-Label 2 Trac.4- -崩壊の歌-

私は、『魔法使い』だ。

本番が近いTV局の楽屋。慌ただしく人が駆けていく音の中で私は黒いドレスに身を包んだ。頭には三角の帽子、重めのブーツがゴトリ、とリノリウムの床を重く叩き、私はそれに静かに足を入れる。

「莢、そろそろ出番!」

「はい……!」

『お姉さん』がそう叫び、私は不安と気合の混濁した音を吐き出す。

今日は、悪い魔女になります。

***

彼女と出会ったのは3年前のことだった。この国の独り立ちの文化のひとつである『一人旅』をしていたその道中、私はとある場所に辿り着いた。

そこはミュージカルが盛んな街。いろんな人がいろんな舞台を繰り広げている姿に憧れて、私はいつしかその街に住み着いた。魅力的なステージの数々を見ているうちに、やがて私はそのキラキラした世界に足を踏み入れたい、と思うようになった。

その理由の『ひとつ』は、歳相応の大人っぽさに欠けた自分の見た目。演者達のように大人っぽさを身につけたい、と軽率に思ったからで。そんな時に、偶然出会った初心者向けの役者オーディションでこれまた偶然にも受かったのが、全ての始まりだった。

奇跡的にオーディションに受かった事を示す合格通知のすぐ後、私は顔合わせとして事務所に呼び出された。

「初めまして、莢。私は今日から貴女のマネージャーになります、ユウです。宜しく!」

「わわっ、こちらこそ……えと、採用してもらってありがとうございます! 莢です、よろしくお願いします、ユウさん」

そうして私を明るく出迎えた、セミロングヘアの女性が差し出された手を握り返す。私に負けず劣らず小柄な印象の女性だった。スーツこそ着ているが見た目もなかなかに可愛らしく、何故彼女は女優じゃないのかちょっと不思議なぐらいに思った。

挨拶代わりにそのまま疑問をぶつけると、昔は子役をしていたらしいけどもう芸能は懲り懲りなのだと笑ってくれた。しかしその可愛らしさの中に、芯の強そうな活発的な笑顔がよく似合う。怖そうな人でなくてよかった。

「さて、合格通知、昨日の今日で申し訳ないんだけど、貴女にはもう一人新人女優を紹介します」

「椿です。宜しくね」

そうしてユウさんが指す先に、性格もスタイルも柔らかそうな女性が現れた。物腰穏やかそうに、ストールでふんわりとほんの少しふくよかな身体を覆っている。それだけが可愛いのに勿体無く思えた。

彼女の名前は、鈴久椿。芸名らしいが本名は教えてもらえなかった。私の先輩ではあるが、背も小さく可愛らしい、ふわふわした印象の女の子らしい人だった。

ちなみに私の名前は如水莢。私もある家庭事情で、本当の名前かどうか定かじゃない。偽名。よく見た目が小学生みたいって言われるけれど一応ちゃんと成人はしている。背は低くはないのだけれど、それが逆にスレンダーさを目立せるらしい。椿さんと並ぶと本当に凸凹コンビだった。

彼女……椿さんは、私と同じく長い間独り立ちの旅をしていたがある日この劇場でスカウトされたらしい。きっかけや理由までは教えて貰えなかった。事務所公式のキャッチフレーズが「悲劇の旅人」とだけあって、悲劇のヒロイン役が多い。それも彼女の家庭事情と人生にあるらしいが私はこの時、深く聞くことはなかった。

「さて、貴女達には初日からいきなりですが、もうお仕事が入っています」

「えっ? もう?」

「うわ、敏腕ですね、ユウマネージャー!」

軽くお互いの自己紹介を終えると、マネージャーは私達が仕事でペアを組むことを明かした。仕事の内容は、二人一組の子供向け特撮ヒロイン。いわゆる魔女っ子友情モノドラマの主人公だった。

敏腕ユウマネージャーはウインクを決めると、自分が魔法を使いそうな程に可愛らしく指先をくるくる回して得意気になる。どうやらその仕草は癖のようだった。

「と、言うわけでいきなりだけど立ち振舞とセリフ覚えから始めるわよ、習うより慣れろ、グダグダになってもいいからとりあえずやってみなさい!」

「む、無茶な!」「私達ほぼ素人ですよ!!」

突然の無茶ぶりに、早速息を合わせて文句を口走る私達。敏腕から鬼教官と化したマネージャーは、私達をびしっと指差してまたもや得意気に言葉を発した。

「私が貴方達を採用したのはね、貴女達が『旅人』だったからよ。昔は『しきたり』だった旅人も、今じゃカジュアルになっちゃったでしょ。それでも君たちが旅人になる事を選んで、旅先で見たもの、感じた事、その時の気持ちを思い出して顔に出す。それに可能性を感じたから。椿が悲劇のヒロインを演じられるのだって、きっと辛い人生に重ねられてるから。だから、椿は今回だけは楽しかったことを思い出しなさい。莢は大人になりたくてこの場所の門を叩いた、その闘志で敵を蹴散らすのよ、大丈夫、子供向けなんだから子供騙しな演技でいいのよ」

「な、なるほど……」

「へえ……」

初心者に極小ながらも即仕事を与え、彼女は私達の『でも……』を即論破した。これが、私達の一番最初の思い出。今でも語ろうと思えば昨日のように語れる。

***

「何度聞いても無茶苦茶な話よね」

お姉さんがコーヒーカップを磨きながら、私達の思い出話にそう苦笑した。勿論私達も、これを誰かに話すときは思わず苦笑してしまう。思い出せば思い出すほどおかしな話だ。

あの時はマネージャーも必死だったというのは、今だからこそ解る。彼女もあの時は崖っぷちで、彼女自身にも旅の経験があったからこその発想だったのだという。

この国では、成人前の子供が一人旅に出る習わしがある。勿論それは強制ではなく、最近は旅に出る子供は少なくなった。その中でもきちんと風習通り国を一巡する旅人は少なく、大都市部では交通の便も発達してハードルも下がった為、殆どが旅行感覚で終わってしまう。

大人達は寂しくなったなと嘆くことが多いけれど、私はその方がいいんじゃないかなとたまに思う。旅はしてみれば楽しいものだけど……。それこそ、私達みたいに特別な事情でもない限りわざわざ家なんか出ない。多分だけど、度に出なくて済むというのはとても幸せな事だ。

「あ、お姉さんコーヒーおかわりー」

「はいはい、あんまり飲むと肌に悪いですよ」

話の合間、椿さんが空になったカップを差し出す。お姉さんはカップにおかわりを満たしながらも、スッと差し出すカップとともに、きちんとお小言も差し出した。

「ぬぅ……」

悔しそうな声を漏らしながらも、きちんとカップを受け取る椿さん。

「私もー!」

「もう、莢も自制してくださいよ、それだから成長しないのよ」

そう言って、お姉さんは握りこぶしの親指で胸元を叩いた。

「あー! 言いましたね!! お姉さんだっておおきくないもーん!」

お姉さんが少し悟ったように言う。私は席を立ち上がって反論した。

「いいのよ私は、王子様がここにいるのだから」

お姉さんはそう言って手元の本を指さしながら、煙草に火を付ける。昔は吸ってなかった、と彼女は言っていたがその量はもはや依存に近い程多い。灰皿は既に山になっていた。お店の雰囲気にも、彼女自身の落ち着いた雰囲気にも、その光景はひどく似合わない。

