ファンタジカソング③

この世界には、十歳を迎えた子供が故郷を離れ一人旅をする、という風習がある。誰が定めたのか、誰が始めたのかは、はっきりしていない。絶対の強制でもない。ただ、なんとなく共通認識として、子供が旅に出ることで、大人になるという風習があった。

 さらも、もちろん例外ではなく、十歳を過ぎた頃に村を出た。とある日に辿り着いた港町。大きな廃城がシンボルマークのひっそりとした街のはずれ。

 まだまともな魔法も使えなかった、至って普通の子供だったさらに、タイミング悪く大型のシネンが襲いかかってきた。逃げ惑う彼女を助けたのは、綺麗な銀髪にゆったりとしたウェーブのかかった少女。大人っぽい雰囲気の、しかし同い年ぐらいの女の子だった。魅了戦闘の魔法で颯爽と助けてくれた女の子に、さらの小さな胸は高鳴った。

 しかし、その胸の高鳴りは、街に入った途端、ざわつきに変わる。

 住人の変な目が、さらとその女の子に向けられる。好奇、恐怖、蔑み。

 『化け物が、子供を捕って食おうとしている』のだという、重々しい笑い声。

 不安になったさらに、女の子が、泣きそうな、頑張った笑顔で語りかける。

『ねえ、貴女は能力者よね? どのマジカリストになるか決めてる?』

 さらはその言葉に、素直に答えた。アイドルを目指すのだと。

 その言葉を聞くと、女の子は悲しそうな表情をわざとらしい笑顔に変えると、さらにおでこをくっつけた。ばちん、という強い衝撃がさらの脳裏に響く。

『……叶うといいわね、『魔法少女』……』

『うんっ』

 ―― ……そう、さらの夢を奪ったのは私だ…… ――

 明け方の薄暗い部屋の中、まだ眠っているさらの横で、懐かしい夢の余韻に押され、せりかは部屋を出た。

***

「はいっ、おしまい! どう? 動きやすくなった?」

「おっ、いい感じ。先生、ありがとうございます!」

 放課後、召喚科の教室を訪れていたつっこは、召喚科の先生のヒーリング魔法を受け終えて、翼を羽ばたかせてみせた。ふりあの事件後、寮母さんに治療をして貰ったつっこだが、どうにも翼の引きつりが残ってしまい、治療魔法が上手いという召喚科の先生の元を訪れたのは、ほんの数分前。事情を説明するとすぐに、任せて! と始まった魔法は、一瞬でその効果を実感できるほどに回復した。

「せんせーい、失礼しますわー」

「はいはーい、お疲れ様、ユスク」

 そこに、がらっとドアを開けて一人の女の子……? が入ってきた。ユスクと呼ばれた少女? は、身なりこそ子供のそれだが……その容姿は……

「先生この子は?」

「あら、ごめんなさいね。彼女はユスク。私が間違って召喚しちゃったからくり人形で……いまはお手伝いして貰っているの」

 精巧に出来た少女の人形は、そう言って書類を丁寧に先生の机に置いた。そうして丁寧にお辞儀と、ワンピースの裾をひらり。

「先生に召喚されて、この学園で暮らしているのですわ」

 そういってにこり、と愛らしく笑った。

「なるほど、そうゆう事かぁ。あたしは魅戦科のつっこ。よろしくー!」

 そう言ってつっこが手を差し出すと、ユスクはつっこの指の一つを小さな手で掴んだ。召喚獣以外を召喚すると不安定になるはずの『召喚』対象物が、これだけ安定した力と魔力を持っているとは……とても器用な先生なんだな、とつっこは内心思う。……まあ、間違って彼女を召喚してしまうあたり、さらやせりかのような完全な天才ではなさそうだが。

「さて、そろそろ下校時間ね、またおかしい所があったらすぐ来てね」

「はあーい! ……に、してもさっすが先生。ずっといてもらいたいなぁ」

 先生は軽く机の上を片付けると、テーブルに内蔵された立体視時計に目を落とした。そろそろ校門が閉まる時間だ。まばらに残っていた生徒もそろそろ帰り始める頃だろう。書類をかき集めてトントンと揃えると、書類ケースにラフにまとめる。腕組みをしながら先生の器用さに感心するつっこの姿に、ユスクが思い出したように口を開いた。

「もうすぐ教員移動の時期でしたわね」

「そうそ、この学園しっかりしてる先生少ないから、先生みたいな人はレアだよ」

 ユスクとつっこがそう言い、先生は少し困ったように笑うと、一呼吸置いて口を開きかけた。――と、同時に、再度がらっと開くドア。

「召喚科のせんせーはいますかーっ……て、つっこ!」

「お、さら! と、せりかさん!」

 入ってきたのはさらとせりかだった。せりかの手を引っ張って入ってきたさらと、引っ張られて入ってきたせりか。せりかの表情は少し沈んでいるようで、浮かない顔をしている。

「あっ、あら、噂の天才コンビじゃない、お目にかかれて嬉しいわ~」

「先生、こちらがあの学年トップの方々ですの?」

 学園中の噂になっているさらとせりかは、もちろん先生とユスクの耳にもその噂が届いていた。先生は頬に手を置き、ユスクは小さく飛び跳ねてその二人の登場に驚く。

「君がカラクリの子かぁ、私がその噂のさらです! で、こっちがマジの天才少女せりか!!」

 さらはその言葉に鼻を高くすると、自分とせりかを誇らしげに紹介した。せりかにビシッ、と手を添えるさら。しかし、向けられたさらの手のひらを押しのけつつ、せりかは困ったように笑う。

 つっこはその光景を見て驚く。

「せりかさん、声どうしたの?」

「そーそー、せんせー! せりかが風邪引いちゃって声出ないんだって!」

 その光景の違和感につっこが突っ込むと、さらは思い出したようにぽんと手を叩いて、先生に相談した。せりかはただ情けなく眉を寄せて微笑んでいるだけだ。まあ喋れないのだから当たり前なのだけれど。

「もうすぐコンテスト近いから、あんまり身体に良くないけど、魔法でちょちょいっ! と! してくれないかなぁ~」

「あらあら、大変。 アイドルの美声が台無しじゃないの」

 さらの相談に、先生は慌ててせりかに駆け寄る。怪我はともかく、病気を魔法で治癒するのは、あまり身体によろしくない。術をかける相手が能力者であるならなおさら、魔力に干渉してしまうからだ。しかし、アイドルを目指す彼女の声が出ないとなれば話は別。コンテストが近いせりかにとっては副作用よりも致命傷なのだから仕方ない。

