ファンタジックリズム

空のずっとずっとずっと上。世界が変わって、その仕組みが変わっても見下ろす景色に変わりはない。

名も無き女神はそうして伸びをした。勢いで上空を見上げても、そこにあるものはない。凝る肉体も実体も無いのだけれど、それでも気分的になんとなく上を向いてみる。

ずっと下を向いているのは疲れるものだ。

「神様、写真撮影に参りました」

そこに来た来客の声に神はおもむろに振り返る。先程までの対して意味の無い姿勢を誰かに見られていた、という事実は敢えて気にしていないフリをして、一瞬頭を傾げる。

「……写真? 写真撮影か……よしきた! どんどん撮れよ、ピースピース!」

正直どんな案件で写真を撮られるはずだったのか思い出せずにいたが、神は構わずVサインを両手で差し出す。何にせよ既に顔は知られた身、別に撮影されて困ることも思いつかなかった。

「あっ、面白い方が受けがいいのか? 変顔をするか? うぇ~~~い」

「……神様、大変恐縮ですが……貴女にはプライドが無いのでしょうか」

神のふざけた対応に、撮影端末を握ったままの少年らしき人物。中級の天使は呆れて物を言った。彼はふざけた神の行動に、はっきりと咎める言葉を吐き出せる。唯一の側近だった。

「私はいつでも大真面目だが?」

しかし、神は反省する気もなく、真面目に鋭い視線を送る。が、その手はまだダブルピースをやめていない。目の前の天使ははあ、と深くため息をついた。

「……そこまで言うなら、仕方ない……まじめにやろう」

「神様!」

「……で、まじめに聞くが、なんの撮影だっけ?」

真顔で神が問う。天使はさらにがっくりと肩を落として、呆れ気味に一言。「教科書用の写真撮影ですよ」とだけ言った。

「ああ、スターダー地区の学園のだな」

ようやくその撮影のスケジュールを思い出した神様は、用意された席にきちんとつくと、先程のふざけた顔とは一変した雰囲気に表情を変え、鋭い眼光で撮影端末を睨む。

「何秒だ?」

「教科書ですので一秒です」

「羽根を見せる」

そう言うと天使は軽く頷き、手元の端末を操作した。神は桃色で、幾重にも重なった羽をふわりと広げ、すぐに畳む。

……ピロン、と撮影を終えた軽い音が響いた。

「撮れたか?」

「はい、こんなもんでしょう」

天使はすぐに撮影後の画面を立ち上げる。一秒内で羽を広げる神の姿が、何度も繰り返されて表示されていた。

今日のこの界隈での印刷物は、画像を5秒までの動画として保存できるようになっていた。教科書となると冊子型になるので、一秒程度が限界だが『神の羽根が幾重にも重なっていて、それは桃色である』という情報を得るには十分な短さだ。

「……ふむ」

「では、こちらで掲載を了承してもらえますか?」

神は深く頷くと、天使の肩を軽く叩いた。

「……やはりダブルピースの方がいい」

「ダメです」

***

「それにしてもスターダー地区が学園設立とはな、まあ許可をしたのは私だが……魔法学には昔から長けていた分偏見の強い場所だった。それにスターダー地区は元々戦争が多く閉鎖的でひどく汚れた場所だ。通常のマジカリストならいいが、少し魔力が高い能力者には瘴気が濃すぎる。シネンの魔力に影響されるのではないか?」

出来上がった教科書を確認しながら神は天使に聞く。天使は少し驚いた様子で肩をすくめた。

「神様はスターダー地区に行かれたことがあるのですか?」

「いいや、古い知人に出身者がいた。調べに聞いただけだが、酷いものと思ったよ、ここ近年は急発達していることもあって許可したが……『何かがある予感』はしている」

ぺらり、ぺらり、教科書をめくる手は速い。速読も出来るが、神にしか使えない予測の能力が、その読解スピードを補助していた。その魔法は、たとえ天使にすらありえない領域の魔法。天使はそんな事が起きているとは疑わず、神の速読に少し驚いている。