マネージャーはそれを、『あの人にもいろいろあったのよ、その埋め合わせなんじゃないかな』と言っていたのを思い出す。

ここは、街外れにある小さなカフェ。しかも普通のカフェではない、『ブックカフェ』だ。小さなカウンターとテーブル席で10人も入れない。バルコニー、テラス席を使ってもすぐ満席になってしまう。

置いてある本はどれもお伽話や童話。魔法や宇宙の絵本。表紙やそのデザインこそ可愛らしいものばかりに見えるが、その中身は意外と重いものが多い。お姉さんの趣味なのだろうか、聞いたことはなかった。

メニューはコーヒーや紅茶の他に、お姉さんが昔こだわっていたらしいワイン、オリジナルのカクテル、更には有名店から取り寄せているケーキなんかもあって本格的。

なのに隠れ家的なゆったりしたお店なのが本当に素敵で、私と椿さんは仕事が一段落すると必ずここに入り浸って思い出話や、反省会を始めるのだった。

「もう、本の中の王子様は、迎えに来てくれたりしないじゃないですか」

「あら、愛があれば迎えには行けるわ」

私の夢のない言葉に、お姉さんは煙を吐き出しながら得意げな表情をする。ああ、お姉さんがこう言う時に続く言葉はいつもひとつだ。椿さんもどうやら気づいたらしい。

私はハーフアップにした長い黒髪を翻し、また立ち上がって言った。

『汝、登場人物を愛せよ! しかし、恋をしてはいけない!』

3人の声がハモる。お姉さんが最後によろしい! と得意気に笑った。

「なんだっけ、すず? とか言う作家さんの言葉だよね~」

「へぇ、てっきりお姉さんが作った言葉だと思ってました」

この言葉は既に、お姉さんの口癖に近いものだった。お姉さんもそれを自覚しているのか、何も言わずへらりと微笑むとそうだ、と何かを思いついた風に立ち上がった。

「貴方達、今日でデビュー一周年、そして初ドラマ、クランクアップおめでとう」

そうしてお姉さんが取り出したのは、デコレーションのど派手なケーキ。よく見ると有名店の並ばないと買えない奴。

「うっひゃー!!」

「うわ、すごーい!」

「だからコーヒー飲み過ぎるなって言ったじゃない、ほら、もう出てきていいですよ」

お姉さんが声をかけると、マネージャーがカウンターの下から生えてきた。

「お前らー! 人が聞いてないと思って人の話を面白おかしく……!!」

「ぎゃー!」

「わあ、ごめんなさーい!」

てんてこ舞いだった頃の恥ずかしい話をされて、マネージャーは手を振り上げる。瞬時に避けた私達だったが、その手はこちらまで伸びてくることはなかった。

「ま、今日のところは許す! さ、ケーキ食べましょー」

「もう、ユウ、これはこの子達のなんですからね」

「育てたのは私よ、ねえ?」

「「は、はいぃ……」」

いつの間にか背後に回りこんでいたマネージャーに肩を抱かれ、私達は肩をすくませる。大人げないにその行動に、穏やかなお姉さんまでもが呆れたが、結局マネージャーが切り分けたケーキを食べた。

***

「さて、プレゼントついでの朗報よ。この一年、二人が頑張ってきた撮影も明日、宣伝を撮って終わりよね」

ケーキを食べ終えて、一息ついた頃。唐突にマネージャーがプレゼントを差し出した。私にはブレスレット、椿さんにネックレス。ネックレスの理由は、椿さんが胸元を見せないから。『その胸は武器になるわ、見せなさい!』 というちょっと聞こえだけを気にすると宜しくないセリフだけど、要約すると椿さんに自信を持ってもらいたい、という理由でマネージャーが選んだものらしい。

私のブレスレットに特に理由はないが、私がいつもしているブレスレットを見て、一発で『これが似合う』と思ってくれたかららしい。白いビーズが等間隔に並んだ、細くてキラキラしたブレスレットだった。今付けている青と緑の石があしらわれたブレスレットは大事なブレスレットだから、このまま一緒に重ねづけにしようと思う。なんだか、大切な人が一緒に居てくれるみたいで嬉しい。思わずお店の照明に2つのブレスレットを透かすように眺める。

その後、マネージャーが得意げに告げたのは、新しい仕事の話だった。

「うちの街はミュージカルの街。ついに、ミュージカルデビューの時が来たわ。……但し、椿にだけね。」

「…………」

「えっ……?」

椿さんの顔色が変わる。私もその言葉にとっさに椿さんを見た。彼女はこの街で女優をするには致命傷な程に、そして異常なまでにミュージカルの演技が苦手だった。椿さんは『音楽』がどうやらダメらしく、歌手やアイドルとの共演をちょっと異様なぐらいに嫌っていて、彼女自身も歌うことに抵抗があった。

椿さんは、『悲劇の旅人』のフレーズそのままに、何をしていても必要以上にやっかまれることが多く、スポットライトを浴びる恐怖もそこにあったのだろう。カメラの前ではなく、リアルタイムで何か演じるとなるとミスが格段に多くなる。

今回ドラマの仕事をしていたのも、その前の舞台に恐怖してしまったからこそ受けた『カメラの前』での仕事だった。

「椿、いい機会よ。今なら悪いことをいう人は少ないわ、そろそろ克服しなくちゃ」

「で、でも……私っ……」

「大丈夫よ、舞台に立ってしまえば何も聞こえ……」

マネージャーがいつもの得意げな表情で指を回す。

「違います! 私っ……わたし、歌、歌は本当に駄目で……!!」

と、唐突に椿さんは立ち上がって叫んだ。冷や汗をかきながら、その訴えにぽかんとするマネージャー。何故かお姉さんと顔を見合わせる。お姉さんは静かに首を振った。

「椿、歌は悪いものじゃない、素晴らしいものですよ。歌に罪はありません」

お姉さんがそう諭す。でも椿さんは首を振って俯いた。

「だめなの、だめなんです……」

それでも椿さんは、まるで怯えるみたいに首を振る。ここで歌えないからと断ってはもったいない、せっかくの椿さんの仕事。私は一瞬、椿さんの為になにか出来ないかと考え込んだ。

「あの……歌だけ、私が吹き替えちゃだめですか?」

「……え?」

次の瞬間、気がついたら私は立ち上がっていた。カウンターのコーヒーが波立ち、自分でも見たことのないような覚悟の表情が表面に映り込む。

「椿さんが歌ってる演技に、私の声を流しちゃだめですか?」

「で、でもそんな事、しても……正直、違和感を抱かれるだけじゃ……?」

いつもはその指示に勢いを見せるマネージャーも、流石に私の訴えには動揺を隠せないらしい。珍しく語尾が曇る。けれど、私はその結論に至った根拠を語る。

「私達声質も似てますし、そもそも今回のドラマでセットで覚えられてますから、正直どっちが『莢』でどっちが『椿』か、見分け付かない人の方が多いと思うんです。変身ヒーローものでしたしメイクも濃かったので印象も変わると思います。声の差し替えが印象を壊すような真似をするとは思えません。ゲスト出演というか友情出演の枠で……どうでしょうか?」