 先生はせりかの喉元に手の平を宛てがうと、治癒の魔法を発動した。ふわりと緩い光が、先生の手から発せられる。しかし、せりかの状態に変化は見られない。ちょっとせりかの目線が泳いだ。

「……あら? おかしいわね……」

 先生もどうやら手応えを感じなかったようで、小さく首を傾げる。

 ……その瞬間だった。廊下の向こうからドゴーン!! と威勢の良い爆発音が鳴り響いたのは。地響きと共に、ぱらぱらと天井のホコリが落ちてくる中、一番初めにを飛び出したのはさらだった。それに続いてつっこ、少し迷ったようにせりか。無我夢中でユスク、それを追って先生も部屋を出て行く。

 逃げ惑う生徒の声を聞き取り、最近予知能力のコントロールの訓練をしているさらは、その声から標準を絞り、廊下の向こう側に予知を使った。すぐさま理解した現状を告げる。

「シネンの保管庫からシネンが逃げ出したみたい、相当大型だよ気をつけて!」

 廊下を駆けながらさらはそう叫び、応戦の為に、歌による魔法を増長させるマイクを取り出した。が、つっこが治ったばかりの翼で、その目の前に飛び出してきて前方を塞ぐ。

「ストップ、さら! あんたもコンテスト近いんだろ! 魔力は温存しておけ!」

「でもっ……!」

 急に立ち止まり、結った髪を揺らす勢いで叫びながら、さらは抗議する。つっこはにやり、と微笑むと、胸元でぎゅっ、と拳を握りしめた。

「大丈夫、あたしだって今や魔法少女の成績トップ。それに魔法少女を守るために活動してる。そう簡単に負けたりしねーよ!」

 そう言うとつっこは手の中から魔法を放つためのステッキを取り出し、どすどすと廊下を振動させながら、廊下の天井や壁をはがしながら向かって来る――……まるで大きなトカゲ……――いや、もはや、恐竜とでも言うべきか……――? とにかく、とんでもない大型のシネンに焦点を合わせて構えた。杖の先に集まる光が、周囲に光を反射させながら一筋の軌道を描く。

「プロクス!」

 その光が炎の塊と化し、渦を巻き、つっこに反動を与えながら、トカゲシネンへと飛んで行く。……が、シネンはそれを身体の大きさを感じさせない程の機敏な動きでひらり、と避けると、先生に向かって一直線に走っていった。

「あっ、れー!?」

 スルーされた事による驚きの声に困惑の声を重ねたつっこは、裏返った声をあげながら自分をスルーしたシネンの背と、ソイツのまばらに動く多数の脚たちを眺める。その様子に、魔法を使い忘れたさらもぽかんとしてしまった。

「なっ、なっ、なんなのー!?」

 突如として追われ始めた先生は、お得意の召喚魔法で応戦する事も忘れ、シネンに追われるがままに子供の頃ぶりの全力で走り出した。階段を駆け上り、教室を抜け……と、思ったら、行き止まり。慌てて戻り……その後を追うユスクも、一人と一匹の逃走劇に翻弄され、「も、もーなんですのー!!」と小さな脚を必死に動かしながら悲鳴を上げる。

 更にその後ろから、羽根で飛び回るつっこと、その腕に掴まるさら、そしてつっこの魔法で持ち上げられたせりかの三人が追う。数珠つなぎのような追いかけっこが続いていた。

「やばいってつっこー! もっと早く飛べないのー!!」

「うるへー、お前が重いんだよぅ、さら!!」

「あーもう、見失ったじゃん! つっこのばかあー!!」

 せりかが喋れず、制止出来ないのをいい事に、続くつっことさらのコント。そんな事に気を取られているうちに、三人は先生とシネン、ユスクの行方を見失ってしまったのだった。

「ああっ、こっちじゃない……っ、はあっ、もう……迷ったじゃない、これなんなのよ……!」

 重くて、静かな音がするうす暗い教室。壮大な追いかけっこの末、先生が追い詰められたのは巨大迷宮と化した資料室だった。

 科も先生もばらばらで、各教科ごとに様々な魔法アイテムを数多く使うこの学園には、長年の使い古した教材や書類が高く積まれて、それはもう、分類出来ない程だ。蓄積されたモノ達はややこしい迷路のようになってしまっている。

 資料だって、教材だって、どうせもう使わないものばかりで、捨てるなり、データ化するなり……片付ける方法はいっぱいあるだろうに、なんでこんなに……と先生は思ったが、実質シネンが自分を見失ってくれた今、迷ってしまったとはいえ助かった……のか、助かってないのかよくわからない事になっていた。

 先生はイラだちついでに、足元に転がっていたカプセルのようなものを蹴り飛ばすと、小走りに隠れる場所を探す。

「せーんせー!」

「ユスク!!」

 と、その瞬間、書類の山の向こう側からユスクの声がした。その声に応え、先生が声を上げると、ユスクは人間では通れないような小さな隙間を潜り抜けて、先生の元へ駆けて来る。

「ご無事ですか先生ぇ……」

 ようやく先生に追いついた彼女は、人形であるにも関わらず泣きそうな声で言った。小さな腕を伸ばし、ふらふらと近づきながら、表情を緩ませるユスク。

「え、ええ……」

 大丈夫よ、と答え、駆け寄ってくるユスクを抱きとめようとした瞬間、ユスクが抜けてきたばかりの書類の山が、がらりと崩れた。その先にいるのは先程のシネン。大口を開けて部屋がビリビリと振動するほどの雄叫びを上げる。

「危ない、ユスク!」

 先生は反射的にユスクを両手で拾い上げると、シネンの大口に追いやられて壁ギリギリまで後ずさりをした。それでもまだ足を引くと、背にドッ、と冷たい壁の温度を感じる。もう逃げ道はない、壁のひんやりした冷たさよりも、冷たい気配が背筋を走る。

 ユスクを抱えていた腕は、しばらく震えていた、が。とある瞬間に先生の震えが止まり、先生はそっとユスクを下ろす。

「……先生?」

「ねぇ、ユスク。聞いてくれる?」

 ピンチに顔を歪ませたユスクは、突然降ってきた先生の声で顔を上げた。先生の表情は足元からはよく見えないが、声色がシチュエーションに似合わない程に、落ち着いて、いつも通りで、静かな声だった。

「……私ね、召喚魔法に失敗しちゃったの」

 先生はそう言いながら、目の前で立ち止まるシネンの事をじっと見上げていた。睨まれたと思っているらしいシネンは、どうやら様子見なのか今のところ攻撃してくる様子はない。こちらを、先生と同じようにじっと見ているだけだ。

