こどもはたたかえない③

 いつもは小さな町で働く私だけど、出身は隣町の大きな駅の側。都会育ちの私にとっては、この迷路のような駅こそが庭のようなものだ。

「ね、音胡さぁーん、待ってくださいよぉ……うっ、うぅぅ……」

「ら、ライさんっ、そっちじゃないです! もう、ホームに行く前から泣かないでください!」

「だって……なんでこんな複雑なんですかー!?」

 今日はいつもの地域課という名の小さな町の雑用係ではなく、向かうは駅のホーム。……そこに辿り着く前に改札のややこしさに泣く、猫の姿を持った上司をなだめる仕事が待っていた。

***

「わぁ、唐揚げ三つ入ってますよ、音胡さん」

「……数分前に泣いた上司が、唐揚げ三つで笑わないでください」

 そうして私達は新幹線に乗り込んだ。向かい合って座ったライさんは、久々に買った駅弁のおかずが豪華なことに、まるで子供のようにはしゃいでいる。

「すみません、あんまり駅弁って買わないからつい……あっ、おいしいです、お弁当だけどちゃんとサクッとしてます! でも甘辛いタレが染みてて……揚げてあるからといってお肉が固い訳でもないんですね、すごいです!」

「……夢中すぎませんか……。まあ、あっちの町は普通電車が一路線しか止まりませんもんね。駅弁なんて確かに買う機会は無いですけど……」

 つくづく子供っぽい上司だ……とは思うが、その楽しそうな笑顔を見ていると、どうにも強く突っ込めない。……つい数週間前に、遺書を残して海に飛び込もうとしたヒトとは思えないはしゃぎっぷりだ。

 この事の発端は、その『数週間前』……の翌日に遡る。朝のニュースに取り上げられたのは、ライさん達と同じ、獣人の種族のアイドル。しかも、『うさぎの双子』だったのだ。

 ライさんや、周りの署員、あの町の住人にとって、『うさぎの双子』は『英雄』だ。その『英雄の双子』にそっくりのアイドルが、獣人の種族を管轄するうちの町から外れ、別の町で芸能活動をしている……誰もがその目を疑った。彼らは誰なのか? あの双子なのか? それとも別人なのか? 血縁はあるのか? 何故町外で活動しているのか?

「ライさん達の種族は、本来は管轄している町から出られないんでしたよね?」

「そうですね、基本的には、国内の決められた区域に住所を置かなければなりません。それには条件があり、この町の場合は……まあ『あの双子が暮らした町』であることで偏見が少ないのが、大きな理由なんですけど……『町の人口減少を埋める為』がルール上の理由です。それでも僕らは繁殖を制限されていますし、人間との間には子供を作れないので、あくまでルール上の理由ですが……。他の管轄地域の理由も、実はそんなに大したことないです。僕らを造った大本の企業の株主が、当時の政治家だったから、責任を取る形で指定された地域とかもあります」

 署内の地域課のカウンターの中、いつもの席で、ライさんはそう説明した。

「逆に、管轄していない市町村が僕らを拒否する理由は、人口密度であったり、その他、混乱を招く理由があったり、あとはお医者さんが居ない、というのが一番の理由かと思います。」

「お医者さんですか……」

 ライさんは手元にいくつかの地図と表を並べて、周辺の指定地域を指差す。私が最初にライさんを見て驚いたのも、この町にライさん達が集中していたせいだ。……まあ、私は子供の頃会ったヒトの事を忘れてたってのもあるんですけどね……。

「僕らの専門医の事を『2A医』と言います。今は蔑称となった、僕らのかつての呼び名、『セカンドアニマル』の頭文字を取って『2A』と言います。読み方は『ツーエー』です。お医者さん自体の種族は問いませんが、人間のお医者さんとはちょっと学ぶものが違います。勿論、獣医さんともです」