再度、マネージャーとお姉さんは顔を見合わせた。さっきの困惑の色から、今度は驚愕の顔だ。

「……一応聞くけど、貴女は歌、は?」

お姉さんが呟く。

「歌えます、得意です」

私は子供の頃から、沢山の音楽に触れてきた。歌は上手い方だと自分でも思う。

マネージャーがゆっくり、私とお姉さんを交互に見比べる。お姉さんは私の目をじっと見つめた後、マネージャーに頷いた。

「この子は『確実』よ、ユウ」

***

結局、椿さんにどうしてもにスポットライトを浴びせたかった私は、彼女の歌を肩代わりした。最初は上手く行っていた。けれど、そのやり口はすぐに変な注目を浴び、批判の的に変わってしまった。何故か、私の歌は高く評価され、『他人に歌わせた』という反感だけが椿さんに集中する。

「すみません、椿さん……私の提案のせいで……」

結果、私は「実は歌担当です」という形で、椿さんより目立って世間に出る事になってしまった。

「…………いいよね、莢やんは。なんでも上手くいくんだもんね」

「椿さん……それは……」

「……いいよ、変な慰め方しないで。歌えるってだけでちやほやされてればいいじゃん……」

その歌が評価された私と、ただの道化師がバレた椿さん。徐々に楽屋は冷え切っていって、椿さんとの間の空気も徐々に悪くなっていった。事実として私が勝手に歌い始めたのだと明かしたかったが、マネージャーに『椿が歌えないことを明かしてしまう、余計な火種を生みかねない』と止められ、それも叶わなかった。

そうしてこの日から、椿さんが徐々に調子を悪くしていったのは言うまでもなく、数週間もすれば彼女が舞台に立つ事はなくなってしまった。

「……椿さん……」

結局、代役の方と私の歌で出来上がってしまったミュージカルも終わった。共演のドラマからは、気づけばもう2年近くも経過していて……もう、一緒の仕事はない。公式プロフィールは『休業中』とだけ記されていて、消されてはいないので辞めたわけではなさそうだ。

元旅人とあってどこかをふらふらしていたりするのかな? 椿さんの無事をぼんやり祈りながらも、私も忙しさに流され、気づけば長い間顔を合わせることさえなかった。

そんな淡い思いを巡らせながらのある日、私はレッスン帰りにお姉さんのカフェに足を運んだ。

また、あのお姉さんの童話を聞かせてもらおう。まるでゲームのような魔法の世界の話。めでたしめでたしの話は少ないけれど、話す彼女は幸せそうだ。あの時みたいに椿さんも居てくれたらって思うけど……最近は来てないみたいだ。

「あら、おはよう、莢。いらっしゃい」

「おはよう、お姉さん」

もう日も暮れた時間だが、ここの挨拶はいつでもおはようだ。お忍びで芸能人が来ることが多いから芸能界の挨拶が適しているからだ、とお姉さんは言っていたけれど、私にはそうは思えない。

彼女自身は「もう年だからね、年にしか出来ないことをしなくちゃ」とよく言うが、お姉さんは素朴ながらも綺麗な人だし、歌も上手。まだまだ現役といった感じで、元芸能人だったんじゃないかって私は勝手に思っていた。

「……やっぱり、椿とは?」

「ううん、会ってないです」

私はお姉さんの淡い質問に答える。残念な顔のまま、いつものカウンター席に座った。ここで皆でケーキを食べたのも、もう遠い昔みたいだ……。

浮かない表情の私に、彼女の青い目が少し伏せられる。私が席に座ると同時に、湯気の昇るマキアートが目の前に置かれた。さすがお姉さん、最初に注文するものはもうわかっている。

私はそれを両手で包み込むように受け取った。指先にじんわりと温かさが染み入る。

「ありがとうございます……」

彼女はその返事代わりににこり、と笑うと、清掃の為にコーヒーメーカーを外す。私以外に客は居なく、もう遅い時間だしお客は来ないでしょうから、と彼女は言った。

「椿は、もう辞めちゃうのかしらね」

ふいに、お姉さんがそう呟く。

「休業中って書かれてるぐらいだから、辞めないにしても長くお休みを取るのかもしれないですね。椿さん、家、大変なのかも」

「…………彼女は、家の事をなんて?」

あの日のすぐ後、正式に椿さんのミュージカル出演が決まった時、私は椿さんにこう聞いた。

「お手伝いさせて頂くからには、椿さんが歌えない理由を聞きたいです」

椿さんは何度か狼狽えた様子で、「聞いても面白くないよ」と言ったが私はそれでも、と念を押した。何度かそのやり取りをして、最後はほとんど根比べみたいなものだったと思う。

「……乱暴な言い方ですが巻き込まれているからには、知っておきたいです。椿さんが悩んでること、知りたい……」

今思えば、思い出したくないことを思い出させていたのだから気分は良くなかっただろう。椿さんはまた悩んで最後に口を開いた。

「莢やんの頼みなら、分かった……」

そうして強引に聞き出した話はこうだった。

椿さんの母親はその昔、アイドル歌手だった。それも、何度か引退と復帰を繰り返して、何度もヒットを出した割と力のある歌手だった。

しかし、ある日とある歌手に敗れ、歌うことができなくなった。椿さんが歌手を嫌う理由はそれがひとつ。その歌手を探し出す目的で女優を目指している。母親はなにかの治療する為に遠くに住んでいると聞いた。あとは先輩女優にいじめられていた事や、自身のスタイルのコンプレックス、低身長なのにグラマラスな体型の椿さんは体型を隠すためにゆるめな服ばかり着ていたのもそのせいなのだろう。自信を無くしている事も教えてくれた。

「……椿さんは狡いです」

「貴女は……居ないものね」

私はカップに口をつけながら、ぼそりと呟く。お姉さんがコーヒーメーカーを洗いながら静かに返した。

私には親がいない。

生まれた頃から、何不自由なく暮らせるほど大きなお屋敷に住んでいた。そこには何でもあったけれど、そこになかったものがひとつ。私には『家族』だけが欠けていた。

私は、捨て子だった。理由はわからない。入れ代わり立ち代わり、色々な人が私の面倒を見てくれた。誰が育ての親だとかいう認識もなくその時そこに居る大人の手を取るしか出来ない子供だった。

代わりにあったのはたくさんの音楽。ジャケットが抜かれた音楽メディア。入っていたのはどれも、ある女性二人のアイドルデュオの楽曲だった。ただ、調べてみても、その二人の名前も顔も分からない。まるでその二人だけ神隠しのように、ひとかけらも手がかりがつかめないのだ。

