(未完)ふらサナさんの話

図書館

『部品を一つずつ取り替えて最終的に全てが入れ替わった時、それは元と同じ、と言えるのか。』

適当に開いた教科書がそう尋ねて来て、思わず舌を打ちそうになった。

一度も出た事のない音楽の授業の時間、気怠げに響くリコーダーの音を遠くに空き教室に潜んでいた時の事。暇潰しに手持ちの教科書を開いた。いつも持って来ている本は今日に限って部屋に置いて来てしまったから、その代わりというか手癖のつもりで。

「胸糞悪」

その一文で酷く気分を害す。見なきゃよかった。教科書なんて持って帰ろうとするもんじゃないな、と思いながらも今教室に置いて帰るのも面倒臭い。

「……図書館、行くか」

ここからなら玄関の方が近いなと思うと、もうこの先の授業を受ける気もなく私はこっそり教室を出る。

基礎的な学力は、既に遠くに置いて来た子供の頃に叩き込まれているし、それでテストに困った事もない。何より珠莉のお墨付き「だった」事は先生達にはもう知れているから逆えないのも分かっていて、私は完全に大人を舐めていた。

義務で叱ることはあっても実際に私を追い出そうとすることはまるで無い。誰もが自分の救世主が困ることを恐れている。触らぬなんとやら。……それがものすごく馬鹿みたい。いつもそう思う。

まあ恐らく、客観的に見て、そして確かに……戦おうと思えば幾らでも戦える身体を持っておきながら、こんな事でしか反抗できないままでいる子供な私が1番馬鹿に見えているのだろうけど。

昼下がり、人通りの少ない道を淡々と歩く。あんなに好きだった雲ひとつ無い青空の事も今はどうとも思わない。それが私の『部品』を取り替えた結果だと思うと無性にイライラしてきて、進める足は早まった。

お陰様で到着は早かった。街の大きさに似つかわしくない大きな扉を潜る。人は疎らで足音さえよく響く、この空気感は嫌いじゃなかった。少し苛立ちを胸に収めながら足音に気をつけて先を進んだ。

この世界の図書館は少し特殊だ。色々な世界の物語がそこにある。そう表記すれば当たり前なのだけれど、私から見ればそうじゃない。果て無く並んだ本棚の中から、馴染みのある背表紙を見つける。

「…………もう、私には関係のない物語……」

一瞬それを手に取りそうになって、慌てて引っ込めた。私の引用先。元いた場所、生まれた世界。部品の全てを取り違えた今、それはもう赤の他人も同然だ。そこに記されているのはきっと、私と同じ名前、違う存在が戦って戦って、その先で何かを得る物語になっているのだろう。逃げて逃げられて、手を離されて、何もかもを諦めた私の物語はそこにはない。

「…………っ」

軽い目眩を覚えて本棚から逃げる。逆に言えば、どれだけ胸が痛くても目眩しか覚えない。やろうと思えばここにある本棚の全部を倒すぐらい容易いのに、人のフリをするのも上手くなってしまった。私はもう怪物でも化け物でも悪魔でもない。

別の棚から適当な本をひったくって貸付の処理をする。顔馴染みの司書にまたサボったのかと軽く笑われる。表面上、適当に相槌を打つ。

その顔を見ながら、脳裏でフィクションが嫌いだった頃の自分を思い出す。

でも今は知ってしまった。部品を違えたから。

完全な作り話など存在しない。

伝説の悪魔が居た事は事実だと知ったから。

物語の中にある人生は必ず誰かの人生だから。

きっと私の物語だったあの本も、今は『誰かさん』の人生なのだから。




Loss of time

またね、と夕焼けの中で手を振った。その約束を破って果たして『どのぐらい』が経過しただろうか。

「チビ、授業全然出てないらしいじゃん! 先生から連絡こっちにまで来てたんだけど。お陰でボクが謝る羽目になったんだから……」

「あ、そう」

「ちょっと!」

すっかり大人ぶるようになった玲子の説教も正直聞き飽きて来た。音楽を蹴ったのが如何やら担任のお怒りに触れたらしい。あんな副科目、学んだところな何になる? それを身を持って知った側としてはこんなに馬鹿馬鹿しい事もない。無視をして、学生になる頃に、監視下にでも置くつもりだったのだろうか、勝手に割り当てられた部屋に閉じ篭もる。荷物とその身をベッドに投げ出した。

