空中散歩
「こんな時間に一体何? 急に出かけるから準備しろ、なんて……また何かの実験台にするつもり?」
「まあまあ……サナちゃん、作曲行き詰ってるって言ってたじゃん。気分転換にどうかと思って」
日付も変わりそうな時間帯、サナちゃんを呼び出して迎えに行った。唐突に誘われたサナちゃんは嫌とまでは行かないものの、照れによるものなのか、それとも僕が話した理由の適当さに呆れているのか……ため息交じりに僕を迎える。
「……? ルナ、貴方自転車は?」
普段、サナちゃんの家に僕が行くときは決まって自転車で向かう。免許は持ってるけど車は持っていないし、サナちゃんの家は駅から少し遠い。隣町に住んでいる僕が好きな時間に移動にするには、自転車が一番手っ取り早い。
…………のは、ちょっと前までの話。
というか、今の今まで忘れてた。自分でもびっくりだ。
「僕も最近研究、ちょっと失敗続きでさ……」
「……? うん」
「だから視点を変えてみようと思うんだよね」
「…………何の話よ?」
僕の遠回しな言い訳に、段々サナちゃんの表情が怪訝になっていく。
せっかちなサナちゃんにとって僕のこの濁すような言い方はあまり良く映らないらしい。
けれど、今日限りはわざとそう振る舞った。
……この様子だとサナちゃんも気づいていない。
いや、サナちゃんはもしかしたら意図的にもう頼るつもりはないのかもしれない。僕も出来る限り、自分の力で前に進みたいとは思っているから。でも、使えるもんは使っておきたいし、たまの遊びはあってもいい。サナちゃん達の姿を見てそう思えるようになった『お返し』の意味もあった。
「ちょっと手を貸して貰っても?」
「2重の意味で?」
「そう取ってもらっても構わないけど、取り敢えず直喩的な意味で……」
そう言ってサナちゃんに手を差し出せば、サナちゃんは取り敢えず僕の手を迷わず握る。
少し前ならこんなことでも淀んだだろう、この小さな変化が最近は嬉しくて嬉しくて堪らない。
「わ、」
その舞い上がる気分の代わりに、僕とサナちゃんのつま先が宙に浮く。びっくりさせると良くなさそうなので、初手はふわふわと……でも徐々に身長より高く。屋根より高く。
「え……? あ、あぁ! そういう事ね……」
「あはは、やっぱり忘れてた」
「はは、結構慣れちゃってたわね……人間に」
サナちゃんは遅れてその状況を理解する。深夜、暗闇に浮かぶ僕の白い羽根を見て。軽く笑みを零す姿に、忘れてた事実も思い出してくれたようだった。
……そう。つばちゃんがアップデートをして、僕らはヒトでありながらも天使と悪魔、その力をある意味で取り戻した。とはいえ、その意味はもう飛べるぐらいの意味しか持たない。から、この羽根にはもうこうして空中散歩をするぐらいの用途しかないんだけど、非日常を味わうにはこれで十分だ。
お互い、何かのヒントになるかもしれないし、僕も少し揺らいだ決意を取り戻したい。ちょっと強引かもしれないけど、そういう意味でサナちゃんの『手を借りる』のを許して欲しい。
「サナちゃんも出来なくはないと思うけど……」
「……自力は、まだちょっと怖い、かも……」
「了解、じゃあ少しだけ付き合って」
今のサナちゃんは自分の魔力で身体を維持している訳じゃない。コエの力でヒトとして生きている。から、多分自分の羽根でも飛べるのだろうけど、保たないかもしれない恐怖とか、コンプレックスとかは外から見ても滲んでいる。歯切れの悪い言葉からそれを察して、無理は言わないでおいた。サナちゃんを引っ張りながら徐々に高度を上げる。
より空に近づいて、風の音も混じって来るとぽつぽつとしていた会話もやがて途切れた頃。
景色はヒトのままじゃ簡単には見れない領域に到達していた。
深夜の街明かりは少なく、足元も頭上も星空みたいに点々と灯が灯っている。声こそ上げないものの、風に混じってサナちゃんの呼吸が感嘆に似た音を発したのを僕は聞き逃さない。思わず口元が緩む。
追われていた頃から、空を見上げる癖があったのを知っていた。暗いところが苦手なサナちゃんが、目まぐるしく変化する環境に翻弄され続けたサナちゃんが、唯一いつでもそこにある灯として縋った対象。元は国王が教えた言葉がきっかけだったらしい。
巡り巡ってそれが僕の目標となった事実を、改めて胸に刻む。
国王だって、王女だってサナちゃんを彼なりに案じていた。その結果がどうであれ。
僕も同じだ。僕がすることのひとつひとつ、もしかしたら何か引っ掛かってくれたら本望だ。
つばちゃんとサナちゃんが求め合った事を、一時期は脱線だとすら思った自分が遠い。
ここまで来れたのだから、後は二人に並びたい。今の僕の願い。
揺らぎかけた決意をまた固めて、少しだけ上昇するスピードを上げる。
「挑戦するわね、落っことさないでよ?」
「まさか、君ほど無謀なことはしないよ」
密かにサナちゃんの手の触れる感触に集中して、未だ遠くを見るサナちゃんを盗み見る。星空を映す瞳に、夜風に吹かれてるその長い髪に、今を噛みしめる。
「……何か見つかった?」
「さぁね、ルナは?」
「どうだろうね?」
小一時間、お互いに大した言葉は交わさなかった。
ただ、空中散歩をして、またサナちゃんの家の庭先に戻ってくる。
降り立ったサナちゃんもまた、何かを見つけたような顔をしていたけれど、向こうがとぼけるのならと僕もとぼけて返した。
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