椿さんのお母さんと同じ時期の歌手だとすれば、何か手がかりが掴めるのかもしれない、と思って今も時々調べてはいる。未だに手がかりは見つからないけれど。

「ただ、その二人の曲をずっと聞いてたから私は歌が得意になったと思うんですよね……だから、両親に見つけてもらう為と、その二人に感謝を込めて……私、歌手に転向しようかなってちょっと思ってます。椿さんにも届く歌が歌えると思うから……」

「届くといいわね」

そういってお姉さんは、優しく笑った。ただ、ほんのちょっと、違和感。そう、目が笑っていなかった。

***

その後しばらくお姉さんと他愛のない話をして、そろそろ閉店時間だな、とぼんやり思った時、静かな店内に着信音が響いた。この街で流行っている腕時計型の映像通話端末、その音は私の腕から発せられている。

「はい、莢です」

『莢! 今すぐ貴女の給料用口座を確認してちょうだい!』

お姉さんにごめんなさいしてから通話に応じると、慌てたマネージャーのドアップが投影される。その声に少し驚きながら、ちょっと声を潜め返した。

「マネージャー、どうかしたんですか?」

『今どこ? 周りに誰かいる?』

「カフェです、いつものお姉さんのとこの……」

マネージャーとお姉さんは、かなり古い顔なじみだそうだ。すぐ後にお姉さんの電話が鳴り、私の電話が切れた。

お姉さんはしばらくマネージャーからの話を『うん、うん、なるほど…それで? うん、分かったわ……』とリズミカルな相槌とともに冷静に聞き遂げると、カウンターの奥にあった端末に触れた。お姉さんはカフェの店員では勿体ないと思える程にデジタル機器への知識があって、それはびっくりする程詳しい。暫くカチャカチャとキーを叩くと、いつも穏やかなお姉さんがいつになく真剣な顔をして目を細めた。

しばらくして向けられたのはタブレット端末に表示された、ネットバンキングのログイン画面。

「貴女の口座の残高を確認してみて」

「はい……?」

口座の番号と入力してログインする。残高の照会をすると、入ったばかりのはずの給料がほとんど引き出されているという情報に辿り着いた。

「……な、なんで無いの!?」

「やっぱりね、貴女の銀行口座が記された書類、事務所から奪われたそうよ……。今日の昼頃。そして引き落とされたのが夕方、という事は……最寄りの銀行……そうね、ちょっと待ってて」

お姉さんは端末を受け取ると、さっきまでキーを叩いていた端末と繋げて、なんだか小難しそうな画面をしばらく操作した。ものの数分で画面に表示されたのは、お金が引き出された時間と場所のデータと、その時間と場所の画像データらしい。

どこからこんな情報を、と思いながら画面を覗くと。

そこに映っていたのは、明らかに椿さんだった。

***

私は呆然として、ただそこで項垂れていた。どうすることも出来ず、動く気力も沸かないままに呆然とするしかなかった。お姉さんはそれを察してくれたのか、閉店の時間になっても私をそこに置いてくれた。

お姉さんはお姉さんで、冷静に狼狽える事なく調べ物を続けてくれている。ただのカフェのいち店員とは思えないほどの機動力と冷静さに、ますます彼女の正体は分からない。

やがて調べ上がった情報によれば、椿さんはなにかの多重契約や裏契約を繰り返して、私の口座からお金も盗んで、どこかに支払っているらしい。私が出した曲の権利やお芝居における大事な情報も、いつの間にか彼女に移っている。

お姉さんはその情報をどこからかハッキングしたらしく「とにかく思い当たるところ、全部調べ上げました」と言った。まさかお姉さんがハッキング出来るとは思わず、呆気にとられた私は、とっさに「それ……法的に大丈夫なんですか?」と口走ってしまう。

お姉さんは「バレはしないけど、確かにそうね」と何故か納得して、再度調べを進める。すぐに、明るみに出ても大丈夫かつ確実な証拠を抜粋して私にくれた。

「これで裁判は有利になるわ」

「あっ、ありがとうございます……?」

一気にいろんな事が起きすぎて、目が回る。裁判、というあまりにもリアルな言葉により呆然とする事しか出来ない。

そして、その出来事以上に、私は何もかもに用意周到なお姉さんの立ち回りに目を白黒させていた。……まさか、元から椿さんを怪しいと睨んでいたわけじゃないだろうに。

「恐らくもうTVには根回しされてるだろうから、TVなんかでは報道されないでしょうね。訴えるなら本人を直接突き詰めるしかないわね」

「そんな……」

お姉さんは淡々とこの先の対処法を私に語る。その冷静さが余計に出来事を悲しく見せていた。思わず私は泣きそうになる。

『何故?』

一緒に仕事をした彼女。尊敬できる先輩。ちょっとだけツイてない女の子。誰よりも他人から傷つけられる恐ろしさを知り、明日を何事も無く過ごせるよう毎日祈っていた彼女。

その彼女が、何故私を陥れるのだろう。

お姉さんは端末を閉じて私の膝下にしゃがみこんだ。子供に言い聞かせるような優しい声で諭す。けど、その言葉は、やさしくはなかった。

「……莢、優しい貴女には考えられない事かもしれないけど……よくある事なのよ。特に、芸能界では。明日の敵は今日の友でも、明日も友であるかは不確かなのよ……」

その青い目は私の目より遠くにある、何処かもっと違い場所を見ている気がした。

***

とにかくマネージャーに連絡しないと、と思って電話を返そうとした。しかし、いつの間にかマネージャーとも連絡が取れなくなっている事に気がつく。電話は接続の前に勝手に通信が途絶え、メッセージも送信エラーになるままで何も始まらない。恐らくマネージャーにも何かしらの手が回されてしまったのだろう、とお姉さんは言った。

「……ど、どうして、なんでですか、こ、こんなの、なんで、どうしてここまでされなきゃ、いけないんですか……?」

「……莢……落ち着いて。ユウだってこんな事で負けるほどヤワな子じゃないわ。彼女を若い頃から見てきた私が約束する。……今日はもう休みましょう。今足掻いても向こうの手のひらの上よ……」

震えが止まらなくなって、私はその場に崩れ落ちてしまった。私は身近な人にも影響が行っていることを実感して少しパニックになる。お姉さんはお店の裏に置いてあったブランケットを私に掛けてくれて、落ち着くまで隣りにいてくれた。

結局一晩、お姉さんのお店で過ごしてしまった。翌朝になって、お姉さんに付き添われながら帰路に就く。

「誰が家に来ても不用心にドアを開けないほうがいいわ、ユウの事もこちらで探す。仕事やレッスンに呼び出されても一応、誰が敵か分からないから用心して」

「……はい……」

マネージャーを探しに行こうかとも考えたが、自分一人では危ないとお姉さんに言われ、大人しく家にいる事にした。

家に戻って何か手がかりがないかと探してみる。TVもネットもいつも通り、私が探している情報は一つもないニュースばかりだった。私が出るはずだった番組も、欠席や変更の断りすら入らない。私の居場所はもうそこにはななく、何事もなかったかのように放送されていて……まるで、私が女優だという事実が夢だったみたい。