「おいこら、弁当箱!」

「自分でやる、ほっといて」

いつの間にかアイツは完全に保護者面をし始め、周りも自分を子供を見る目で見始めた。ここ最近は遂に魔力の供給が尽きかけているお陰で時折動けなくなる所為か余計に監視の目がキツい。ウザい。無意識に舌打ちを鳴らして借りて来た本に手を伸ばす。

「……チビ、いいからちょっと出て来てよ」

ドアの向こうで、一際苛つきを押さえ、極力優しく話そうと心掛けた玲子の声がする。説教を受けると分かっていて出ていく馬鹿が居るもんか。恐らく珠莉の結婚式がどうだ、婚約者の良さがどうだと諭すつもりなのは分かりきっていた。こちらから止めるつもりはないのだから、勝手に済ませればいいものを。どうしても関わらせたいというその魂胆が本当に嫌いだ。イラつく。うっかり怒り任せに起き上がった所で、掴んだベッドの土台にヒビを入れてしまった。

「…………最低」

それが、普段人間を演じている自分がそうではないという証明に見えてしまう。借りてきた本だけ小脇に携えて、部屋の窓から外へとエスケープ。痺れを切らして部屋に飛び込んできた玲子が窓枠に齧りつく姿を背に外へ逃げ出した。

「ちょっと! サナ!!」

……果たして、私はまだ『サナ』と呼ばれて正しいのだろうか。あの一文が頭を掠めて、慌てて頭を振った。

適当な場所を歩き回って、河川敷に腰を下ろした。玲子が寝る時間まで暇を潰して帰ろうとした所で、他の荷物は全部置いてきた事に気づく。別に取りに戻れないこともないけど、気力はなかった。これが魔力のせいなのか、それとも単純に気持ちのせいなのか、考えることすら放棄する。何も構わず寝転がった。

「うっわ、汚くない? 恥とか無いわけ?」

その顔をふと通ったのか、それともわざとやってきたのか。気づけばあかりが覗き込んでいた。そういやこいつも『成長』がないな、なんてふと思って、それでも平然としている事にまた苛つきを感じたことを噛み殺す。わざと煽るような話しかけ方も、ムカつくけど相手にする気力はない。黙ったまま彼を睨んだ。

「…………アンタさ」

前のように噛みついてこない事に違和感を抱いたらしい。あかりの眉が静かにひそめられ、声のトーンも一気に下がる。こいつを余計に怒らせるとなかなか面倒な事になるので、渋々起き上がって言葉を聞く姿勢だけは保つ。

「自分の力が弱まってる理由分かってる?」

「理由? そんなの、此処に閉じ込められて何年経ったか、」

わからないじゃない。勝手に減りもするでしょ。使う一方なんだから。そう言い掛けた所で、あかりが強く首を横に振った。思わずその口を止めると、もう一度あかりが首を振る。

「……珠莉がアンタを放したからだよ」

「は?」

「そしてアンタが珠莉から離れたから」

意味が分からなかった。何故珠莉?

正直、私は珠莉の手から自分が離れて、寂しいとは思っているが清々もしていた。愛玩動物みたいに愛してる時だけ好き勝手可愛がられて、要らなくなったら放られて。その結末そのものは、他に関わった人間たちとなんら変わらない。皆、私の手から勝手にすり抜けていく。だから諦めて来たし、目を逸らして終わればそれでいいと思っている。

だから、玲子たちが私に珠莉の幸福を認めさせようとしている今の状況が大嫌いだ。中途半端に手を差し伸べて置いて、その手を取ろうとすれば突き放す真似を繰り返してきた癖に、今度はそれを受け入れろとか。あかりもそう言いたいのだろうか? そう一瞬思ったところで、それにしては雰囲気が重たい。次の言葉を待った。

「……珠莉がこの世界を作った。僕は珠莉の次に、珠莉の手から直接生まれてる。だから、珠莉がこの世界をどうやって構築したかも全部見てきてる」

「そこにあんたの主観は入ってない?」

その言葉の意図に気づく。が、私はそれだけでは信用をしない。珠莉に一番盲目的だったのはこいつで、私がまだ珠莉のお気に入りであった頃は、嫉妬から戦いに発展したことは珍しくなかった。だから、続く言葉も比喩表現で在ることを疑わない。

