目を覚まさないかもしれないってどうしても思っちゃってさ」

「そういえば、コエさんから部分的に聞いたんですけど……やっぱりサナさんが意識を手放すのを何度も見てきてるんですよね、ルナさんって……」

サナさんには気絶癖がある。精神的に追い込まれた時、もう目を覚ましたくないと思う程に強く傷ついた時。自分の魔法で自分の意識を閉じ込めて死んでも逃げられない自分の罪からサナさんは逃げようとする。それはサナさん独自の、サナさんが自分自身を守るために身につけてしまった防衛本能のようなものらしくて、二度と目を覚まさなくなったサナさんをルナさんは何度か強引に魔法を掛けてなんとかしてきたのだとコエさんから聞いていた。

他人に強く何度も魔法を掛けるのは身体の負担になる。神様の呪いから逃れた今もサナさんの調子に波があるのは、元々人間に負わされてきた心身の負担やコエさんや私の願いで払いきれなくて残った呪いの他に、その副作用も大きいのだろうとコエさんは言っていた。

「そうなんだけど……そもそも、サナちゃんに気絶癖を付けちゃったのは僕なんだ」

「…………そうでしたか……」

落ち着かなそうにサナさんの長く溢れた髪先をルナさんが弄ぶ。まるでその、目を覚まさなくなるまで傷ついたいつかのサナさんを宥めるかのように梳きながら、ルナさんはサナさんの寝顔を眺めて目を細めた。

「前世……城に居た時にね」

罪悪感だろうか、ルナさんの言葉は少し淀む。私はその態度が逆に気になった。

ルナさんがサナさんに対して、もう前世の話だとしてもまだ後悔を引きずっているのであれば……ルナさんはもちろんサナさんにとっても良い話ではない。サナさんはルナさんを突き放すような態度を取る事が多いけど、それも心配故。大切にしすぎるがあまり不器用なきょうだいなのは傍で見てきてよく知っている。

「……その時のお二人の話、良ければ聞いてもいいですか?」

だからこそ、逆に知りたいと思った。サナさんの為となれば遠慮している暇も無駄もない。そう聞き返せばルナさんはまた困ったように笑う。

「あんまり思い出話になる程いい話じゃないよ? サナちゃんにとっても僕にとっても酷い話だから」

「いいですよ。……何か……サナさんがもう少しだけ楽になれるヒントが得られるかもしれないじゃないですか。綺麗事だけ聞きたいだなんて今更言いませんよ」

それでも、サナさんを心配する心は私も同じだ。ルナさんは流石に心配し過ぎかなと思うけれど、サナさんを見てハラハラする気持ちは痛いぐらい分かる。サナさんが自分の意思で意識を閉じてしまうのを見ていない自分ですらそう思うのだから、何度もそれに向き合ってきた……しかもそのきっかけを作ってしまったのが自分だと思っているルナさんは不安で当然だろう。

「……うん、つばちゃんがそう思うなら心強いかも」

ルナさんは少し口に拳を添えて悩んだ後、ソファで眠るサナさんにそっと毛布を掛け直して上げてからそのソファの足元に背を預ける。

私も隣に腰を下ろした。

視界の端で静かな寝息を立てるサナさんはまだ起きる様子がない。

静かな時間が流れていた。


サナさんの親御さん……二人が『国王』と呼ぶ父親は天使だった。国王は厳格だけれど人が良く困った人は放って置けない性格で、サナさんの口は下手だけど世話焼きな面倒見の良さも父親譲りのものだろう、とルナさんは言う。

国王もまた世話焼きな性格で、自分の城に使用人として招き入れた大半は群れからはぐれたり、一族を追い出された魔族や、その能力が故に露頭に迷った能力者だった。

サナさんの身の回りの世話を任されていたサナさんの付き人であるシエルさんという使用人もまた同じで、彼女も妖精ブラウニーでありながらに白い肌を持ち、ミルクアレルギーである事から報酬とするミルクを飲めない体質で一族を追い出された身だったらしい。

そんな慈悲深い人物だからが故に、彼は神が世界の全てを統べようとする様子が許せず勝手に罪人として捉えられていた堕天使たちを逃がした罪に問われて地に落ちた。

そこから小さな国を築き、行き場を無くした悪魔の女性に手を差し伸べ……彼女は後のサナさん達の母親、王女となる。

そんな罪を重ねた二人の間を神様は見過ごすことはなく、天の国を焼いた嘗てのコエさんでありアメさん……その天使の魂をふたつに分けて、二人の子として生まれ変わらせた。罪人に他の罪を擦り付ける為に。

