-Labe3 Trac.1-
目が覚めればそこは、見慣れた城。ステンドグラスの光降り注ぐ、コルトード・フォルクの城にある中央のホールだった。座っているのは玉座とも負けを劣らぬ、この城を抜け出してから長く空だった主の席。嫌いだったこの席に降り注ぐ一筋の光に指先を翳す。サナは、その腕をゆっくり伸ばし、拳を握りしめて一度開いた。違和感はない、上手く行った。この身体で戻ってこれた。穏やかに笑う。
その身体は、あの時失った十六歳の少女のものではない。成人した大人の女性のものだった。そこに遅れて目覚めたのか、駆けてホールへ飛び込んでくるくる男性もまた中性的な幼さが残るものの、成人男性のそれ相当の姿。見慣れた双子の弟の顔だった。
「……サナちゃん、一体何をしたの? どうして、僕達は生きているの?」
ホールのドアを開け放つ音と、ルナの放つ重い声が遠く響く。
「何って、私達の能力が宿ってしまった人間の監視、でしょ? 神から直々の指示を『一緒に聞いた』じゃない」
ステンドグラスから落ちる光が、サナを逆光の闇に包み、ルナには表情がよく見えない。ただ、その声色は何かを企んでいるような、それでいて何処か闘気を感じさせる強い声色だった。
亜天界でアメときぃが犯したのは、「神に逆らった罪」ともうひとつ。あの実験室から持ち出した「サナとルナの魂」を地上に落としてしまった罪だった。その魂は魔力として特定の人間に宿ってしまい意図せず新たな能力者が生まれてしまった。
アメという一人の天使に戻ったはずのサナとルナは、もう一度サナとルナ、2人の天使と悪魔として『その人間の能力が消滅するまで魔力を使わないよう監視する事を命ずる』と、神様直々に言葉を貰った。
そしてこの世界、この時間に再び堕とされたのだ。
「そうじゃないよ……! この姿は……?」
しかしルナが聞きたいのはそれではない。大人の姿のふたり。サナは玉座から立ち上がると、静かにその席をなぞる。
「……あの時、ライトに吸われた私の魔力は予備……大まかに言えばダミーよ。私はこの地にあの時出せるだけの魔力を置いてきた。……私を守るように出来ているこの城。この玉座を依り代にね。その力で身体の時間を進めさせて貰ったわ」
そして、サナが指差す正面に眠るもうひとりの同じ顔。長い髪が毛先だけくるくるとウェーブを巻き、金髪から始まって毛先は完全に黒く変色している。その女性が纏う黒いドレスには見覚えがあった。ルナは、サナが指した先を辿って一瞬を置いてから、ようやく彼女がきぃだと認識する。
「でも、この子は大人になる事が予定されていなかった。だから、与えられた自分の姿を保持できないのね。無理矢理に、『差』を付けた反動で。私に近づいているんだわ、元は私のクローンなのだから」
「どうして、そこまでして大人の姿を……」
サナは黙って玉座から降り立つと、ルナの横を通り抜ける。静かにまだ目を覚まさないきぃの、サナに近づいているという証の髪を梳いた。いつもの通りに「ごめんなさい」と呟くサナは、やはり何よりも悲しそうな表情をしている。が、その顔色も次の瞬間一瞬で色を変え、強い視線がルナを射抜く。
「私は戦う覚悟をしたの……! もう誰に支配されるつもりもない、この任務だってそう。ただ黙って監視なんかしない。能力者の消失を待つんじゃない。戦うことを教え込むつもりよ」
「!」
突如に向けられたサナの強い視線に、ルナははっとした。今まで全てを抑制され、諦め、感情を殺してきたサナの姿はもうどこにもなかった。
「……昔ね、逃げないこと、抗うことを教えてくれた人がいたの。貴方と再会した頃にね。……私はそれを今に引き継ぐ! さぁ、行きましょう。つばさとよくが待っているわ、もう呼び出してあるのよ」
そういうと、サナは迷いのない足取りで城を出る。まだ眠るきぃを残すことに躊躇いつつも、ルナもその背を追って城を飛び出した。サナとルナの能力を落としてしまった人間、つばさとよくを迎えに行くために。
これは、長い永い物語の始まりに過ぎなかった。
***
――私が「お姉ちゃん」の事を知ったのは、丁度スカウトを受けて、アイドルになるかどうかを迷っている頃だった。お父さんには、「お母さん」がふたりいる。そしてもうひとりのお母さんとの間にいる子を、彼は『化け物』と呼んでいた事を知っていた。
ある日、私はその「化け物の子」の写真を偶然、お父さんの部屋から見つけてしまった。いや、無意識のうちに気になって探していたのかもしれない。珍しく開けっ放しの部屋に忍び込んで、本棚を探せば意外とすぐだった。
「これが……『お姉ちゃん』……」
一目惚れだった。おとなしそうな女の子が、じとっと、こちらを見ているだけの静かな写真だった。そこからの行動は早く、私はスカウトを承諾してすぐにアイドルの座をのし上がった。元々、人に愛想を振りまくのは得意だったのもあるのだろう。芸能活動の中で磨きをかけたアイドルフェイスと、情報のコネを使って、私はテレビの力で彼女を探し当てた。
お姉ちゃんには姉がひとり居ること。小さな港町で古書堂をしている事。他に近い身寄りは居ないこと。……死んだお父さんの事はもう、なにも知らないということ。手に入った情報はこのぐらいだったけど、それで十分だった。
そうして集めた情報を元に、私はとにかく今すぐ会いたくなって行動に出た。写真の中のお姉ちゃんに会えるのだと、内心嬉しさを隠せないままに、小さな町のはずれ洞窟に静かに佇む古書堂に足を踏み入れた。そこからは着実に話が進んでm案外、3人での暮らしは呆気なく手に入った。今思えば、あまりに上手く行き過ぎたかもしれない。ある日突然、腹違いの姉妹本人が訪ねてくるだなんて普通は受け入れがたいはずなのに。
