模擬戦

「ねえ、サナちゃん。『模擬戦』しない?」

そう、まるで遊びに誘うようにアメが言い出したので一瞬何のことか、と考える。すっかり身内の溜まり場と化してしまった自宅の庭先。花の植え替えをしていたルナと、その手伝いをしていたコエの顔色が先に変わった。

「アメ、まだ日も浅い。あまりサナの刺激になるような真似は……」

「そうだよアメ、やめときなって……」

どうやって傷物みたいに扱われると多少プライドに引っ掛かる。あの時、後の傷になる事を判っていても戦ったのには、こちらにも意地というものがあったからだ。全て済んだ後でもまるでなかったことみたいに扱われると、あの時、自分が必死に生きてきた全てを守るために行動したこちらの頑張りまで不透明になったようでどうにも気に食わない。

ふたりの顔を見比べてからもう一度アメの目を見れば、アメはその言葉に返事をする事をせずこちらをにこやかな顔で、でもその奥に何かを伝えたいのだろう、鋭い視線が向いている。恐らく1対1でしか話せない何かがあるのだろう。

「いいわよ」

「「え?」」

その意図を察して、ルナとコエの作業を見守りながらに座っていたままのデッキから立ち上がった。揃って二人が漏らす声が、アメの返事より先に重なる。

「『模擬戦』にしてくれるんでしょ。別に死にやしないもの。フラッシュバックも殆ど出なくなったし、私もアメの戦い方、興味あるから」

「やったー! 流石サナちゃん。私だけ仲間はずれにされてるの、話聞いてたら気になってきてさ~」

「…………」

わざとらしく喜ぶアメ。……その後ろでコエがどうやら複雑そうな目線を送っている姿を見る限り、多分わざとアメはあの場から外されたのだろう。もしくはのえるが出てきた時点でアメはあの場からそもそも外れていたのか……。全てが終わった今、追求するつもりもないけど、恐らく『仲間はずれにされていた』はアメの何かの訴えのように見えた。

「ほら、本人いいっていってるんだから頼むよ、コエ!」

「……模擬戦だからな、決定打の前に決着にするぞ。あとサナにハンデ与えてやってくれ、あまりに忍びない」

「おっけーおっけー」

つばさの改変でアメ自身にあの空間を作り出せるほどの魔力はない。『誰かの祈りは他の誰かが叶える』システム。此処ぞとばかりにお願いされて、コエは気まずさからかハンデ付きで条件を飲んだ。別にいいのに、と答えるより先に景色は一変する。

次の瞬間にはアメと二人きり。視界の悪い鬱蒼とした森の中だった。

「成る程、これがハンデね」

人間達に追われていた時代、ルナが私を城に連れ戻しに来た頃……殆ど野山に身を隠すような生活をしていた頃……。一番身を隠して攻撃するという手段に適していて私にとっては慣れた地形だった。

「さて、コングはもう鳴ってると判断していいのかしらね?」

「おわっ!!?」

空を握りしめるように腕を上げれば、魔法で伸ばした周囲の木々が隠れていたアメの姿を絡め捉える。逆さ吊りにされたアメが不意打ちなんてずるい、と不満を漏らす顔を含んだ笑みで返してやった。

「正直、レベル差が無くなった以上やるだけ無駄だと思わない?」

「えー。でもゲームならレベル統一マッチでも繰り出す技の選び方で勝敗って付くでしょ?」

つばさが勝ち抜く前ならば、アメは私の二倍の力を持つ天使なのだから勝ち目もあっただろう。けれど、今や二人は対等な能力者。コエが神様になった時代で言う『マジカリスト』同士だ。その能力に差がない状態で敢えて戦いを挑むのは何故か。聞けばアメは逆さ吊りのまま器用に肩を竦めた。どうやらゲーム性を見出す辺りはアメらしいと言えばアメらしい。

「……それにさ、無駄って言うなら前々から思ってたんだけど、サナちゃんが彼女ちゃんやルナと仲良くしてるのも無駄だと思ってたんだよね」

「無駄?」

「……コエに戦わせられるの気づいてたから。どうせ敵対するんじゃん? って思ってた」

アメはそこで始めて、自身が開発した武器を展開してこちらの攻撃で絡みついた枝を切り裂く。すとん、と猫の着地のように地に膝を付いて降り立つと、ゆっくり立ち上がった。静かに合わせられたその目は、普段それなりに何もかもを楽しんでいるような様子からは想像も付かない、冷たい、でも静かな視線。

「……それで貴女はきぃちゃんともカンとも取り合わなかったって事? 昼行灯に見えて意外と一匹狼なのね」

「反省はしてるよ、今は。それで2人を傷つけちゃったから……」

アメはそう言うと静かに目を伏せた。成る程、彼女なりに何かしらの決意を持って、敢えてこちらに託すつもりらしい。

「もしも、これが模擬戦じゃなかったら、私の願いは『コエを止める』。あの戦いはなかったことにする。今はもう叶わないけど、未来の自分が暴走するって分かってて、目反らしたのはちょっと後悔してんの」

「成る程、それじゃあ負けてられないわね。私は私の願いを託したつばさの勝利を否定されるつもりはない!」

少し強引だとは思いつつも、アメがその相手に私を選んだことそれ自体は悪く思えなかった。ならば全力で応えてやろう。瞬時に地面を蹴り出し、木々を縫うように走り出す。

「確かに脚はサナちゃんの方が早いよね~……でも、飛ぶ速さは私の方が上だよ!」

「その羽根、引っ掛からずに何処まで追えるかしらね!」

アメは天使の中でもダントツで早く空を飛べる。神様の物として実験台になっていた時代、唯一の自由が天界を飛び回る事だけだったかららしいけど……人並みに脚が速いだけの私とはまるで訳が違うだろう。けど、コエがくれたハンデのお陰で地形はこちらの方が有利だ。要らないとは思ったものの、貰ったものは存分に活用するとしよう。

「よっ、と……!」

「!!」

魔法で木々の枝を複雑に編み込んでアメの行く手を阻む。その隙間に上手く滑り込んで、私はアメより先を走った。爪先スレスレに走る木々の枝を飛び、時に身を返し……まるで踊るような動きでアメを翻弄する。攻撃の隙を見計らいながらアメの出方を伺った。

「逃げ回るだけじゃあ決着付かないよ!」

アメは手持ちの武器を剣に変えてその木を切り裂きつつ、私の背を追う。その口から出る威勢はいつも通りの良さだけれど、やはり狭まっていく道に手間取ってはいるようでご自慢のスピードは一切活かしきれていない。襲い来る枝や草木に押し潰されないようにするのが精一杯なのだろう。

「心配には及ばないわよ!」

言われなくともこちらの方が持久力が弱いことは分かり切っている。早めに決着を付けるに越したことはない。地面から木の枝に乗り移って、上からアメの影を追った。枝の密度を上げて森の中にアメを閉じ込めれば、それを飛べる彼女の行動範囲は狭められる。……勿論こちらの視野も狭まってしまうのは仕方ない。ちらちらと木陰に見えるものを追い続ける。さてどう奇襲を掛けようか、そう思いながらに気配を辿って木の上からまた地面へ。

「っ!!」

「この程度で動きを封じたと思った?」

先回りでアメに接近した所で、寸前、アメが放った矢がチッ、と音を立てながら前髪を掠めた。咄嗟に身を引いて避けれたものの、バランスを崩した体制を側転で立て直す。以前にきぃちゃんから聞いた限り、アメは自分の武器を弓矢に変えることが特に多いらしい。飛び道具のコントロールは特別上手いようだった。

「へー、今の、よく避けたね」

「貴女こそよくこの中で動き回れたわね」

「飛び回るだけが得策じゃないの!」

そういうとアメは瞬間、姿を猫に変え、すっかり迷路と化した森を器用に駆け出す。攻撃手段はないものの、確かに逃げ回るのに『人の形』をしている必要はない。

「その手があったか……」

どうやら行く手を阻む戦法は使えたものじゃないらしい。草木を魔法で固めて切り裂く戦法に切り替えてアメに打ち込もうとしたが、猫の姿のままのアメにはそれすらひらひらと交わされるだけだった。仕方なくアメを追って駆け出しながら、ルナの火の魔法で足元を崩し、つばさの魔法で木の根を刃に変える。

「っわぁ……器用なことしてくれるね。ルナが言ってた通りじゃん」

「貴女だって出来ない事はないんじゃないの?」

アメ……今のアメは『私が一度死んだ後のアメ』だ。ルナの魔力を中心に使っているとはいえ、私と同じ魔力やスキルを持っている。やろうと思えば出来るだろう。ただ、やはりというべきかコントロールが上手いかどうかは……やられてみないと分からない。

「おー? 言うじゃん、お望みなら!」

「そうこなくっちゃ」

煽ってやればすぐにアメが人の形に身を戻す。持っていた武器を杖宜しく振り回せば、足元を業火が囲った。地面を蹴り上げて木の上に非難して回避する。その足元に葉を固めて作られた刃が伸び、体制を崩した瞬間……次は地面から葉を固めた刃が飛び交って、私の顔を斬りつけかけた。瞬時にしゃがんで直接攻撃は防いだものの、その刃は髪を斬りつけて……結っていた髪が散らばる。

「……私の魔法!!」

「真似して見せろって意味じゃないの? 動きにくくなったね、サナちゃん」

「このぐらいで鈍ったりしないわ!」

得意げに笑うアメの姿に未だ焦りは見られない。此処まで追い込めない相手も始めてだった。さてどうしたものか、完全にアメのペースに呑まれかけている。アメが放ってくる攻撃を避けて宙に返り、1,2ステップで着地すれば、次はその背後に操られた木々の棘が迫る。この短時間で戦法は完全にコピーされていた。髪が解けた分だけ機動力の低下を期待されているようだけれど、その手には乗らない。アメが真似出来そうにない戦法に考えを回して、一呼吸置いた。

「えっ?」

次の瞬間、私が繰り出したのは『歌』だった。ただの歌唱魔法ならアメにも出来るだろう。だがそうじゃない。歌はどんどんスピードを増し、それに呼応するように花が、草木が、アメの目の前を埋め尽くす。高速歌唱。アメの飛行能力を上回るにはこの手段しかなかった。

アメはそれをスレスレで避けるように方向転換して、空へ逃げようとした所を蔦で引きずり下ろす。こちらの飛行能力は10分保てばいい方だ、空中戦には決して持ち込ませない。