「その点は教師と我々天使でシネンを管理する決まりになっております。学園へはテストに受かった者以外は足を踏み入れる事すら出来ないように警戒態勢を敷きますから」

「魔力をごまかしている者や、周波数が違って魔力を検知できない能力者もいるだろう?」

「魔力周波数は毎月サンプリングをして、かなり広域に拾えるように開発を進めていますが……魔力を誤魔化す相手は……」

天使が言い淀むと、神はいたずらにニヤリと笑った。

「無対策か?」

「……無対策、ではありません。少しでも怪しい人物の正体は調査しますから、住民票などに何の能力者か筆記があれば……」

「その住民票を偽装したら意味が無いな。年齢制限もあるんだろう? 年齢偽装ぐらいなら普通の能力者でも出来る。それに能力者を記載された住民票を持つ市民など、まだ一部だ」

「……。」

完全に言いよどんだ天使に、神様は再度ニヤリと微笑む。

「……まあいいさ、相手にもそうしなければいけない理由がある可能性もある。あまりルールに縛られて頭を固くするな。お前らの悪い癖だ。私は年齢偽装ぐらい構わない。それで美人局にでも遭ったやつがいるなら問題だが……悪いことをするヤツなんてのは、対策の有無に関わらずやろうと思えばやる。ルールを敷くのとルールで縛るのは違うからな。……それより、学園敷地は十分な広さを取っているのだろうな?」

「ああ、はい、それは大丈夫です。」

天使は頷いた。

「生徒はシネンを狩ったり戦場に出る可能性もある。一人の能力者暴走ぐらいで傷物になるようなヘマだけはさせないようにしてくれればいい。こちらの成すべき課題は、護身術と基礎練習をしっかり教えるだけだ」

「ハッ!」

そう頭を下げた天使に神は教科書のサンプルを放り投げる。そうして手元にあった書類に大きな判子をドン、と振り下ろした。

「教科書、各項目オールクリアだ。これで刷ってくれて構わない」

「了解です」

「保健教諭は色気のある先生を頼む」

「お断りです」

***

その後も世界の端から端まで、あれよあれよと舞い込んでくる雑務をこなしているうちに、いつの間にか学園の入学式は迫っていた。

教師の選別は天使たちが率先して取り組んでくれたお陰で、優秀な教師も揃ったようだ。神の不安と言えば、保健教諭のセクシーさは足りなかった事だけだ。

「お、おおう…神よ……お慈悲を……」

「神は貴女ですよ。まさか色気を司る神でもありませんでしょう」

その不安を解消するべく、神は天使にしがみつき、教諭のチェンジを申し立てたが却下されていた。こいつが入学式に呼ばれなくて本当に良かった、と天使は思う。

「ああ、でも教諭なら学期で入れ替えられ……」

「無いですね。義務教育校ではないですし、マジカリストに特化した教諭でなければ対応出来ませんから、少なくとも数年は体制を変えないほうが安全と言えるでしょう」

「くっ…この際担任でもいいんだ、ほら家庭訪問」

「寮生が大半です」

「寮~~~~!! 寮母はオバハン!?」

「オバハンです。……いえ、言い方がよくないですね。少なからず数千年は生きてる中年台の妖精の方という情報だけはお伝えしておきますが」

神はその桃色の重なる羽根で地面を叩きつけながら転げ回った。ショックに裏切られた姿を、天使は冷たい眼差しで見下している。

「悪魔、鬼、人でなし!」

「天使です、側近ですし、人じゃないです」

「……呪うぞ?」

「貴女の作った法律により他人を呪った者は即逮捕ですが、それでもよろしければ私は構いませんが?」

「ぐぁぁあ……」

神はついに頭を抱えてしゃがみ混む。どれだけ学園ロマンスに夢見てるんだか……そもそも生徒はお前じゃない……という長ったらしいツッコミを、ため息ひとつで済ます天使。

「で、用件はなんだ?」

「忘れておられなくて大変助かります」

ようやく天使が神の元に来た本題を話す。遠回りしすぎて忘れられているのではないかと若干不安になったが、さすがは神。幼稚園児よりは頭が回るらしい。

天使は学園の生徒のファイリングから一人の女子生徒の書類を取り出す。立体視で映し出された生徒の写真はくるくると全身を映し出して回っていた。ポニーテールにリボンを結んでいる、ちょっと小柄な女の子だ。