「もう寿命がないの。あと一回でも魔法を使ったら、私は……――皆が、完璧でいい先生だって、言ってくれるけど、それが嬉しくて言い出せなかったんだけど、私はミスばかりしている、悪い先生なの……でも貴女に出会えたのは間違いじゃなかったから……だから、貴女をっ……置いていくのがっ……怖いの……」

 そう言うと先生はユスクを強く抱きしめ、膝を床について俯いた。抱きすくめられたユスクは先生の表情どころか、周囲の状況さえ確認できない。ただ、先生のその姿勢が、シネンに屈している事を表している事だけは理解できた。先生は、いっそ食べられてしまう覚悟をしたのだ……――

「だめですわ!!」

 死を選ぼうとする先生の身体を必死に押しのけ、ユスクは叫び声を上げる。その声に驚いた先生の表情には、いくつもの苦痛と悲しみの跡があった。

「……知っていましたわ、最近、先生、私を避けていたでしょう……。でも、それがなんですの!? 寿命、完全さ、ヒトとそれを模したモノ……私達の間に、完璧じゃないからとか!! 頼られて嬉しいとか!! そんな壁は必要ないはずでしょう!? 私は先生のパートナーですわ!! お別れだから、などと仰らないでくださいませ……?」

 ユスクはそう言って柔らかく微笑んでみせた。先生は驚いた顔から表情を崩し、泣き笑いの表情になった。そして声にならない声で『ユスク……』と呟く。ユスクはただ、優しい眼差しで、ユスクから逃げていた事を咎めず笑った。

 それは、先生が間違ってユスクを召喚した日から、今日まで過ごしてきた二人の……何にも代えられない信頼の証拠。

「いたいたいたー! おいシネンのやろう、こっちだぞーっ!!」

 そのムードをぶち壊すつっこの叫び声。つっこは空中で急ブレーキをかけ、魔法で連れていたせりかと、手を掴んでいたさらを地面に落とし、魔法の杖を構える。

 先生を威嚇していたシネンが一転、頭上を飛び回っては魔法を打ち込むつっこに、標的を変えた。さらとせりかも先生のもとに駆け出し、どうにか二人の元へ行こうと崩れた資料達をかき寄せ、足場を作る。

「つっこーーっ!! 加勢するよおお!」

 そこに、魔法の箒に乗ったとある女性が、元気な声と共に窓から飛び込んできた。つっこはその女性に向かってブンブンと腕を振って応える。

「おう! ふりあ、あんがとー!」

「……ふりあ!?」

 その声に、さらは攻撃に反応したシネンと共に上を見上げると、そこにいたのは、魔法を使い切ったせいで少女の姿をしていたのがバレ学園を去ったはずの……大人の姿をしたかつての友達、ふりあだった。魔力を失い、能力者ではなくなったはずの彼女が、何故か魔法で箒を飛ばし、魔女っ子ふりあちゃんとして華麗に参上してきたのだ。

「やっほー、さらーっ! 久しぶりー!」

「ま、魔法っ……魔力戻ったの!?」

 魔力を消失したはずだった彼女の姿に、あわあわじたばたと腕を振って戸惑いながらさらは叫ぶ。しかし、ふりあはこれまた昭和の魔女っ子のようにませたウインクを決めて、それ以上は語らなかった。

 つっことふりあはシネンの攻撃を交わしながら、さすがは魅了戦闘科といったところか……くるくると華麗に杖と魔法を交差させる。

「ディムリア!」

「ルートイア~!」

『フォレミリア!!』

 つっこが放つ水の魔法と、ふりあの放つ花の魔法が、互いに渦巻く衝撃になって、シネンのぐにぐにと波打つ腹に叩き込まれる。シネンは大口を開けて、グンウォオォォ! と唸り声を上げるが、やはり固い身体は頑丈で、致命傷とまではいかないようだった。

「きゃああっ!」

「ふりああっ!? ぐあああぁっ!」

 トカゲのシネンは尾をぶん、と振り回すと、空中を飛び回るふりあを器用に尾先で掴み、壁に叩きつける。ふりあが苦痛に顔を歪め、衝撃に崩れる壁の表面を引っかきながらもがいた。その状況にかつての蛇のシネンを思い出し、冷静でいられなくなったつっこもふりあの為飛び出すが、救出叶わず地面に叩きつけられる。

 間一髪、シネンとの近距離の緊張から開放された先生は、ユスクを抱きしめたまま、その惨状に腰を抜かす事しかできない。がくがくと笑う膝は言うことを聞かなかった。こんな時ばかり身体が動かない、それだけではなく、自分はあと一度でも召喚魔法を使ってしまえば死ぬ。どちらも勇気が出せないのが情けないぐらい恐ろしい、恐怖だった。先ほどまでユスクを置いていく悲しみを忘れるためになら、喰われてもいいと思っていたというのに……

「……ほら、ご覧くださいませ、先生」

 どうしても格好が付かない先生である事に、再度絶望した先生を見て、ユスクはもう一度緩く微笑んだ。自分の身体を抱きしめて震えたままの先生の腕に、小さな手のひらを重ねる。自分にはない、人間だからこその体温が、人形であるユスクのボディに染みていく。この人の暖かさに触れられる、それだけで、ユスクは自分の世界から切り取られて、周りの人と離れても、この世界に来た甲斐があった。そう強く思った。

 その思いと同時に、ユスクは決意をして強く、優しく微笑みながら目を閉じると、先生の腕の中からするり、と抜け出す。

「ゆ、すく……?」

 先生がユスクを止めようとゆっくりと手を伸ばしてくる。その手にもっと触れていたい、と思う心を、ユスクは殺して歩き出す。一歩づつ離れていく。先生に貰ったドール用ドレスが、ゆっくりとその手と自分の影を隔てる。影ですら、離れてしまうのが惜しい。

「……先生は沢山の生徒に想われていますのよ……人を思う心に、形はないのですわ」

「ユスク、何、を」

 ああ、愛しい先生。私は、貴女の唯一の生徒で、唯一の家族で、唯一の子供で、唯一の人形でしたわ。あの日から貴女の為にだけ、踊ることを許された貴女の操り人形。

 貴女の優しい指先を離れては、私だって踊れませんわ……―――

 先生、どうか、どうかこの先……他者の為になんか、魔法をお使いにならないでくださいませ。

 こんなに想われている貴女を失うのは、私だって恐ろしい事です。

 愛していましたわ

「お幸せに……」

 資料室から溢れる光が、すっかり暗くなってしまった校舎に影を作った。

***

 月明かりが妙に明るい夜だった。どこかから虚しく響く、フクロウの声が廊下に反響する。割れてしまった窓から吹いてくる夜風が心地いい、静かな静かな夜だった。

 迷路のようだった資料室から消えたのは、その部屋を迷路にしていた書類の山、不要品、先生を追い掛け回していた恐竜のようなシネンの姿……そして、あの明るいユスクの笑顔だった。

