祭りの日

「はぁ? ルナが居なくなった?」

『どこ探しても居なくて…書き置きがあったんだけど、行き先もないの』

「分かった、今行くから電話切るぞ」

サナが中学三年生の夏。

街で行われた夏祭りも終わりに差し掛かる時間、アメ達もそろそろ帰ってくるだろう、と眠る準備をしていたコエの元に急な電話が来た。

珍しく焦った様子のサナが語るのはルナが家出をしたと言う衝撃的な内容。

ある程度の予知が出来るコエですらあまりに意外で驚いてしまった。

コエはすぐに瞬間移動でサナの元に向かうと、サナは書き置きと携帯を交互に見つめていた。

ルナの部屋は開けっ放しになっているがその中は大分すっきりしている。

ルナの部屋の様子を軽く確認した。大事なものは大体持ち運んだようだ。

「電話は通じたか?」

「出ない、途中から電源切られた……どうしよう、コエ、私、何かしちゃったかな……」

サナは携帯電話を握ったまま震えていた。コエが引き寄せると静かにより掛かる。

ルナとお揃いのストラップがふらふら、サナの気持ちと一緒に揺れていた。

そりゃあ不安だろう。コエは優しくサナの背を撫でる。

子供の頃から……もっと言えば前世から、ふたりでひとつでやってきた双子の弟が、街を上げての祭りの賑やかな夜に居なくなってしまうのだ。

昔から人の別れに敏感なサナがこの状況で落ち着いていられるわけがない。

幸いなのはまだパニックを起こしていないこと、それだけだ。

3年前に記憶を取り戻し、2年前にコンタクトしたサナはコエを頼り始めたばかり。

ルナはサナより先にコンタクトをしたが、記憶を取り戻す少し前から反抗期らしく、サナ以外とは口を聞いてくれない。コエはルナとはあまり話をしていなかった。

魔法で探し出す事は容易だが会って引き止められるだろうか。

「やっぱり私ともう一回、きょうだいは嫌だったのかな……」

「サナ……」

そうしてコエが悩んでいるとサナはうつむいて小さく呟いた。

サナはこの世界に産まれる時、ルナと兄弟になるのは迷惑になるのではないか、と心配していたらしい。コエは慌ててサナを抱きしめる。

「何か理由は思いつかないか? ルナがわざわざ祭りの日に出て行くなんて。進路だって決まってないって言ってただろう?」

「分からない……進学するともしないとも聞いてない……」

サナは静かに首を振った。コエはため息をつく。

魔法で検知すると、ルナが駅の方向に歩いて行くのが透視できた。

「……サナ、今ならまだ追いつく。駅前だ、行ってやってくれるか?」

「………嫌いって言われちゃったらどうしよう」

「その時はうちに来い」

「……きぃちゃんには会いたくない」

「………考えとくから、サナにしか出来ないんだ」

コエはサナの頭をぽんと撫でた。

「……わかってる」

サナは笑うと立ち上がる。

携帯と、サンダル。Tシャツにハーフパンツ。

祭りから帰ってきたばかりの姿でサナは駆け出す。

その背に祈るような気持ちでコエは自分の手を握りしめていた。

* * *

街の外れにあるちいさな駅の前。祭りの人だかりとは反対方向にルナは歩いて行く。

ラフな格好。電源を切った携帯。最低限、旅が出来る荷物を背負っている。

悩んだが、黙って出てきてしまった。サナは泣いているだろうか。

もうすぐ海外に行くという親は、怒るだろうか、悲しむだろうか。

それでも足は止められない。始まる前に、行かなきゃ。

人混みが邪魔で上手く進めないけれど、この街にはもういれない。その気持ちで足を動かす。

「――ルナ!!」

しかし、聞きたくなかった声で名前を呼ばれて、ルナは振り返った。

汗まみれ、ラフな格好。サンダルの片足がないボロボロの姿のサナがそこにいた。

ルナは被っていた帽子のつばを深く下げ、もう一度前を向く。

サナなど構わないように。

サナはもう一度、小さくルナの名を呼んだ。

思わず、足が止まってしまう。

「……」

「なんで、いくの」

サナの泣きそうな言葉が刺さる。ルナは何も言えなかった。

必ず守ると、いつか誰かに約束したサナを泣かせている。

ルナの胸は強く痛む。

サナもそこから動かない。手のひらを祈るように組んだままま立ち尽くしている。

人混みの中、微妙な距離でお互い立ち止まったまま。

「私と、双子は……きょうだいは、もう嫌だった?」

ふと、サナが小さな、小さな声で呟く。

人混みに飲まれそうな声なのに、ルナにははっきりと耳に届いた。

サナが、何度もルナに聞いてきた言葉。

いつもならはぐらかす。