「彼女は……魔法少女希望の子だな?」

「はい、『魅戦』の入試を一位突破した生徒です……が、歌唱科に入学し直したいと希望しておりまして」

「……こちらは構わないが……学園の試験はもう終了しているはずだろう。学園側はなんと言っている?」

「試験内容を卒業レベルまで上げた上で、学年トップ3位内の成績を納めた場合は入学、それ以下ならばどの科にも入学出来ない、という条件でテストしたのですが……」

天使はホログラム端末を広げ、空中に成績表示の画面を表示した。

透けるその文字に神は顔を近づける。拳と親指で尖らせた唇を摘んで、うーん、と唸った。

「……これ、入学する意味があるのか? 学ぶものなんてもう無いように見えるが」

「……正直、無いでしょう。それどころか他の生徒に変な影響を及ぼすのではないか、とまで教師は言いました。彼女は義務教育校では殆ど教室で寝ていた、とも情報があります。カンニングと見て取ってもいいのではないでしょうか」

神は写真を凝視する。入学前の身体検査では多目的能力者……魔法を数使えるマジカリストだった。その彼女が寝ていただけとは……考えられない。いや……もしかすれば、彼女は……。

「……入学させてやれ」

「は?」

神ははっきりそう言い放ったが、天使は己の耳を疑った。

「試験やり直ししてまでコースを変えて、一人で試験したその場でカンニング出来るなら逆に対した才能じゃないか? 敵の目を欺くことが出来るということだ。魔法の手慣れた教師相手にだぞ? それが魔法でした事なら尚更、試験中ずっと魔法を使ってた事になる……その魔力は活かすべきだ」

「ですが、仮にそうだとして……その魔力の膨大さでは逆に危険では?」

神は天使にそっぽを向き、自分の席に座る。振る舞いや羽根の分、いつも大きく見える神の姿は、少し離れれば写真の少女と何も変わらない。むしろもっと小柄な少女にしか見えなかった。

これは魔法を使う者の宿命。魔法を使い、戦うために肉体を制御する時間、肉体の時間が止まる……いわば魔法の副作用。

「……魔力を使わせてやってくれ。大きな力を溜めて、貯めて……怖いのはその最後さ」

神の静かなつぶやきが響き渡る。天使は頭を下げた。

「……了解しました」

***

天使が去ると、神は学園を見下ろした。彼女の行く先を予知で探り、一人の女の子の元へ駆け出す姿を見つける。その先にいるのは銀髪の大人びた雰囲気の女の子。手元の書類と見比べると、同じアイドルを志望する学生のようだった。

神は彼女と、その女の子を見比べる。魔力や学力を見透かそうと目を凝らした。……しかし、彼女の姿が見通せないのだ。

「……ふむ、濃い魔力の壁……か?」

彼女を取り巻く何かが、濃く彼女の周りを覆っている。隣を歩く女の子からは、微量にしか検知できないそれ。

普通の能力者であれば、魔法を使う時だけ濃く確認出来る魔力の塊……だとは思うが…。

「常に魔法を使っている、にしても……強すぎるな。仮に常に魔法を使っているとすれば、授業中どころか人生の全ての時間、起きていられる消費率じゃない……眠り姫になってしまう……いや、それも魔法で補えている、ということか…?」

神の力を持ってしても、強すぎる魔力に原因が解明できないのだ。怪しすぎるその姿に、神は身震いした。

「……もしかしたら、とんでもない事が起きるのかもしれんな」

***

それから神は、仕事柄沢山の世界を覗く合間に彼女の事を監視していた。彼女の名は「さら」といい、一般家庭に誕生し、今は少数派となった「しきたり」の旅をこなしているものの、それ以外は特に経験という経験も無い普通の女の子であった。

「歌が好き」というシンプルな理由でアイドルを目指し学園に来たものの、受けたのは魔法少女のコースだった……という疑問点を除けば怪しい事は一つもない。それが逆に怪しい。

成績こそ優秀なものの、授業態度はどちらかと言うと怠慢な方で大体居眠りをしている。怒られる姿の方が多いのだが、起こられて先生に当てられると何故か習っていない範囲まですらすらと答えた。