しばらくは私もその嬉しさから見て見ぬふりをしていたんだ。その『化け物』だった憧れの『お姉ちゃん』、『鈴乃つばさ』が、『普通の人間』である事に、深刻なまでに悩んでいたこと。その姉の『鈴乃よく』と、私『鈴乃翅』が、魔法を使える能力者だって事。私は魔法を売る『魔女』という存在から、魔力を買った、自分から化け物になること選んだ人間である事。
そして、
『翅……あんた、声……!!』
『……!』
彼女の悩みの末に失った、『憧れの人』と、私の『歌声』。それを取り戻す事。
それが、この旅の始まりだった。
***
家出から始まったその長い旅を終えた時のことだ。私は、私だけの力で初めて迎えた達成への嬉しさよりも、どことない寂しさがそこにあった。探していたあの人は、結局見つからずじまいになってしまった。どうしても会いたかった、あの日あの夕暮れ時に『またね』と言ってくれたあの人。あの一晩、あの瞬間の怒りの声。それがどうしても忘れられなくて、諦めきれなくて、足の届くところは何処へでも行った。噂を聞けば駆けつけた。
……だけど、この国のどこを巡っても、隅々まで探しても。その『また』は訪れなかった。最後の地図にバツを付けて、地図はついに埋まってしまった。ただ、探すうちに胸の内に溜まっていく想い。辛うじて旅の先々で聞いたあの人の痕跡と、物語。それだけが私の背中を押して、私を新しい世界へ駆り立てた。
あの人が居ないことを認め、諦める。その代わり、私は新たな物語を求めることにした。新たなページを埋めてさえしまえば、きっともう寂しくなくなる。あの人は居ない。『また』の約束は、約束でしかなかった。あの人の面影の残る国はもう見たくない。悪く言えば蓋をした。そうしたらきっと、あの人がまた怒ってくれそうな気が下から。
そうして辿り着いた異国の地。私は、ずっと私の背を追ってきてくれた義妹の手をようやく取った。これでいい。多分、これが一番丸く収まる。愛してもらえるだけマシなのだ。そう言い聞かせて今は二人で、流れる人の中で誰にも怪しまれることもなく、このビルの森の中高い空を見上げながら日々を過ごしている。
これ程、幸せなことなど無い。はずだ。……多分。
「ん?」
そんな事を考えながら付き添ってやってきたスタジオの向こう、ようやく歌を取り戻した歌姫の笑顔をぼーっと眺めていると、そのスタジオの入り口に少女が立っていた。有名子供服ブランドの可愛らしいロリータ服に身を包んで、頭に派手なリボンをしてるのが妙に目立つ。しかし当の本人はその見た目に似合わず、やけに大人しそうな少女だった。妙に顔の整った様子、物怖じしなさそうな態度……どっかから紛れ込んできたキッズモデルか何かだろうか?
「どこの所属の子かな…? 今は収録中だよ」
しゃがんで目線を合わせ優しく声をかけると、その子は何も言わずふいとそっぽを向かれる。一言も喋らない。いや、喋れない? 人見知りしているのだろうか。……子供の扱いには自信があったつもりだけど、そっけなさに軽く肩を落とす。
「ああ、こら、結羽(ゆう)こんなところに居やがった!」
ため息を付いた瞬間、廊下の向こうから聞こえてきたのは随分乱暴な女性の声。その声の響きに、どこか懐かしさと嫌悪感を感じて顔を上げたところで、その子めがけて駆けてきた相手と目があった。
「げっ」
「あっ」
結羽と呼ばれた子供は、ぴゅい、とそいつの後ろに逃げ込んだ。やはり人見知りだったか、なんて見当違いな感想を脳裏に描きつつ、身体は警戒からヒールを2,3歩よろめかせた。眼の前の女性はあからさまにしまったー、顔に書いてある。苦い表情で私を捉えた。
「姉…さ、ん……」
私の顔が青ざめる音が、自分ではっきりと感じ取れる程に、私はこの人に再会したくなかった。あの旅の中で乗り越えたと思った彼女の存在は、いつの間にかトラウマに近しい何かに変化していた。あれだけ我が儘に逃げまわり、成長していない自分を自覚してしまう。いやだ。勝手に手が震えだす。とにかく、彼女に出会うと、劣等感という劣等感が毛穴から吹きだすようだ。
「……何? また私を追ってきたんですか?」
「……ちげーよ、となり町に住んでる、そんだけ」
明らかに不機嫌になった私を見て、向こうも不機嫌になる。ぼそりと言葉を返し、後は黙ってしまった。乱雑な口調とは裏腹に、一緒に暮らしていた時とは雰囲気の違う嫌にきちんとした格好が目につく。古書堂に居た頃はあまり服装には気を使う様子はなかったし、かと思えば日常生活には不釣り合いなドレスを着始めたりとなかなかいい加減な印象があった。が、その子供と並ぶと明らかに「保護者です」と言わんばかりのスーツ姿。場所が場所なだけに浮いていないのが逆に違和感だった。
「そもそもこんな所で何してるんですか?」
「こいつのオーデだよ、子役の」
そう言って彼女は背後で震える子供を指さした。その指には、知らない結婚指輪が嵌められている。結羽と呼ばれた子は、子供らしい柔らかなセミロングヘアに、俯くことでそのほぼ無いに等しい表情を隠していた。
「……結婚してたんですね。それにしても子供を使うなんてサイテーな親ですね」
「ちがっ……つばさ!」
さてそのオーディションとやらも信じられるものか。ストーカーにしか思えないその行動に軽蔑の目を向け、私はスタジオに戻ろうとする。姉さんは声を上げてそんな私の腕を、突然に掴んだ。
「触らないで!」
私は思わず身を引いてしまう。私の悲鳴がスタジオに響き渡って収録が一瞬ピタリと止んだ。その申し訳無さに頭を下げながら、姉さんを睨む。姉さんは私に叫ばれた事にショックを受けたのだろうか、腕を伸ばしたまま、俯いてぼそぼそと呟いた。