「うっ、わ……最低……!!」

そっちから仕掛けた癖によく言う。声は歌に割いているので悪態は内心に留めておく。逃げ惑うアメを追い込むように、わざと足元を狙って崩す。体制を崩しながらにアメが放ってくる攻撃をこちらの剣で斬り返して防いだ。

「あああ、もう! 当たれ!!」

アメは半分ヤケになったのか、武器の矢に魔法を纏わせて連続で打ち込んでくる。否が応でもこちらに体制を立て直す隙を与えないつもりでその手数を打ってきた。それを、地を蹴り、宙で翻って、地面を手で受けて、樹を蹴り上げて攻撃を避ける。着地点の予測は絶対にさせない。魔法で伸ばした枝で足元を作り、葉でアメの足を取り、転びそうになった所でアメがそれを羽根で浮いて回避する。

読み合いが続いた。

「なんなのそれ~~~!」

終わりのない攻防にアメが悲鳴を上げ始める。こちらもそろそろ喉が限界だけれど、悲鳴を上げたら隙が生まれてしまうのでそうも行かない。防御と攻撃を同時にやる程の力も、そう長くは保たないだろう。まだ勝敗は薄いけど、掛けるしかないか……アメが放ってきた矢の数本を避けながら、攻防を続けていたアメの懐を狙って私も羽根を出す。

「これ以上読み合っても仕方ないわ、そろそろ終わらせましょう!」

同時に樹の枝を足元に伸ばし、つばさの魔法でそれをバネに作り変えて、アメに飛び込むつもりで身を弾く。同時に全力で空を飛べば、アメの速さに匹敵する勢いでアメに追いついた。勢いで回転を付け、アメの背中に膝蹴りを命中させアメの羽根ごと身を飛ばす。

「うっ……ぐううっ!!!??」

アメは驚きと痛みの混じった悲鳴を上げて、地を転げて樹の幹に激突した。集中力が切れたのか、そこでアメの羽根も消える。歌唱魔法で囲った蔦や草が絡まった出来た壁でもうアメに逃げ道はない。苦い顔が私を睨んだ。

「Check mate. 模擬戦とはいえハンデを与えたのが運の尽きだったわね」

「嘘っ……!?」

その鼻先に剣を突きつけてやれば、決定打の目前で試合終了。トドメは刺さないと約束したので、そのままの姿勢で微笑んでやれば、アメは深い溜息を吐いてその緊張の顔を解く。

「あーもう、わかったよ、降参、降参!! 流石、私が勝てなかった神の使い達を倒しただけあるね……1撃もダメージ入んないとは思わなかった~」

「こっちもここまで追い込めない相手初めてだったわ、咄嗟とはいえ、蹴ってごめんなさいね」

アメは両手を上げて苦笑するので、私も苦笑で返して剣を元の小さなサイズに戻す。懐にしまった所でアメも満足したのだろうか、武器を下げて立ち上がろうとする。蹴り飛ばしてしまった申し訳無さに手を貸して、そのまま手を取り合った。

「……あのねアメ、私が言えた事じゃないかもしれない。私もまだ、一線を引いてしまってる自覚はあるから……。でも、それでも私は今ある輪を大事にしているし、あって良かったって思ってる。勿論、結果も過程も、良いも悪いもね。例え表面上、だったとしても貴女と友達である事も多分無くなったら寂しいし、苦しく感じると思う。今まで距離を置いてて悪かったともね……でも、それでも貴女とこうして関わった事を無駄とは捉えないわ」

「…………もしかして、無駄って思ってたこと……怒ってる?」

「ちょっとはね」

そう言って意地悪に笑い返せば、アメもため息交じりに笑いを返す。それ以上は何も言わない所を見れば、反論はないのか、したくないのか。どっちにしろこれ以上の追求をするつもりはなかった。

そのまま決着を迎えた、と判断されたのだろう。

景色は瞬間、また元の家の庭に戻った。

「っ…………」

「わあああ!? サナちゃん!!」

完全に戻ってこれた、と認識した瞬間、ふっと身体から力が抜けてしまって私は倒れ込みそうになる。そのまま向き合ってたアメが頭を打つ寸前で受け止めて、その様子を見ていたルナとコエが慌てた様子で掛けてきた。

「アメ!! だから止めとけと言っただろ!」

「あ、あ、アメ??? まさか、サナちゃんの事倒し……!!」

狼狽えるふたりの様子に若干の居心地の悪さと、こちらが勝った事を悟っていない様子に若干の苛つきを感じる。が、緊張が解けたせいか、集中が切れたのか酷く怠い。喉も大分酷使した。歌を生業にしているにしてはかなりの無茶をしてしまった事を後悔する。髪もボロボロだし、改めてかなり高度な攻防を繰り広げた事を自覚した。

「つ、疲れた……アメ、貴女覚えてなさいよ……今度奢って貰うからね……」

「は、はい!!! それはもう!!!」

疲労に任せて芝の上に手足を投げ出しながら、さっき蹴飛ばした背をもう一度足で小突く。流石に此処までやらせた責任と、負けた事による気まずさはあったのだろうか。アメはその背を正してきっちり言質を吐き出した。

「え……勝ったの……? アメに?」

「何? 疑ってるの?」

その様子に何故かルナが困惑の色で私を見るので、寝転がったまま冷たい目線を送る。と、アメがあぁ……と気まずそうな声を上げた。

「僕は負けてるんだよ……秒で負けちゃった」

「……アメ、貴女、他の相手にもけしかけたの?」

「い、いや……サナちゃんとルナだけ……」

アメは気まずそうに照れ笑いを浮かべている。ルナを誘ったらどうやらあっさり勝敗が決まった事が気に入らなかったらしい。泳ぐ目を強引に合わせるためにアメのワンピースを引っ張って、隣に転がした。

「……勝者だからって、つばさにけしかけたらリアルファイトが待っていると思いなさいよ」

「も、もういいよ!! 十分キリがないってわかりました!!!」

「……宜しい」

そうして掴んだ胸ぐらを離してやれば、コエが説教混じりにアメを連れて帰ろうとする。どうせ疲れて今日はもう何も出来ない。

打ち上げでもしようか、なんて誘い直して、つばさが帰って来るのを待つ。カンときぃちゃん、月都さん、ヘイヤとハルト……呼べるだけ呼んでピザの宅配を取った。

さて、その中心で笑っていたアメに、『関わりが無駄』だなんて気持ちはあったのかしら。

敢えて聞かないでおいてあげた。



模擬戦しない? なんて、アメから誘われたのは唐突だった。

サナちゃんの家に出向いたらばったりアメときぃちゃんと会って、サナちゃんもつばちゃんも留守だったから待つつもりでちょっと話して。きぃちゃんはサナちゃんと戦ったんだね、なんて言った辺りでアメの表情がなんとなく変わったのがわかった。

後からサナちゃんとつばちゃんに聞けば、アメはあの場に居なかったらしい。代わりにコエの意思で邪魔をしてきたのは、僕らの大元……そして前世とも言える『のえる』だったそうだ。

アメはそれを『私だけのけものにしてえ~』なんて笑っていたけれど、その雰囲気から察するにコエの意思か、はたまたのえるの意志か何かでそうなったらしい。アメの思考のパターンは魂が近いだけあって、きっと僕かサナちゃんにしか分からない程度にしか分からない。

つまり模擬戦を仕掛けてくるのは……運命の決定に参加権はなかったけれど、互いの戦闘方法や願いそのものには興味がある、ってところか。

「いいよ、でもあくまで模擬戦だからね」

「お、珍しいじゃん。あんまり戦うの好きじゃなさそうなのに」

「サナちゃんには内緒にしておいてよね」

ああ、はいはい。とアメが答える声色に、すこーしだけ呆れが入っている。どうやらサナちゃんと僕の関係をあんまりよく思っていなかったらしい、と知ったのは後々のことだけれど、この声色でなんとなく察してしまった。

つばちゃんの『アップデート』で、世界を変えるほどの大きな魔法は当事者は使えない。きぃちゃんが変わりにあのときの空間を再現してくれて、僕らはまたあの霧の中で向き合った。

「折角勝敗つけるんだし何か掛けちゃう? 本気になったルナ、私も見たいなあ」

「まさか。サナちゃんと戦うだけで十分だったよ。要らない」

「まーたサナちゃんか……真面目だなあ~悪魔って事を差し置いても生きづらくない?」

アメは僕の回答に呆れ混じりに、頭の後ろで腕を組みながら脚をぷらぷら揺らしていた。僕が本気になってくれないことに口を尖らせる辺り、アメの模擬戦とやらはゲームに近い感覚らしい。そんなゲームを楽しもうとしない僕をじとりと睨む。

「……生きづらいよ、そりゃあ……」

「ありゃ、意外」

そんなアメの疑問に濁った言葉で答えを返す。

それは、軽率に楽しめる背景があればゲームとして面白いに越したことはないけど……コエが仕組んだ戦いに関しては、僕自身は例えそれがもう結果の出ているもので、模倣でしかないとしても楽しくは思えなかった。

だって……あの戦いの後、良くも悪くも変わったから。世界も、サナちゃんも、僕自信も。

「あの戦いで思ったんだ。僕はサナちゃんと並びたかっただけなんだ、って。でも、サナちゃんと並ぶのには並大抵では敵わない。敵視していた頃からずっと戦ってきて、最後には共闘までして、本気でぶつかり合ってもまだ知らないことがあるぐらいあの人に敵わない。……自分にはどうしようもない悩みがいっぱいあって、お互いの落とし所を見つけるにも課題があって仕方ない。でも『剪定』は間違えたくないんだ、なるべく綺麗な形に、でも蕾は切り落としたくない。その場限りに好きなだけ出来るのとは訳が違った……だからこれが『模擬戦』だとしても、あの戦いを再現するものである以上、僕は軽く見たくないよ」

その言葉にアメの表情が一気に不機嫌に傾いた。僕らよりもコエと同じその顔は少し不機嫌になるだけでも威圧感がある。一瞬息を呑んだけど、睨み返してやった。

「あのさあ、そのサナちゃんサナちゃん言うのどうなの? 自分の意志みたいなの無いの? つまんなくない?」

「……どういう意味?」

「この世界に来てからずっと思ってるんだよね。言い方悪いけど茶番じゃない? って。小さい頃からルナってばサナちゃんサナちゃんって言っておいて、自分が出来ないと分かればコエに逆らって家出した事すらあったんでしょ? それなのに、ある日突然ああして、コエの匙加減で『一人だけ救います』って言われるの予測できなかった? 一度の一回もそう思わなかった? その『サナちゃんが』って主語がなかったら、しんどい戦いしないで済んだわけじゃん。 自分で生きづらくしてない?」

アメはそういって僕を軽く鼻で笑った。煽られているのだとすればかなり口が巧いけれど、僕の感覚からするとそうじゃない。これはきっとアメの『願い』だ。いつも昼行灯を演じて、ちょっと遠巻きに表面だけ楽しむアメ。面白可笑しく騒げればよくて、踏み込まれたくない気持ちの裏に……誰かの為に深入りをする興味が見えた気がした。もしかしたらそれはカンちゃんかもしれないし、きぃちゃんかもしれないし、更にはコエの事かもしれない。

それはいつしか、僕が……一人の女の子に告白されたときの葛藤にすごく形が似ている。期待には答えられないと解ってはいるのに、その興味に惹かれるままに振る舞ったらどうなるのだろう? という強い葛藤を思い出す。

……これはもしかして、『面白い状況』なんじゃない?

