愚か者の逃避行

「サナちゃん、僕についてきて欲しい」

記憶を取り戻して中学生も終わりを迎えかけた頃、ルナがそう打ち明けてきた。

ここ数日、何か思い詰めていた事に気付かなかった訳じゃない。

思えば夏に家出をした時から、少しずつルナは何かに打ち込み始めていた。パソコンに向かっている日もあれば、熱心に何かを勉強している日もあって、ちょっと寂しいけど離れていく覚悟も少しだけしていて。

そんな時に、普段は断りを入れるルナがそれをせず私の手を取って言うのだからちょっとだけ面を食らった。

「やっぱりあの人が信用できない……」

「……コエ?」

「元はアメと言えどあの人は神様で、僕らの敵だった訳で……」

そこで言い淀むルナの言葉は続かない。

ただ、薄々だけどルナがコエの力を借りずに私との関係を『再チャレンジ』したい事は知っていた。

多分、コエが私を優先しようと奮起している姿が気に入らないのだろう。

自分の腕でどうにかしたいのだろう。

気づいていて敢えて黙っているのは、それがルナの自由だと思っていたからだ。

けど。今の表情を見る限り、きっとそれは『自由』ではなくなっている。

「……そう」

思い詰めさせてしまったのは私だ。

そう思うと否定など出来なくて、私はただルナの言葉に耳を傾けていた。

「逃げられる術なんかないかもしれないけど、近くにいたくないんだ」

そう言ってルナはクローゼットに隠していた荷物を背負い込む。

私にも一回り小さな荷物を押し付けて、普段より少し強引に腕を引いた。

向かう先は玄関、普段ならもう出掛けない時間だった。

「今すぐは無理だけど不自由はさせない……幸い、記憶が戻った分の知識はあるから蓄えだけはしてきたつもり」

「……分かった」

それでもルナが覚悟をしたのを、跳ね除けるなんて残酷な事は出来ないししたくない。

それだけ考えてくれてた事は純粋に嬉しい。

だから私は頷く。結末なんて端からどうでも良かった。

ただ、少しだけ、このままルナが見せてくれる景色が見たかったから、私はその手に引かれるままに家を出た。

まだ冬が残る夜風は冷たくて、そのまま駅に向かうまでにすっかり手指は凍りつきそうになった。ルナが自分の分のマフラーまで私に巻いて、凍傷になりかけた耳が髪から覗くのを手を引かれたままに眺めて、ただルナについていく。

私が怒らせて苛立たせてしまう事は今まで幾らでもあったけれど、他人に怒りを覚えて一目散になるルナの姿は少し珍しくて、なんだか夢を見ているような感覚でその背を眺めていた。

自分より背は低いし、世間から見たって圧倒的に幼い中学生の少年のそれが、人波に揉まれて余計に小さく見える。もう感覚の共有はなくなってしまった人間同士でも、双子の奇跡なのか、それともただ単なる共感なのか。冷たく握られた手から、行動とは裏腹に不安や焦燥を感じるのですら、何故か心地良い。

段々、面白くさえ思えてきた。

何処に行くの? と聞いたら多分迷いが出てしまいそうで、黙ってルナが切符を買う姿を眺める。深夜、終電に乗る。下手したら補導を食らいそうな程に、家出丸出しの格好を電車の隅に潜める。

コエの前にパパとママが気づくんじゃないかな、なんてぼんやり考えて、ルナが怒られたらどう庇えばいいだろうなんて見当違いなところに考えを巡らせながら車窓を遠く眺める。普段はお喋りなルナのだんまりした顔を横目に見れば、地元を離れていくと共にその顔色は険しくなっていった。

そのまま終電に揺られて一時間、郊外の小さな駅に出て、初めてルナが小さな悲鳴を上げた。

「閉業、してる……」

「あら」

足がつかないように敢えて駅前の寂れた宿をリサーチしていたらしい。明日始発でまた遠くに行けばいいと考えたのだろう。が、一歩及ばずと言ったところか、数日前に閉業したというお知らせとともに明かりは一つも灯っていなかった。春先の深夜、もうつま先も指先も千切れそうなぐらい寒さに凍えて、適当に時間を潰すにはあまりにも寒すぎる。思わずその手に息を吹きかけたところで、その一挙すらルナを責める材料にすらなってしまった。

「……ごめん、寒いよね……サナちゃん、身体弱いし、こんな夜に出歩くのしんどかったよね……? 僕、何、してんだろ……」

「……大丈夫だから、どっか開いてるお店とか探そ。親戚の家に行こうとしたとか、親の迎えを待ってるとか言い訳したら置いてもらえるかもしれないじゃない?」

「本当は、もう少し早く……出る予定だったんだ、でも怖くて」

「……いいから」

計画を綿密に練ってたはずのそれが頓挫してそこでルナの覚悟も折れてしまったらしい。勢いは瞬時にしぼんでいって一気にただの中学生に戻っていく。その手を逆に引いて、小さな街の寝静まった駅前の道を歩いた。上手く彼を責めずに掛ける言葉は見つからず、端的な言葉に怒っていると捉えられたらしい。それでルナはすっかり押し黙ってしまった。