まるで、世の中全部から私を隠したいみたいになってしまった。

何度も家族に見つけて貰いたいと思って、カメラに向けた演技がなかったことになっていく。そんな感覚に陥っていくとともに、ようやく涙が溢れてくる。椿さんに裏切られた。私の夢を椿さんに踏み躙られたのだ。

「う……ううっ……!!」

一人になると、なんだかその実感がひしひしと身に染みた。自室で頭を抱え、静かにその実感に浸るしかない。

「嫌だ、椿さん……信じたくありません」

それでも、脳裏に過るのは2人で努力したあの……一番最初のヒーロードラマだった。あの演技で繋いだ手。シナリオ通りに演じた友情。造り物でしかなかったのだと思うと尚更に痛くて、思わず胸の辺りを握りしめた。

***

それから暫く、私はいつ表に出られるかも分からないまま、レッスンだけを続ける日々を送っていた。マネージャーも椿さんも抜け落ちた世界で、私はまたひとりぼっち。これじゃあ旅に出る前と何も変わらない。それでもレッスンやちょっとした仕事が入るようになると、お姉さんが時々様子を見に来てくれるのがせめてもの救いだった。

「お疲れ様、これで今日の練習はお終いね。用心して帰りなさい」

「……はい」

そうしていつの間にか、お姉さんがマネージャーの肩代わりをしてくれるようになっていた。けれど、お姉さんはなんだか、付かず離れずの距離で私と接している気がする。それはそれでまた寂しかった。

「それと、これ。有力な情報だけ証拠になるものをまとめてきたから使って」

「…………あ、ありがとうございます……」

「……莢。辛いかもしれないけれど、そうでもしないと椿を話はもう出来ない。あの子と顔を突き合わせるのに必要なものなの……ちゃんと持って帰って」

それでもなんとかお姉さんのくれた情報を証拠に、きちんと椿さんを訴える準備ができたのも丁度この頃だった。友達で先輩の椿さんを訴えるのは少し気が進まなかったけど、そうでもしないと彼女と話はできない、とお姉さんが念を押す。

「……はい」

「裏で起きていることを誰かに知って貰うのは、正直難しい事よ。それでも貴女ならきちんと伝えられる力を持ってる。悲しい使い方だけれど舞台で培った力でね……お願い、自信を持って。貴女が悪い訳じゃないの」

このまま私は椿さんに何もかもを奪われてしまうのだろうか。デビューだって偶然の偶然だったのだから、仕事を奪われ、消え去ったところで誰も不思議に思わない。それでも、もう私は身も心も芸能人だった。私は、見られていないとだめだ。人は、見られていないと消えちゃうんだ。私がカメラに笑顔を向けるのは、自分のためともう一つの理由がある……ここで消えちゃいけない。

「椿さん……」

そう躍起して、私はまだ椿さんの手が回っていない、深夜帯の音楽番組で歌手に転向した。この頃にはもう椿さんに対して、『騙された』という印象しか残っていなくて……それは『椿さんに嫌われるため』のデビューにも等しかった。

***

「莢!」

「へっ、どうしたんですか、お姉さん……!?」

それは、椿さんを訴えてから一ヶ月。椿さんはまだ訴えに応じなくて表に出てこない。そんなあるオーディションの終わった日。いつもはこの時間、カフェを飛び出しTV局に現れた彼女は、肩を越すぐらいに長かった黒髪を肩上ぐらいまでばっさりカットして現れた。

いつものすっきりとしたシャツにカフェのエプロンの姿ではなく、ジャケットにワンピースのオフィスカジュアル姿で。

たまにレッスンに同行してくれる事こそあったものの、お姉さんはだたの「お姉さん」でしかなかった。それがどうだろう、これではまるでマネージャーそのものだ。無駄に板についているその姿に、やはりお姉さんは過去に芸能関係者だったのだろうか……とぼんやり、前にも思ったことを思い出した。が、そんなお気楽な思考もすぐに吹っ飛んでしまう。

「訳は後で、それより椿、が……!!」

慌てた様子でそう言いかけたお姉さんの後ろから、噂の張本人が現れたのだ。私はあまりに突然の再会に思わず叫んでしまう。

「椿さん……!?」

「莢やん、ごめんね」

悲しげに眉を寄せる彼女。しかしそれは、私が欲した謝罪ではなかった。ごめんねと立てた手のひらが、私をゆっくり指差す。まるで銃口を向けられたような緊張感。

そして一呼吸の後、

「次のオーディションまでに、私は貴女を殺す!」

「!?」

衝撃の言葉に、息を呑む。彼女の表情は余裕そうに歪み、笑っていた。髪を掻き上げる腕に、見慣れないブレスレットが光る。お姉さんがそのブレスレットを見て、今までに見たことがないような険しい表情で睨んだ。

「椿! 貴女も身を滅ぼす事になるわよ!!」

とっさに声を上げるその声は、いつもとは全く違う声色。

「お姉さん、私、貴女を結構信じてたのになぁ」

嫌味を込めたような猫なで声で、そう椿さんが笑う。お姉さんはふん、とだけ息を吐き出して、くるりと、椿さんとは逆方向を向いた。

「……子供を使うなんて最低ね」

「そっちもでしょ」

彼女の目線の先にいたのは、お姉さんと同じぐらいの年に見える女性だった。スタイルはいいが、その表情は疲れきったように生気がなく、片腕は動かない? 動かせない? のか、見たこともない、複雑なギプスみたいな……良く分からない器具で固定されている。

隣にはお姉さんたちより少し若い感じの男性もいて、やっぱりお姉さんを睨んでいる。ふたりとも悪そうな人には見えなかったけど、お姉さんに注がれる視線は恐ろしく敵意に満ちていた。

「お揃いじゃないみたいですけど、あの子を何処にやったの?」

「……裏切り者は捕まえておかなくちゃ、すっかりお世話になっちゃって、ねぇ?」

女性がこちらと、あちら……私達と自分達を代わりばんこに指差す。その『裏切り者』が、ユウマネージャーの事だという事が分かった。

「……もう、何十年続けるの?」

お姉さんは呆れたように言葉を放つ、その声には迷いも恐怖もなかった。私は、もう怖くて怖くてどうにかなりそうだ。お姉さんがいつの間にか私の手を、強く握ってくれてる事だけで意識を保っている感じ。会話の芯が見えないと言うのがとにかく不安で、自分の長い黒髪がふらふら、足元がおぼつかない事を示す。

「あと百年は続くんじゃないかな?」

女性の、含むような笑いと冷たい声。

「懲りないのね。20年前、無様なステージを見せたのは誰?」

「うるさい!!!!」

普段からは想像できない、お姉さんの妖艶な煽りに逆上した女性が、お姉さんに殴りかかる。ギプスみたいなものを着けたその腕で。瞬間、拳を振り回しただけとは思えない風圧がそこに生まれた。床のタイルを剥がすかのような力の後すぐ、女性の腕から聞き難い音が発せられ、彼女からは悲鳴。苦痛の上を行くような、地獄の声。

しかし女性はその悲鳴を飲み込んで、また腕を振り回した。飛び散る瓦礫。まるで強い台風に飛ばされてくる小石みたいに、床の破片が私達に向かって飛んでくる。

「おっと!」

お姉さんはそれを人並み外れた動きで床をふわり、と蹴り上げて避けると、膝で衝撃を受け流しながら着地。そのまま私の肩を掴んで身を屈めさせて、3ステップで後ろに下がった。目の前にタイルがかたかた、と勝手に積み上がる。まるで私を守る盾のように。

それを見た椿さんが思い出したかのように動き初めて、ようやく私に殴りかかってくる。さっきの女性が腕を振り回した時と、似たような風圧を感じ、私は身構えた。私は対策がわからず、とっさに自分の目の前を覆うけれど、これじゃあ防ぎきれない……!