ならば、僕も僕の『今の願い』を掛けに、この模擬戦を楽しんで損はないだろう。

「……僕は一生、1秒たりともサナちゃんと対等で居る努力を惜しまない。それが例え敵わないと分かってる無謀な願いでもいい。サナちゃんと僕の求めてるものが違うって分かっても、僕は僕の願いを持ち続ける」

この願いの主語はサナちゃんじゃない。僕だ。コエが世界を作る前、サナちゃんは僕と双子である事をうっすら望んでいなかった事を知っている。それでもサナちゃんは僕が家出をしようとした日、僕を引き止めた。僕と別れるのが嫌だと泣いた。一人は寂しいと普段は噤んでしまう口を開いた。

それがどれだけ嬉しかったか、アメにもコエにも、例えサナちゃんにだって口を出されたくない。

これは僕の感情で、僕の願いだ。

「一瞬でも多くサナちゃんの隣に立ちたい! その反対側につばちゃんが居ても、もう片隣を譲るつもりはない!! サナちゃんがそれを望んでなくてもいい、もう2度と分かり合えないだけの時間なんて要らない! 悪いけどその決意を邪魔しないでくれないかな!」

「…………っ」

僕の決意の叫びとその気迫に、アメの脚が半歩だけ後ずさる。その反応に少しだけ怒りと声のトーンを押さえた。

「正直に言えば、あの戦いで結局サナちゃんを傷つけて終わった自分が許せないよ。誰かがそう仕組んだのなら誰かを恨めた。あの神様だけじゃなくて、コエに反抗したこともあるぐらいだもん……。でも、これだけは僕のせいだから……」

結局この望みが、どこかでサナちゃんの邪魔をすることも解ってはいる。戦いたくないと言ったサナちゃんと戦って、結局サナちゃんには酷く怖い思いをさせてしまった。家出の時もそうだ。記憶を取り戻して始めて、サナちゃんにフラッシュバックを起こさせてしまったのも僕。願うだけ願って、いつかの誰かに約束した『彼女を笑わせること』は出来ていない。

「じゃあ聞くけど……ルナがサナちゃんに惹かれるの、「私に戻りたい」って本能はそこにない? 1ミリも? 普通にきょうだいに抱くにしても、その願い、重すぎると思ったことはない?」

その欠点を付くように、アメの牽制の言葉が僕を刺す。僕の意思の強さを確認しているようだった。

ついでに、アメ自身の立ち位置をアメが確認したがっているようにも聞こえる。

「……あるかもしれないね。でももう僕らはとっくに別々の人間として別々の人生を歩んだ。もう今さら同じ魂には2度と戻れない。それは君が1番わかってるはずだよ。君もコエには進めないし、カンちゃんに追いつけないんだから。確かに僕らの関係はきょうだいの域を越えてるかもしれない……」

けれど、僕はそんな言葉には惑わされはしない。アメに聞かれるまでもなく、僕自信が何度も自問自答を繰り返して、それでも選び取った選択だ。答えなんてとっくに出ている。サナちゃんに惹かれる理由なんて知らないし要らない。この気持ちに本能だとか劣情だとか、名前なんて付けて欲しくない。

ただ、結論は変わらない。

あの人ときょうだいで居たい。肩を並べたい。

「けど、それだけサナちゃんは強くて、でも繊細で、心配で、眩しいんだよ。だから僕は羨んで羨んで、妬んでも憧れたの! その事実は何を言われたって変わらない……半身で、姉で、唯一の家族だけど、ライバルでもある。きょうだい、なんて枠はもうとっくに取り払ったよ!!」

その言葉の勢いのまま、不意打ちでアメの足元を爆発で崩す。アメは唐突な攻撃に驚いたようだったけれど、それでもひらりと転ぶことも体制を崩すこともなく僕の攻撃を避けた。

「……なるほどね」

そうして上げた顔は笑っていて、それでどうやら僕への好奇心は満たせたらしい。アメは自分が開発したとかいう武器を棒状に変化させて僕をへと向かってきた。僕も咄嗟に上空へ飛び上がるけど、僕の瞬発力は彼女ほど高くない。あっという間に追いつかれて叩き落される。

「ううっ……!!」

武器を振り下ろしてきたアメの腕を蹴り上げ、なんとかその攻撃を回避する。弾き飛ばされた武器は宙に投げ出され、空いたアメとの間合いに炎の塊を叩き込む。その勢いで距離を取ったつもりだった。

けれど。

「……でもルナ、君はサナちゃん程器用じゃない」

アメは宙をその羽根で器用に返りながら、僕との間合いを詰めつつ、手から離れた武器を軽々とキャッチする。サナちゃんを模したのだろうか、いつの間にかその武器は剣となって……僕の喉元に剣先が突きつけられていた。

「……『剪定』で切り崩せない茨がそこにあっても?」

「勿論。約束した人が居るからね」

駄目だ。ここから巻き返す想像がつかない。僕は降参に両手を上げつつ、視線だけはアメを睨み返し質問もきっぱり答える。アメはその答えに何かを感じたのだろうか、ふっと笑って不機嫌な顔から、いつもののらりくらりとした昼行灯へ戻っていった。

「……はー、模擬戦じゃなかったら心理戦で負けてたね。混血といえど流石は罪を測る種族、悪魔ってとこかぁ……」

「アメは嫌なの? サナちゃんの……いや、僕らのこと」

勝負としてはアメの勝ちだけれど、どうやらアメは僕に負けた気分で居たらしい。溜息を吐きつつ、べたりと地面に手足を投げ出す。

「そんな訳ないじゃん。私も羨ましいって思っちゃうよ。サナちゃんが歌手として言葉じゃ言えない自己表現を探し続けてる姿は見てきたし、ルナが学校いかずに弟子入りで科学者目指してるのも知ってるんだから……」

そういえばきぃちゃんは専門学校に通っているし、サナちゃんはバイトもしているし歌手も目指してる学生、僕も研究者を目指しつつちょこちょこと働いてる。ヘイヤくんもサナちゃんと同じ学校の学生だし、カンちゃんも最近アメの『姉』として生きるために奔走してる……アメの身近な人は、大体何かをしてるか、しようとしてる。

誰かに踏み込みきれないアメが、憧れる気持ちは少し分かるかもしれなかった。

「…………あれ? これ、もしかしてただの八つ当たりだった?」

「ううん、全然」

そんな行動を振り返ったのか、アメは自分自身が仕掛けた戦いが八つ当たりだったことに気づいたらしい。身体を起こして首を傾げた。

けれど、僕としては八つ当たりかもしれなくても迷惑ではなかったから首を横に振っておく。

その会話がようやく戦いの決着となったのだろうか、すぐに霧は晴れて、元のサナちゃんの家の前に戻ってきた。

「アメもなんか見つかるといいね。取り敢えず、サナちゃんとアイドル目指してみたら?」

「勝った気にならないでよ~! アイドルは推す側がいい~!!」

やられついでの仕返しに軽く誂っておけば、アメは頬を膨らませて手足をじたばたさせる。

その様子に、うやら勝敗がつくのを待っていたらしいきぃちゃんが困惑した様子で歩み寄ってきた。

「ど、どうなった……の?」

きぃちゃんが慌てて戦果を伺う。

「負けちゃったなあ、アメが参加してなくてよかったかも」

取り敢えずはアメが語らない限りアメの本心は黙っておいたほうがいいらしい。ので、僕は軽く嘯いておくことにした。背後で仕方なさそうに笑うアメにだけそっと人差し指を口元に添えて振り向いてやれば、アメが呆れたみたいに軽く肩をすくめる。

「あれ? なんか珍しいメンツが揃ってますね」

そこに、仕事から帰ってきたつばちゃんが家に戻ってきた。玄関先で立ち尽くす僕らを見て少し不思議そうな顔をしている。気づけば小一時間ぐらい立ち話をしていたらしい。ちょっと怪しく映ってないか心配になってしまった。

「あ、彼女ちゃんおかえり~」

「つばさ、おかえり」

「おかえり。皆でサナちゃん待ちしてるんだけどなかなか帰ってこなくて……」

揃って出迎えてから事情を話せば、つばちゃんの頭にも想像が容易かったらしい。少し呆れ気味に笑いながら、玄関のドアを開けてくれる。

「ああ……あの人寄り道が多いですからね……部屋で待ってます?」

そうして3人でそのご厚意に甘えて転がり込んで、サナちゃんが帰るまでどうでもいい話をして過ごした。

少しだけそのアメの口数や声色が、普段よりお喋りに聞こえたのは気の所為だったのかな。



気づけば眠らされていた事を考えれば恐らくコエの手助けがあったのだろう。察されないようにするいつもの手口だな……と目を開けながらに思う。気づけばいつの間にやらまた霧の立ち込める白い世界。自分からそれを申し出た覚えはないから、もう相手は一目瞭然だ。乱雑に寝転がされていた顔を堂々、同じ顔が覗き込んでいるのだから。