ルナは振り返り、サナに向き直す。

3歩、サナに詰め寄って叫んだ。

「……そんな、わけないじゃん!!」

その叫びに、サナは思わず組んでいた手を離して、後ろに下がった。

一瞬何を言われたのか理解していない顔。

そしてすぐに、怯えたように眉を寄せた。

「……っ、僕は自信がない」

その姿に、ルナは申し訳無さと、どうにかしなければという気持ちで胸の内を明かした。

サナは段々と泣きそうになっていく。

「……な、んで」

声を絞り出し、返事をした。

「君は……君が救われるように出来ているこの世界で、君と対等でいれる自信がない……君はなんでも出来過ぎて、でも人間らしくて……双子としての僕らに依存しているのは君の方なのに、君のほうが個として確立した意識を持っている……僕は、僕としての自信がない」

ルナは静かに首を振る。サナはその言葉に、唇を震わせ始めた。

「でも、」

「いいから、もういいでしょ。サナちゃんなら、コエたちがいるし」

近寄ってきたサナの腕を叩き、ルナはサナから離れる。

サナはうろたえながらも、ルナの背負う鞄のベルトを掴む。

「離して」

「いやだ」

「離してってば」

「嫌!!」

「離せ!!」

「いやだぁ!!!!!」

ルナはサナを蹴飛ばし、サナはルナを蹴飛ばす。

群衆が騒ぎ始めるが、止める者はいない。それだけ壮絶な喧嘩だった。

「なんで、サナちゃん、そこまでしてなんで僕を」

「私、わたし、またルナが敵になったら耐えられない、知らない人になっちゃったらもう戻れないと思うよ……は、で、も、はっ、はっ……」

サナの呼吸が荒くなっていく。

ルナは数秒、その状況に首を傾げた。

が、思い出す。

サナが今まで覚醒してからなかったので忘れていた。

「サナちゃん!!」

「なんで、やだ、やだ、ぐすっ、は、はっ、はあ、うぐ……」

サナは喉を抑え、崩れ落ちた。

慌ててルナが駆け寄り、抱き起こす。

サナの腕は痙攣し、顔色は真っ白になっていく。過呼吸だ。

「やだぁ、はあ、はあっ……はあ、ふ、うわぁああぁぁぁぁあぁ……」

落ち着きなく手をばたつかせ、フラッシュバックから逃げようとするサナを、ルナは抱きとめる。

ひっきりなしに吐き出されるだけの呼吸が、同じ比率で吸われることはない。

多分このままでは……ルナは冷や汗をかきながら、サナの身体を静かに抱きとめて、脇腹を優しく撫でる。

静かに、刺激しないように……どれぐらいの時間が経過しただろう。

「サナちゃん、大丈夫?」

サナの呼吸が静かになった。そっと聞くと、サナがルナの身体を突き放す。

「……なんで、突き放して行けばいいじゃん……出て行きたかったんでしょ……」

ぼそり、と正気に戻ったサナが呟く。

ルナはそっと離れ、サナの肩を抱いて立たせた。

ふらりと足がもつれたが、サナは立ち上がる。

顔色はまだ悪く、目も虚ろだ。涙と汗を拭うが、熱があるのか全く汗が引かない。

「置いていけるわけないでしょ……下手したら失神しちゃうんだよ、これ」

ルナはぼそり、と返事をする。

サナは俯いて、同じくぼそり、と何かを呟いた。

『し   って、 かっ んだ』

「え?」

その時、サナの後ろで破裂音が鳴り響いた。

サナの背を、カラフルに照らすもの。

花火だ。

「あ……花火、もうそんな時間なんだ……」

「祭りも終わり……だね」

時間を忘れ、唐突な花火に二人はあっけにとられた。

そうして今日が夏祭りであった事を思い出す。

しばらくその光に見とれていると、ルナが話しだした。

「…………僕も、花火みたいに遠くからでも光って見えるようになりたかった……君みたいに……」

だから、飛び出したんだ。卒業を待たずして。

そう告げるつもりだったルナより先に、サナの呟きが聞こえてくる。

「…………私は、なりたくなかった」

「!?」

ルナは驚きに振り返る。

ある意味、あこがれでもあったサナから出た言葉に驚いた。

サナは成績もいい。友だちとはあまり親しくないが、それなりに上手くやっている。

音楽が出来て、天体に詳しくて、歴史も好きで、英語も得意で……。

なんでも出来る人。

それはルナもそうだし、大体の周りの人はそう思っていた。

「……私なにもしてないよ、悪いことも、いいこともしてないよ……ちゃんと、『サナ』を見てくれるのは……ルナだけって勝手に思ってた……でも、それが……ルナを苦しめてるというなら……さっきの発作で気を失っても、なんなら死んじゃってもよかった、そうしたらルナは一人で……」