懇願してコースを変えただけあってアイドルの為の勉強となるとそれなりに努力もするものの、集中力も年相応で特に秀でた何かがあるわけではない。

ただ、誰もが彼女の異質を感じていたのであろう。

神は受け取った報告書を睨んだ。

「で? お前らは何が言いたい?」

「……」

原稿から離れた鋭い眼光で睨まれて、天使は萎縮してしまう。

「で、ですから…もう少し検討を……」

「退学か?」

「……そう、です」

「言ったろう、問題も起こしてない生徒に何も聞かず何をする気だ?」

天使は一度口を開くが、再度閉じた。神はあからさまに不満そうな顔で睨みつけ、言葉を促す。

「該当生徒は同室で同級生のせりか、という少女に好意を持っているとされています」

「それが何だ?」

「何か……『間違い』が起きるのでは、と……」

「本気で言っているのか?」

神は天使の目の前スレスレに立ちはだかる。天使はその圧に完全に口を閉ざしてしまった。

学園側も、そして天使も……古株の存在である一部にはまだ、健全な青年期に間違いを起こさせたくない、という考えは浸透していた。正体不明の力を持った思春期の子供同士。しかも想いを寄せている同性との同室。それ自体が不健全であると意見を持つ教員たちも居たのだろう。

しかし、神はその意見が気に食わなかった。

「想いが起こす奇跡というものも存在する。彼女の魔力がそういう類の可能性だってあるだろう。……嫌悪するなとまでは言わん。ほっとけ。ヒトの文化や想い…言葉、愛情……それは時に、我々神をも、凌駕する大きな力になる可能性もある。私はその可能性を潰す者は誰であろうと許さんぞ。それを止める権利は、誰にだって無い。古臭い事を言うな」

神はそう言うと、にこりと笑った。が、目線は未だ睨んだままだ。天使はそんな神のドヤ顔を恐る恐る覗き込みながらつぶやく。

「……で、では、ヒトの文化に則って書類整理をしていただけますか?」

神の背の後ろを指差す。そこには山積みになったままの書類が残されていた。

「……善処するとしよう」

***

「気づいてるだろう?」

神は天使に向かって神妙な顔で呟いた。天使もシリアスな表情で頷く。重々しく開いた口から出た回答は、それだった。

「……実は魔法を使うのに呪文詠唱が要らない事をですか?」

「……そうだ」

学園の教科書に掲載された幾つかの魔法には、技名を叫ぶように表記されている。教科書をチェックしたのは神だし、それに許可を出したのも神だ。もっと言えば呪文を掲載したのも神だし、何より、今その事実を問いだしたのも神だった。

天使はその疑問を一言で言うなら、「お前が言うな」と表現したかったが、それを飲み込んで場の空気に乗ってみた。

「なぜ、このような事を?」

「……魔法少女っぽいだろう?」

「神よ……聞いた私が愚かでした」

天使はがっくりを肩を落とし神は肩をすくめる。そして新たな書類を手に取って天使に渡した。

「書類、確認した。こちらが確認していた案件と相違ない」

「ありがとうございます」

天使は書類を受け取りつつ頭を下げる。その書類に記載されているのは、やはりあの生徒だった。

「……神様、今確認していた、と仰りましたね」

「そうだが」

天使は書類を軽く握りしめる。神には彼が珍しく感情を露わにしているように見えた。

「例の生徒が予知能力と尽きない魔力を持っていた、という点について、でしょうか」

「うむ……何が言いたいんだ? ……いや、当ててやるか」

神は手にしていたペンを天使に向け、ふらりふらりと指先を揺らす。まるでペンを魔法の杖かなにかのように翳した。

「……予知能力など存在しない、と昔から言われおりました。ですから、――

「『――神があの能力者と何か関連性、例えば、神の魔力を宿らせた……などという可能性は存在しないのですか――』」

「――とかか?」

「っ!?」

神と天使の声がハモる。神は得意げな表情で、驚く天使の姿にペン先を突きつけていた。

「予知能力は存在しないわけではない。魔力が強力な能力者なら使うことは可能なのだ」

「……という事は……」

「私も使えるが? まあ、私が知れるのは数時間前後の未来のみ、だ。過去の出来事は、対象が過去を語る可能性がある時ぐらいしか知ることが出来ないがな」

神はそう言うと席を立ち、まるで絵本の仙人のように中腰で外界を覗いた。

「……ただし、コントロールはとても難しい。本来無意識で常に使うなど、出来たものじゃないはずだ……お前らが言うように、彼女の魔力は危険かもしれないな……ただ、私は『まだ』あの子に手を加える気は無いよ……『私は』ね」