「……自分もこんな間抜けな寝顔してるかと思うと、今後は人ん家の寝泊まりを遠慮しちゃうな……」

「…………え? 引く程ひどい?」

眼の前に広がるカンの顔が何故か妙に苦い顔をしているの事に気づく。その顔が引いていることに気づくと、すぐにカンが呆れ返ったようにぼやいた。相当に私の寝顔はヤバいらしい。何回かサナちゃん家に泊まってるけど見られてたとしたら確かに嫌だなぁ……。

ってそんな事は今はいい。私は起き上がって状況を確認する。やっぱりここは何度見ても、コエが造った精神世界だし、私とカンしかここに居ない。つまり。

「珍しいね、カンから仕掛けて来るなんてさ」

『模擬戦』の会場、という訳だ。

私が一発でそう思うのだからその思考が間違ってないのは確かで、カンが静かに頷く。

「サナさんにもルナさんにも仕掛けたんだろ? じゃあ僕が仕掛け返してフェアだ」

「……いつからサナちゃん側になったの?」

仕掛けられる側にもなってみろ、って事? それはまあやぶさかじゃないけど、どうにもサナちゃんの味方が多いなと思うとちょっと、うーん、なんて言うんだろう。煮え切らない。ルナがコエに反抗を示す気持ちも理解らないでもないのは、多分私の方がルナに近いからなんだろうなあ。

「アメ……変な頼みをするけど、戦い方を教えて欲しい」

「戦い方?」

改めてカンが起き上がった私に向き直すと、いつになく真面目な顔で自分と同じ顔がそう言った。カンはどっちかって言うとクソ真面目で、そこがコエに似てる。……だから、多分、何か思い詰めたことがあったんだろうなっていう想像は安易にしたんだけど……。駄目だ。大分慣れたと思ったけどこの顔に向き合うの……真面目なシーンになると笑っちゃうタイプなんだよね、私。

「ずっと考えてたんだ、僕ときぃちゃんは違う」

「胸の大きさが?」

「……それはアメもだろ」

……呆れた冷たい視線が私の胸に刺さる。いいんだよ私はこれが個性だと思ってるんだから。

仕方ないので肩をすくめて続きを促す。

「きぃちゃんは名前がついてたんだ、コードネームが」

サナちゃんとルナがきぃちゃんを見つけた時、きぃちゃんには『Key』というコードネームが設定されていた。きぃちゃんの『きぃ』はその音だけを拾ったきぃちゃんが、呼び名として自分の名前に使ったのだとどっかで本人から聞いたのもうっすら思い出す。響きは気に入ってるわよ、なんて言ってた気もするから、立場がどうだったかはどうであれ貰ったものは大事にしているのだろう。

「服だって揃えられてた。未だにきぃちゃんはそのドレスを着てるだろ。『ライト』と前の神はアメやサナさん達の敵かもしれなかったけど……その前に僕らの『親』だ。きぃちゃんはきちんと親に存在を残して貰った……」

そこまで言って、カンは何か悔しそうに唇を噛みながら視線を自分の身体に落とした。同時に、カンのオリーブ色のシャツの裾が小さく握りしめられる。

その様子にふと、コエに生み出される前のカンの姿を思い出した。

それこそヘイヤときぃちゃんと乗り込んだ、天使達のアジトの中。ゴミの中にもたれ掛かるように同じ顔の目を伏せた姿が今のカンに重なる。

多分、今の私はあの時と同じ顔をしている。

カンを、表情は変えずに静かにただ見つめていた。

「後は目を覚ますだけで……完成した存在だった。アメから造られたサナさんのクローン……」

静かに言葉を待つ私とは相対的に、カンの声は段々と濡れて震えたものになっていく。視線もどんどん落ちていった。

「僕はどうだろう? シャツ一枚で投棄場に転がされて、目を覚ますこともなければ、『親』の顔も知らない僕は何だった? サナさんとルナさんの魂から生まれた、アメのクローン……」

遂には完全にカンの顔は俯いて、その指先は痛いぐらいに己の指先を握りしめていた。憎しみをまるで自分に込めるみたいに。

「名前すらつけられなかった、ただの出来損ないの廃棄物」

その言葉に、随分と遠くなった記憶の向こうで、今はコエの歴史になってしまった……『実験体のアメジスト』の記憶が、チクチクと私を刺す。形は違えどその孤独が分からないわけじゃない。

普段は敢えて忘れたふりをしてるけど……確かに思い出した。初めてカンの姿を見た時の事を。

だって、カンが棄てられていた部屋に残されたカンの製造データを直接見たのは私自身だ。きぃちゃんには製造プランにも『Citrine』という名前がついていたけれど、カンには製造プランの名前もついていなかったのをこの目で確かに見た。

その時に心の奥底で、「ああ、私と同じだ」って……この子も神様に捨てられたんだって……思ったことを思い出す。

忘れてやりたかったのは、カンを同情なんかで見てやりたくなかったから。

その同じ顔に自分を重ねたくなかったから。

「あの日、コエの世界で君と目が合ったあの時!! コエに『橄欖』という言葉を付けられた時……!! 本当に僕が心底から怒りを覚えたのはコエでも君でもなかった!! あの時あの場所に棄てられて、なんの役割も持たなかった『クローンのアメ』……それ自身だ!!」

「!!」

その記憶を辿った直後、まるで噛みつくように顔を上げたカンの叫びに私は思わず息を呑んだ。その表情は、表面上いがみ合って、それ以上お互いに踏み込まないことで均衡を保ってきた私達の間には無かった、怒りと焦りに染まっていて……同じ顔なのに、同じ部屋に住んでるのに、今まで見たことのない顔だった。

「アメやコエと敵対して敵になるのは確かに怖かったよ。嫌だったよ! でもそれ以上に、何をしていいか解らない自分が嫌だし怖かった……! 心底ムカついた!! 言わなかっただけでずっと不安だった!! ……アメがサナさん達に不満を抱いてることはなんとなく気づいてたし、僕に背を背け続けてるのも解ってた!! それをアメが表出さないなら、自分もそうするのがあの時まで正解だと思ってた!! でも、棄てられてさえなければこんな思いしなくて済んだのにって、何度もあの日を呪った!!」

「……カン……」

カンの内心の吐露に、つられるみたいにこちらも内心が痛む。思わずさっきまで冷ややかな目線を向けられていた胸元を押さえた。何処かで周りと距離を置いていた自分の事を見抜かれていた事も、考えなしに見えて内心で自分を呪い続けたカンの事も……ああ、ルナが言ってた『お互いをまだまだ知らなかった』感覚ってこれなんだな。

「でも今は違う。サナさんが……僕はあの人の力を盗んだ側なのに……友達だと言ってくれて、僕は君の姉になることを決めて、つばささんがこの世界のルールをアップデートして……ようやく『一人』の能力者になった。輪郭が出来た! コエやアメと同じ力量を、君を陥れる為に使わなくて良くなった……!! だからもう出し惜しみはやめる!! この先、いつかは誰かの為に力を使う日が来るんなら、戦うことを僕はもう押し殺したりしない……振るうなら守るために振るいたい……」

「なるほどね~……」

そう言ってこちらを睨むカンの目が新鮮に映る。

その姿を見ていると、カンが思い悩む程に難しい感覚は何一つ感じなくて、単純に面白いじゃんっていう興味が湧いた。私がエンタメ好きなのって結局、こういう『変化』を眺めてるのが好きなんだよね。自分がどうこうよりずっと、多分。

「……いいよ、教えてあげる」

だから、私はそのカンの頼み……いや、『願い』を受け止めて羽根を出した。仕方なしとはいえ、お揃いの桃色の羽根。今までのカンなら移動手段でしかなかったそれ。

「だからその怒り、今ぶつけて来なよ! 幸い同じ顔なんだから!!」

バックステップ混じりに飛び上がって、持っていた武器を投げる。敵を……カンの『親』達と戦うために造った、変化自在の自家開発の武器。

「ハンデはあげる、捕まえてみなよ!!」

カンは己の眼の前でそれを掻っ攫うと、私を追って同じ色の羽根を羽ばたかせた。同時に、魔力を込めて形を変えた武器はハンマーへと変化する。魔力で増大された風圧が私の横を掠めるけれど、こっちは幸い飛ぶことが得意分野だ。ハンマーの先が霧を割いて地を叩く頃には、もう、私の身体はそこにない。

「ただ叩くだけじゃあ軌道も行動も読まれちゃうよ!」

「くうっ!!」

宙に返ってカンの頭をぽんと叩いて、また空に戻る。それを追いかけようとカンが悔しさを滲ませながらにハンマーを振り回す頃にはもう、私はその背に居る。戦闘経験のないカンはただ闇雲に私を追うだけだ。

「まっすぐなのがいつでも正しいと思わない方がいいんじゃない? 馬鹿正直は足元掬われるだけだよ」

「うるさい!!」

誂い混じりにアドバイスを挟みつつ、ただただ一方的な攻防は続く。行ったり来たりを繰り返すだけで、しばらく何の進展もない追いかけっこが続いた。こうなると退屈になるのが私の悪い癖で、まあそろそろ決着も付けてやろうかと思ってカンとの距離を詰め始める。

「もうキリがないよ、カン。悪いけど夕方のアニメ、リアタイしたいからあんまり疲れたくないんだよね。録画派のカンにはわかんないだろーけど」

ここでの時間の経過は長くても10分かそこらで収まるけど、疲労は持ち越したくない。後でまた付き合ってやればいいか、今日のところはこんなもんでしょ……そのつもりで羽根を狙ってカンの背に飛び込んで、そこで機動力を奪うつもりだった。

けど。

「……じゃあ、終わりにするか」

カンが振り下ろしていたハンマーが瞬時に形を変えて……カンが空いた手で空を叩く合図をする。と、今まで地を叩いていた箇所を中心に、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた鎖が姿を表した。

「わ!?」

瞬間それに足を取られ、私は空中に雁字搦めになる。

……そう、いつの間にか、鎖で包囲されていた。

「……嘘ぉ……!?」

「……正攻法が、常に……正しいん、じゃないん……だろ?」

追いかけっこに時間を掛けてしまったのは計算外だったのか、その得意げな顔の割には似合わない程に息を切らしつつも、確かに気付かなかった。初戦でこんな仕込みが出来るなんて……誰かの入れ知恵? サナちゃんと戦った時と同じ体制……何このデジャヴ。 悔しいけれど降参に両手を上げる。

「それ何? 元ネタ何!? なんかの漫画? だったら神展開じゃん、貸して!!」

「……おい、失礼だな。僕がパクったとでも?」

「鎖なんて思春期丸出しな発想、カンしかしないでしょ」

いたたた。余計に誂ったせいか怒りに合わせて絞まる鎖に絡めとられて、ひねられかける。あっ、悪い……。と謝られてから地面にどすん、と放り投げられた辺り、まだコントロールは下手くそっぽかった。でも伸びしろは思ってたよりもありそうで、なんだかんだ誰と戦っても不意をつかれるとこっちが凹むなあ……。こういうところ、やっぱり似た者同士なんだなと思うと笑いが漏れた。

「決めたよ、あんたのコードネーム」

「へ?」

ついでに逃げ回っている間、脳裏にほんのり浮かんでいた少し恥ずかしいアイディアを零す。

カンに名前がない? 生まれてきた意味がない? 役割がない??