「……魔法の事、黙っててごめん、でも、俺は、つばさの事を」
「まだ言うんですか……。何年も前に言いましたよね。もうその事は終わりです、ほら仕事の邪魔しないで下さい」
「つばさっ……!」
私はそのまま、スタジオから姉さんを押し出した。姉さんの声が響く。収録に入るからやめて欲しい。貴女の声をもう二度と聴きたくない。遮断するつもりでドアを閉めた。
「……私は、もう『つばさ』じゃない」
確かめるように呟く。私は、この街に来て、『鈴乃つばさ』を棄てた。魔法に憧れた無力な古書堂員を。悪魔に焦がれて旅をした旅人を。サナさんを見つけられなかった私を。
「私は……『プレナイト』」
ベリィング・プレナイト。それがこの街での私の偽名。
『サファイヤ』の名前を名乗った彼女の姿を見つけられなかった私が、背負った後悔の名前。必要のないものを捨てる意思を司る、石の名前。
……それなのに、ステージの中で歌い踊るあの子の声に……あの日の、あの人の歌声を探してしまう自分が憎い。あの森の中で聞いた歌声をもう一度聴きたいと願ってしまう。これは、名前だけでも、サナさんのそばに居たかった、そんな情けない名前。
だから、私は目を瞑る。あの人の思い出から目を瞑っている。捨てる意思を持つ、石の名前を腕に抱えて、『鈴乃つばさ』ごと見ないふりをしている。
「あんなに、探したのに……サナさん……またねって言ってくれたのに……」
貴女は、もう私の前に現れてはくれないから、この心の奥に仕舞い込んで置くことにしたんだ。あの人を求めて、ずっとずっと歩いてきた事を。楽しいのに怖くて、苦しいのに温かい歌を聞いたことを……辿り着いたこの街で、お終いにしたのだ。
「おかえり」
ようやくステージを終えて戻ってきた彼女、私の恋人、私のアイドル……私の義妹。HANEの芸名で活動する歌手、鈴乃翅は、今日も可愛らしい笑顔を振り撒きながらスタッフの隙間を縫い、まっすぐに私の元に駆けて来た。唯一のマネジメント担当アイドルの頭を撫でると、彼女は柔らかく笑う。それはさっきまでのどの笑顔よりも可愛らしく、先程まで緊張していた事を表していた。
「ただいま。ねえ、さっき誰かと話してなかった? もしかして、新しい担当さん?」
「全っ然! 貴女の担当は私だけ。しばらく一人にしてごめん……」
その言葉に、彼女は困ったように微笑む。複雑そうな表情に心が痛まない訳はなかった。それでも、送り出そうとしてくれる努力は伝わってくる。私は、彼女の好意に甘えているのだろうか。
「……今度こそ、諦めるから……」
私は目線をそらし、そう呟くのが精一杯だった。彼女の視線が痛い。
「もう絶対に、貴女を置いて旅に出たりしない、今回で、最後にするから……ごめんなさい」
そう、今度こそ心を入れ替えよう。だから私は、鈴乃つばさを名乗るのをやめた。
***
夢を見る。時々見る夢。人を刺す夢だ。
夢の中の私は子供よりも、ずっと子供な子供だった。私には子供の頃の記憶が無いはずなのに。あまりに非現実的で、この夢が本当にあった事だとは思えない。なのに全てがリアルで、現実を体験したような気持ちになる夢だった。私の心には幾重にもフィルターが重なっているように、気持ちが遠くて、今みたいには上手く笑えない。ただ仲間を守らなくちゃと内側で強く願いながら、無機質にナイフを振るうのだ。
恐ろしいほど、自分の事なのに怖くなるほど、ただ機械的に、私は鋭い刃で誰かを傷つけていく。
「やめて」
今の私が叫ぶ。刃物を握った子供の私が振り向く。
何故? と零し、当然といった風に振り向く私。少し長くてまっすぐな髪を揺らし感情のこもってないガラス玉のような瞳を少女のようなあどけない顔と共に私に向けた。
「『 』を守るために、他に何が必要?」
「うぁああああっ!?」
飛び起きると、そこは自分のデスクの上だった。
「うぁ……はぁ……なんだ、またあの夢か……」
冷や汗でキーボードがダメになるんじゃないか、と思うほどにびっしょりと嫌な汗をかいていた。慌ててポケットに入ったままのハンカチで拭う。しっかりした生地のジャケットすら脱いでいない状態で机に向かっていたのがさらに寝苦しい。
話の途中で書き手を失った私の物語は、キーボードの上に突っ伏していたせいで意味深な雄叫びで埋め尽くされていた。このままこの本を提出したらどうなるのだろう、と奇っ怪な発想に至るほどには、締め切りに追われているせいで悪夢なんて見るのだろう。もう一度溜息を吐いて、顔を洗いに机を立つ。
軽く身支度を整えてから時計を見上げればそろそろHANEのラジオの時間だった。次の仕事の為にもスタジオで合流しなければ。この原稿は、これはこれで面白いので、このまま保存しておいた。
***
「はーい、スタジオあけます、さん、に、いち……」
『みなさん、おはようございます! HANEのウィークリー・ラジオのお時間です!』
スタジオに向かうと、ちょうどHANEのラジオが始まった時間だった。スタッフの声と共に、HANEはマイクに向かって声を張り上げる。手慣れた挨拶は耳に心地よく、変な夢から現実に戻ってきた心地がした。
私はその活躍ぶりに、ガラスの向こうからオーケーサインを出してみせる。HANEもウインクでそれに答え、穏やかにラジオ収録は始まった。
『まずはオープニングから――』
今日も順調に終わりそうだ。挨拶から流れるように本題に入り、そうHANEが声を上げた時、スタジオと録音機器、その他もろもろを隔てる壁が突然に吹っ飛んだ。爆音と共に。思わずHANEが目を瞑って頭を腕で覆う。私も身を屈めた。ばらばらと爆風で何かの欠片が当たって痛い。
「HANE!」