神の回答に、天使は更に不機嫌そうな表情をして、声を上げた。普段はぴくりとも動かない、白くて透明な翼が揺れる。

「……神のご回答はいつも、いつもいつもいつも、核心をお上手に避けておられます」

「……何が知りたいんだ?」

「当ててくださいよ」

神は悲しそうに微笑んだ。

「……予知能力は、時に知りたくないことを知ってしまう。死期や、裏切りや、友が傷つくところはもう見たくない……この先の話を知るのは、私だけでいい」

「……もういいです。貴女は見かけより弱虫ですね。わかりました、忘れましょう……」

天使は納得行かない、といった風ではあったが、神の言い訳を受け入れた。

神はありがとう、と微笑み、その天使の優しい心配を受け流す。

「ところで神よ」

「何だ、天使よ」

「……どさくさに紛れて教師異動を命令しましたね!?」

「げっ……!! ……わ、忘れてくれ?」

「忘れま、せ、ん! 折角苦労して配置した教師を貴女って人は……!!」

***

神は書類に重たい印を押すと、書面に印刷された少女……いや、女性の顔を眺めた。

今日は側近も居ない静かな部屋だ。

なのに、この妙な胸騒ぎは事件に遭遇したからじゃないと思いたい。無論、「年齢詐称していた生徒」が実際に存在してしまったからでもない。ましてや、彼女が魔女契約能力者であった事でもなかった。

「……彼女も、理由があって来たんだろうな」

書面に浮かぶ、『少女』の覚悟したような表情を眺める。

あえて予知をする事はしなかった。知ってはいけない事だと分かっていたからだ。遠い昔に遭った、風を操るアイドルの事を思い出す。

「力不足だった……」

最初に言ったように、神は年齢詐称など構うものではなかった。ただ、世間が許さない項目というものは、神の力を持っても変えられないときもある。其処までして憧れたものを諦めさせてしまう世の中にしてしまったのは、間違いなく今この世界を統べている神、つまり己そのものの力不足のせいで……。

「……すまない……」

他人比べて妙に無い胸が、こんなにも痛む。

***

下を向いているのは疲れるものだ。神の目を持ってしても、取りこぼしてしまうものだってある。

それでも神はいつだって世界の端から端まで見渡す。それが仕事だ。

「ルーラル、イヴァ、ヤン…♪ ヨーク、シズノーム、イヴァ……♪」

口ずさむ歌の間に、沢山の願いの言葉が聞こえる。

あの子に振り向いて欲しい。お腹が空いた。成績がヤバイ。遅刻しそう。得意先でヘマをした。熱が下がらないな……。

耳を澄ます。あの学園の上に、中に、意識を置くように集中させていく。

たすけて。たすけて。もうすぐ死んでしまうかもしれない。

ひとりぼっちになるかもしれない。ひとりぼっちにさせてしまうかもしれない。

殺してしまうかもしれない。

身体が壊れてしまうかもしれない。

愛する人を失ってしまうかもしれない。

見透かす。この先どうなってしまうのかを。

未来の自分はその先を答えた。

『ほろんでしまうさ。生徒も先生も一人残らず、負の感情を持つトカゲの化物に』

「神様、歌など歌っておられてご機嫌なところ大変申し訳ありませんが」

「何? 心外だな。私は至って真面目だぞ」

「その回答こそ意外ですね、てっきり『ついに私の出番だな』などと仰るのかと思っておりましたが」

天使の声で神は目を開ける。いつもの部屋にいつもの表情で天使は神を睨んでいた。

「細かいことなどいいではないか、少年よ」

「……長らく勘違いされているようですので、この際申し上げておきますが、と私は少年ではございません」

神はその言葉に目を丸くして、少年……もとい少女の身体の周りを回って、最終的に短く結ばれた髪をつまんだ。その手を肩から胸元に撫で回していくと手つきがやらしい、と手を跳ね除けられる。

「…………え? マジ? っていうかなんで今言うんだ? まるで死亡フラグみたいじゃないか」

天使は首を横に振った。

「気になるようであればご自身の行く末を透視でも予知でも何でもしてみてはいかがでしょうか?」

「くそっ」

セクハラで訴えられかねない未来しか見えなくなり、神はつまらなそうに口を尖らせて天使から離れた。

「……で、報告は?」

「神がご覧の通りと思われます」

「……おい、最近怠慢じゃないか?」

「資源節約でございます 書類作るより速いでしょう」

神はもう一度、あの学園に意識を集中させる。

教員と女の子がシネンに追い詰められ、退学したあの年齢偽装少女は魔女の契約の副作用にも藻掻き、その子の側でもうひとりの女の子も苦しんでいて、例の予知能力の生徒が好きだと言っていた生徒も己の過去に苦しんでいた。