「サナちゃん、そんなの!」

サナはルナの肩に頭を預ける。

まだ息は荒く、熱も強く伝わってくる。

弱ったサナが少しだけ零す本音。

ルナは恐る恐る、サナの背を抱く。

汗ばんだ背は、いつかのサナよりずっと小さい。

人間の、まだ未成年の、寂しがりで怖がりで強がりな少女だった。

ルナは急に自分のしたことを後悔し、眉をひそめる。

しかしサナはそれに構わず、目をつむったまま続けた。

「ルナが本当に、私の事嫌いだったら、捨ててくれた方が嬉しいかなって、ちょっと思ってたんだ。ルナいつか言ってた。私は重くて、めんどくさいって。だから、ルナっていっつも私の為に行動してる気がして。……だって私、こうやって寄りかかっていないと、なんにもできないの。顔を見てごめんねって言えないの、止めてくれるまで苦しくなるまで喋っちゃうの、息ができなくなるまで我慢しちゃうの。……寂しくなって、怖くなって、大声で愛してって言ったら、皆がこっちを向いちゃったけど……ルナにだけは言えなくなって…………」

「……サナちゃん……」

サナの声が詰まり、ルナはサナの背を強く抱きしめる。

サナの孤独に、ルナまで胸の奥が冷えるような思いを感じた。

「でも、私の事……嫌いなんじゃなくて、嫌いに『なりたい』ってだけだったら……お別れは嫌、っだ、はぁ、はぁ……でも、私に、止める権利は、はぁ……ない、から……ルナがしたいことを、する、のが……寂しいけど、苦しいけど、我慢、し……」

「……嘘、だよ! ごめん!! 僕は……こうやったって、何もできないことをもう知っているのに……!! サナちゃんに甘えていたのは僕の方だ……! サナちゃんはいつだって戦っていたのに、つまんない事をしてつまらないって投げ捨てたのは僕の方だ……!!」

ルナはもう一度、今度こそ強くサナを抱きしめた。

サナはもう体力の限界なのか、口もきけなくなっていく。

それでもサナは続けた。

「ねえ、ルナ……記憶を取り戻す前……幼稚園ぐらい……? 子供の時、私達バラバラに暮らしてたよね……共通の思い出はない……人間になった時点で、魔力もない。私達を繋げてるものは、DNAと名前だけ………それでも、きょうだいとして、相棒として、いてくれる……?」

「うん、勿論だよ、絶対……絶対君が嫌になったりしない…!」

「ん、それ、だけ、ききたかった……」

サナの腕がずるり、とルナの手元から離れる。

くたり、とサナの身体が重力に引かれ、ルナの上半身と共に地面に吸い寄せられた。

頭を打たないようにだけ、ルナはギリギリで支える。

「サナちゃん?」

「ひとりになるのは、やっぱこわい」

うわ言のように、サナの唇から薄く漏れる言葉。

「サナちゃん、サナちゃん!! もういかないから、大丈夫だから、しっかりして!!」

「…………。」

サナは静かに目を閉じる。どれだけ揺すっても反応はなかった。

サナは意識を手放したようだ。ただ、そこにさっきの苦しそうな顔はない。

花火はラストスパートに入ったようで、街を昼間のように、明るく照らしていた。

「コエ、サナちゃんが……!」

サナを背負い、帰路を戻ると、コエが駆け寄ってくるのが見えた。

ルナは思わずサナの姿を見せると、コエは優しくサナの頭を撫でる。

静かな寝息を立てているサナを見て、安心したように微笑んだ。

「大丈夫、緊張が解けたんだろう、ここんとこ寝てなかったみたいだし」

「そ、そうか……よかった……」

ルナは思わず安堵のため息を吐く。

その横顔を見て、コエは穏やかに、くすくすと笑った。

「……サナのこと、好き?」

「えっ」

ルナが慌てる。コエはわかってるよ、といった風に頷いてから、またサナの頭を撫でた。

「いいから、好きでいてやって」

「……好きだよ、サナちゃんも……僕も、……そこから生まれた君たちも……嫌ったりしないし、置いていったり捨てたりなんかしない……」

ルナは空を見上げる。

花火はまだ、夜空に大きな華を咲かせていた。