すると、目の前にまたもや破片が積み上がり、椿さんを飲み込んで、彼女もろとも動きを止めた。

「莢」

お姉さんがこの隙に、と言って私を連れ出すが、私は状況を飲み込めず走ることに精一杯。逃げ切った後には、その場がどうなってしまったのかはもう記憶になかった。

「まずは、隠し事をしていた事を謝らなければならないわね」

いつの間にか手を引かれて、辿り着いていたのはお姉さんの「隠れ家」だ。お姉さんがそう自称しただけで、実際のところはただの賃貸の部屋だったのだけれど、カフェとはまた違う、絵本やおとぎ話とかじゃない。もっと残酷な、伝承の物語。重々しい本が並べられた小さな部屋だった。

「……その前に聞こっかな、貴女は『魔法』を信じる?」

そう言ってお姉さんは、煙草に火を付けた。

***

魔法。この世界には『魔法使い』がいる。その魔法使いを、魔法の世界に住む者は『能力者』と呼び、人間の特技をもう少し大きくしたものに近い。

私が知っているのは、それだけ。どのぐらいの確率で存在し、どうしたらその力を得るのか、全く知らない。

そして、私がこの『魔法使い』についてもう一つ知るのは……お姉さんがいつか話してくれたお話。お姉さんお気に入りのお話。

「むかしむかし、地上に一人の悪魔が居ました、その悪魔は各地に現れては弱者を襲う、黒い羽根の悪い悪魔です。『彼女』はある日、海に悪さをします。すると、海は彼女の行いに怒り狂い、彼女は海に閉じ込められてしまいました」

お姉さんは、いつもここでこの話をやめる。めでたしめでたしでもなく、このあと悪魔が復讐したとかそういう事もなく。ただただ、まるで歌を口ずさむようなタイミングでこのフレーズを繰り返していた。

「……さて、この後」

「悪魔は、どうなったでしょう……って?」

お姉さんは煙を吐き出すと、深く頷いて微笑んだ。綺麗に保たれた部屋のキッチンカウンターに片腕を預けて、その上にあった一冊の本を優しく撫でる。そこにまるで何かいるみたいに。

お姉さんはいつも、この先のお話を私達に予想させた。

「この話には続きがあります、それはめでたしではない。でも、悪魔は”人間たちに”復讐はしない」

そう、人間へ復讐しない。それは、人間を悪と思わなかったから。じゃあ、その悪魔は……だれに復讐をした?

「災厄をもたらす彼女が、悪魔と呼ばれたのは人間での間だけ」

私の頭の中にあるスイッチがお姉さんの言葉によってひとつ、またひとつ……点いていく。回路が繋がっていく。

「彼女は、天の国を追放された天使だった。神様が命じた実験に失敗した実験体。神様が妬んで地上に送った……私だけの天使……」

その時のお姉さんの表情は、何よりも幸せそうな表情をしていた。思い出し笑いのような、ふっ、とした微笑み。指先はまだ本の表紙を愛おしげに撫でたままだ。

「彼女はその酷い人生の中で私に出会った。私と彼女は惹かれ合い、私は彼女の為に家族を裏切ってまで彼女とともに過ごした。でも、彼女は私を守るために、私と離れ離れにならなければいけなかった。私は彼女に生かされてここにいる。彼女がどうしているかは私にはもう知る由もない……だけど、私の心の中は、めでたしめでたし。……でも、このお話は、まだ終わっていない……」

そう言って、お姉さんは愛おしく本に触れていた手を、私の胸にこつんと当てた。

「貴女は……莢は、彼女の血を継いだ魔法使い。……『能力者』なのよ」

そのお姉さんの言葉が、静かな部屋に染み渡った。その直後、お姉さんが反対側の手で触れていたカウンターの椅子が、一瞬で大きな機関銃に変形した。

「!!?」

驚きに私は思わず身を引いてしまう。しかし、お姉さんの目はその動揺を見据えるかのような瞳で私を射抜く。嫌に冷静なその態度と、私の驚きはあまりにも対比的だった。

「……そして、私の血を継いだ『能力者』でもある。莢。貴女は、『伝説の悪魔』、『サナ』の力を持ち、私……『鈴乃つばさ』の力を引き継いで生まれた『能力者』……簡単に言うならば継承者。私達の意思を継いだ『娘』……」

「サ、ナ……? す、ず……えっ!?」

鈴乃つばさ。その名前に見覚えがあった。お姉さんの口癖、『汝、登場人物を愛せよ、しかし、恋をしてはいけない』を唱えた一人の作家。私が生まれるより前にミステリーをメインに書いていた昔の作家の名前だ。やっぱり、あの言葉はお姉さんの言葉だったのだ。そして、お姉さんは……形だけとはいえ、あんなに探し求めていた『私の家族』でもあった。

そして、私は『魔法使い』なのだ。お姉さんは続けた。

『椿は、私の腹違いの義妹、鈴乃翅の実娘よ。サナさんと私はかつて翅を歌で追い詰めた。彼女はその時の恨みを、椿を利用して晴らすつもりでしょう……。これは危険な事。彼女たちが持つブレスレットは、人間に魔法を与える『魔女』と契約した力で成り立っている、報酬の代わりに魔力を与える契約なの。貴女のお金はそこに回っているようね……そしてこの魔法は、使えば使うほど自分の身体に影響していく。肉体は破綻し、精神も追い込まれていく。……椿の受難体質はそれが由来でしょうね……。あの子達は私を倒すために自分の身を滅ぼそうとしている……それは、止めなきゃいけないわ、お互いのためにも」

「そ、そんな……」

私はその説明に愕然とするしかなかった。身体を壊し自分が不幸になると分かっていても尚、過去の復讐を、しかも親子で成そうとしている椿さん。そこまでの恨みを買ってしまったお姉さんこと……つばささん。お姉さんの経緯のすべてを聞いた私は、ひとつの疑問を持った。

「どうして姉妹を裏切ってまで、貴女は……?」

愚問だと思う。答えはわかっている。でも聞きたかった。彼女は目を閉じて、誰かを思い出して微笑む。もうその表情が答えだったけれど、彼女の言葉で聞きたかった答え。

はっきりと私の目を見て、それを告げた。

「たとえ誰に恨まれても、あの人を何よりも信じてたいから、かな。うまく言えないけど。」

得意げで、自信に満ち溢れた表情で。

***

歌手への転向を目指す傍ら、歌のレッスンの合間にお姉さんから能力の使い方についてレクチャーを受ける事になった。人間にはない第六感のようなものを、今まで自覚がなかったところから意識するのは難しい、とお姉さんは言う。しかし、慣れてしまえばどうってことはない。