タイミングを見計らうと、慌てて彼女の前に飛び出す。手を広げ正面に突き出すと、まるで命が宿ったかのように床のカーペットが立ち上がった。そうしてHANEを囲むように、『私は』盾を作った。
――それは、あの家出始まりの旅の途中。日記を書いている途中で眠ってしまい、『ナイフの夢』を初めて見たあの日。……私は、ペンを『ナイフに変えて』しまった。
本の中で知って、それに憧れ、姉と義妹が『それ』であると知り、隠し事をされていた事と、自分の無力さに距離を作った原因。事の発端。この世に存在する魔法使い、通称『能力者』の血。それが、私にも流れているという証だった。
『能力者』は通常、特殊な事情が無い限りはある一部分に特化した魔法を使う。訓練次第では幅を広げて、天使や悪魔、妖精のような『元々魔法を使える種』と近い、幅広い魔法を使えるようになるみたいだけれど……私が始めに得た魔法は、『触れたものの武器化』だった。
でも、あの夢のせいで刃物が怖い。やがて先端恐怖症になってしまった私だったが、それ以外の武器はよく作り上げた。こうして床を巻き上げての防御はもちろん、特によく使うのは魔法で作った小型銃。
まあ大本が魔法なので、銃そのものを作らなくても、指でバーン! でも十分戦えるんだけど……なんか小恥ずかしいので武器を成形する。私は絨毯の盾に恋人を守りながら、怪しい人影を見極めて威嚇射撃を放った。
「危ない!」
HANEの体勢を床スレスレまで伏せさせると、さっきまでHANEの頭があった場所、そこのすぐ上を『何か』がかすめ飛んでいく。壁に穴を開けて、何かが弾けて消滅していくのが見えた。光の塊みたいな、何か……モノじゃないな、物理的な攻撃ではない? ビームの塊のような、とにかく『何か』が飛んで、壁の向こうで爆発した。
「とりあえずここは任せて。逃げて、HANE」
「何、なんなの?」
あまりに突然の事で、私の義妹は混乱している。ヒステリック寸前の高い声で狼狽える姿を落ち着かせるように、私はHANEの肩を抱いた。
「わからない、でもとりあえずスタッフの人の安全を」
「わ、分かった!」
爆風が収まり、私は絨毯を魔法の呪縛から解いた。へたり、と布の塊に戻る絨毯。その間にHANEは瓦礫と化した機械を、これまた彼女の『能力者の力』である風で吹き飛ばして、スタッフを避難させる。
HANEは右手に付けたブレスレットの、延長線上にある空気を風にして操れる能力者だ。『魔女』との契約で成り立っていると聞いたけれど、私は生憎、魔女には詳しくない。どうやら能力の無い人間でも魔法を使えるようになるらしいんだけど……
ちなみに思い出したくは無いが、姉さんの能力は天気を操る事だ。姉さんは格闘技経験もあるので、天気コンディションから油断した敵を倒すという組み技を使ってくる。……ので、敵に回したくないという意味でも、彼女に関わりたくないのが正直な所だった。
そんなどうでもいい事を考えるほどに間が空いた後、巻き上がる粉塵の中、不気味が足音か近づいていることに気が付く。私は耳を澄ますと、HANEに向かって静かに、と人差し指を唇に押し当てた。
一歩、一歩、その影は近づいてくる。
「今っ!」
「うんっ!!」
私の合図で、HANEが粉塵を吹き飛ばす。瞬時に開けた土煙の中から現れたのは……こちらを睨んだ、つんつん頭の……不良っぽい風貌の少年だった。攻撃の派手さの割に、若い少年の出現に一瞬怯んでしまう。しかし、何歳だろうが襲撃は襲撃だ。思い直して警戒を強めた。
「……貴方が犯人?」
「……ガードがいるなんて聞いてないぞ」
思わず疑問の声が漏れる。……のは、向こうも同じようだった。少年は私を睨むとそう呟く。
「……そもそも何も貴方に教えたつもりもないけど……目的は? 下手に出ると怪我するわよ」
「……それはどうかな」
少年はニヤリと笑い、わざとらしくそう言うと、翅を指差す。
「鈴乃翅! お前を……殺す!」
は、と疑問の声を漏らすのも間に合わない。何? 翅を殺す?? 困惑した瞬間。視界が悪いのと、相手の動作が速いので上手く確認は取れなかったものの、少年の手から爆発物のようなものが放たれたのが、一瞬だけ見えた。あの手法でどうやらラジオ局を襲撃したらしい。
「させるか!」
向こうの攻撃の正体は見抜けないまま、咄嗟に私はHANEの前に飛び出し、魔法で小銃を作り出す。彼と私の攻撃がぶつかり合い、さっきのような音とともに、爆風が巻き起こる。また周囲は粉塵に包まれた。少年は吹き飛ばされ、すぐに身動きが出来ないようだ。チャンスと思っていいだろう。その瞬間を見計らい、私はその場から距離を取る。
「残念だけど、レベル差が開きすぎているようね。」
私はそう叫ぶと、HANEの手を取って駆け出した。
「翅、ここは一時撤退しましょう」
私とHANEは、そう言って既に跡形もないスタジオを後にする。空を飛べる翅の能力で、私達が飛び立った後には、少年だけが悔しそうに立っていた。
「くそっ!」
***
「さっきの少年について調べがついたわ」
自宅でもある都会の一角。ビルのワンフロア、HANEの事務所兼、私の仕事場兼、私達の自宅で、私はノート型のデバイスを広げていた。彼の顔だけはしっかり記憶していたので、この国に入国を管理するためのデータベースに侵入したのだ。ハッキングというと聞こえが悪いが、とにかく情報を得ることに対しては得意分野。これもサナさんを探す旅の中で身についてしまった不要な特技だったが、こんな事に役立つとは思ってもみなかった。
私はそこから出てきたデータをHANEに見せる為、画面をくるりと回す。浮かび上がる文字が彼女の目の前に踊った。ソファの向こうでまだスタジオで着ていた衣装のまま、コーヒーのカップに口を付けていた彼女は不安そうな表情で画面を覗き、その文字達に向かい合って首を傾げる。