それがサナさんとルナさんだ。

国王はサナさんの将来を酷く心配した。神様の呪いを受けたこともそうだし、サナさんがこの先抱えるであろう元が強い天使だからこその大きな魔力や本能である攻撃性をも、出さないほうが幸せだと計算した。

その為には、国王が国をコントロールして敵を作れない状況にすること。そしてサナさん自身も強く己をコントロールできることに重きを置いた。

その結果が、サナさんの国に国王が残した国民達が『サナさんを好意的に見る』洗脳の魔法。

そして、サナさんは国が傾く6歳まで、酷く押さえつけられた躾を受けることとなった。

6歳までの間に、サナさんは基本的な教育と教養は全て与えられた。環境が良かった上にサナさんの元々の器量の良さから、サナさんは大半の事は難なくこなせるようになっていた。その器量の良さに国王はサナさんに王位を継がせるつもりで更に躾はエスカレートしていった。

そんな教えを恩人から仲介していたサナさんの使用人であるシエルさんも、国王への恩からサナさんへの躾には厳しかった。

書く文字が少しでも乱れれば上から筆を押さえつけられて直され、振る舞いが少しでも乱れれば強く叱られ、手を抜いた様子が少しでも見られれば全て最初からやり直すように指導された。

サナさんの行き過ぎた完璧主義はここで育ったものだろう、とルナさんはここまで語って笑った。

「それでも、サナちゃんは器用だからやろうと思えば出来ちゃうんだよね」

「……ルナさんはその頃は……」

その頃のルナさんは、王位を継げなかった子として使用人の指導を受けることとなった。

もちろん、その扱いはルナさんにとって納得が行くはずはなかった。双子として生まれた相手と差を付けられ、なんでも与えて貰えるサナさん。そのサナさんが羨ましくて堪らなかったと、ルナさんは悔しさを滲ませながら語った。

一番強い悔しさを感じたのは、サナさんがピアノを習ったのだと語ってくれた日のことだった。同じ城に暮らしていて、ルナさんはピアノを見たことすらなかった。教養に関するものは使用人が安易に触れられないように管理されていたからだ。それも全て国王がサナさんを心配しての事。

音楽には元々才能があったのであろうサナさんは、そこから特にピアノなど楽器や音楽の習い事には関心が強かった。ルナさんも同じく音楽を学びたいと訴えても、使用人には必要のないスキルだと一蹴されて終わるばかり。その願いが稀に叶っても、ルナさんにはサナさん程の音楽の才能は無く……演奏の技能は身についてもそこにセンスはなかった。

ならば、教養がダメでも勉強だけはサナさんと同じく並びたい。ルナさんはその一心で学ぼうとしても、教師も教材もあるサナさんと同じ環境は揃えて貰えない。

代わりに他の使用人達を教師代わりに、使わなくなった国政の書類などを拾い集めては辞書で引き、新聞を貰っては読み解き、数字を見かけてはそれを足したり引いたりして学びを得ていった。

ただそれは勿論、苦労の連続でしかない。他の使用人達も決して学びを得られる環境で生きてきた人ばかりではなく、人によっては『学びを得たい』という願望すら贅沢に思う相手も居た。

使用人の立場に居たとしても結局『王族出身』のルナさんは、王位を継げなかった事を蔑まれるまでは行かなくても怪訝に思われたり、可哀想に思われたりしながら過ごすしかなかった。

特にそれを哀れに思ったのは母親である王女で、王女はルナさんにこっそり国王の目を盗んではサナさんと同じ教材を与えようとしてくれた。が、仮に同じ教材があっても環境は同じではない。サナさんとの学びの差は開いていくばかりで、徐々にルナさんはサナさん自身に妬みを感じ始めた。

「……おかしいよね。追いつきたかったし、そもそも一緒に居たくて始めたことだったのに……いつしかサナちゃんの事は無視するようになってた。比べれば比べる程にキツくて、反抗するにも嫌悪するにも一歩足りなかったけどそれが却って良くなかった。いっそ憎むまで出来たらきっと、もっと早く割り切れたと思うよ」

ルナさんはそう言ってため息を吐く。

「今も、サナちゃんのことは羨ましいし妬ましいし追いつきたいと思ってる一番のライバルだけど……でもサナちゃんが『すごく』て、器用で才があるのは妬みでもなんでもない、事実なんだよね……」