 ユスクが捨て身で放った魔力の爆発によって、ユスクの原動力であった体内魔力を……ユスクは全て、残らず使い切った。ついに、ただの人形と成り果てたユスクの身体を抱きしめ、先生はからっぽになった部屋の真ん中で泣き崩れていた。まるで乾いた大地に降る雨のように、静かで、冷たく吸い込まれるような、絶望がそこにはあった。

 その光景は、その場にいた誰もが目を伏せてしまう。虚しい世界に、誰もが目を反らす。先生はその静かな空間の中、ようやく小さな声で、空中に沁みるような音を呟いた。

「ごめんなさい、ユスク……、私に勇気がないせいでっ…貴女をこんな目に合わせてしまった…。私は……私は、もう……逃げない」

 その言葉と先生の強い決意、表情。さらとせりかは顔を上げて、安堵の視線を合わせる。

「さて、もうこんな時間だし皆、とりあえず戻ろうか………」

 つっことふりあも先生の言葉に少しだけ安堵したような表情を見せ、教室を出るために振り返ったさらに向かって微笑み、その言葉に頷く。さらが教室のドアに向かって一歩、歩き出した瞬間……――――さらの背後に、カッ! と、強い光を感じた。

「……っ!?」

 さらは言葉が出ないままに再度、強く振り返る。その強い光、ビリビリと背に感じる、強力な魔力の根源は……

「先生っ!! ……きゃあっ!」

 さらは慌てて先生を止めようと駆け出すが、あまりに強い魔力のエネルギーにさらの魔力が反発して近づけない。さらは小さく跳ね飛ばされた。床にぺたりと座り込んだまま睨む。光に阻まれた向こう側の先生と目が合った。

「せん、せいっ……だめ、っ…」

 先生は悲しげに笑うと、六度、小さく口を動かす。聞こえずとも読みとれる『ご、め、ん、な、さ、い。』さらはその表情に飛び起き、駆け出し、手を伸ばす。しかし、必死の腕も、指先を掠るだけ。届かない、届いて、届いて!! このままじゃ先生は!!!

 ようやく、どうにか、先生の腕を掴んだ! 早く先生を止めないと、先生は死んでしまう。

 先生の魔力が許容値を越え、寿命を喰っていくのを感じる。

 どうにか先生を引っ張りだそうと、強く先生の細指を握ったさらの腕から、突如、感触がふっ、と抜けた。

「う、うそ……でしょ、せんせい」

 そうして魔力の尽きた先生が、最後に放った……自身を『逆』召喚する魔法が、先生とユスクを跡形もなく消してしまった。そこにあるものは、もう何もない。

「きゃああっ!」

 予想外の結末に呆然とするさらを、放心する間もなくハッとさせたのは、そのすぐ後に耳に飛び込んできたふりあの声だった。

「ふっ、ふりあっ!!」

 隣にいたつっこが、倒れてきたふりあを抱きとめると、ふりあは片腕に爪を立てるように腕を押さえ、何かに耐えているようだった。額には脂汗が浮いていて、ものすごく苦しそうなうめき声。つっこもその光景に、同じ痛みを感じているかのような苦痛の表情を浮かべる。

「ふ、ふりあ!?」

「いたっ、痛いっ……、はっ、いっ……、熱い、痛いっ……!」

 どうやら腕に、焼かれるような激痛を感じているようだ。ふりあの押さえている腕は、先程まで魔法の杖を振るっていた腕。魔法の反動にしては強すぎる。ひび割れるかのようなピキピキとした音と、傷が現れる。

「な、何っ……、ふりあ、しっかりしてぇ!?」

 絶え間なく続く悲惨な光景に、さすがのさらも取り乱してしまう。さらの魔法が追いつかない程の展開だった。とっさの叫びは、声が裏返った。駆け寄り、つっこに抱きしめられたまま倒れこむふりあの元にしゃがみこもうとした時、部屋の入口に誰かがいる事に気がついた。

 一瞬先にそれに気づいたせりかが、静かに、強くその人に向き合う。せりかが、声の出ない代わりに放ったテレパシーに、さらは目を見開いた。

『お母様……』

「おかっ、おかあさまっ!?」

 せりかと同じウェーブのかかった銀髪を、ショートヘアにしたような、すらっとした、いかにも上品そうなマダムがそこにいた。並べば良家出身とひと目で分かる母親とせりか。その並びに、こんな状況でも『綺麗だな』と、さらは思ってしまう。

「せりか、迎えに来たわ。……もう、いいでしょう。声が出ないのなら、アイドルにならなくていい、貴女は魔法使いになんてならなくていいのよ、いえ、なっちゃだめだった……」

 その言葉に、さらは今日何度目かの衝撃と絶望で、心臓を叩かれた。せりか……せりかを、連れ戻しに来たんだ。声が出ない、歌えなくなったせりかを。この人はせりかが、アイドルマジカリストになる事をよく思っていないから……この事にかこつけて、家を飛び出したせりかを連れ戻しに来たんだ!

 さらの予知が、せりかとその母親の良くない関係を、知りたくも無いのに勝手に暴いて、さらの頭に警告を鳴らす。

『………』

 せりかは静かに一瞬目を閉じた。その表情は迷っているようでも有り、覚悟を決めたようでも有り、溢れてくる感情を押し殺し、耐えているようにも見えた。そして静かになった瞳をまっすぐ見据え、さらを見ないようにして静かに答える。

『はい、お母様……』

「まっ、まってよっ、せりかっ!」

 さらの嫌な予感が、まるで湧いてくるように心を叩く。どうしよう、すごく泣きたくなってくる。何かが変だ、気持ち悪いぐらいに、吐きそうなほどに嫌な予感がする。

 せりかはふっ、と柔く笑うと、腕に縋ったままのさらの頭を優しく、でもひと撫でだけ……珍しく、自分から触ってくれた。

「……いいの、さら。 いいのよ。私が、もう『歌えない』のは、ほんとだから」

「えっ……だっ、だって、え? 声、が……」

 そうしてせりかの喉から発せられる、いつもの声。優しいトーンの、かっこいい、静かな声。

「……ごめんなさい、嘘を吐いてた。……でも、だめなの。私に、歌う資格なんてなかったの」

「まっ、待ってよ! せりかっ……」

「……いいから放して!!」

 まるで用意されていたお芝居のように、せりかは笑ってさらの言葉を遮る。それでも諦めきれず、せりかに問い続けるさらを、せりかは遂に、強く振り払った。突き飛ばされ、床に叩きつけられるさらを一瞬だけ振り返るが、せりかはそのまますっ、と母親の前に向き合う。そのまま歩き出していく二人を、呆然とさらは見ていた。未だ痛がるふりあを抱きしめたままのつっこでさえも、いつもはよく動く口や脚が動かない。