「どうやら詳細が登録されてないみたいね」
「えっ、それじゃあ…?」
「わかったのは、『プルーム』という名前だけ……どこからどうやってこの国に来たのかも足がつかない。怪しいわね」
肩をすくめ、私はそう答えた。これ以上は、どうにもできない程に分からないのだ。とりあえず、今日はこれ以上騒ぎを起こすわけにも行かず、探るにも危険。様子見をするしか無い。どうやら私達を追ってまでは来ないようだし、彼はどうやら他の人間に危害を加える気はないようだ。他にどこかで騒ぎが起きている様子もなく、翅への敵意を考えても他にターゲットは居ないようだ。HANEはその事実を知ると、はぁ……と深い溜息を付く。
「ああ、よくわかんないけど、大変なことになっちゃった…」
「臨時オフって事でいいじゃない?」
私はそう笑うと、端末を抱えてデスクに向かい直す。先程の原稿の続きは進まないほどには私も大変なことだと思ってはいるが、それは表に出さない。……もしかしたら、スランプを認めたくないだけなのかもしれなかった。
「あはは、それってマネージャーの言うセリフじゃないよね」
「……それもそうだね」
ふたりは、仕方なく笑いあった。
翌日、昨日の今日で警戒しながら仕事場になんとか辿り着いた。しかし、昨日の騒ぎでマスコミは押し寄せてくるし、彼がいつまた襲ってくるのかも分からない。警戒しながらではまともな仕事は出来なかった。
これもプルームの妨害なのかどうか分からないが、何故か機材の故障なども重なり、ライブを控えているHANEは、リハーサルすらままならない状態。彼女のコンディションも心配なので、自宅でのイメージレッスンに励むしかなかった。
「ごめんね、お姉ちゃん……お姉ちゃんも締め切り近いのに……」
「大丈夫大丈夫、私には貴女ほどそんなにファンいないから、ね。心配しないで」
「そーゆー問題じゃないと思うけど……」
HANEはため息を付く。これだけハプニングが続くと、今やっている仕事内容そのものにも影響が出てしまうだろう。気をつけなければ。マネージャーとしての責務ものしかかる。……そしてやっぱり、私の原稿は進まないままだった。
***
まるでそれは、私がお父さんに『復讐』を誓った日、長かった髪を結ったのと同じような決意を感じた。髪を伸ばすつもりだと言っていたお姉ちゃんは、私に向かって今まで見たことないような強い笑顔を向ける。そこに、誰かを探すように旅を続けていたあの姿はなかった。
やがて居場所を探して流れ着いた都会のビルの屋上。こじんまりした小さな犬小屋のようなチャペルで、2人だけで、小さな2つの指輪が運ばれてくるのがおかしくて、ベルの音に合わせて笑う彼女の表情に違和感を感じた。結婚式のはずなのに、どこか諦めのような、哀愁のような。何かを葬ったような顔を私は見逃さなかった。
***
結局あれから、プルームがHANEの前に現れる事はなく、ついに何の進展もないまま、ライブの当日を迎えた。いつもより厳重に警戒がされたドームの中、HANEは音合せを終えついに残すは本番だけになる。調整はこれで大丈夫ですか、という確認にHANEはスタッフたちに頭を深く下げた。
「大丈夫です、ありがとうございます!」
「お疲れ様でしたー!」
HANEはステージを降りると、客席を見渡した。いつもなら客席でスタッフに混じって調整にあたっているはずのプレナイトがいない。
「お姉ちゃん? 今どこ?」
楽屋に戻ってプレナイトに電話をかける。案外プレナイトはすぐ応答した。もしかして忙しいのだろうか、あの騒ぎの後ではしょうがないかもしれない。
「お疲れ様、リハ終わったの? 今日はちょっと、私も本番ギリまで警備に回ってるから付けなくてごめんね。大丈夫、あれだけ練習したんだもの貴女ならうまくやれるわ。流行ってた頃に比べれば、こんなのミニライブも当然だもの」
「ははは、そうかもねっ…て、そうじゃなくて。本番、大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫、じゃあ、楽しみにしているわ」
電話の向こうのプレナイトは、明るい声を張り上げる。その声色は普段聞くよりも、妙に明るく振る舞っているようにも聞こえてしまった。HANEは思わず端末を握りしめる。けれど、彼女がそう言うのなら、まあ大丈夫だろう、と電話を切った。彼女が本番間近までそばにいない舞台は久々だ。
「よくわかんない、わからないけど! 私にできることはこれだけだから……がんばらなきゃ」
一目惚れしたあの日から、何年も掛かってようやく彼女の隣を手に入れた。お姉ちゃんに好きで居てもらうには、歌うしかない。彼女は歌う自分を求めている。HANEはその事に気づいていた。髪を軽く引っ張って、上げる真似をする。髪を結んでいた時のような痛みが、頭に伝わった。もう一度、その決別の証を思い出す。
そうして気合を入れ直してから、HANEはようやく衣装に袖を通して、舞台に向かった。
***
「――で、何がしたいんだって?」
「いいからどけ、俺はHANEを殺す」
ライブが始まった事が音の響きでわかる。ドームの屋根の上。まさかとは思ったが、貼り込んでおいてよかった。天井でHANEが出てくるのを待っていたプルームを、私は押さえつける事に成功した。
「あんたが何者なのか知らないけど、殺人しようとか滅多にない悪党をほっとくわけないでしょ」
「お前には関係無いだろ、退け、お前に用は無い!! 俺とあいつの事情に口を出すな!」
プルームは声を上げると、手を上に振りかざした。その瞬間、手の内に光の渦が巻き起こる。この間、スタジオを壊した時と同じ……ついに、彼の手から放たれるエネルギーの塊を確認して、プレナイトは目を見開いた。