 そう言うと、ライさんはいつも携帯している、自分の薬を見せる。白い錠剤が入ったピルケースと、息苦しくなった時のスプレー型の吸引薬。

「動物的な習性がある方もいるので、特別な検診や治療が必要な方もいます。特に大きな違いとしては、僕らは人間と効く薬が違います。耐性があるものは全く効かず、ないものはちょっぴりでもよく効いたりします。とはいえ、僕らも進化途中の生き物ですし、お医者さんも常識が日々変わりますから、僕らと2A医は協力し、定期検診を受けるのが…………残念ながら決まりなんです。分かってるんですけど、理屈は分かるんですけど……」

「……嫌なんですね」

 病院嫌いのライさんは、途中から謎の方向にヒートアップし始める。私はその様子に苦笑するしかない。真面目でも理由を知ってても、嫌なものは嫌なのは分かりますけど……。

「採血三回もやるんですよ!? もう血見ただけで吐きそうなのに、どこが『健康』診断なんですか! 結局毎回貧血起こして、病院に居る時間が伸びるだけで……ああ、恐ろしいです」

「書類の件で私が刺された後、やたらナーバスだったのってもしかしてそれが理由ですか? それで良く魚捌けますね?」

 これで虚弱体質とは、ライさんもつくづく可哀想なヒトだ。言ったら怒るから言わないけど。ライさんは私の突っ込みに、数回咳払いを返す。

「……えっと、話が逸れました」

「戻ってきてくれてよかったです」

 良かった。無事軌道修正されました。

「……と、言うわけで、管轄町外で生活をする彼らには、住所をこちらに移すことと、初期、そして定期診断を受けることを求める必要があります。町外で活動する場合はその手続きもです。その為には、本人たちに管轄する側から訪問する必要があります。向こうから来てくれるのが一番ですが、向こうは恐らくこちらを知りません。ので、窓口側からコンタクトを取らなければいけないのですが……その窓口が、僕ら『地域課』になります。」

 その説明に、一瞬、私は息を止めた。

「…………えっ?」

 慌てて聞き返す。配属一年半、初耳な案件が聞こえたのは気の所為だと思いたかったからだ。

「僕らが出張して、彼らにこの町に来て病院に来い、と言わなければなりません。彼らの住む町から一番近いこの町の、僕らが今回の担当です。」

「…………マジの仕事、ってことですか? いつもの町の雑用ではなく?」

「…………そうなんですよ。実はこういう真面目な窓口なんですよ、ここ。本当に稀な仕事なので、今まで教えなかったんですけど……こんなにすぐ教える事になるとは予想外でした……。」

 ここ、と言いながら、ライさんはカウンターを指差す。へー、このカウンター、意味があったんだぁ。へー。めっちゃ弁当とか置いてましたわ。

「……でも、ライさんはその外に出ちゃいけない種族じゃないですか……あれ? でも町外に勤務してた事もあったんですよね?」

「登録された住所が管轄内にあり、認められた者は外に出ることが出来ます。出張時は僕らも許可が出ます。昔はそもそも管轄がなかったという理由で、その制限が意識されてない方もいて……たまーに『はぐれ』の方がいるんですよ。……僕の場合は最終的に、父の事と、お医者さんが居なくて戻ってきましたけど…………あれ? それも、もしかして……?」

 ペラペラと説明をしていたライさんの口が急に止まる。このヒト説明好きだよなぁ。お弁当とか、その前におまんじゅう食べた時も、やたら食レポ上手くなかった?