「――納得行かない!」

 しかし、さらは湧き上がり続ける嫌な予感に押し出されるようにすぐに起き上がり、そう叫んだ。握りしめた拳が震えているが、お構いなし。その腕で床から身体を引き剥がす。困ったように驚いて振り返るせりかと、この場に不釣合いな程冷静な表情の母親。転んだ時に擦りむいた傷もそのままに、さらはすくっと立ち上がって叫んだ。

「納得いかないよ、せりか! せりかが、どうして、歌えなくなったぐらいで魔法全部を諦めちゃうのかも、嘘にすら気づけなかった私も、このタイミングでやってくるせりかのお母さんも全部、納得行かない! このまま『じゃあ、さようなら』なんて嫌だよ!! ねえ、どうなっているの?」

 身体全体を使ったようなその叫びと、その声よりも大きなさらの強い眼差し。そしてせりかの冷静な眼差しと沈黙の間には、静かな時間だけがあった。

「……少なくとも、せりかのお母さんはせりかを利用しようとしている」

 その静かな間に、さらの予知が新しい予感を連れてきた。強く、ぼそりといった言葉に突き飛ばされるように、せりかの母親がさらの首筋に飛びついてきた。

「さっ、さらっ!!?」

「黙れ! 私はこの子を外に出しちゃいけない、あいつは、呪われた子だったのよ、連れて帰って閉じ込めておいてやる……!!」

 せりかの叫び声と、母親の逆上、そしてさらが壁に叩きつけられるのは同時だった。

せりかの母親は一瞬にして、悪魔とモンスターのなりそこないのような、半獣の姿へと変化を遂げている。その姿に、せりかは半歩、あとずさった。

***

 ずっと昔のお話です。

 この世には、魔族と呼ばれる魔法使いが存在しました。

 その筆頭にいるのが、天使と呼ばれる存在、魔法を統べる種族でした。

 そしてその世界の反対に、もちろん悪魔も存在していました。

 その中でもひときわ……語り継がれるおとぎ話があります。

 不気味な翼を得た悪魔。

 罪のない人間に近づいて魔法で呪い殺し、海底から人間を狙うのです。

 『波の高い日は、悪魔に気をつけろ』

***

 ちょっと前のお話です。

 せりかの生まれた街は、『魔族の呪いの地』でした。

 その昔、街の王族に魔法をかけられ奴隷となった住人たち。

 人間たちはその魔法が解けた時、魔族の恐ろしさを知りました。

 幸いその頃には、その街に魔族も能力者の血統の住人もいなく、その街は人間の手だけで栄えました。

 しかしある年、人間から生まれた……はずの少女、せりかには魔力が備わっていました。

 革命が起き、やがて能力者がマジカリストと名称を変えた今でも、その街には能力者差別が残っていました。

 コントロールすら出来ていたものの、魔法を使えるせりかには噂が広まります。

 やがてせりか自身も思い込み始めます。

『私は人を呪う悪魔なの?』

 その葛藤を正当化する為に、魔法を人のために使うことを思いつきます。

 ある日さらを助けたせりかは、さらを自分の差別の目に巻き込んでしまいます。

 仕方なくさらの記憶を奪うせりか。彼女に笑って欲しい一心で、彼女に魔法をかけてしまった事を悔やみました。

『これでは呪っているのと同じだわ』

 違う。自分は人を傷つける魔法なんて使わない。

 違う。私はあのおとぎ話の悪魔じゃない。

***

 さらは首を絞めてくる母親の腕を回避する為、仕方なく魔法を使って飛び上がり、その腕をすり抜ける。こうなるとコンテストの魔力温存どころではない、今はこの場にいる全員の無事が先だ。

「なんなの、この力……!」

「さら、気をつけてっ……この人も魔女の力を使ってる…!」

 倒れていたふりあが激痛をこらえながら起き上がり、息絶え絶えながら、さらに向かってそう叫んだ。

「魔女…!?」

 この世界で言う魔女とは、魔法を能力を持たない人間に魔力を売りつける魔法使いの事だ。と、教科書上の内容はすぐに分かるさらだが、実際目の当たりにしたことがない。ぱっとイメージが掴めなかった。

「……魔女に能力を与えられた人間は、魔法を使えるようになるけど……魔法への耐性が無いから、身体が破滅する。だけど魔力が影響して、命だけは破滅しない……彼女はこのままだと永遠に化け物のままって事になる」

「つっこ、なんでそんな事知って……。」

 つっこがぼそり、と解説を呟く。その手が震えながら強くふりあの腕を握っていて、さらは自分の疑問にすぐ答えが出た。

「ふりあ……なんて事を…!」

「……仕方なかったんだもん! 魔女でもなんでもいいからっ……、私だってっ、私だって……、沢山の魔法少女を見てくうちに………」

 叶わなかった魔法少女の夢を、ふりあは自分を犠牲にして叶えてしまったのだ。さっき使っていた魔法はそれだったのだろう。そして今苦しんでいるのがその副作用なのだ。さらは再度、強い嫌な予感に苛まれる。

 と、同時に母親の攻撃がさらを襲い、さらは危機一髪で避けた。しかし、バランスを崩して壁にぶち当たったところを、再度摑まれる首筋。逃げようと藻掻くが、力はギリギリと更に強くなる。多分だが、魔物化が進んでいるようだった。鳴き声にも似た、まだ言葉と聞き取れる声が、怯えたまま動かないせりかに浴びせられる。

「っ……! か、かはっ……、うう……っ」

「せりか、この子にしたことを覚えているわよね? こんなところまで追いかけてきたんだものね? その子がこんな事になって、友達も、先生も、『あなたのせいで』危ない目に遭っているのよ」

 せりかは目を見開きながらがくり、と膝を折ると、その言葉に押しつぶされるようにうなだれた。ゆっくりと重力にそよぐ髪が、せりかの視界を隠す。

「やめて…やめて、私は、おとぎ話の悪魔なんかじゃない……っ、人を呪いなんかしない……っ……私は、さらを呪ってなんかない……」

「せ、り…か……」

 せりかの泣きそうな顔を初めて見た。さらはその光景に、首以上に心臓が締め付けられる思いだった。いつも人と距離を置いて、静かに微笑んでいたせりか。その、長いこと表に出なかった心の葛藤が、見えたようだ。自分が呪いをもたらす悪魔なのかと、ずっと心のどこかで思っていたのだろうか。

 と、同時に呪いの悪魔のおとぎ話なんて、久々に聞いたな、と思い出す。小学校の頃に皆一度は読んで、ちょっと人をおちょくる時に流行るぐらいのありふれたお話の一つだ。そのお話をまだ信じているぐらい、せりかの街は小さい、狭い世界なのだろう……あんな森の奥じゃ……あれ?