「……それは……超能力か何か?」
「……そうだ、お前が俺を押さえ込んだ所で、俺が念じることさえ出来れば攻撃手段を失うことはない、あんたに勝ち目は無いぞ!」
プルームはその能力を見せつけるかのように、吠えた。
「はぁ、『最低』ね」
そう言うと、私は人差し指と親指をプルームに向ける。
「バン」
次の瞬間には、彼の上着を「何か」が掠めていった。捕らえきれなかったのだろうか、プルームは一歩遅れて振り返る。しかしその先に可視出来るようなものはない。それは、私の『魔力』の塊。魔力で出来た銃弾だった。
「残念だけど、こっちも似たような能力なのよ。まあ力に特化しているか、速さに特化しているか……みたいなものだけどね」
「ふん、威力に勝てるものはない!」
「それはどうかな!」
そう叫ぶと、私とプルームはほぼ同時に駆け出した。遥か遠く、足元に感じるライブの熱気と、彼女の歌が勇気をくれる。まさか、屋根の上でこんな戦いが始まっているとは誰も知らないだろう。
先に仕掛けてきたのはプルームだった。足元に爆発を起こし、私の動きを止めようとする。しかし、私は魔法で成型した銃を同じ場所に打ち込んで、その反動でふわりと飛び上がって回避。同時に、成型した銃ではない、『片手』でプルームの頭上を狙う。
「ふん、当てる気ねぇな!」
「どうかな?」
着地すると同時に、片手でプルームを狙ったまま、足元のドームの骨組みに私の指先が触れた。途端、骨組みからプルームに向かって衝撃波が流れる。
「なっ!?」
上にも下にも逃げられないプルームは、衝動的に横に転がった。瞬間、ドームに縛り付けられていたバルーンの紐が、するすると彼の足に絡まる。
「なんなんだ、お前の力はっ!?」
私ははやれやれ、といった感じで肩をすくめ、転がった彼をわざと見下ろす。彼は必死で、絡まる紐から足を引き抜こうと藻掻くが、まるで紐がクモの糸のように、よけい絡まっていくだけだった。
「ま、そこらへんのものを武器にできる、みたいなものかな。ある程度組み合わせれば、勝手に動くような武器も出来上がるって訳。その糸みたいに勝手にくっついていくような……ね。」
「ぐ、ううっ……!」
私はその紐をわざと引っ張った。余計に絞まる、彼に絡まる糸。食い込む糸に悲鳴を上げる。
「さて、何故翅を殺したいのか……まずそれを聞かせていただきましょうかね、場合によっては無傷で放してやらないこともないけど、どうする?」
***
俺の母さんは、俺が生まれる前から病気がちで自由に動けない人だった。父さんは仕事で忙しいと言って、家を空けてばかりの人だった。俺は子供の頃から母さんの面倒を見ることで、必然的に自由はなかった。それでも、何をしてるかも知らなかったけど、いや、知らないからこそ仕事で家を空ける父さんは、何も知らない俺の唯一のヒーローだった。
そんなある日。母さんはついに一切起き上がることさえできなくなった。子供の俺にはどうする事も出来ず、俺は急いで父さんに連絡をした。けど、全然連絡が取れなかった。母さんがメモしていた父さんの職場とやらの電話は全くのガセだったし、ようやく父さんの番号を見つけて電話がつながったと思ったら、父さんの声より先に女の子の声がした。
正直その声だけでも身が凍る思いだったが、それよりも驚いたのはその声色だった。殆ど、子供の悲鳴。女の子の泣き叫ぶ声。あまりにも高くてうまく聞き取れなかったけれど、それは子供の泣き声だった。確かに彼を、父さんの名前を叫んでいた。その後ろで、確実にする父さんの声。
仕事とは全く思えない環境。……流石に幼い俺にも分かる。父さんには、他の家族がいたのだと悟った。
「父さん、今どこにいるの、ねえ、どこなの」
俺の声がその向こうに届いていたかどうかは分からない。着信を取ったのが誰だったのかも分からない。ただ、事実として父さんは返事を返してくれなかった。ただ、父さんは誰か……後ろでする女の子の声に、何かを叫ぶ声が……くぐもっていたのは受話器を塞いでいたのだろうけれど、俺の耳に届いた。
「何か用事か、プルーム」
「……な、なんでもない!!」
結局、俺は父さんに問い詰めることも、助けを呼ぶことも出来ず……母さんは程なくして亡くなった。父さんともそれ以降連絡は取れず、ある日鳴った『父さんの端末』からの電話は父さんが死んだという知らせだった。その連絡をくれた相手が誰だったのかも、もう俺には分からない。そのまま電話を、怒りと気持ち悪さに負けて投げ捨ててしまったからだ。
程なくして父さんの名前はニュースで知れ渡った。子供の虐待が暴かれたのだと報道されたと思う。ショックが過ぎて殆どが頭に入ってこなかったが、それを暴いたのが一人のアイドルだという事だけは記憶していた。死因は分からなかったが、原因が究明出来ないのだと聞いたのが最後。俺はもうそのニュースから目を伏せた。
必死でその事件から目を逸らして暮らしていたある日、その父さんを奪ったその犯人は、ある日、テレビの向こうに現れた。それがHANEだった。一気にあの日のニュースが記憶を駆け巡る。アイツが居なければ俺の元に父さんが居た。母さんは見捨てられなかった。俺は独りにならなかった……。怒りの矛先はあまりに簡単に、HANEに向かっていた。
***
「どうして、俺の家族を奪った女が、TVの前で笑って生きている? 俺はどう復讐すればいい? そう思った時……俺はこの能力を手に入れた。これで、倒せるそう思った! だから……邪魔をするな!!」