「プラン『peridot』、コードネーム『橄』……オリーブってさ、平和と知恵って花言葉なんだって、ルナが言ってた。聖書ではハトがオリーブを加えてきた事で平和を知ったから……あとサナかのちゃんが言ってたけど、神話では困ってる人にオリーブを与えた神様が居るからなんだって。……ねえ、私達は神様にはなれなかったけど、神話の一部にはなれたんじゃない?」

そんなの今ここで付けちゃえばいいじゃん! ナイスアイディア。

いつしかルナとサナちゃんの彼女ちゃんから聞きかじった知識を、地面に転がったままひけらかす。

目が冷めた時と全く同じ、ちょっと引いた顔が私を見下ろした。

「……なんだそれ、それこそアニメの見すぎだろ」

「バーカ、こういうのが今『エモい』の! 『尊い』の!!」

「あーあ、はいはい。手合わせありがとうな」

そこで見上げていた白い霧が晴れていったから、決着はどうやら付いたらしい。

ぶっきらぼうな返事と共に視界から外れていくカンのその姿は、多分照れ隠し……だよね? ドン引きじゃないよね? ……そう思っても思い上がりじゃないといいなあ。

「あらおかえり。どうだった?」

「え、サナちゃん……え?」

「悪いけど仕掛け返して貰ったわよ」

霧が晴れて元の場所に戻ると、立っていたのはサナちゃん家の庭先。ルナの手入れした花が綺麗に咲いているバルコニーで、何故かニヤニヤと悪戯に笑っていたサナちゃんの姿がそこにあった。

「ええー! コエだと思ってたのに……魔法使いたくないんじゃなかったの!?」

「自分のことにはね?」

カンの頼みを聞いたのはてっきりコエだと思っていたけど、どうやらサナちゃんの仕業だったらしい。自分がサナちゃんに模擬戦を仕掛けたのをやり返された形になる……フェア、ってそういう事? 二重にも三重にもやられたので思わず頭を抱える。

「うわあ……やられた……なんでそんなにカン贔屓なの……」

「誤解しないで、かわいい後輩に成長の機会を与えてやったまでよ」

しれっとサナちゃんがそうやって笑いながら、カンの肩を抱く姿……うわあずるい。絶対楽しんで二人で計画したじゃんこれ。

「で? アメいいの? 呆然としてる間にルーティンのアニメ、もうすぐだけど?」

「おあっ!!!!??? それを早く言ってよやばいやばいやばい予約ー!!」

イタズラ好きはお互い様か、なんて思いに耽ってたら、思ったより時間が経過していた事に気づいた。慌てて今日一番のスピードで飛び上がる。一応にもカンに手加減してた事を、その瞬間私が一番に知ってしまってびっくりしたけど……まあ、本気の対決はまたいつかにお預けでいい。

私も本領発揮のカン、見てみたくないワケじゃないもん。

その後で、サナちゃんが『名前』をくれた。

コエが引っ越すために自分に人間名を付けた後、今までの部屋の部屋主を私にしなきゃならなくなって。どうせなら決めちゃおうって事で、サナちゃんが決めてくれた。

サナちゃんに任せていいものかな、とも思わなかった訳じゃないけど、呼び名が変わるわけじゃないし。

文字違いのお揃いの響きの名前も、悪い気はしないし。

実験体の名前からようやく解き放たれた私も、悪くないと思えたし。



彼女ちゃんは徹夜仕事で、ルナも来ないって言うからサナちゃんの家に泊まることにした。

サナちゃん、結構ゲームやるしサブカルコンテンツの話が通じるから、下手にきぃちゃんやカンと話すより話が通じるんだよね。ディープな話は流石に引かれちゃうけどスラングなんかはスッと通じるから、ノリで夜遅くまでゲームして、実況交じりのアニメ鑑賞をして、それでまあぼちぼち寝ようかな~ってなって。

私もサナちゃんもあんまり長く寝ないから、お泊まり会らしく雑魚寝でいいか、なんてなって……サナちゃんは横になってただけで寝てはなかったらしい。ルナ達みたいにベタベタするつもりもないし、私は少し離れて眠っていた。

サナちゃんが暗いのは苦手だから、部屋はうすぼんやりと明かりが灯っていて、それでいてサナちゃんの家って妙におしゃれだけど生活感がない訳じゃなくて……さっきまでここで騒いでたのが嘘みたいに雰囲気があるから、なんか変にナーバスになって……。うっかり思い出す。

最初は興味本位だったはずの『模擬戦』を仕掛けた後、色んな人の内心内情をうっかり聞いてしまった。サナちゃんもルナも、カンも。自分の過去と未来だったものが自分以上の経験をして別人になっていって、個として夢や目標を持って。

だからちょっと、本当にちょっとだけ考えちゃったんだ。

……私は?

…………私は何?

ちょっと神様より力が強かっただけで簡単に玩具にされて、用が済んだらその力も奪われてポイで、それが許せなくて戦っても勝てなくて、何も残せなくて……結局次の神様になったのは、私を切り離した後のコエで、私は、私は、私は……

結局、玩具? カンの鏡? 過去のもの?

実験体の『アメジスト』のまま?

「……アメ!」

「!!」

サナちゃんに揺すり動かされて目を覚ます。一瞬何が起きたか理解らなかった。けど、魘されてた……んだろうな。変に首元に髪が張り付いて、浮いた冷や汗がきもちわるい……。

「……えと、あはは、ごめん。隣で寝るの良くないね……私、寝相とか寝言とか悪……」

「アメ、今……私しか居ないよ」

笑って誤魔化そうとする私に、急にきっぱりとそう告げたサナちゃんの真剣な視線が刺さる。

何さ、真面目な顔しちゃって。私の何が分かるの。

そう思うのに、サナちゃんの伸ばした腕に気付けば縋る。こんなのお遊びだと思ってたのに、ふざけて抱きつくより全然温かい。冷や汗で冷えた身体をサナちゃんがタオルケットで包んで、照明の落ちた部屋の薄暗さもちょうどよく……顔を隠してくれて助かった。

「誰にも言わないで……」

「言わない」

サナちゃんは私よりよっぽど自分の気持ちを知られるのを嫌う人だ。だからこそこういう秘密には口が固い。それだけは私も信用してる。静かに撫でてくれる手が、そのきっぱりした言葉よりも余程に私を宥める。サナちゃんはこういうスキンシップが誰より上手い。人一倍に寂しがりだからこそ、人の寂しさにうまく付き合ってくれる。

「ねえサナちゃん、『私』って『誰』かなあ……?」

だから聞いてしまった。

さっき夢の中で考えてたこと。普段なら絶対思わない。他人から自分の行動を指されるなんてごめんだと思う。変わりたくない。これ以上変わりたくない。だから変わってく皆から一歩引いてたの。私は『過去』だから。押さえつけられてた兵器だから。カンが私に、対立したくないからって対等を求めた時ですら、応える気はなかったから背を向けた。

なのに、今同じことをしてる。自分の過去だった存在に同じことをしてる。答えを他人に求めてる。情けなくなって余計に顔を埋めてしまったけど、サナちゃんは私の顔なんて覗き込まずに真っ直ぐ、薄暗い部屋に言葉を溶かした。

「『アメ』よ。アメジストでも、その名を指す今までのアメでもない。私が名付けた『アメ』」

「!!!」

カンとの模擬戦の後、サナちゃんが人の名前をくれた。カンと一字違いで音は2人とも『アメ』。

それが私の新しい名前。

「今までと何も変わらない、貴女は『アメ』。天気屋だけど、その嵐が誰かの恵みになることもある……」

…………。なにそれ、くっさ……。

歌手らしいと言えばらしいけど、あまりに詩的な表現に力が抜ける。けど、今はそれが助かった。

こういうところでサナちゃんとカンって若干通じる部分あるんだよなあ。友達になった理由が分かった。

……悪い影響与えないといいけど。

少し呆れ混じりに笑ってしまったのが、くっついているから振動で伝わったらしい。ウケたと思ったのか、サナちゃんが私の肩を放した。

「今のはよくない夢ってことにしちゃいましょう、明日には無かったことにになるわ」

そう言って仕方なそうに笑ってくれる顔に、心地よさを感じる。

ああ、ルナや彼女ちゃんが感じてるサナちゃんの魅力ってこういうことなんだろうな……。

「……はは、その夢が怖い癖によく言えるや……そもそも、もうとっくに日付変わってるけど」

「じゃあ尚更、朝が来るのは早いわ。眠れなさそうなら、もうひと勝負ゲームに付き合うけど?」

「いや、いいよ。サナちゃん強すぎるんだもーん!」

その得意げな目にまた力が抜ける。サナちゃんと一晩夜通しの勝負とか、悪い夢よりよっぽど疲れるでしょ……。そう思うともう嫌な思いはすっかり抜けきる。またサナちゃんに背を向けて寝転がって……。

そうだね、今のは夢だ。なかったことにしよう。

明日、日曜日だし。朝から忙しいし。



「もう満足したか、アメ?」

「満足って?」

「模擬戦。このままじゃ全員に仕掛け兼ねない」

もう状況説明なんて要らないと思うほどには何度も見た光景にもう驚きもしない。

コエの精神世界、霧の世界で全く同じ顔が呆れたように笑っているのだから、仕掛けた犯人も分かっている。

「コエの神様姿、改めて見ると同じ顔すぎて気持ち悪いね……」

「今更だな」

人間の姿のコエを見てる時間の方が私としては長かったから、神様姿のコエと向き合うと本当に姿かたちそっくりそのままで不気味まである。そりゃ、元々別の生き物だったカンとは違って、生きてる時間以外にコエと私に差はない、完全に『同じ人物』なのだから当然だ。