「な、んで、私っ……せりかの、出身地を知ってる……?」

 さらははっ、とした。

 それに今、せりかがさらにした事とは? 何故さらを母親が知っているのか? その違和感に気づいた途端、嫌な予感が止んだ。ここに、解決の糸口が、どこかにある。さらはそろそろ朦朧としてきた頭の中で、順序を整理する。

 さあ、どうする? とりあえず今は母親の暴走を止めることだ。

 さらはコンテスト用に控えていた、せりかと共に考えた…新しい衣装に変身すると、母親の腕を跳ね除けた。そしてこれまたコンテスト用にせりかが使う曲と対になるはずの歌で、彼女の動きを抑制する手段に出る。

「つっこ!」

「おうっ!!」

 それに合わせて、つっこが魅戦の魔法で絞られた動きを止めるように攻撃をする。ふりあも副作用に構わず、それに応戦を始めた。

「せりか!」

「い、いや……やめて、私っ……」

 さらは魔法を放ちながら、つっことふりあの応戦のその隙に、せりかに駆け寄る。せりかの肩を抱いてなんとか立ち上がらせようとするが、せりかはそれを拒んでさらの手を押しのけた。

「お母さんの魔法を打ち消すには、魔法で同調するしかないの、せりか、お願い、力を貸して」

 さらはせりかの肩を掴むと、小さく揺すりながらせりかの覆った顔を覗きこむようにしゃがみこんだ。まるで子供に言い聞かせるような姿勢だ。

「……ごめんなさい、さら……わたし、これ以上、魔法を使ったら……本当にっ…、誰かを呪ってしまうかもしれない」

 しかしせりかは、完全に恐怖に縛られ、震えながらうずくまってしまう。その震える身体を撫で、今度こそ子供に言い聞かせるように目線を合わせるさら。

「せりか、あのお話は作り話なんだよ、小学生レベルの話じゃない! ね、大丈夫だから――

「きゃああっ!」

「ぐああっ!!」

 突如のふりあとつっこの叫び声に、さらは一旦説得をやめる。二人が跳ね飛ばされていくのを見て、さらは冷静ではいられなかった。焦りと恐怖で脚は震えるし、予知の魔法は追いつかず、ただただ驚いているばかり。心の中ががらり、と崩れる何かを感じる。しかし、せりかが納得するような言葉も、せりかの母親を止められるような魔法も、何故か思いつかない。天才天才と言われていても、肝心なときに役に立たないのが歯がゆく、それは、さっきまでいい先生だと言われながらも、失敗で自分を追い詰めてしまった、先生の葛藤に似ていた。

 既にほぼ魔物と化した母親に追い詰められた、ふりあの魔法の副作用……腕が砕け散りそうなひび割れも強くなっていく。ふりあも、いずれ母親のように取り返しのつかない姿のまま、生きつづける日が来るとしたなら。せりがか、本当に呪いを生んでいるからこうなってしまっているのなら。

 ぷつんと音を立てて、さらの思考がオーバーヒートする。カタン、とさらの手からマイクが滑り落ちた。それは、せりかと一緒に考え、歌い演じ、過ごした。全てを手放した瞬間だった。

***

 どうして?

 さらの頭の中に、沢山の疑問が湧いては、理解できずに消えていく。

 母親を止める? せりかの呪いを止める? ふりあに魔法を使わせない?

 どうやったら止められる? おとぎ話のようにせりかを追い出す? どうやったらいいの?

 完全に、さらの歌声は止んでしまった。

 あれ、この感覚久々だな。

 そうだ、一度魔法が使えなくなった時があったな。

 あの時は、せりかが…、せりかが……、せりか、せりか。ごめんなさい、せりか。

 好き、大好き。一緒にいたい。何を捨てても、私はせりかといたいよ、呪われてもいいよ。

 あれ、おとぎ話。最近どこかで読んだ気がするな……―――

 さらはハッ、として顔を上げた。遅れてさらのまとめ髪が跳ね上がる。せりかとお揃いの髪型。すぐさまにマイクを拾い上げ、変身したままのヒールで高い音を鳴らして駆け出す。そして今にも握りつぶされそうなつっことふりあの前に立ちはだかった。マイクを構えると、さらはぽそりと言葉を発する。

「ごめん、せりか……あのおとぎ話は、作り話じゃない」

「さ、さら、何言ってんだおまえっ……」

 つっこがこの状況でもツッコミを入れてくる。さらはその状況に少し、困ったように笑った。そうして魔法で、ひとつの本を取り出した。高く放られ、さらの手に収まったそれは……――

「う、『うたごえ』……」

その本の表紙に、せりかは小さく呟く。うたごえ。さらが課題をする為に見つけ出して、気に入ってしまった誰かによる、誰かの為の話。

 さらはすうっ、と息を吸うと、マーメイドドレスのような、深いスリットの入った衣装に変身した。それはいつか、せりかが見せてくれた、昔のアイドル型マジカリストの誰か…データベースの映像に映っていた女性の一人が着ていた衣装に似ている。

「ま、まさか、さら…!」

 せりかの為なら歌える。この「うたごえ」を、せりかの為に届けられる。

―― 『悲しみに耐えられない』なんて裏切りに背を押されて ――

―― 人生の終わりと物語の始まりを紡いだ ――

―― 背負った罪は強さになり それを許さない神様が君を試す ――

―― 不安だけが渦巻いて 君はちぐはぐ 二人はこの星に閉じ込められた ――

―― 僕はその中で君と出会って 不安から生まれた君に希望を見つけたの ――

―― 君もそうだったら とても嬉しいなあ どうかな? ねえ? ――

―― 君はきっと沢山の人を傷つけて生きてきた ――

―― 足元の荒れた地を嘆いて 吹き付ける砂嵐に傷つけられながら ――

―― 『私が傷つくのは同然』なのだと 納得するためにもがいたのでしょう ――

―― 闇を背負うその重さで 『飛べないままでもいい』 と強がったのでしょう ――

―― 僕はその中で君と出会って 悲しみから生まれた歌に勇気を貰ったの ――

―― 君の歌声 とても綺麗だなあ 聞こえる? ねえ? ――

―― いつかまた出会えた時 僕の詩と君の歌は触れ合って きっと魔法が成立するのでしょう ――

―― 離れ離れでも永遠を誓えるほどの 素敵な魔法になるのでしょう――

「さら、やめろ!! それ以上……そのペースで歌ったら、お前!! ―――」

 さらの歌声は、いつもステージで見せるような、あの幻想を生むこと無く広がっていく。

その代わり、さらの周囲に光が生まれ始め、その光がさら自身に集まっていく光景がそこには広がっていた。

 その光の先はせりか、せりかの母親、ふりあ……それぞれの、問題点に繋がっている。その光がさらの身体に集まっていくにつれ、母親の魔物化とふりあの副作用が治まっていく……

