Note-観測者の手記(0頁)

一つの国の話をしよう。

『私』は、この星を観測するひとつだ。

人はそれを宇宙人と言うかもしれないし、神様と言うかもしれないし、はたまたただの現象と呼ぶかもしれない。どの場合に置いても、この物語がこれからする国の何処にも居るが何処にも居ない。登場人物にはなり得ない。

姿かたちも、声も、色も、役割も持たない。

そんなただひとつが、気まぐれでこの国にらくがきを遺した。

いや、正しくは『消し忘れた』のだ。

今頃、きちんと消していたのなら……いや、可能性の話はやめておこう。今は今の話に集中するのが正だ。

そのらくがきに、私自身は名を付けた覚えもないが、彼女は自身をいつの間にかこう表していた。

『穂村 珠莉』。

それがこの国の始まり。この国の神。創造主。禁忌を手にしたイヴ。

呼び方なんてどうでもいい。

結論、彼女に永らくその自覚はないのだから。

珠莉と名乗るらくがきの民は、鉛筆の役割を持ち『書き込む力』を持っていた。最初に観測したのは、私と同じようにらくがきをただ世界に残すだけの陳腐な能力だ。

それの他に何もない空白の世界に、彼女は4人のらくがきの民を生み出した。自分と同列のきょうだいとして。

理由は特になかったのだろうか、それとも自分の力を試したかったのだろうか、道連れを増やそうとしたのだろうか、ただ単純に寂しさを覚えたのだろうか、傍観する私にその心情は分からない。

彼女は最初に生まれた者をひ(仮)と書いてひかり、次に生まれた者をか(仮)と書いてかかり、その次をは(仮)と書いてはかり、最後に生まれた者をあ(仮)と書いてあかりと名付けた。

ネーミングセンスに些か疑問は残るものの、適当に書かれたらくがきの能力などこのようなものか。

珠莉はそして自分自身を一番下のきょうだいに位置づけ、5人きょうだいとしての生活を送り始めた。

何故一番最初に生まれた自身を一番上に置かなかったのか。

それは彼女が自身の責任を他のきょうだいに分散したからに過ぎない。

彼女が生み出した民達はそれぞれに珠莉と同じく役割を持っていた。

ひかりは民を切り取るハサミ。かかりは民を固定する糊。はかりは民を補正する定規。あかりは民を消す消しゴム。

全てはこの国、名を『NoTe』と呼ぶ世界の治安を守るため、彼女自身が生み出した『保険』であった。

何故彼女はここまでしたのか。

ここからは傍観者の推測だが、彼女を生み出したのは他でもない私なのだから間違いはないだろう。

消すべきであった陳腐ならくがき。白黒でしかない存在。色も輪郭も持たない曖昧な存在。

そんな彼女が、個としての自信を持つはずがない、と。

しばらくは5人で平穏が続いているように、観測する側からは見えた。

珠莉は他の4人と同列に……いや、それ以下となりしばらくはその役割も忘れているらしい。

私が消し忘れた、としたのが作用したのだろうか。珠莉はかなり卑屈な性格であった。

他のきょうだいはそんな彼女の言動を励ますものもいれば、怒るものもいた。

その度に持ち直してはまた沈む彼女の動きが、5人の関係を揺るがす。黒鉛色の魂に徐々にその平穏が傾いていく。

その平穏が崩れたのは、他の国からの探求者が足を踏み入れた頃。

何も無い世界はただ広く、他の国の民は探索に疲れきり撤退した。

幸い5人の存在に出会うことはなかったが、珠莉は出会ってしまった。

『物語』にだ。

隣の国には物語の文化があった。その国の者が持ち込んだのであろう。

5人の他に何も無い世界に転がった数冊の本は、不幸にも珠莉の手に渡る。

白い頁を見続けるよりも遥かに情報量の多いそれに、珠莉はすぐに取り憑かれた。己の手で生み出したそれより、他から語られる物語。とりわけ珠莉が興味を強く示したのは、物語の片隅で活躍も程々に忘れ去られていく脇役や不幸の端役だった。

心優しい少女と言えば聞こえは良い。

有難迷惑と言えば乱暴か。

この日、初めて珠莉は1から落書きの民を生むのではなく、『書き写す力』を表した。

物語の端役を移住させる、『移民』を3人書き写したのだった。

らくがきの民と移民の8人の生活は歪に回った。この頃にはもう、傍観するしか私に手段はなかった。

珠莉に『色』が付き始めていたからだ。こうなると彼女はもう、既に『私の生み出したらくがき』ではなく、一人の物語の人物へと変わっていた。

原因は移民だろうか。珠莉に救われた移民達は、とりわけ元の物語での扱いが酷い者程、珠莉に深く近づいていった。その関わりが珠莉に『色』を付ければ付けるほどに、珠莉の力を新たに観測する。移民が抱く恐怖心を塗り替える力。人物に飽き足らず物を書き写す力。時にはきょうだい達の力で不都合を調整することもあった。

そうして珠莉の行う世界創造が急速に進み始めた最中、3人の移民は3人のきょうだいとトラブルを起こした。キッカケはそれぞれだったが、どれもその根底には不満が渦巻いていた。何もない世界に置かれる退屈故と言ってもいいだろう。

そのうちに、ひかり、かかり、はかりはそれぞれ一人づつ、移民とのトラブルでこの世界を去った。

……有り体に言えば、きょうだいたちは移民に殺された。

その処理をしたのは、たった一人残された末弟のあかりだ。

きょうだいたちの遺体を処理し、移民を自分の役割に従い『消した』あかりは、国の外を強く恨んだようだった。

珠莉はそんなあかりの姿を見て、ある決心をしたらしい。

観測上、あかりの記憶を上書きする力……きょうだいたちの記憶を消し、その執着を自分に向けるよう上塗りをした。

そして珠莉は本格的に、この国を塗り替える。

他の国と変わらない景色を移し替え、移民を数えきれないまでに増やした。あかり以外の『らくがきの民』を二度と創造せず、ただ、外に手を伸ばし続けた。

一方で、たった一人となってしまったあかりもまた、『消す』という役割、珠莉の保険という役割を重く背負った。記憶はなくとも役割には忠実なようだった。移民が増えればコンタクト取り、それがこの国や珠莉にとって危険因子ならばどんな手でも使って消していった。珠莉の働き蜂という役割を従順にこなすだけだった。

そうしてこの世は、しばらくの均衡を保つ。

箱庭として回る。絵に描いたドールハウス。文字で書かれたすごろく。

やがて玲子という少女が来た。

やがて羽美花という少女が来た。

そうしてまた、おとぎ話から一人……。

この次に均衡が崩れるのは、もう少し後の事。

もう頁がない。記録はまた明日にしよう。