私はコエの過去で、コエの過去は私。

そんなの分かってるし、つい最近までそうして分かったつもりで身の程も弁えてた。

けど、最近どうにもそれが気に食わない事に気づいちゃったから、少しだけ口が尖っちゃう。

誤魔化すつもりで頭後ろで腕を組んでそっぽを向いた。

「一体どうしたのさ、コエも『模擬戦』するの?」

「いいや、誤解を解かないとなと思ったまでだ。話し合うのにどうもちょうどいい場所のようだからな」

そう言うとコエが空中に空気イスみたいに腰を下ろして、こちらも座るように促してくる。なんかこれがコエのお家芸らしい。お生憎だけど私はそれには飲まれない。無視して立ったままコエに向き直った。

「どうして戦いに参加させてくれなかったの? 面白そうだったのにさ」

「……お前じゃ話をややこしくしそうだったからな。現に面白そうだと思うならあの場に向いてもなかっただろう」

話し合うのにちょうどいいと言うなら、と取り敢えずずっと思っていた疑問をぶつけてみる。敢えて都合の悪い話を。コエが何かしら皆に仕掛けるのはなんとなーく察していた。まさかあんな形で『争わせる』なんてのは予想外だったけど。

「……冗談に決まってるじゃん。でも不満は本当。……ま、仮に参加できたとしてお願い事なんかなかったけど」

「本当か?」

「……まあ強いて言うなら、コエ自身の願いを止めるぐらいはしたかったかなあ? 正直何かやらかすって解ってて、止めなかった後悔はあるからね?」

そう言って笑ってやれば、コエの目が不満そうに私を睨む。その態度に恍けは効かないことを察するしかなかった。仕方ないのでコエも真正面にどかっと座ってあげて、ふんぞり返りながら同じ顔、同じ視線の睨みを返してやった。

「別々の時間を歩み始めたって言えば聞こえは良いけど、未来の自分がとんでもない事してるの傍観しなきゃいけないとか、結構キツかったよ? 自分じゃ決められなかったかもしんないけど、あーんなデスゲーム主催者の真似事しなくたってよかったのに」

「……それについてはすまない。やりすぎた。……だが私も考えた末だったんだ……私の独り善がりの願いで、全部を丸く収めようと足掻いて……それすら間違いだったと気付かされた。私の求める完全でなければいけない……それ自体が違うと否定されてようやく分かった……」

そう言って段々、コエの表情が苦味を増してくると余計に嫌になる。同じ顔しといて自分だけなんか苦しんだみたいな雰囲気、正直気に食わない。無理やり戦わせられたサナちゃんもルナも、彼女ちゃんもそのきょうだいも、きぃちゃんも、戦いに参加してないカンだって……皆それぞれ、『なんで?』って思わされて振り回された。

でも、それでも私が怒れなかったのは……そうしたのがコエの覚悟だって自分なりに分かってたから。

私が神様に逆らうことを決めて、上手く行かなかったのと対して変わらないと思ったから。

だからこそ茶番だなって思うしかなかった。その原因が世界線は違えど『自分』なの、ヘラヘラせずにどうやって見てればよかった訳? それでヘラヘラしそうだから部外者扱いとか、失礼にも程がない??

「……ねえ、コエ。そんなに私の事、黒歴史?」

「なんの話だ?」

誤解を解くとか言っておきながら、コエの『言い訳』を聞いてる内になんだかムカムカしてきた。ちょっと前までなら思考放棄してたかもしれないけど、この空間のせい? 誰も聞いてないから?? 皆の覚悟と願いを知ったから??? 勝手なこと言わないでよって気持ちが、珍しく湧く。もう傍観もヘラヘラもしたくない。サナちゃんや彼女ちゃんの怒りも少しだけ分かった気がした。

部外者扱いされた事を改めて認識して、腹が立つ。

「そもそも、なんでコエは私を分けたの?」

「……それは、サナを失った後の『お前』と、そうじゃない私は違う魂だ。お前は堕天して性格も神に矯正を受けてる。考え方も違えたし、時間も違えた。同じ存在とは間違いではないが言い難い。だから……」

「じゃあ、なんで『アメ』って名前を私に与えたの? その理論で言ったら『アメ』はコエじゃん」

その言葉に、コエは息を呑んで自信なさげに俯く。

「私はコエにとっても、『現代』に身を置くための実験台? ……捧げ物の代わりの石ころ?」

アメジストは神話の中で女神に捧げ物をしていた女性の名前らしい。サナちゃんの彼女ちゃんが教えてくれた。神様がその身を守る代わりに身体を水晶にされて、神様の宝石になったというお話があるんだそうだ。前世の『のえる』がその身を捧げられそうになったのを、神様が拾って自分の物にしたから私に付いた名前も『アメジスト』。

結局、この名前をコエ自身が使わなかったって事は、コエはその歴史を私に押し付けた……と私は感じ取らざるを得ない。カンがその名の意味に疑問を零すのを見ている内に、私もそう思い始めてしまっていた。カンが居なかったらきっと疑問にも思わなかったこと。けど、もうカンの不安も憤りも、そして決意も聞いちゃったからには戻れない。

「確かにお前に改めてアメと名付けた時……私が私をコエとしたあの時……『アメジスト』の意味を放棄したわけじゃない。だが、それは私がお前を……『私の過去』を守る、という意味で付けたつもりだった。だが、それ以上に『アメ』の響きに意味を持たせなかったわけじゃない」

「へえ、初耳なんだけど……どういう意味?」

カンの橄欖がオリーブ『ではない』、っていうのも込み、って話は確かあの時聞いたけど、私の名前の意味がアメジストから外れたって話は聞いた覚えがない。聞き返せばコエは一瞬目を泳がせてから静かに答える。

「『雨』。お前が与えたから、恵みを」

「…………は?」

その間が何を思っての間かは理解らなかったけど、今まで理由を聞かなかった事を考えると言い出しづらい理由があったのだろう。……だって、実際聞いて目が点になったんだから。『雨』? 恵み?? 思い当たる節もない。し、名前に掛けたギャグじゃんそんなの。そりゃ言い出せない。

そりゃまたなんで、と黙ったままでいると、コエは淀みながらに言葉を続ける。

「つばさとよくに……」

「っ!!! 違う!! あれは失敗だった!!」

私はその言葉に、慌てて見えない席を立つ。カンの生まれた研究室……天界で見つけたサナちゃんとルナの魂。カンを造るために使われた魔力を敵の手の中から取り返そうとして、私が手を滑らせて地上に落としてしまって……。私はそれで罰せられて『アメ』としての人生を終えたし、サナちゃんとルナはまた地上で天使達と戦う羽目になった。

ミスで落としてしまった魔力が、彼女ちゃんとそのお姉さんに宿って能力者になって。

全部、全部あれは私が招いた結果だ。私が勝手に正義感募らせて、勝手に戦おうとして、勝手に招いた結果。恵みなんかじゃない。与えたくて与えた結末じゃない!!

「私はサナちゃん達と違って何も成功しなかった! 勝てなかった!! カンに役割がない? 立場がない? 棄てられた?? そんなの私だっておんなじ……堕天して捨てられて、歯向かっても何も残せなくて……結局押さえつけられて終わったんじゃん……」

「……アメ、聞いてくれ。責めてる訳じゃないんだ」

急にらしくもなく取り乱した私を見て慌てたのか、コエも席を立ち上がって私の腕を引く。その構図はまるで子供が言い聞かせられてるみたいでちょっと悲しくなった。コエが悪い意味を私に持たせた訳じゃない事は分かってる。駄々をこねてるだけだ。それは分かってる。

けど、なんて言えばいいんだろう。重い。というのが正しいだろうか。

相応しく思えない。恵みとか、守るものだとか、そんな綺麗に身を振れなかった後悔で後ろめたく思えてしまう。

悪いことをしたなんて思ってないし、私も確かに信念があったけど、もっと出来るって思ってたのにそうじゃなかったから悔しい。

「だって、コエとかカンとか見てると私が勝手にそう思っちゃうんだもん……コエみたいに皆を余すことなく助けようとすれば失敗するし、例え私がカンの鏡であっても、「表」として振る舞える程は立派じゃなくて……あの子みたいに真っ直ぐで居られなかったんだもん……向き合うなんてできなくて、知らんぷりして背中合わせで居た方がラクだったからついそうしちゃって……」

一瞬、目が潤むからコエの視線を逃れようと俯く。自分の、人より近いつま先を睨んで耐えた。

1センチしか変わらないカンとの背丈がやけに大きく見えて、『あれ? カンなんかデカくね?』なんて誂って……背丈だけじゃない。髪が伸びてる事に気づいたのもその時だった。カンが姉になると言い出したあの日の大喧嘩は私の言葉で始まったのを思い出す。言ったらあのラクな均衡が崩れるって分かって言った。カンが怒るって知ってて言った。

「アイツ、自分も知らない内に勝手にどんどん行っちゃうんだもん……それで気づかないのムカつくじゃん、ずるいじゃん……私だけずっと『過去』のまんまじゃん!! 『実験台のアメジスト』のまんま……天界丸ごと焼き消した兵器のまま……」

あの時の事を思い出すとなんだろう、寂しさ? 無力さ? なんとも言えない脱力感に襲われて、また、すとんと見えない椅子に座り込む。カンの方が先に立ち始めた事に、実はカンより先に気づいていた。あの時、もう無視はできないって悟った。黙ってることなんてあれ以上出来なかった。

その内にカンはすっかり、廃棄物でクローンだった自分を認めて受け入れた。サナちゃんが背中を押したのもあったけど、あの場でそう決めたのはカン自身だ。

それに対して、オリジナルの筈の私はずっと『アメジスト』のまま。過去のまま。誰も何も壊したくなくて、実験台にされ続ける痛みも気持ちも全部押し込めて……結局限界が来て全部をめちゃくちゃにしてしまったあの時のまま!!