元旅人の勘は幸い、見知らぬ町でも発揮されたらしい。

24時間営業のファーストフード店の片隅に席を取る事が出来た。

幸い、深夜バイトの学生らしきお兄さんはあまりそういう正義感は持ち合わせていないようで、こんな時間に中学生二人が注文をしても、淡々と注文を取るだけで通報もしてくれないようだった。

ルナが好きなコーヒーをひとつ注文して、紅茶もコーヒーも飲めない私はホットドリンクは頼めないのでアイスのドリンクを頼んで、思えばしばらく何も食べてないからと軽食も幾つか買って席に戻る。ルナはうなだれたまま、それでもコーヒーのカップを私に握らせて、その上から自分の手で覆った。

「今からでも他の宿探す?」

「……ここらへんだとあそこだけだったんだ、あと……その、大人しか入れないやつしかなくて」

「それはまずいわね」

笑い混じりに冗談のつもりで返せば、余計にルナの顔は沈んでいく。遂には机に突っ伏してしまって、顔色も見えなくなる。すっかり凍傷になってしまった耳だけが、痛々しく髪から覗いていた。

「ごめんなさい……」

「いえ」

「なんで子供なんだろう、なんで子供からやり直しさせられてるんだろう。僕ら、最後に死んだ時は30代だったじゃん」

「あれは私が勝手にやった事よ」

「それでもサナちゃんが殺されるのを見てるしか出来なかった、それでもサナちゃんが処刑されるのを眺めるしか出来なかった……」

「どっちも相打ちだったわ、結論として革命は起きた。私が勝ったの」

「でもその革命は……コエが起こしたんだ……僕じゃない……僕じゃない……」

話せば話すほど、ルナの思考は沈んでいく。

思わずこちらの方が悲しくなる程に、いつもの姿はそこにはなくて。

「ルナ」

折角頑張ってくれた事を、まるでもうこの世の終わりみたいに悔やんでるのがちょっと腹立たしくもなってルナの腕を無理やり引き上げる。唖然とした顔と無理やり目を合わせた。

ルナが、じゃない。

そういう弱音が私は大嫌いだ。

「貴方には貴方のしたいようにする権利がある。私やコエがどう振る舞おうと関係なくね」

ルナはその言葉に息を呑む。反論も口をついて出かけたのか、唇が薄く開かれた。が、私は構わず続けた。

「そうして欲しいなら何処にだってついていくし、今日は……いや、もう昨日だけど。私は楽しかった」

「楽しかった……?」

「貴方がどんな景色を見せてくれるのか楽しみだったの。深夜に終電に乗るなんてことも滅多にないし、貴方が出掛ける先を示してくれることもあまりなかった。貴方が思い描いてた終点は知らないけど、知らない町を歩くなんて経験も久々なんだもの。それを勝手に失敗だのなんだの……当てつけ? 私のせいって事? 失礼しちゃうわ」

「そ、そんなつもりじゃ!」

ルナが慌てて立ち上がる。深夜の静かな店内に思わず叫びが反響して、ルナは恥ずかしげにすとんと席に座った。

「じゃあ二度と言わないで」

「……はい……」

しょんぼりと押し黙るルナに、ようやくコーヒーのカップを返す。少しぬるくなったコーヒーをルナが啜る様子を眺めながら、少しの間また沈黙。私も冷めきった軽食と、氷が溶けて薄まったジュースに口をつけた。流石に少し寒い。風邪引くなこれは。明日以降の体調に思いを巡らせたところで、感じてきた寒気に身を震わせる。

「…………もう帰りたい。サナちゃん辛そうだし、僕ももう辛い……」

「パパとママに連絡する? それともコエに謝って送ってもらう?」

その様子を見てかルナも音を上げた。

どうする? ではなく、どうしたい、で告げられた幼い言葉に、普段の利口な雰囲気はなくて思わず少し笑ってしまった。

「…………コエに謝る。……し、サナちゃん無理やり連れ回したなんて父さんと母さんに言えない……」

「その分別はあったのね」

誂うように釘を刺せば随分深く刺さったらしい。ルナは気まずそうにまた項垂れたので、放置して店を一旦出る。白い息を零しながらコエに電話を掛けた。

「……終わったか、逃避行は?」

「なんだ、気づいてたのね」

「邪魔しても反抗されるだけだと思ってな」

どうやらコエは既に予知済みだったらしい。流石は『神越え』といったところか。

泳がせられていた事実を知ると、余計にルナが可哀想で笑えてすら来る。鼻で笑みを零した。

「お陰様で悪くはなかったわよ。弱みも握れたし、しばらく姉の地位は確立出来そう」

「……お前も性格悪いな。少ししたら行く」

コエもため息混じりの笑いを返してくる。そのまま電話は切れて、私は店内に戻った。

家出がバレないようにコエの魔法で帰ってきた後、案の定熱を出して寝込んだのだけれど……まあルナを介抱で扱き使ってやって、ルナも相当困ったみたいだった。

それでチャラになればいいかしら。

後はきっと……また次の機会に面白いものが見られたらそれでいいと思うから。