プルームの叫びを聴いて、私は静かに目を閉じた。HANEが『父さん』を、アイドルになってメディアの力で探し出し捕まえ、死に追いやった事は知っていた。彼女は、『父さん』から、ひどい扱いを受けていたから、彼女は覚悟の上だった。被虐待児はHANE自身。通報も復讐も……全てHANEがアイドルと魔女から買った能力で行ったことだった。
「それで、ラジオ収録を狙って襲ったのね」
「お前がいたのは、計算外だった……」
ドームから響く歌声が、かすかに私の耳に届く。ゆっくり目を開けると、プルームは私を睨んでいた。
「……そう、『父さん』は本当にくだらない人間だわ、『私達』、『化け物』を一人も愛せなかったのね」
「……まさかっ!?」
プルームの表情が変わる。その言葉の言い回しに説明は要らないみたいだった。怒りと困惑の目が私を捕らえる。
「翅と私と、もう一人、私の実姉も腹違いの姉妹なの。つまりあなたも……腹違いの姉弟という事になるのね」
プルームは唇を震わせながら、私の言葉を聞いていた。恐らく手が自由なら、耳を塞ぎたくなるような言葉だろう。ただ、私と彼には決定的に違う点がある。残念ながら、子供の時の記憶が無い私にはプルームが守ってきたそれは、分からない。『家族』の姿だ。家族を守りたかったプルーム、一度捨てた私。その立場は真逆にあった。私が持っている限り最初の記憶の時点で、私達の母と父は既に離婚して行方不明だったのだから。
だからこそ、私は淡々と告げた。貴方には同情できないとしっかり示すために、その姿は彼にとって、悪魔だっただろう。
「……なっ……、う、ううぅ、うわぁあああああああああああああっ!!」
「!!」
真実を知り、取り乱したプルームが爆発を起こし拘束を破った。慌ててプルームの攻撃に備えて鉄骨の壁を作る。寸前で攻撃を防ぎ切り、怒りに暴れるプルームに向かって叫んだ。
「……貴方も聞き分けのない人ね! 貴方は父親に捨てられたの、分かるでしょう? 知らないフリをしたところでもう貴方の求めるものは絶対に手に入らない、翅を殺してもね!!」
私は瞬時にまた銃を成型すると、プルームの足元に放った。足止めを食らった彼は、私を鬼の形相で睨む。
「くそっ、本当に母さんはっ……見殺しにされたとでもっ……くそおっ! お前も、翅も敵だと言うのか!?」
「……私には子供の頃の記憶が無いから、父さんについて言い切れない。ただ、今言えるのは、私は、私を愛してくれる、翅の味方。貴方が翅を憎むなら……貴方とは敵であるべき人間なんじゃない?」
ひどく冷静に、私はそう笑った。サナさんが泣く私をはたいた時の、あの冷たい表情を思い出して。少し皮肉もそこには混じっていた。私と姉さんは何一つ残されていなかった。翅は直々に傷つけられた。その中で見捨てられたと癇癪を起こすプルームは酷く子供のように見えた。いや、子供のなのだろう。子供の頃の怒りを今に持ち越しているのだ。
「……あんただって、本当に愛されてるかなんてわからないじゃないか!!」
さっきまで『翅の復讐の邪魔者』でしかなかったプルームの敵意は、明確に私にも降りかかる。互いに攻撃の手を構え合った。緊張した空気の中、プルームがそう唐突に問を投げかけた。
「HANEが、もしもあんたの知らない所で、別の誰かに愛を囁いてない自信はあるか? 全てがウソじゃないと、そう言い切れるか!? そうだと思ってたのがウソだった瞬間がわかるか!!」
私は、その問いに、ふっと笑った。その答えは、すぐに出る。
「……無いわ、そんな自信」
「…………え?」
「あの子は私を憧れとしか見ていない。翅が欲しいのは私じゃない、あの子が憧れた空想上の私。私自信もあの子を心から愛している自信はない。ただ、あの子が食らいついて離さなかったから、手放すのを諦めただけ。彼女と、実の姉に嘘を吐かれた事だってある。私は彼女と接触するまで自分が純粋な人間で、能力者だと知らなかったもの……」
プルームの表情が、納得行かない、という風に変わる。
「……り、理解できない! そんな嘘塗れのやつの説教なんて聞きたくもねえ!! こんな奴らに惑わされて生きていたなんて……!」
「……やれるもんなら、どうぞご自由に。ただ、取り乱している今の貴方にそれができる? 私は嘘に踊らされたからこそ今の私がある! あの子に憧れでもいいから愛されてると信じてるから戦ってる……! そんな貴方にこのライブ、ステージ、あの子の歌声が壊せる!?」
私とプルームが蹴り出すのは、攻撃を放つのは、同時だった。大きな爆発が、ドームの天井を破ったのはその瞬間。
***
歌声と声援と遠くに天井がありすぎて、微かにしか聞こえない。でも、確かに上からの物音。足音、声。既に何が起きているかは察していた。止めてくれているのだ。プルームの企みを。
(お姉ちゃん、戦ってる)
いざというときに備えて音源はあるけれど、スケジュールはずれちゃうかな? それよりもお姉ちゃんは大丈夫だろうか、もし危険が少しでもあったら私が吹き飛ばしてやる!
音楽が小さくなっていって、会場は拍手で包まれる。もう一曲。最後の曲……ああ、間に合わない。その時だった。天井が裂けたのは。
ものすごい爆風と共に聞こえる爆音、会場は一瞬にして砂嵐に隠れて見えなくなる。HANEは何が起こったのか分からなかった。しかし標的も見えないし、ファンの皆も居る。安易に吹き飛ばそうとするのは不可能だった。
とりあえず視界を確保するしかない。HANEは能力で、風を竜巻のように回転させて、ホコリを巻き上げた。パン、と弾けるように、ようやく視界が開ける。すると、同時にバン、と付くスポットライト。
こんな演出? と思った途端、静かにオケが流れ始めた。スポットライトの先に、HANEと対の衣装を身に纏ったプレナイトが現れる。
(お姉ちゃん……! 間に合った!)