「間違いなく、珠莉はアンタの世界で言う『神様』だよ」

その言葉に返す言葉はなかった。神の違えた世界で、神から生まれた自分は形を保てない。その力を維持するためには、近しい存在の供給を受ける必要がある。その供給が緩くでも確実に続いていたのは……神の立場に一番近い、珠莉の『お気に入り』だったから……。酷く皮肉な話だった。

「…………そう」

「……アンタって本当につまんない奴になったね。いいの、消えちゃって?」

その事実には確かに驚いた。が、今更それを聞かされたところで、珠莉は私を捨て私は珠莉を捨てたその事実は変動しない。変える気もなかった。あかりはその返答に機嫌を悪くしたらしい。どうして欲しいつもりだったのだろうか、気づきたくはないので、目を逸らすようにまた寝転ぶ。

「……馬鹿みたい」

それであかりは怒ったらしい。視界から消えていくのを敢えて追ったりはしなかった。気づけは陽は暮れ始め、河川敷は夕暮れの光を反射させて、眩しすぎる程に視界で煌めく。

その景色に思い出す。

自分が汚してしまった海の目の前。

夕日を背に取った手。

またねを交わした約束のこと。

その約束を破ったこと。

もう想いは届かないこと。

もう戻れないこと。



延命

サナと距離を取ってどのぐらいになるだろう。

私とあの人の時間は徐々に大きく食い違って、計算するだけ無駄なのだと気づいた頃には遅かった。

「……ねえ、最近アイツに会った?」

「アイツ?」

「……クソガキ……じゃないや。サナ」

あかりが珍しくその名を口にして、他意があるわけじゃなくて見掛けただけなんだけど……と前置きしてから語った事実は余りにも詳細だった。学生として生活を始めて以降、徐々に周りに反抗を示すようになったこと。今じゃ殆どの授業に出ておらず、先生からも保護者として部屋を貸している玲子にまで、態度を改めるよう連絡が行ったこと。玲子もそれに対して注意を促そうとしてくれたけれど、聞く耳を持ってくれないこと。

そして、これまで何度か自分の魔法を維持できなくなって倒れていること。それでもサナは魔法を使うのをやめようとしないこと。それによって徐々に消耗が進んでいること。

「……このままじゃアイツ、死ぬよ」

「…………でも私、書き写す以外の力の使い方なんて知らないよ」

「手、繋いでやるだけでも少しは吸えるらしいよ」

その進行を遅らせる為に、私が接触することが応急処置になり得ること。

あかりが何処でその情報を仕入れてきたのか知らないけれど、彼なりに心配しているのだろう。その心配のベクトルは分からないけれど、サナが苦しむのも、それによって連れて来た側の私が苦しむのも求めていないように見えた。

昔はサナを邪険に扱う雰囲気があった、と気づいたのも大分後になってからだけど……そっけない風に見えてこんなに真正面から心配する様子を、長らく共にいて初めて見た。

「……分かった、1回だけなら」

そう言って、久々にサナを目当てに玲子の元を訪れる。

一度だけ、と限りをつけたのは、やっぱりサナに嫌われているからというより、自分が気まずいからの方が大きい。結局のところ問題から逃げてしまった私は変われていない。これ以上、何かを変えようとして変な歪みは生みたくなかった。

「……珠莉!! どうしよ、チビが……!!」

玲子の元を訪れて玄関のドアを叩くより前に、玲子が慌てて向こうから飛び出してきた。慌てた様子の背を追ってサナに貸している部屋に飛び込めば、タイを付けていない制服姿、髪を結うのをやめたストレートロングを床に散らして、崩れ落ちるように床に縋り付くサナの姿があった。その背には滅多に人前では出さなかった黒い羽根が伸び、ハラハラと散っている。理由はわからないけど、その光景はまるで枯れかけた花のようにも見えた。

「サナ!?」

「……し、月、さ……」

慌てて駆け寄れば、サナは私から目を逸らすように俯いて掠れた声を零す。『新月』は婚約者の名字で、結婚を明かした頃からサナは私をそう呼ぶようになった。彼女なりに距離を置く為の線引きだったのだろう。私はそれを敢えて受け入れた。

「サナ、大丈夫……?」

「……は、あ、はぁっ……」

「全然呼んでも出てこないから無理やり開けたら、もう立てなくなってて……」

サナは浅い呼吸をするので精一杯で、こちらの問答には答えてくれない。敢えてなのか、しんどくて出来ないのかの判断はつかなかった。玲子が変わりに説明をする。あかりが説明した通り、体調が崩れかかってると思っていいのかな。