「お芝居を学ぶのと何も変わりませんよ」

「……それでこそ、あの人の『子』ね……」

習って数ヶ月で、お姉さんも感心する程に魔法の操り方を覚えた。どうやらコツは既に役者の仕事の中で学んでいたらしい。

私が持つ魔法は、『声を武器に出来る事』だ。他の人の武器もある程度操ることが出来る。つまり、私が歌う事で、椿さんと翅さんが身に付けるブレスレットから出る魔法の力を加速できる。

「魔法を他人に売る能力者の存在を『魔女』と言うの。でも魔法を持たない人間に無理やり魔法を使わせる事は本来難しいこと。魔法使いの間では違反行為なの。大抵の人間は破綻する……。翅はもう、恐らくとっく……。20年以上は魔法を使ってる……悪いけどそれを狙わせて貰いましょう。死ねないのに砕け散る身体なんて、辛いだけだもの……」

人間の体に付随した『魔法のブレスレット』は、能力を使う度に身体に魔法が逆流して、負荷が掛かる。そうすれば、魔力の宿った腕が飛ぶだろう。それでも、魔法の力で簡単に死ねない苦痛だけが続く力なんて無い方がいい。お姉さんはそう言った。私もそう思うのでその意見に頷く。

「……椿さんとそのお母さんを……元ある道に戻しましょう」

私はそれを狙う為、わざと椿さんの行動を泳がせた。裏でお姉さんのがしてくれたサーチは完璧で、私はチャンスをガッチリと得る。歌手としての初仕事は音楽番組。そこには『魔女』に力を借りたのだろうか、それとも他の権力者か。椿さんもゲストとして席に座っていた。

私は、お姉さんと、悪魔と呼ばれた天使のひとりだけの味方でいる為にステージに飛び出す。スポットライトに照らされると、衣装のオーブを剥ぎとって客席に向かって腕を伸ばした。

腕にハマるのはいつかのマネージャーのプレゼントと、もう一つ大事なブレスレット。青と緑の石。私が生まれた頃から共にある、形見に近いもの。大きなお屋敷、沢山の音楽、そしてこのブレスレットだけが私の生まれた場所に残されていた唯一のものだった。

その正体は、『サナ』と『つばさ』が私に与えてくれたお守り。

「サナさんはこの世と私の目の前から去る時、『羽根』を残した。天使の羽根は魔力で出来ているの。貴女はサナさんが遺したお城に捨てられていた子供だった。城の主が居なくなって、使用人たちも行き場を失くした城に一人きりでね……。私は、サナさんの羽根と私の魔法を貴女に取り込ませた。貴女の命を守るために。そのブレスレットも私達の魔力から出来たお守り。貴女が一人でも強く生きていけるように願いを掛けた。……その結果、貴女を孤独に苦しませるような真似をしてしまって申し訳ないと思っている……ごめんなさいね……」

そう告げるお姉さんの顔は苦痛に満ちていた。本来ならそのまま野垂れ死んでもおかしくなかった命を、魔法で取り戻したという点では私も魔女と同等でしょう、と笑ってすら見せたがその顔は痛々しかった。

……多分、お姉さんも寂しかったのだ。愛する『登場人物』が居なくなって。その痛みは痛いほどに理解できる。だから、私はお姉さんの手を取った。

「今ここで、お相子にしてあげます……ですから、終わらせましょう。きちんと……悪魔のお話を『私』で……!」

私は観客へ向けていた腕を、とある方向へロックオンする。静かに一度閉じた目を開ける。指の先、指す方向には椿さん。そっと宣戦布告をするように睨んだ。

「聞いてください、『今日こそ、君を倒すため』」

マイクに吹き込んだ声は静かだった。すぐに歌は始まる。歌は極力、前向きかつ感動出来そうな明るいトーンのものを選んだ。これが復讐劇とは誰も思わないように。このタイトルの意味が椿さんたちにだけ伝わるように。

歌声と笑顔に乗せて、ステージを満たす私とお姉さんの復讐。私は踊りの中でも確実に、彼女の腕がひび割れるのをそっと見守っていた。

「!!」

途端、ステージ際からまるで刃物でも飛んでくるような、鋭い音が聞こえた。と、私の長い黒髪を掠める見えない何か。姿は見えなかったが、遅れて向かってくる風圧で察する。風だ、恐ろしく尖った風。

舞台袖に、お姉さんの義妹、そして椿さんの母……鈴乃翅が立っている。激痛が襲う腕を握り潰すように抑えながら、呼吸をゼイゼイと整えながら……確実に私を狙って撃ってきた。恨みの籠もった眼が私と、私の面影を見ている。あれが魔女から魔法を買い、長年使ってきた末路の姿……。彼女と椿さんの魔法は、『風を操る』こと。風を圧縮し、まるで手裏剣のような形に固め、飛ばしているのだ。

このままではステージを止められてしまう。

私は身体を捻ると、右足で地面を蹴り、左足でもう一度蹴る。魔法の出し方を学んだことで、魔力を使った身体能力の向上方法も身に着けていたからこそ出来る芸当だった。くるり、と宙返りした足元に、次は椿さんの放った風の刃が掠った。それを避けて着地した私の頭の先を掠める、翅が放った風を次は身を屈めて避ける。遅れて靡く、魔女の帽子の裾から覗いた私の自慢の黒髪が、チッと小さな音を立てて散る。

動きの読み合いのような、緊張した間合いの中私はまるで『魔法使い』のように踊り狂いながら歌詞を繋げた。そのパフォーマンスに、会場、客が唖然とする。戦いの踊りは、私と2人が完全にその場を支配している証だった。

この歌を歌っている間、相手の消耗……つまり、魔法を使うことで受けるダメージは強くなる。しかし、それは同時に相手の攻撃力も上げている事になる。攻撃が当たると、私にも大きなダメージがあるという事だ。それに、私は現状、表向きはアイドルとしてステージパフォーマンスをしなければいけない分、分も質が悪い。

「……っ!」

必死に避け続ける。けれどそれにも限界がある。私の足が縺れ初め、代わりに向こうの狙い撃ちの精度が上がってきた。頬を掠める風の刃はヒリヒリと私の肌と心を焼く。想うのは今までの仕打ちとお姉さんに聞かされた愛する天使の話。

これ以上、私から何を奪うんですか。私達から。あの人達から。何を奪えば、気が済むんですか。お金? 仕事? 家族?? 誰かの自由?? 自分の命???