そう、予感していたものと、何一つ狂いはない。

たったひとつを除いては。

『――私が、全部連れていく。全部、全部、なかったことに――!!!』

強い願いが、神の耳元に響く。

「っ、ぅ!」

「神様?」

彼女の願い。神をも凌駕する願いは、神の身体を貫くように走っていった。

願いを聞く神も、これにはさすがに堪えるようだ。身体を支えて膝をつく。

「これ程か……彼女の力は……!」

天使が身体を支えてくれたが、すぐに立ち上がる。

ちょっと急で目がくらんだだけだ。太刀打ちできない相手ではない。

「何がお見えになったのでしょうか」

「……下着でないことは確かだ」

「…………。」

渾身のボケは無言の苦笑で返された。

神は肩をすくめてため息を吐く。

「どれ、ひとつ悪戯でもしてやるか」

「……行かれるのですか、彼女の元に」

「何、死にやしないさ。私は……」

願いを聞く神だから。と言おうとして天使に口を塞がれた。

少し冷たい指先が震えているのがわかると何故か微笑ましくなる。

孤独な神の側に物怖じせず付き合ってくれた勇敢な天使は、神の顔を真っ直ぐに見つめていた。

「貴女は……歌の上手い色気の神だからです」

「……セクハラで訴えてくれなければそれでいい」

***

少女が飲み込もうとした世界を真っ黒に変える。流石に一瞬で彼女の魔法を止めることは出来なかった。これは、世界の構築を阻止するための時間稼ぎと目くらましだ。

目を覚ました少女は状況を読み込めず、自分の身体をペタペタ触ったり、足踏みしたり、面白い動きで自分の無事を確かめていた。

『――ここはどこだろう?――』

心の声が聞こえる。少女は、書面で見たとおりの年相応の明るい女の子。

とても世界を書き換えるなど、見た目に出来そうには見えなかった。しかし、愛する人の為に世界を書き換えようと思うぐらいは容易いぐらい、他人思いである雰囲気もそこに感じる。

ああ、なるほど。と神は彼女を目の前にして納得した。

魔法というものは心を反映する。傷つけば魔法を失うし癒やされれば強くなる。『天使は泣いたら死ぬ』とさえ言われるぐらい心理的なエネルギーは魔法にとって大事な物だだった。

彼女の思いやりの強さと、あの同級生を守りたいという愛している心が重なり合って、強い魔法を生み出していたのだ。多分、彼女は覚えていないのだろうけれど、その始まりはずっとずっと昔にあるのだろう……。

心の奥底で重なり合った感情が、彼女を強くしたのだ。人と感情の重なりが魔法を強くする……

――つばさ、君の主張は間違っていなかったな。

神は懐かしい言葉に背中を押されて、彼女の側へと歩み寄った。

神の姿を確認した少女は、いつだか撮影した神の写真を思い浮かべたようだった。予知の力を持ってしても、教科書には一通り目を通している……授業態度が悪いと評価されているにしては、なんとも優秀な学生だ。

「貴女は……」

「ずいぶんと体を張ったな、まあ時間が動き出すまで時間はある……って表現、おかしいだろうか」

神はまあ座ってくれ、という意味を込めて手を下に下げた。何もないこの場所で、彼女がちょうどいい位置に腰を下ろせるように空間を調整してある。

神も隣に座ると、『なんで真隣に……』と微妙な気分になる少女。話をしようと促すと更に眉を寄せた。

「何故、神様が……」

そう。彼女が思い描いている通りだ。

私はこの世界を統べる天界の神で、『革命』を起こし、能力者を『マジカリスト』と改め、魔物を『シネン』と改め、クローンを禁じた神だ。

……そうだな。この姿じゃ神には見えないかもしれない。女神と呼ぶには威厳のない姿だろう。背丈も小さいしスタイルも悪い。セクハラもするしな。何歳かって? そうだな、『生まれてから』軽く一万年は超えているだろうな。