「あかり、どうしたらいいの?」

「……手、握って……送り込む感じ?」

あかりにも分かっていないのだろう。曖昧な指示だけどやるしかない。私は床に放られたままのサナの手を握る。酷く冷たくて、細った手だった。そのまま、なんとなく集中を握った手に込める。

「や、嫌だ……離して……」

サナはそれに抵抗するように、私の胸を空いた片腕で押しのけようとする。人間じゃないその力で、力のない私の身体を押しのけるのすらもう出来ない。ただ震えた手が添えられただけだった。それでもサナの頬からは涙か冷や汗か、ぼたぼたと床に雫が落ちていく。その反応だけでもただ事じゃない。

「やめて、止めてよ……もう貴女の救いなんて要らない、いやだ……」

「……サナ、言う事聞いて」

それでもサナは未だに私の手から離れようとする。押しのけようとしていた腕を振り回すも当たらない。この距離で見えていない? と感覚的に思う。それも力の尽きかけたせいなのであれば、もうこの子の生活は破綻しているも同然だ。問答無用でその手を抑え込んで送り込むことに集中する。

「なんで、なんで生かすの……ぐすっ、もういい、もういいのに……離して……」

「…………サナ、そんな事言わないで」

サナはその腕を振り回すのを止めて、ただただ涙を拭いながら私の処置を否定しようとする。その姿は、まるで昔の私と昔のサナをまるでひっくり返したような光景だった。言葉数が増えた様子から見れば、少しは『吸えた』のだろうか。私に感覚がないからなんとも言えないけど、間違ってはなかったらしい。

「うるさい、説教なんか聞きたくない……っ、出ていけよ、捨てたくせに、そっちが捨てた癖に!!」

「サナ、貴女が昔私に言ったのと同じ事を言うよ。勝手に、簡単に諦めないで。自分で勝手に出した結論で決めつけないで! 言ってることわかる?」

私の手当を拒否しようとするサナを思わず怒鳴りつける。『昔』というワードにサナが拒否反応を示すのは知っていた。サナにとっては置いて行かれた時間を指し示すその言葉を使って無理やりこちらの話を通す。汚いやり方だとは解っていたけれど、そうでもしないとこの強情な子は同じ舞台で話そうとなんかしてくれない。退路を塞いだ。

「分からない!!! なんなの、皆で子供扱いして、適当に拾って転がした癖に、それが思い通りじゃなくなったらまた縛り付けるんでしょ!? 適当に諭して言う事聞かなかったらまた躾けて言う事聞かそうとするんでしょ? そういうのが要らないって言ってるの!!」

「サナ!!!」

それでも尚、抵抗で返事を返そうとするサナをもう一度叱りつけた。サナはその叫びに、喚いていた言葉を飲み込んで口を噤む。すぐにその唇が震えて、床に崩れ落ちた。繋いでいた手は滑り落ち、サナは床に突っ伏す。

「うっ、うっ……うわぁあぁぁ……!!」

「…………」

そのまま癇癪に任せて泣き喚く姿を、私は見ていることしか出来なかった。

「珠莉、いこ。それだけ泣き喚ければもう十分だろ」

「…………」

あかりがそうして手を引くので立ち上がり、黙ってサナの部屋を立ち去る。

……多分、私がそれを奪わなければ……サナに十分な力が残っていれば……サナは自分の記憶を消して、意識を失って、目を覚まさないことで逃げ道を作ったのだろう。だけれど、今のサナにはもうそれが出来ない。

『捨てた癖に』という言葉が耳から離れない。けど、私はその事を謝る姿勢は絶対に見せないと決めていた。

私がそれを認めたら、今度こそサナは自分が放られてしまった現実に気づかなきゃいけなくなってしまうから。



提案

「なんでアイツにわざと嫌われようとすんの?」

アイツが。サナが潰される所をこの目で見てしまって、正直言えば動揺していた。アダムとイヴ、ふたつでひとつ、この世界の神。自分に一番親しくて等しい相手。そんな相手が、自分で選んだ相手を自分で突き放した瞬間をこの目で見てしまった。

アイツが珠莉に近づくことが何より許せなかった時間、あの時願っていたはずの展開なのに……結局僕もその手を取れなかったのだと諦めたぐらいで、多分まだ諦めきれていないアイツの事を仲間かなんかだと思ってしまったらしい。嫌な相手に同情心を持ってしまった己が腹立たしかった。