そう言ってルナさんはまた、振り返ってサナさんの寝顔を見る。やっぱり、起きてくるかが心配のように。そしてまた、ルナさんは向き直して続きを話し始めた。

一方でサナさんも、徐々に押さえつけられる毎日に疲弊していっていた。

最初こそ怒られると慎重だった行動には反抗が見え始め、場内の倉庫に隠れてはレッスンから逃げ、大人を欺いては城から抜け出そうとし始めた。

最初こそ周りの大人も叱るものの、サナさんの手段の巧さとわがままな振る舞いはすぐに呆れられたのか、そのうち叱られることもなくなっていった。

「……僕は知らなかったんだけど、サナちゃんはこの頃にレッスンから逃げようとして隠れた倉庫に閉じ込められたらしいんだ。使用人の一端である僕が知らなかった、って事は誰も気づかなかったんだと思う……。サナちゃんは勿論魔法で脱出しようとしたけど、魔法は感情コントロールが基本だからね……ひとりで暗いところに閉じ込められて、誰も助けにすら来ないし探しにすら来ない。また居なくなったな、そのうち出てくるだろうって……取り乱して、サナちゃんはそこで初めて自分に本当の味方が居ない事を自覚しちゃったらしい……」

そう言ってルナさんは、小さく自分の膝を抱いた。

「……前世の僕らは薄くだけど感覚を共有出来てたから……もしも僕がサナちゃんを妬んで、憎んで、無視していなかったら、多分サナちゃんがどこでどういう気持ちで居たかを知れたはずなのに、あの時はそれが出来なかった」

サナさんはそれをきっかけに、暗いところや狭いところに苦手意識を持つようになった。

夜になると不安になりルナさんの寝室に来ることもあったらしい。それでもルナさんは追い返した。自分の勉強の邪魔になるから。使用人と王族じゃ立場が違うから。どうせきょうだいとしてもう扱って貰えないから。そんな言葉でサナさんを突き放した。

もう自分の味方はどこにも居ない。城にふたりきりのきょうだいですら、そうじゃない。

サナさんは静かに、静かに子供の自分を殺していった。

恐らく、それがサナさんの『意識を閉ざすこと』への始まりだったのかもしれない。

その頃、サナさんが夜を怖がるようになった頃に国王はサナさんにこう説いた。

『暗がりに明かりが一つもない事なんかない。星のひとつ、月のひとつでも明かりがある。遠くを見なさい、空を見上げなさい』

恐らく今よりも将来を見ろという意味合いの言葉だったのだろう。サナさんはその言葉をきっかけに天体に興味を持つようになったらしい。サナさん本人は呪いの言葉のようなものだと笑ったらしいけれど、ルナさんはその言葉に一つのヒントを得たと言った。

「……僕が今研究室に弟子入りしてるのは、サナちゃんに役立つ何かがこの星の外かそうでなくてもどこか自分の知らないところにヒントがあるかもしれないから。そういう意味では国王の言葉は僕にとっても呪いかもね」

そうしてサナさんはどこかに光がある、という気持ちとどこにも味方は居ない、という暗い気持ちの合間で変わらず厳しい躾を受けていた。

一方でルナさんも、自力でサナさんに追いつこうする努力と、努力ではどうにもならない王位の壁で疲弊した頃。

お二人と年齢が近いヘイヤさんとハルトさんがそれぞれサナさんの婚約者、使用人候補として城内に迎え入れられた。

使用人の子という縁で同年代同性の友達が出来たルナさんは、時折二人と遊ぶようになった。城内を駆け回り、その時だけは王族の子ではない普通の子として楽しく過ごせていたとルナさんは語った。

いつからか、サナさんもその姿を幾度と見て、羨ましさか、それとも焦りか……徐々に3人の背を追うようになっていった。サナさんとルナさんの立場は小さく逆転して、この時だけはルナさんもサナさんのきょうだいとしてサナさんを輪に入れて『あげる』事に優越感があったそうだ。

そうして4人がすっかり幼馴染として定着した頃。

かつてサナさんが閉じ込められた倉庫に、ルナさんが今度は閉じ込められた。

その時にサナさんと違ったのは、サナさん曰く城中が大騒ぎになった事だったらしい。

友達だと思っていたハルトさんと、しかも婚約者のヘイヤさん含め、使用人たちは誰一人としてルナさんを探した。そう大きくない城の中を『こどもひとりの行方不明』として。

私はその話で想像する。サナさんはどこまでも甘えることすら許されず、まして自分からも許せず……子供として扱われることすら諦めただろうに、同じく生まれた同年齢のきょうだいは大人からこどもとして扱われる悔しさはどれだけだっただろうか。