「懐かしいね、能力者と話すなんて何年ぶりか……神様になる前だから何百年も前だ」

少女は首を傾げた。新鮮な態度だ。ここ百年ぐらいは、あの天使としか話をしていない。正直に言おう、ちょっとワクワクしている。

「神様は……昔は、神様じゃなかったんですか?」

ああ、今でも鮮明に思い出すよ。多分、君は知っている。知らないだろうけれど、私がかつて黒い羽根を持つ『悪魔』で、『うたごえ』を響かせたアイドルで、それを守ろうとした者で、自分を守れなかった愚かな人間だった事を。

「私は、一人の天使だったよ。そして、愚かな二人の悪魔だった。やがてはただの石ころだった」

「……?」

その怪訝な顔を向けられるとふと笑ってしまいそうになる。やはり若者をからかうのは面白いな。

「はは、ひとりごとだ。気にするな」

少女は、その矛盾した回答に少し不機嫌そうな顔をして、次の瞬間には悩ましげな表情をした。

どうやら律儀に会話を続けようとしてくれているようだ。

「神様は、神様になりたくてなったんですか?」

「いや、私は神様が今でも大嫌いだよ。退屈なんだ、すごく」

「神様には好きな人はいますか?」

「どうだろうね、ひとりぼっちだから解らない」

「魔法の杖は誰が考えたんですか?」

「あれの原案は私。最初は魔法の杖じゃなかったんだよ、武器だったのさ」

「へえ……その武器の名前は?」

「サウディ」

「サウディ……」

「thousand years candy 略して サウディ」

「サウザ……千歳飴ですか……」

幾つかの質問に神は答えた。 いや、答えたうちには入らなかったかもしれない。

どちらかと言うと答えなかった。

たったひとつ、まともな回答をしたと言えばこれだ。

「神様は、えっと……何をしてるんですか」

少女は神様の立ち位置を校長先生や社長のそれと思っているに違いなかった。部屋にゴルフクラブを持ち込んだりなどしたことはもちろんない。

それほど、一般能力者にとって、魔法の勉学をしていても神様の認識とはそういうものなのだと実感すると、神の孤独感は久しぶりに強くなった。

それは、神がただの能力者たちとして存在した時間から、遠くに来てしまったという実感も連れてきていた。意識しない間に、神としての自分を作るために足掻いている間に……何百年何千年と時は過ぎて居たのだな。

その実感の正体は、彼女の眼差しがいつかの自分……いつかの自分のかたっぽ……『黒い悪魔』に似ていたからかもしれない。と、ふと思った。その孤独感すらも懐かしい。

「一人、世界の片隅から皆の願いを聞いているよ」

神はまた本当の事を言った。

意地悪ではなかったが、意地悪にしか聞こえない回答をした。

「それは……寂しくは、ないですか……私なら、皆の祈りを聞いているだけなんて嫌だ、誰かのために……『うたごえ』やお伽話のように……ッ、」

ああ、やはりつばさの唱えた理論は正解だったな。いや、それ以上だ。能力者の持つ願い、愛情、信頼……それは、神の力をも超えていくようだ。

そして彼女は、いつの時間の私も心配してくれる。どれだけ優しい子なのだろう。

勿論私も、悲しい物語を無視するほど意地悪ではないさ。

……そうだな、勇気が出せた、とでも言うのだろうか。

……天使が言ったように、臆病で嘘つきで、孤独でいることが大好きな神様でも。

……もう一度、私も人の為に魔法が使えるみたいだ。

『もう誰も泣かせはしない』

呟いた。自分自身の願いが自分の耳に届いた。彼女は聞き取れなかったようだが構わない。

懐かしい気持ちに、何百年ぶりに泣きそうだった。

もう一度口を開いたら、情けなくなりそうで言えなかった。

「友達想いのマジカリスト、さら! 貴女にチャンスをあげる。 その心、大切にね」

少女、さらの身体がぐるり、と周り、世界もひっくり返っていく。

彼女の魔力を混ぜて、ほんの少し、ほんの少しだけスパイスを加える。

君の大好きなお伽噺の主人公と同じ星をひとかけだけ。

「「私たちが、誰かを呪い、そして泣かせてしまった分まで……頑張って、さら」」

神様のむかしむかし……2つの魂はそう呟いた。

***

ずっと下を向いているのは疲れるものだ。

退屈な日もあれば、疲れる日もある

でも。

私は今日も愛おしい世界を覗いている。

大好きな人達が守ってくれた世界を見ている。

悪くないよ、神様っていうのは。