「サナが私を恨むことで怒りの矛先が私に向くならそれでいい。私だけ恨んでれば他に手を出そうとしないと思うから」

珠莉は僕の質問に淡々と答える。その語り口にいつものような曇りは一切なかった。珠莉が珍しく、自分で、一人で、確実に決めた事を示す声色にまた苦い顔をしてしまう。

『サナ』が元の世界でわざと人を殺したことは僕も知っている。何なら幾らでも言いふらされていたし、皆周知の事実だった。今はサナが来てから時間も経ち、サナ自身もヒトを演じることに慣れたようで世代交代で知る人は少なくなったけど。

「実際、授業態度はともかく友達とは上手くやってるみたいだし」

「なにそれ? 珠莉だけが悪者になればいいって事!?」

「違うよ」

珠莉がマイナスな事を話す時とはまた違う苛立ちを感じて僕は叫ぶ。けど、その正体はいまいち分からなかった。ただ、あまりにも珠莉の言い方が冷たく聞こえてしまった。

「私は実際悪者なの。自分がそう思うからとかじゃなくて、客観的に見て。だからもう極力関わらないで、お互い幸せになった方がいいって思ったからサナを手放した。サナは捨てられたって言うけど、私は手を離しただけ。落ちていったのはサナの方。だから私は開き直るし、サナが開き直るのをずっと待ってるしか出来ない」

「…………」

「消極的だと思うなら思えばいいよ」

気づけばなんだか、それは僕と珠莉の喧嘩みたいになっていた。何かに苛立ちを覚える。馬鹿馬鹿しい。今此処に居ない奴の為になんでこんな気分にならなきゃいけないのだろう。

「…………僕、今始めて珠莉を性格悪いと思った」

取り敢えず珠莉の背にそう吐き捨てる。珠莉はそう思われても仕方ないのか、構わないのか分からないけど何も答えず、帰るために足を進める。

「…………忘れ物。戻ってくる」

僕はその背についていく度胸がなくて、来た道を戻った。

玲子も居たたまれなくなったのだろうか、アイツの居る玲子の家に戻ると玲子は出掛けていた。未だにドアは開け放たれたままのアイツの部屋を覗けば、部屋の片隅でベッドに突っ伏したままのアイツが居た。さっきまで蹲っていた床からは離れている様子、歩けるぐらいにはなったらしい。まだ顔色は悪かった。

「……体調どう」

「余計なこと言ってくれたわね」

その背に適当な声を掛ける。睨む元気ももうないのだろう、突っ伏したまま小さな声で敵意を示された。返す言葉もない。まさかあんな事になるなんて、普段の珠莉から予想出来やしなかった。

「最悪……」

またその声が潤む。その肩が小さく跳ねる。

確かコイツ、泣くと魔力減るんじゃなかったっけ……このままだと珠莉に泣き殺されてしまう。

「…………隣町の教会の神父のおじいさん、知り合いなんだけど、紹介してもいいよ」

気づけば僕は頭を回して、知り合いの中から聖職者かつ魔法の使える無害な人物、を検索していた。珠莉の為になればと積極的に顔を広めていた過去が、まさかコイツの為に使うとか……。自分にも分からない予想外に苦い顔をしてしまう。

「……珠莉よりいいでしょ。人当たりはいいと思う。子供好きだし、なんか上手いこと言っておく……」

それでも結局、『助けられろ』と命じていることには変わりがないから、怒らせるだろうと思うと語尾は濁る。

「…………あんな奴の為に殺されんなよ」

「それ、あんたが言う?」

それでも……それでもやっぱり……珠莉がした事が許せない、まで行かなくても納得がいかなかった。僕が殺せなかった相手が、あっさり珠莉に殺されるなんてなんていうか腹立たしい。

アイツもその提案に意外性を見出したのだろうか、ゆっくりと上げた顔は疲れてはいたものの、少しだけ口元が緩んでいた。

「一応兄だったんだよね、尻拭いぐらいはさせろよ。そしたら珠莉も見直してくれるかもしんないし。アンタに恩売ったら後から役立ちそうだしさ」

結局のところ、僕もコイツと同じで何処か諦めきれていないのだろう。絶対に口には出さないけど、たぶん、同盟のような感覚がそこにあったんだ。