「……でもね、僕を一番に見つけたのはサナちゃんだった。絶対に開かないと思ってたドアをあっさり開けて、表情ひとつ変えずに……多分、呆れたんだよね。自分は自力で出てきても何も言われないのに、居なくなったぐらいで大騒ぎした大人達にも、自力で出てこようとすらしなかった僕にも、自分なんかそっちのけで僕を探す友達にも……失望したんだと思う」

ルナさんはそうやって笑う。また聞きなのに想像するにあまりに痛い話だった。

それでルナさん行方不明事件はおしまいに終わったのだけれど、そこで怒られたのはサナさんだった。サナさんがそもそも倉庫に隠れるような真似をしなければ。姉として、城主候補として、一緒に遊んでいたはずの弟を見ていられないのか。

ルナさんもそれを耳にして理不尽だと思わない訳ではなかったが、あれだけ優位に立っていた姉に責任が押し付けられている姿を見ると、庇う気は起きず傍観するしかなかったと言う。

そうして歪にきょうだいとして、主と従者として。ちぐはぐに過ごすふたりについに事件は起きた。

その日もサナさんは相変わらず厳しい躾を受けていた。普段と違ったのはその足取りで、幼いルナさんから見ても明らかな程にサナさんはふらついていた。

恐らく体調か、それを支えている精神か。はたまたそのどっちもか。

サナさんの疲労がピークなのは明確だった。

それでも国王はサナさんが休むことは愚か、普段通りミスの一つも許さなかった。

また、サナさん自身もそれを許そうとも許されようともしなかった。

とっくにサナさんの価値は、皇女としての振る舞いにしか求められていなかったのだろう。

『サナ、何を休んでいる。立ちなさい』

『はい……』

青ざめた顔でへたり込んでも尚、立ち上がろうとするサナさんと、立ち上がらせようとする国王。

『サナ様!』

その時、サナさんが何を習っていたのか。何故ルナさんもその場に居たのかを覚えていないとルナさんは言った。ただ、お付きの使用人であるシエルさんですら、そんなサナさんの腕を立たせようと引いたその時。

一瞬、サナさんとルナさんの目が合った。その瞬間、まるで静電気が二人の間に走ったようだった、とルナさんは表現した。淡くではあるけれど、その瞬間確実にルナさんに流れ込んできたのは、重苦しい感覚と共に悲鳴を上げるサナさんの内心。

それでも、ルナさんにとってそのSOSとも言えるサナさんの心情は『贅沢な悩み』でしかなかった。だからこそルナさんはサナさんの感情を視線を、目を逸らすことで振り払った。そのルナさんの冷たい感情も、恐らくサナさんに通じてしまったのだろう。

サナさんが一瞬悲しい目をしたのをルナさんが捉えた瞬間、ふっ、とサナさんの身体が崩れ落ちた。

『サナちゃん!』

今までサナさんを傍観していただけのルナさんが、久しぶりにサナさんの名前を叫んだ瞬間だった。

「止めるべきだった。おかしいって分かってて止めなかった。サナちゃんが責められる事をどっかで望んでたんだ……あまりに凄すぎて届かないなら堕ちてくればいい……サナちゃんが王座を降りれば対等になれる。……サナちゃんを通して、自分の醜さを知りたくなかった」

「……ルナさん……」

ルナさんはソファに持たれながら、まるで祈る姿のように両手を組んで頭を抱えた。もう遠い過去なのに、まるで今目の前にその光景があるかのように悲痛に眉を寄せる。

「自然と出た感情だけどすぐに後悔したよ。ピクリとも動かないサナちゃんを見て怖かった。別に大きな怪我をした訳でもない、誰かに攻撃された訳でもない。疲労と……ショックで人が……きょうだいが気を失うのを見て……しかもその引き金が僕だった」

その後、倒れたサナさんは大人達の手によって運ばれた。勿論、ルナさんも使用人として、そしてきょうだいとしてサナさんの側に居た。王女が離れなさいと言っても聞かず、サナさんが目を覚ますのを一晩待っていたらしい。

サナさんが目を覚ましたのは明け方、偶然、他の使用人が交代する時間でルナさんだけが部屋に居たときだった。

「目を覚ましたサナちゃんが一番に言うんだ」

ルナさんはまた、困ったように笑って語る。

『……怒られる……』

サナさんは半ばうわごとのようにそう呟いたらしい。

「……倒れて一番に心配するのが怒られるかどうか、って……今思えばあの時もうサナちゃんは限界だったんだよね……」

ルナさんはまた、ソファで眠るサナさんに向き合う。

きっと、その時もこうして同じようにサナさんの寝顔をずっと、一晩見ていたのだろう。

「そこからすぐだったよ……両親が戦争で亡くなって、国王の魔法が国外にバレて国が傾いて……僕は親戚に引き取られて一般家庭で育って……」

あの時のサナちゃんの感情を殺しきったような顔は1日たりとも再会するまで忘れられなかった。と、ルナさんはサナさんと生き別れた日の事を今でも切なそうに振り返る。恐らくその別れがサナさんを妬むだけだったルナさんを変えたのだろう。