「誰かの手を取るなんて怖くて出来なかったんだよ……」

「……アメ」

『変わりたくない』なんてわがままを、勝手に回る世界は聞いてくれない。

誰にも伸ばせなかった自分の手を自分で握りしめる。コエがそっと私の肩を抱いた。

「ねえコエ、本当言ってよ……押し付けたんでしょ? 自分が神になるのに要らない過去だったんじゃないの? コエだって私の事要らないと思ったんじゃないの? ……だから私を、『アメジスト』を切り離して置いてくの……?」

思わずその腕に縋る。何してんだろ、こんなの聞いても困らせるだけなのに、って頭の片隅では分かってるのに止められなかった。

ここで答えを聞いておかないと後悔する。それだけは嫌だった。

どうしても置いていかれるなら、せめてその理由を知りたい。納得したい。

カンが『橄欖』を受け入れたのと同じ、『アメジスト』を受け入れる理由が欲しかった。

コエは私にまるで言い聞かせるように、足元にしゃがみ込んで私の顔を覗く。

サナちゃんみたいにわざとそれをスルーするなんていう優しさはなくて、同じ顔の中で唯一違う、金の瞳が強くこちらを覗いた。

「私は……神である以上、いつかは誰かに狙われるかもしれなかった。失敗するかもしれなかった。結局、こうして失態も犯した。その時、もしもがあればお前は代わりになれる。なってくれるんじゃないかと思った。お前が心を殺してまで、自分という兵器から誰をも守ろうとした努力を知っている。ヘイヤがどれだけ咎めても、その言葉を聞かなかったの心の強さを知っている。あれは私でありお前の歴史。お前の強さを信頼していた。要らなくて置いていったつもりはないんだ……むしろ、必要として置いたつもりだった」

そう言うとコエは静かに私が縋った腕を解いて手を握り直してくれる。子供扱いされるのは大嫌いだけど、今はそれで異様に安心してしまうから頷くしか出来なくて、その視線から逃げるみたいに頭をただ下げるしか出来なかった。

「勿論、それをあてにした訳じゃない。託そうとか利用しようとか、寄りかかろうとかそういう事を考えた訳じゃない。ただ、次があるのだとすればお前になら任せられる……そのぐらいの信頼があった。むしろ、任せることを本当に考えていたら私はあそこまで思い詰めなかったのかもしれないがな……。ただ、お前がそうならないまま人としての人生を楽しめるなら、私としては大成功だと思っていたんだ」

もうお飾りでしかなくなってしまった、コエの重なった羽根が静かに開く。本気を出した時だけしか見ない神様の姿。

今、戦いこそしていないもののコエは本気で私に向き合ってくれていた。

「……でも結果としてダメだった。現にこうして今お前が自分の在り方に疑問を持つなら、私は成功なんて一つもしていない。アメもカンも失敗だと言うのなら、今の私も同じだ。力だけでは超えたいと思っていた神は越えられなかった。でも、お前も含めたサナ達がそれぞれ願って、全員が支え合う世界がつばさの手でアップデートされて……思い知らされた。神様がひとりである必要はないし、やり直しなんて幾らでも効く。一度躓いたぐらいでお前を切り捨てたりしないと誓う。もう私達に『曰く』はないんだ、怯えないで欲しい……もしもまた誰かを傷付けるような真似をしたとして、今なら誰かが手の伸ばしてくれるはずだ……アメはそうは思わないか?」

私は小さく首を振る。そんな訳ない。

小さな傷跡を残しながら、どれだけサナちゃんが輝いてるか知ってる。ルナがそれに追いつこうとして、彼女ちゃんはそれを支えようとして……。皆意味も意義も見出した。距離を置いたり対立したりしていた環境から、少しずつだけどお互いの痛みを知って補い合う中にちゃんと私は居るし、居たい。

その覚悟とか痛みとか知ってみたくて『模擬戦』を仕掛けた。興味があった。

多分羨ましかったし、寂しかったし、置いていかれたくなかったんだと思う。

「私もお前も、もう兵器でも実験台でもない。何も壊しはしない。それでも、壊したくないという願いを持つならば、それは間違いだなんて誰にも言わせない。……お前が変わりたくなければそれも選択の内だし、羨ましいと思うことだってお前のものだ」

そう言うとコエは静かにまた見えない席に戻る。また向かい合って、コエは足を組んで今度は私から視線を外すように斜めに座り直した。多分照れ隠しなんだろうか、自分の話が苦手なところは当然だけどお互い様だから。

「……今の世界はのえるの記憶から作ったんだ。だから私は今の世界を『現代』と呼んでいる。あのときと同じ呼び名でな。全部やり直したいと思っていたから。その願いをのえるに託したからお前を戦いの場に招かなかった。お前が居たら『私』の迷いが出てしまいそうで、フェアではなくなってしまうと思ったからな。でも、サナがやり直す事をはっきりと否定した。逃げるなと言ってくれた。何故か分かるか? つばさが『変える勇気』をサナに与えたから……そしてそのつばさを変えたのはお前だ。つばさの勝利はお前の実績でもある……お前もきちんと歯車が噛み合ってる」

そこまで言うと、またコエは立ち上がって……まだ俯いたままの私の眼の前にまるで立ちはだかった。その目はもう私を睨むようでも諭すようでもなく、ただ静かに微笑んでいる。

「確実に、『今』はお前の手で変わった未来だ。お前は過去なんかじゃない」

「っ……!」

その笑みと、優しく掛けられた言葉に思わず息を呑む。

私がした失敗……だったと思っていたものは、サナちゃんの希望……。

「その中で変わらないことを選択したアメも間違っちゃあ居ない。これだけは約束する。置いてなんか行かない。……言うのが遅くなってしまって済まない。気長に、一番天辺で側で眺めてくれればいい」

「……はは、ほんと……どいつもこいつもそんな臭いセリフ良く言えるよね……数百年も立つとそうなっちゃうもん?」

そう言われてしまえば、無意味だと思っていた事自体が無意味に思えてくるからちょっと笑っちゃう。

そっか、サナちゃんは私の失敗も込みで消したくないって言ったんだ。言ってくれたんだ……。

彼女ちゃんはそれも込みで全部を叶えようとしてくれたんだ……。

そりゃあ誰にも勝てない……ううん、違う。勝ち負けなんてなかった。

戦う相手も間違ってた。みんな今と戦ってるんだもんね。

私は『アメ』と戦わなきゃ。水晶だった『アメジスト』の意味を、自分の色に塗り替える為に。

「……あのね、コエ。今まで通りだけど、でも……ああ、上手く言えないな……言えないけど、新しい私になりたい。今この時間と、友達と、好きなもの全部全力で『推す』のが私。目標とか夢とか願い事とかそんなでっかい話じゃないけどさー……これからも面白く居たい」

私も見えない席を立って、コエに微笑みを返す。

満足そうな頷きがそれに答えて、やっぱちょっとカッコつけなんだよなあお互い……なんて思ったらやっぱり笑っちゃった。

「それに、サナちゃんがプレゼントしてくれた、カンとお揃いの人間名が実はあるんだよね~。コエが出てってから部屋の手続きで必要で。サナちゃんも似たような事言ってくれたの。だから、『雨』は却下じゃあないけど、永久欠番にしてもいい?」

「…………何? それ、最初に言ってくれ…………」

「あーあー、やっぱ『雨』って言うの恥ずかしかったんじゃん?」

ついでに、誂いたくて敢えて黙っていた事を告げると、コエはがっくりとしながら顔を覆うように頭を抱える。なんていうかまあ、上手く意味を変えてやろうとしてくれたんだろうなって事は分かるけど、ダジャレになってる事は自分でも分かってたんだろうな。だから教えてくれなかった……と。うーん、とんだ口下手な元神様だよね。

「いや悪くは無いよ? 湿っぽいのあんま好きじゃないけど、そう言われたら見る目は変わるかもしんないし?」

「……分かったわかった、降参!」

そう言うとコエはまだ照れの混じった顔で笑いながら、両手を顔の横に揃えて上げた。

一応この戦いは心理戦で私の勝ちらしい。霧が徐々に晴れていく。

……そうだ、完全に元に戻る前に聞いておこうかな。

「……コエは? コエは『今』をどうしたいの?」

「私か?」

「私が言いっ放しじゃずるいじゃん、教えてよ」

コエは困ったように頭を掻きながら一瞬宙を睨む。少しずついつもの場所に戻りつつある景色の中と同じように、完全に同じ顔から魔法でわざと変えてる少し大人びた人間の姿に戻っていく。その顔が、少しだけ悪戯混じりにこちらを向いた。

「私はもう願いは要らない。先を見て躓くより今までを大事にしたい。……その為に過去であるお前が居てくれたら道を誤らないで済むと思う……この答えじゃ駄目か?」

「……相変わらず小っ恥ずかしい言い回しだけど……いいんじゃないの? 利害一致じゃん?」

私が出した答えとそう変わらない返答に笑ってしまう。自信なさげな予防線を交えるのも、多分照れ隠しなんだろうな。私はそれに拳を突き合わせて、小さな同盟を組んだ。

「お、おかえり」

「……ただいま」

完全に景色が戻ると、そこは私達が住んでるアパートの一室だった。今の家主は私という事になっているいつもの部屋。カンが呑気に夕方のアニメを見ながら、私とコエを出迎えた。カンがコエの申し出を受けたのかと思うとちょっと意外なような、でもこの話って私達3人の問題だったような……。ううーん? 反射でちょっと呆けたただいまを零す。

「どうやら貸しは作れたみたいだな?」

「ちょっ、調子乗らないでよ~!?」

その様子にニヤニヤとカンが笑みを浮かべるので思わず噛みつく。

何かしら私が心情を零したことはお見通しなようで、二人の様子から色々察したらしい。

「おかえりなさい、アメさん、神越さん」

「げ、月都ちゃんまで居る!」

「一応神越さんがやらかさないかを確認するまでがお役目ですので」

その後ろから、コエの部下だった天使、今は同居人の月都ちゃんが顔を出す。

あの心理戦の結果を二人でここで待ってた……って思うと、やだなあ!! なんか嫌だなあ!!