「OBさんに聞きました」

「あの人、本当僕のこと全部喋りますね!? プライバシーの侵害では?」

 ……と、いうわけで、私達は許可を取って新幹線に乗っている。

 ちなみにライさんは今回、フード付のパーカーを着用。乗車前までは、頭の後ろで固定するタイプのマスクもしていた。まあ全て隠せる訳じゃないけど、遠目の後ろ姿は人間に見える。しっぽも上着の中に仕舞って、確実な変装スタイルだ。

「まあ、幸いにも、というか……アイドルをしている彼らのおかげで、向こうの町との連携はスムーズでした。……ここに来るまでは何人かの方にギョッとされてしまいましたけど……少なくとも彼らの関係者には驚かれなくて済みそうで、少しは安心できますね」

「……それは、初対面でクソビビった私への仕返しですか?」

「……多少は。あの反応、本当はちょっとだけ凹みました。」

 ライさんは食べ終わったお弁当を片付けながら、さらりとそう言った。うっ、私の口の悪さがライさんに移りかけている。ライさんは穏やかなキャラのままで居て欲しいです。

「ところで、食べ終わるの早いですね、まだ発車前なのに食べ終わっちゃったじゃないですか」

「あっ……。とっとけばよかったです……。」

 ライさんは指摘されて初めて気が付いたらしく、お弁当のカラを見てしょんぼりした。人よりは少食だけど、ライさんは思ったよりそこそこ食べる。割に、ずっと痩せたまんまなのはちょっと羨ましい……。いや、本人は体力つかなくて困ってるみたいですけど……!

「……まあ、それはいいとして、このあいだのおまんじゅう残ってるの持ってますよ、食べます?」

「ありがとうございます、これ、やっぱり好きです」

 うーん、散々食べたのにこの喜びよう。よかったですね、甘みを感じれる身体で。ちくしょう。

「あっ、そういえばこの和菓子屋さんのおばあちゃん、施設入ったって聞きました?」

「えっ? そうなんですか?」

 ライさんは包み紙を見て、思い出したように言う。私は驚いた。そう言えば、ボケ気味って聞いてたけど、あれはケンさんの悪口じゃなかったのか……。

「父と同じところに、ケンさんが連れて行ったそうです。あそこはおじいちゃんもちょっと足腰が弱り気味なので、二代目の息子さんには頑張って欲しい所ですが……こんなに美味しいのに残念です……。」

「ポチ、じゃない、ケンさん、相変わらず親切がすごいですね、顔に似合わず」

 東交番の柴犬のお巡りさん、ケンさんは相変わらずオラオラ系の割にやたらと親切だ。これでもう少し口の悪さを直してくれれば、最高のお巡りさんだと思うんだけど。ライさんもビビらずに済むし。

 ライさんはおまんじゅうを食べ終わったのか、おまんじゅうが包まれていた包装を丁寧に伸ばして折りたたみながら話を続ける。こういう所も几帳面なヒトだなぁ、と頭の片隅で思った。

「……そのタイミングで、ケンさんは父を見かけて声をかけたそうなんです。ケンさんはついでに父と話して、彼の状態は『ありゃぁ、ボケてるんじゃないな』と思った、と言われまして……」

「えっ?」

 私は衝撃の事実に思わず聞き返した。確かにライさんのお父さんには、病名がついていない。しかし、状態からして老化か、認知症に近しい症状だと思いこんでいたので、その感想に驚く。というか、ケンさんなんでそんな事分かるんだろう。

「……ケンさんが勤務する東エリアはお年寄りが多いので、ケンさんは介護資格を持ってるんですよ。認知症の方の対応もよくしますし……でも、何かそれとは雰囲気が違うと……僕が会いに行っても、最近は必ず『僕がいる時間』にいるんですよね。『おじいちゃん』呼びは怒るようになりました。自分の年齢に気が付いているようです。彼の実年齢は五十代ですから」

「……記憶が、戻りつつあるってことですかね?」

 私が会った彼とは、印象が確かに違う。もう少し、なんというか……異次元に過ごしているような、そんな感じ。記憶がふわふわと宙に浮いているような印象を持っていたのだが……確かに、はっきりしてきている、気がする。

「…………だと、いいですけど……でも、ちょっと怖いですね。全てを思い出したら、彼は一番最初に僕に何を言うんでしょう……」

 ライさんは少し目を細めた。少し居心地悪そうに手を組み、そわそわさせる。お父さんに想いを伝えて、喧嘩して、反発して、口を利かなくなって、喧嘩別れのまま出ていって……そして記憶を無くした後に再会した相手が、全てを思い出した時……ライさんに何を言うのか。確かに怖い。

「ライさん、もしも、お父さんの記憶がもう少しはっきりしたら……被験体の書類は探しますか?」

 そして、もしもそんな日が来たとしたら、聞かなければいけない事もある。ライさん達を元に戻すシステムはあったのか、被検体は誰なのか、その書類の在り処と事実を知っているのか。……被検体は彼本人なのか?