「サナちゃんは城主として城に残る事になってたけど、サナちゃんは城を捨てて逃げ出した」

「……そして10年後にルナさんが探し出して、連れ戻そうとする間に私と会った……と」

私だって、今や遠い過去どころか別の世界の出来事にすらになってしまったあの日の光景を、今でも鮮明に思い出せる。嵐の夜。激しい雨音に交じるサナさんの歌声と、木々の合間から合った視線。あの時のひりつくような、それでいて吸い込まれるような空気感も全て。

「そうなるね。つばちゃんと出会ってなかったら国に帰ってくれることはなかったと思うから……そこは本当に君に感謝してる」

「……いえ。そこはサナさんの努力と勇気ですから」

今ここにサナさんと一緒に居る私とルナさん。ここに至るまでの全ては繋がっている。サナさんが『なかった事になんかしたくない』と願ったからには、ルナさんとすれ違った事すら今のサナさんにとっては大切なものなのだろう。

「私こそ、話してくれてありがとうございます」

「ううん。今でこそサナちゃんを長く見てきて、サナちゃんの努力とか才能とかすごいんだなって思ってるけど……あの時憎んだ気持ちって結構僕の中で黒歴史みたいなところあるから、思い出話に出来て良かったのかも。なんか、供養になったよ」

そう言って照れ混じりにルナさんは、今までのような困った笑顔とは違うどこかほっとした笑みを見せた。こういう少し素直じゃないというか、遠回りで不器用な感情表現はどことなくサナさんに似ていて、ルナさんの中でサナさんへの劣等感というのは意外とかなり大きく燻っていたのかもしれない。

……一時期、ルナさんはサナさんを救おうとするコエさんにかなり反抗を見せてたみたいだし。こう聞くと似た者同士というか、お二人がきょうだいなのをとても実感する。サナさんもルナさんの事を完全には放って置けない理由もなんとなく分かる気がした。

「……潰れるまではいかない方が勿論いいけど、僕も頑張らなくちゃね」

「喜んでくれるといいですね」

ルナさんはそう言うとまた、サナさんの寝顔を眺めつつ、そうっとサナさんの手に自分の手を重ねた。コンプレックスだった存在から一転、今のサナさんはルナさんにとって目標なんだろうなと思うと、多分こうして近くに居るて触れるだけでもルナさんにとってはやる気が出る存在なのだろう。

「ん……」

「あら、サナさん? 起きました?」

「んんー……」

その感覚で目が覚めたのか、サナさんが小さく唸って顔をソファに埋める。さっとルナさんが手を引いたのは、勝手に触ってサナさんが怒るのを回避する為か。横目に見て内心ちょっと苦笑する。

サナさんは眠気と起きたい気持ちの合間で気持ち悪くなりやすいらしく、何度か呻きを上げながら起きようとしてはまた頭を下げ……なんとか瞬きを繰り返してようやく薄目でこちらを見た。

「ん、ルナ……」

「おはよ。お邪魔してるよ」

「んん……」

そこでようやくルナさんが来ていることに気づいたサナさんは、返事代わりにまた呻いて目を擦ったり顔を擦ったり、気分の悪さと格闘を続ける。一応、ルナさんの為に起きようと頑張ってるみたいだった。

「お土産にお菓子買ってきたよ」

「ん、起きる……」

「ゆっくり起きて。サナちゃん、無理してしょっちゅう転ぶんだから……」

「うるさ……一言余計よ……」

ルナさんもそれを待つ姿勢で居るようだ。いつも通りサナさんへのお土産を指しつつ、急かさないように声を掛ける。お菓子につられてかサナさんもようやく身を起こせたので、私はそれを見届けてから席を立った。

「お茶淹れてきますね」

「ありがとう」

それを見るルナさんが静かにサナさんが無事に目覚めた事を噛み締めているように見えたから、ここは思い出話のお礼代わりに譲ってあげる気持ちでキッチンに引っ込む。

背に掛けられたルナさんのありがとうに込められた意味合いについては、敢えて私も触れず頷くに留めておいた。