なんか変な予測とかされてたと思うと恥ずかしいというかムカつくというか。

「失礼な、やらかしてないぞ!!」

「どうだろ? 結構デカいオヤジギャグ聞かされて来たんだけど~?」

「はいはい、概ねいつも通りだったと」

コエもそれは同じだったみたいで、月都ちゃんに噛み付いて反論する。まあ、確かにご期待か心配か……振り返ってみると結構コエが好き勝手したみたいな感じはあった。から軽く仕返ししちゃう。

疑問は晴れたからそれは助かったけど、ある意味で吐かされたとも思わなくはないわけで……。

月都ちゃんはどうやら予想通りだったらしい。肩をすくめてさらっとコエの反論を受け流した。

「……まあいい、帰るぞ月都」

「はい」

コエは更に反論を重ねようと一瞬口を開いたけど……これ以上は言えなかったらしい。

踵を返して部屋を出ていった。

「コエの奴、照れちゃって……一体何話してきたんだよ?」

「んー、内緒!」

その背を意地悪な笑みで見つめつつ、カンも小さな探りを入れてくる。

けど、同盟を組んだよしみで、そこは明かさないで置いてあげた。

うん、もういいかな。模擬戦は。

もしかしたらまたいつか戦う時が来るかもしれないけど、それはそれまでの楽しみにしておけばいいや。



アメが模擬戦ブームを終えてしばらくした頃、なんとなくでアメとカンときぃちゃんとホームーパーティを開いた。そのままお泊まり会に流れ込んで、アメとカンは一緒に見ていた映画もそこそこに先に床に転げて眠ってしまっている。

夜風が心地良いからとリビングの窓を開けっ放しでデッキに座って、二人の豪快な寝相を見ながらきぃちゃんと苦笑してしまった。

模擬戦の間にどうやらひと悶着あったとかなかったとか、秘密主義のアメから全貌はまだ聞けていない。ただ、結果を聞かなくても分かるぐらいにはアメはいつも通りだ。それが何より問題が起きていないことを示していたし、仮に例えこの先何が起きようと、アメはいつもの昼行灯のままやり過ごせるんだろう。カンも相変わらずの様子だけれど、一生懸命さは少し増しただろうか。いつの間にか、二人の間に流れる空気感はちょっとだけ穏やかにも見える。

私達とは多分違う『戦い』がそこにあったんだろう。

そう、『私達』とは。

「丸く収まったようで何よりね」

世間話のつもりで隣に座るきぃちゃんに声を掛ける。

正直、まだ二人きりは少しだけ気まずい。この世界に来て一番避けていた相手だ。前世でもあまり深く関わらないつもりで居たから、少しだけ会話に困る。

「……サナはどう? あれから……これで良かったって思う?」

「ええ、勿論」

恐らく向こうもそう思っていたのであろう。今までは。元から少しオドオドした言葉の濁し方をしていた彼女が、珍しくはっきりと私に質問を投げかけてくる。二人きりで、そしてアメとカンの様子を見て何か思うことがあるのだろう。

……私も思わない訳じゃない。

アメとカンと同じ。オリジナルとクローンで、距離のあった関係。

今なら二人を見習って、もう少し歩み寄れるかもしれないと思うのは当然で。

「言っとくけど私も後悔してないよ。サナに否定されて、ちゃんと考え直したの……」

「…………」

あの戦いの中でクローンなんてなかった事になればよかった、なんて叫ばれた時にはなんて事を言うのと否定した記憶が蘇る。あの時は必死だった。ただ一人も取りこぼしたくなかった。それだけで、きぃちゃんの苦痛なんて考える暇もなかった。けれど、きぃちゃんはきちんと私の考えを巡らせてくれたらしい。

申し訳無さに押し黙るしか出来なくて、返事代わりに組んだ足を入れ替える。

「サナの歴史を消そうとした事はごめんだけど、それがサナにもルナにも、アメにもいいことって思ってたからしちゃった事で、私が嫌だったからそうしたんじゃないの……それだけは信じて欲しい……」

「ええ、だからこそ貴女はつばさに全てを教えてくれた。それは感謝してるわ」

サナ二世。逆成長しきったきぃちゃんが、私の記憶を辿って旅をしてくれて……最終的に大人になったつばさの元に辿り着いた。伝説の悪魔、とまで呼ばれた私が、おとぎ話として後世にその存在を残せたのは、きぃちゃんとつばさがそれを望んでくれたからだ。

「サナが起こしてくれたことも、アメから生まれた事も、この姿も服装も、サナ達にとって敵であったかもしれない人が残してくれたものも全部気に入ってる。これ元々一張羅だったからなのもあるけど……これを大切にしてるの」

そう言ってきぃちゃんが指したのは、あの時から変わらず今も着ている黒いドレスだ。さすがにコエがこの世界を作った時点で当時のものではなく、いつも着ている訳でもない。あの時みたいにボロボロの小屋に住んでいるのとは訳も違うけれど……それでも気に入っている理由があると知ると納得する。

「凄く凝った手作りでね、どうしても捨てられなかったのよ。なかった事にしたいなんて言ったけど……少なからずこれが作られてる間、私はちゃんと製造主に誕生を望まれてたんだって気づいたから。だから後悔はやめたの」

「そうだったの……」

服飾学校に通い始めたのもそれがきっかけなのだろう。きぃちゃんはそれからしばらく、服を作る大変さと楽しさを語った。学べば学ぶ程に、きぃちゃんの製造主……『親』がどれだけ自分に力を入れてくれたのかを知れると語る彼女の横顔は、自分にはもうすっかり似ていない。彼女だけの思い出で、彼女だけのルーツだ。

「サナとルナが私が住んでた研究所、直してくれた事あったわよね。あの時を思い出して……誰かの為に何かを作ったり直したりって、きっと大変なのにふたりは簡単に助けてくれて……」

「それは、言い方が乱暴かもしれないけど……拾ったものには責任を取らなきゃいけなかったから」

勿論、あの時点で私はきぃちゃんを仲間としては認めていた。仮に敵だったとして、テリトリーに招いて戦うことになってもそれはそれで受け止める覚悟もあった。ハルトが私を暗殺しようとしていた事に気づいていたのも同じ。

あの頃の私は、敵を作って当たり前とも言えたし、それしか恐らくコミュニケーションを知らなかった。

きっと、誰かに世話を焼いてしまおうとするのは、自分自身を救いたいだけで……きぃちゃんを心から受け入れた訳じゃない。今でもその罪悪感が芯に残っているような気がして落ち着かないだけ。

「でも放棄もしようと思えば出来たよね? なんなら殺すことだって、あの時のサナなら出来たはず。しかも、私は敵かもしれないのに、サナは城にも家にも招き入れてくれたじゃない。それに、途中までだけど私もちゃんと天界との戦いに参加させてくれた」

「それは……本当に申し訳ないと思ってるから……」

「知ってるわよ。謝ってもらってるからそれはもういいの。そこまでして私を生かしてくれた事にも感謝してる」

いつもは言い淀むか突っぱねるかしかしないきぃちゃんが真っ直ぐ私を見つめてそう話す様子を、私は少しだけ夢でも見ているような気分で眺めてしまっていた。さっきの映画がまだ続いているみたいに現実味を感じない。

この子も変われたんだなという安心も混じるけれど、気恥ずかしさとか申し訳無さとか……やっぱり心の何処かでチクチクする。私の運命に巻き込んでしまった存在。鏡写しに自分の罪を見てしまいそうで、まだ上手く向き合えない。

「……サナはまだ私が苦手?」

「正直まだ、ね……怖くない訳じゃない」

そう、ときぃちゃんが仕方なさそうに笑う。違う、そんな顔をさせたくない。

今日に限って彼女がしっかりこっちを向いて話してくれたのは、多分彼女なりの覚悟だったのだろう。もう曰くはない。つばさが全てアップデートしたから。私に呪いはない。安心していい。その気持ちは分かる。伝わる。

でも、すっかり疑心暗鬼に育てられた私の頭がそれについていかない。

この目で見て、きぃちゃんが大丈夫だって思いたい……!!

「……だから……そうじゃないって証明して?」

「……!」

気まずさに反らしていた目で、きぃちゃんの顔を睨む。まるで人形みたいに造られた瞳が、月明かりの照らす庭で静かに反射している事に今更気づいた。緊張してくれたんだなと気づくと、私も頑張って言わなきゃ行けない。

貴女が伝説の悪魔じゃない事を……『私』じゃない事を証明して見せて欲しい。

「あなたがアメ達と上手くやっていく姿を。勿論、楽しいだけじゃないのは解ってるけど、悩んでも迷ってもいい。ただ、思い詰めずに生きてててくれたらそれが一番救われる……きっと安心できる。正解だったって思いたいから」

滅多に人に話さない本音を吐露する。

その返事にきぃちゃんもようやく安心したような表情で、ふっと笑った。

「うん、それは……」

勿論、と言おうとしたのだろう。

「そりゃあ勿論、そうするよ~! 『推し』には貢ぎたいからね!!」

「きゃあああ!!?」

その唇よりも先に、いつの間にか背後に立っていたアメが口を開いて、きぃちゃんは夜の闇の下でも明らかに分かるぐらいに赤面して悲鳴と共に飛び跳ねる。照れの限界値を越えて庭先まで走り去っていった。

「……アメ、貴女……このまま寝たふりしててくれてると思ったのに……」

「へへーん、油断大敵でした~!」

「ああ! 黙ってろって言ったろアメ!」

……正直、二人が狸寝入りでこちらを伺っていたのには気づいていた。恐らくうちに来る前に、『サナちゃんの気持ちを確かめて来なよ~!』とかアメが入れ知恵をしたのだろう。同じく掛けてやった毛布の中で、アメと恐らく人差し指を口に宛てがいあったのであろうカンも、抜け駆けだと言いながら飛び起きてきた。

「カン、貴女の方がモゾモゾしてて狸寝入りがわかりやすかったわ」

「あ、あれ……?」

玄関先ですっかり元の照れ屋に戻ったきぃちゃんが、物陰からこちらを伺っている。手招きでなんとか戻ってきた。私も内心、気恥ずかしさで精一杯……。二人が聞いてると解ってて、それを黙って話すのはかなり消耗した。

「でも正直驚いたわ……私もこういうの、慣れなきゃいけないかしらね」

「いいんじゃない? 余計なことを言わないのも大事……じゃないかしら?」

「ええ……?」

きぃちゃんの意味ありげな目線がアメを刺す。

アメも苦笑で返して、それで今日のホームパーティーはお開きになった。

普段は離れて眠るアメがきぃちゃんの隣に居るのを見て、約束は守られそうだとひとつ、安堵にため息を零す。

私もその横に寝転がって……カンの壊滅的な寝顔を眺めていた。