 そしてせりかの震えが、つっこの負傷が、消えていく……

 「うたごえ」が、全てを犠牲にして、連れて行く。

 さらが、全てを吸い取る依代になる。

「――人間に戻れなくなるぞ……!」

 構わない。

 せりかが救えるなら。

 せりかに救って貰った恩と、この想いが返せるのなら。

「させない」

***

 ぱちり、目を覚ますと、さらは真っ暗な世界にいた。まるで宇宙のような、上も下もない世界。ぷかぷかとさらは浮いている。息はできる。さらは自分の手のひらを握ったり開いたりしながら、周囲を見渡した。

「……えっ?」

 先ほどの風景は跡形も無い。まさか自分が消したのか? とも思ったが、さすがにそこまでの魔力を使ったのだとすれば、自分は無事じゃないはずだ。ここはどこだろう、と密かに思った瞬間、すぐ後ろに気配を感じさらは振り返る。

 後ろにいたのは、白い半透明の、ふわふわと裾が浮いたドレスを着た、緩いウェーブの黒髪を持った女性だった。胸元には薄紫の、これまたふわふわ浮いたケープに、背には桃色の羽根が幾重にも重なっている。

 さらは、その姿に見覚えがある。

「貴女は……」

「ずいぶんと体を張ったな、まあ時間が動き出すまで時間あるから……って表現もおかしいか」

 そう言うと女性は手を下にゆっくりと払った。座れという事だろうか。

面も見えないのにどう座れば…? と思いながらもゆっくり腰を下ろす。さらがここらへんかな? と思ったところで、腰が安定した。

「何故、神様が……」

 何故か自然と隣に座る神様。彼女は確かこの世界を統べる、天界の神のはずだった。彼女が革命を起こし、能力者をマジカリストと改め、クローンを禁じた……確かそう習ったはずだ。

「ほう、よく分かったな。まぁまぁそれは置いておいて、雑談しようじゃないか。トークだよ、トーク」

「はっ、はぁ?」

 あっ、だめだ。この人……っていうかこの神、話通じない癖に、なんか話そうとしてる。さらは瞬時に察しながらも、困惑して押し黙った。神様は神様らしからぬ、ラフな感じでくすくすと笑う。ふわふわした服装と、その羽根がなければ、本当に等身大の、落ち着いているけど明るい女の子、そんな感じ。実際何歳なのかわからないけど……天使なら魂は軽く千いくってつっこが言ってたから、天使の上を行く神様なら、一万歳とかなのかな…?

「懐かしいね、能力者と話すなんて何年ぶりか。神様になる前だから何百年も前だ」

 まるでさらの考えを察したかのように、神様はふいにそう呟いた。その声は本当に懐かしんで、そして楽しんでいる。状況がよくわからないさらは素直に心から笑えないが、なんだか楽しそうな彼女に釣られて笑った。

「神様は……昔は、神様じゃなかったんですか?」

 意味深な神様のセリフに、さらは疑問をぶつける。神様はにこり、と笑うと、どこか遠い目をした。しかしその先にはやはり真っ暗な世界があるだけ。宇宙の端っこの、もっと端っこ……そんな果てを思い描くほど、真っ暗な世界。

「私は、一人の天使だったよ。そして、愚かな二人の悪魔だった。やがてはただの石ころだった」

「……?」

 懐かしむような言葉が、また発せられる。しかしその言葉は、さらには、いや、誰が聞いても意味がわからない。さらの顔が困惑色にがっちりと染まったのを見て、神様は小さく吹き出した。

「はは、ひとりごと。気にしないでくれ」

 話が続かない。いや、話せって言ったのはそっちじゃん……不公平だ。さらは呆れながらも、次の話題を絞り出す。

「神様は、えっと……何をしてるんですか」

 この質問は、校長先生は普段何をしているんですか、みたいな質問に似ている。答えにくいし分かりづらい質問だろうと思ったが、他に思い浮かばなかった。

「一人、世界の片隅から皆の願いを聞いているよ」

 神はそう言って、何もない空を仰ぎ見た。やはり返ってくるのは意味深な答え。もしかしてただのイチ能力者には答える義務もねえぜ! っていう嫌がらせかなんか? 段々神様を疑いつつ、さらは質問を続ける。

「ひとり? ずっと?」

「そう。 神は、神になる前に知り合った人達とは一緒にいられないから、その時が来るまで隔離される。 もう私を知るものは居ない、だから、私はいつでもひとりぼっち」

 そうして、笑ってばかりだった神様は少しだけ悲しそうな顔をした。一人の天使で、二人の悪魔だった……ということは、生まれ変わるとかそうゆう、幾つもの人生を歩んできたのだろう。多分。そもそも天使は人間の魂から生まれたりするとかなんとか習った気もするし……石ころはよくわかんないけど、石に生まれ変わった事もあるんじゃないだろうか。さらの適当な憶測だが。 

 ……その中で出会った人達と、離れ離れになるとは――

「それは……寂しくは、ないですか……私なら、皆の祈りを聞いているだけなんて嫌だ、誰かのために……『うたごえ』やお伽話のように……ッ、」

 「悲しい物語を無視は出来無い」そう告げようとしたが、神様は人差し指で、さらの唇を軽く塞いだ。そうして神様はすっ、と立ち上がる。

「           」

 神様が、何かを言った。呪文とかじゃない、なにか、言葉だった。

「わっ……?」

 途端、さらの身体がぐらりと傾き、逆さまになる。なんだ、と発する前に、神様はさらの胸元にこつん、と爪で小突いた。

「友達想いのマジカリスト、さら! 貴女にチャンスをあげる。 その心、大切にね」

 神様がウインクをすると、それを合図にさらはそのまま真っ逆さまに落ちていく。それはまるで流れ星のようだった。さらが吸い込まれていく先は見えないが、やがて視界を通り過ぎて行く光が星のように瞬いていた。その光が、神様が眺めていた、沢山の人々の願いだとようやく気付く頃には、さらは遥か彼方。