「………ぐ、うっ……!」

そう願いながら踊っていた私の足先を、何かが掠めた。バランスを崩し揺らぐ私の視界の中で、笑うのは椿さん。指先がこちらを向いている。

しまった。

「莢!!」

と、反対側から叫ぶ声。張りのある鋭い、でも綺麗な声だった。スローに感じる景色の中、転びながら顔を横に向けると、駆けてきたのはお姉さんだ。……と、思ったら、一瞬にしてお姉さんの服が、パッ、とまるで花が咲くように変化する。魔法だ。一瞬にして、それは『舞台衣装』に変化する。

その衣装は、マーメイドドレスのような細身の白いドレス、宝石をあしらった髪飾り……!

私は、目の前の光景が信じられず目を見開いた。彼女の姿を見たことがある。家にあった、沢山の音楽の記録。その中にあるノイズ混じりの一つのライブ映像……。一瞬にして理解した。あの歌はお姉さんとお姉さんの天使の歌だったのだ、私はそれを聞き育ち、その血統でこの力を得たのだと。

裾を翻し、ふわりと駆けてきたお姉さんが私の背を受け止める。その手のひらを空に滑らせると、空気を固めて防御したらしい。もう風の攻撃は来なかった。

「お、おねえさん……?」

唖然とするままの私にお姉さんはウインクを一つ決めると、人差し指を唇に押し付けた。

「私の名前は……『プレナイト』」

『葡萄石』、それが、彼女が覚悟を決めて歌う時の名前。

続くお姉さんの歌声は、どこまでも伸びるような、綺麗な綺麗な声だった。フレッシュで、きらきらした歌。それは本当に、宝石みたいな声だった。

「お姉ちゃん……いや、『プレナイト』!!」

長年の仇、本人の登場に遂に痺れを切らし、舞台袖から飛び出してくる翅と椿さん。観客は未だ呆気に取られている。それもそのはずだ。しばらくの間姿を現さなかった女優と元アイドル歌手が乱入し、歌手に転向したばかりの元女優のステージを邪魔する姿を見ては驚くしかないだろう。

私はお姉さんの歌に被せるように、私は幼い頃に覚えた旋律を辿る。もうそれは心に染み付いていた。私は歌うのは『サナ』のパート。お姉さんが安堵したような、それでいて懐かしげに笑ったのを見て私は更に声を張り上げる。その力は2人分で何倍にも作用したらしい。椿さんが腕を押さえて、その痛み、苦しみに悶える姿が見えた。

「うわぁああああああああああああああああっ!!!」

翅はそれでもまだ、余力を振り絞りお姉さんに食って掛かる。叫び駈け出して襲いかかった。崩壊寸前の腕を振り上げて、拳におぞましい風の音を纏わせた。その勢いで、彼女が腕に嵌めていたギプスのような器具が弾け飛ぶ。お姉さんの解説によれば、あれは不安定になった魔力を安定させるためのブースターらしいけど……あんな威力……あんなのを食らったら、みじん切りにされてしまう!!

「お姉さんっ!!」

私は慌ててお姉さんの方を振り返る。しかし、お姉さんはそれをあっけなく片手で受け止めた。お姉さんの手に握られていたのはマイク。武器化の魔法で、硬度を変えたのだ。

キィィィン、とハウリングが響く。

お姉さんは涼しい顔で翅の手首を一捻り。ぴき、と引き攣る音と共に、翅の声が悲痛に響く。

「きゃあああああっ!!」

「……私達の争いを、次世代に継がせてはいけない」

強い瞳でお姉さんはそう、静かに言い放った。

「……っく、っ、莢に歌わせた、貴女も同罪、でしょ……」

翅は見難く私を睨んで顔を歪ませる。その表情はかつてのアイドルとは思えぬ表情だった。お姉さんは静かに目を閉じて、そうねと呟いた。ひと呼吸後、静かに呟いたお姉さんの声。

「だから、もう終わらせましょう。この物語を。この歌を。自分の罪は自分で償う。あの人がそうしたように……」

お姉さんはそうして、穏やかに記憶の中の天使に微笑む。

瞬間、パキン、とお姉さんの手元にあった翅のブレスレットが砕け散った。キラキラと光を反射しながら、粉と化してステージに舞う。ついに魔法を受け止めきれなくなった魔女のアイテムが、まるで雪のように消えていく。

「ぅあ゛あああああああああああああっ!!」

人間の身体で無理やり使った魔法。その依代を失った魔力がどこに行くのか……私はそれを知らなかったが、彼女の様子を見れば分かった。……ただ、今までの代償をその腕に受け止めるしか出来ない彼女の叫び声が、ステージ全体に響き渡った。

***

あのすぐ後、二人は騒ぎを起こした事で退場を余儀なくされ、その流れで翅と椿さんのした事がようやく明るみに出た。私の訴えが通ったのだ。お姉さんの用意した書類と証拠でトントンと事は進んで、私の奪われたお金や権利も戻ってきた。何もかもが元通りになるのに時間はそう掛からなかった。

椿さんとの友情を除いて。

私は椿さんが逮捕されるその時、次会うときには椿さんに演技で勝負出来るようにしましょう、と直接告げた。椿さんは黙ったままだった。彼女の魔法はまだ生きているが、母……翅の方は魔法の反動でほぼ意識が無い状態だ。買った魔法は、丁寧に使えば寿命までに魔法で身を滅ぼすことはないとお姉さんは言う。彼女の使い方は最悪の例だと呟きながら、かつての妹を今度こそ見送った。

実は翅とお姉さんの家の長女の娘……お姉さんから見て『姪』だという、ユウマネージャーも無事帰ってこれた。

マネージャーのお母さん、つまりお姉さんの実姉も翅に手を貸していて行方不明だという。お姉さんは、実姉が苦手らしく、このまま居なくなってくれたほうが楽だといってちょっと悲しい目をした。翅と一緒にいた椿さんのお父さん……なんと、これまた腹違いでお姉さんの家の末の長男らしい。彼もグルだったみたいだけど、今のところ彼に罪は問われていない。

「……私もユウもこの家系が嫌で逃げてきた身なの。でも逃げるだけじゃ駄目ね……きちんと決着を付けなきゃ」

お姉さんは、今度は2人の復讐に気をつけなきゃ、と笑っていたけれど……お姉さんなら、きっと大丈夫だ。何故ならお姉さんには、お姉さんだけの天使の加護があるのだから。

私はというと、アイドルとしての活動を本格的に始める為、この街を出ることになった。ここはミュージカルの町。アイドルは少しだけ趣向が違う。隣町のほうが歌手活動には何かと都合がいいからそっちを活動拠点にする為に。

「お姉さん……あの……一緒に行きませんか?」

直接的ではないとはいえ、同じ魔力の血統を持つ家族として、別れ際、ダメもとでお姉さんを誘ってみた。

しかし、お姉さんは悲しげにゆっくりと、やっぱり、首を横に振って俯いた。

「私は一人静かに物語を語っているのが好きなのよ」

満足そうな笑顔で、お姉さんはそう目を細めた。そうして私の肩を抱いて、くるりと私を方向転換させる。背中をとん、と叩かれ、突き放された。

「応援しているわ、私達の自慢の歌姫」

日の傾く夕方。黒髪を靡かせてこの唄と踊りの町を立ち去る彼女は、いつかの天使の姿に似ていた。