片手を高く上げて登場した彼女は、その手をゆっくり翅に向けた。にこり、と笑う彼女の表情に、さっきまで戦っていたとは思えない穏やかな決意を感じる。
「あっ、ライブ初公開曲です! 聴いてください、『NAZUNA』!」
それはプレナイトとの初のデュエット曲。二人で書いた歌詞を、彼女が作家で有ることを隠して発表したものだった。最初は歌手として表に出ることに遺憾を示していたプレナイトだったが、どこかで気が変わったらしい。今日が初ステージだった。見慣れない歌手の大胆な登場に、会場は湧き上がる。HANEが透き通るような歌声で歌い上げる歌詞を、プレナイトが素朴でよく通る声で追う。
「…………すげえ」
セットの裏に、再度、プレナイトの魔法で拘束されたまま落とされたプルームは、その静かに熱すぎるライブを目の当たりにして、言葉を失った。
***
ライブの後、プルームは深く頭を下げて、私の楽屋に来た。お姉ちゃんはドームをめちゃくちゃにしたとかで、弁償の為に急いで謝りに行ってしまい忙しそうだ。私は彼から直接お姉ちゃんとした話を聞いた。
「そっか……お父さんは、3つの家族を持ってたんだ」
お姉ちゃんと姉さん、私、プルーム。3つの家庭、4人の家族。しかし、そのどれも……父さんの望む、『能力者ではない人間の子』には生まれなかった。……私は後から手に入れた力だったけれど、多分それを選択しなかったとして関係が良かったとは思えない。
「私ね、お父さんに虐待されてたの。お母さんも無視。そのお陰、って言うのもおかしいけど、大人に取り入るのがうまくなった頃、丁度スカウトを受けたの。そうしてアイドルになった時、その知名度を使ってお父さんに復讐した。とにかく影響力のある大人に言いふらして、能力でひっそりと手にかけた。……悪いことなのは解ってるけど、私の意思でした事だから……私は後悔してない。本当にそうしたかったから」
私はそのまま静かにプルームを睨んだ。怒るかな、と思ったけれどプルームは黙ってしまう。
「それで悲しむ人がいる事も解ってる。貴方がもしも辛いのなら、私は責任を取るよ……。だけど、その方法は話し合いをさせて欲しい。本当は死んでも償う、って言いたい所だけど、私はそんな気はないから」
私はそう言って、プルームの手に名刺を握らせた。電話番号とアドレスの載っている、プライベート用の名刺だ。プルームはそれを静かに、そして丁寧に仕舞うと、再度頭を下げた。
「……すまない。今は、なんとも言えない。冷静になってからまた話に来るようにする。俺はあんたらの言葉を信じる。……あんたの、ステージ……凄かった」
「……あ、ありがとう?」
さっきまでお姉ちゃんと激闘を繰り広げたとは思えないほど、プルームは気づけば大人しくなっていた。ボソボソとそう言って頭を下げた後、そそくさと彼はどこかに立ち去っていった。そうして独りになったところで、私はプルームから聞いたお姉ちゃんとの話を思い返す。
「……愛されてる自信、か」
お姉ちゃん、姉さん、私、プルーム。私達の立場は、全然違う。皆、求めてるものが違うことも、ホントは解ってる。分かってた。お姉ちゃんと歌って分かった。プルームの存在を知って分かった。多分、私は見つめ直したくなったんだと思う。私達がばらばらな事に……気づいてしまったんだと思う。
そう、私の憧れていたお姉ちゃんは『彼女』ではない。プルームが仕返しをしたかった気持ち、今ならちょっと分かる。愛してくれなかった諦めが悪い、私をひとりぼっちにした、ひどい、ひどいお姉ちゃん……。
***
この街に来て、私は強くなったつもりだった。だけど、あの頃あんなに憧れた強さは想像でしかなかったらしい。いつも思い通りにならない。
力を制御しきれず、プルームを止めることも出来ず、結果としてボロボロにした会場についてみっちり怒られた後の私は、まるであの頃の鈴乃つばさに戻ったようだった。HANEはもう既に帰っているだろうか、すっかり暗くなってしまったが、眠らない灰色の街はいつも明るく私を照らす。
それが嫌に惨めになり、見下されるような月夜の空気は、私の目に染みた。
あの人のようになりたかった。あの噂が本当なら、苦しくても私を一番に怒ってくれたあの人に。
「サナさん……」
唇が勝手に呟く。もう探さないなんて嘘だった。私はいつでも探していた。HANEの、あの子の歌声にまで、探してしまっていた。愛されている自信? そんなの無い。だって私が愛してないんだから。あの子が本当の私を見ないふりをしているのを良いことに、寄っかかっただけなんだから。プルームに言われて、HANEと歌って、気づいてしまった。
サナさん。私が旅したあの国で恐れられた伝説の悪魔。やっぱり貴女の隣が欲しい。あの日の厳しい声と優しい声が、あの日からずっと頭を巡っている。サナさん、もう一度会いたい。どうして悪いことをしたのか聞きたい。もう探さないなんて嘘だった。見つからなかった言い訳だった。
だって、HANEとステージに立とうと思った理由は、もしかしたらサナさんの目に入るんじゃないかって思ってしまったから。ステージの上から見たらサナさんが見つかるんじゃないかって思ったから。あの時のサナさんみたいに、私の歌が彼女の耳に入るかもしれないって思ってしまったから……!!!
「会いたいですっ……サナさんっ……私っ……どうしたらいいか、わかんないよう……っ」
心の奥底でそう叫びながら涙を拭った時、私はふとすれ違ったような気がした。あの人に。あの人のような人に……? 慌てて振り返るが、もう人混みに紛れてその姿は見えない。
「気のせい、か……」
月夜の夜風は、濡れた頬に冷たかった。
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