『もう誰も泣かせはしない』

 さらを見送った神様は、優しく笑う。

「「私たちが、誰かを呪い、そして泣かせてしまった分まで……頑張って、さら」」

***

「――― で、あるからして、時代が豊かでなくなると、アイドルソングは応援、励ましをテーマにしたポジティブなものが増えます……で……ですから……――」

「さら、さら……起きて」

「ふあっ、ふぁい……」

 朝一番の授業、相変わらず教授の唱える睡眠の呪文にやられたさらは、せりかに肩を揺すられてようやく目を覚ました。……と、同時に教授の指示棒が空を飛んで、さらの目前を指す。作詞の教授は、今学期来たばかりの超絶美人で、長い髪を一本の三つ編みにした、ゆったりとした雰囲気とは逆に、はきはきとした性格の先生だ。

「はいっ、さらさん、授業に出ている以上はきちんと聞きましょうねー」

「は、はひ……」

 彼女の授業は授業態度優先。結局、生徒としての権利を剥奪されてしまったおじゃま虫なさらに対しても、きちんと指導してくれる、先生としてとても素敵だと思う。

「眠いなら無理して授業に出なくてもいいのよ、さら」

「ううん、授業は聞いときたいし、魔法が使えなくなった訳じゃないから」

 せりかは指に嵌る琥珀のリングを見せながら、さらに耳打ちをした。しかしさらは首を振り、真面目に手元の端末にメモを取る。その真剣な顔立ちを、せりかも、先生も、生徒達も見送って、授業は無事終了した。

「あー、だめだ、眠い」

「やっぱり」

「いつもの事じゃん」

 しかし、授業が終わるとまたダレるさら。ぷかぷかとせりかの後ろを漂い、まるでつっこに虫でも払うかのようにしっ、しっと追いやられていた。仕方なく地面に降り立ち、せりかの背にだらり、と身体を預ける。その姿にせりかは微笑んだ。ちなみに、重くはない。

「やっぱり休む? さら」

「うー、次私ら授業なにー?」

 再度琥珀の指輪を差し出すせりかに、さらはせりかの頭の上にあごを乗せながら、時間割を問う。

「発声練習」

 せりかは手元にあったモバイル端末から時間割を呼び出し、立体表示でさらに見せつけた。その文字を覗きこんで、つっこもダルそうに声を上げる。

「えー、いいなぁー……魅戦は呪文解読だからもうめんどくさくてしゃーねえ」

「よっし、目醒めたぁ!」

「はっや!」

 実践授業と聞けば、練習であろうとやる気の出るさら。切り替えの早さに、つっこが今日もつっこむ。ほんとうに、心から歌うことが好きだというのが、せりかには痛いほどわかった。

「よし、いこう、じゃーねーつっこー!!」

「くっそー、あたしも歌唱科入るんだったー!」

「だーめ、つっこ音痴じゃーん!!」

「ちょ、おまっ、さら!! そんなこといつの間に!!」

 去り際に突っ込に向かってあっかんべーを決めるさら。未だ予知は健在だ。せりかの手を取って再度文字通り飛び上がるさらの背には、小さな羽根がある。

 あの後、さらの放った「うたごえ」の魔法が止んだ後。せりかが一番最初に目にしたのは、自身の手に納まる琥珀の指輪だった。琥珀は、マジカリストにとって召喚獣の依代。魔法少女の相棒、マスコットや、召喚科の召喚獣や魔物などを閉じ込めるアイテムの一つだ。

 もちろん猛勉強の末、召喚魔法の心得もあったせりかは、静かにその琥珀に魔力を込める。そうすると、中から出てきたのは、天使と化したさらだった。

 正しくは、天使の能力を持ち、召喚獣ならぬ召喚天使と化したさらだ。眠る時は琥珀に入り、日中はせりかの所持物として隣にいる。もちろんマジカリスト、というかヒトですらではなくなってしまったので、学園の籍はなくなってしまった。

が、ふりあと同じように特例としての籍はあり、授業は受けさせて貰っている。

 魔法も使えなくなった訳ではないどころか、能力は天使と同等になった。特定の能力から幅を広げていかなければならない能力者とは違い、魔法に自由度が生まれたのだ。

 ただ、それはせりかは指輪をしていて、せりかと通い合っている時だけ。せりかを守るためだけにある。それを望んで、さらはあの時「うたごえ」を歌ったからだ。

「『うたごえ』の登場人物が『愛した人』っていうのが、あのおとぎ話の悪魔だったなら、って思って……、どんなに悪い人にも、側にいてくれる人がいて、もしかしたら望まずに孤独になったかもしれないあの悪魔が、うたごえのように寄り添うヒトがいてくれて、孤独にならずにいられたら、素敵だなって……すごく思ったの。そうしたらそれが……せりかの小さい頃と重なった。独りのせりかに、私は寄り添いたくて、せりかの隣に居たいと思った。この学園に来る前にせりかに出会って、助けられて、愛してもらっていた事を思い出して……そうしたら勝手にもう、あの歌詞が出来てた」

「……ごめんなさい、黙っていて……私に普通に接してくれたのは、貴女が始めてだったから、貴女が、さらが大切だった……だから、距離を置けば、って思ったけれど、それは違ったわ、あの時を思い出して、さらの願いを奪ったんだって思ったら、余計に苦しくなっただけだったもの……結局、さらは人間という存在を奪われてしまったけれど……」

「いーよ、そんなの。能力者だって別に完全な人間じゃないんだしさ!」

 さらはぶんぶんと腕を振った。せりかの母親は魔女から貰った能力でせりかを呪い、さらにした事を思い出させたり、せりかを精神的に追い詰めさせ、せりかを連れ帰って、せりかを閉じ込めるなり、殺すなりする予定だったらしい……せりかの存在のせいで、自分まで化け物扱いされていた事に疲れていたのだと言う。

「……で、お母さんとは……」

「……あの人は最初から母親なんかじゃなかったのよ、私はそう思うことにした。私だけが魔法を使えるのも、きっとそうだから。そして私がアイドル型マジカリストを目指すのは、あの人や村を見返すためじゃなくて、あの村……似たような環境が沢山あるんでしょうね……そうゆうところから差別を無くす為よ」

 そう決意するせりかの目に迷いは見えない。さらとせりかは拳をこつんを合わせると、今日もステージに立つ。

 結局あの戦いで魔力を使わなかったせりかは、コンテストに出て見事一位を勝ち取った。これからオーディションを勝ち抜いて、目指すは在学中のアイドルデビュー。

 天才の二人には、造作のない未来がそこにはあった。