 私達に探す義務はないが、少なくとも知らんぷりしたままではいられない。でも、ライさんにとって、それを知るということは、結果によっては酷く残酷な事を知ることにもなる。私はライさんの意志を確かめる為、慎重に、でもはっきりした答えを知りたくて聞いた。

「……少なくとも、今は探さない事にしたいと思っています」

「そう、ですか……」

 ライさんは少しだけ考えた後、静かにそう答えた。私もその言葉に、ほっとしたような、悲しくなったような、微妙な気持ちで返事をする。

「すみません、なんというか……もう少し、大丈夫だって思える時間が欲しくて……」

「心の準備、って事ですか?」

「そうですね……そうです。知りたくない訳ではないので、いつかきちんと……今は、とりあえず双子の案件だけに集中させてください」

 ライさんにはライさんのペースや覚悟がある。私もその言葉を聞いて、焦るのはやめようと思った。仮にそれを急いで探したとして、答えはきっと変わらない。なら、心の準備は万端にして置いて、きっと損はないだろう。

 私はライさんのその言葉に納得して頷いた。そのタイミングで発車ベルが鳴る。すぐにゆるゆると窓の外の景色は動き出した。

「……発車しますね、長旅になりますがよろしくおねがいします。……そうです、父と言えば……僕、子供の頃電車が好きでした。だからですかね、久々に新幹線に乗ってちょっと嬉しい気分です」

「へぇ、ライさんってやっぱりお父さん子だからか、趣味は男の子っぽいのが多いですよね」

 ライさんはそう言うと、照れるようにはにかむ。なるほど、さっきのお弁当のテンションの正体はそれですか。想定内の可愛らしい反応にちょっと納得しつつも、可愛いと言ったら怒りそうなので、私は適当に口を合わせた。

「そうですねぇ、僕の本名『レイル』じゃないですか。名付けはペット時代の飼い主らしいんですけど、父が意味を考えてくれた事があって……『レール』の『レイル』だ、って。だからか、親近感あるんですよ。父は誰かを連れて行く、導くって意味だ、と言ってくれましたが……今回、あの子達を連れていけるといいですね」

 ライさんはそう言うと、遠い思い出を眺めるかのように窓の外を眺めた。眺める街の景色は、どんどん速く流れていくような景色に変わっていく。私も実は新幹線ってあまり乗らないので、なんだか不思議な感覚がした。車に乗るのともまた違う景色の流れがいつもと違う仕事であることを実感させて、少し緊張してしまう雰囲気を醸し出す。

「なるほど、そうですね。……あ、じゃあ綴りは『RAIL』なんですか?」

「ああ、いえ。綴りは名前に寄せて『LAEL』です。ちなみに『ライ』は『LAY』です。」

 ライさんは綴りを私の手のひらに指で描いて示す。自分が付けた訳じゃない名前の綴りまでちゃんと考えてくれるライさんのお父さんは、やっぱりライさんの事、大好きだったんじゃないかな、と思いながら私はその綴りを辿った。

「ところで、名前、二つあるってめんどくさくないですか? ケンさんみたいな名前ならともかく、『レイル』は名前として自然だと思うんですけど……」

 しかし、その話を聞いて浮かんだ疑問。確かに虐待した主が付けた名前で、ペットとしての名前とはいえ、ライさんにとってその名前も大事な名前だ。その名を使わず、ライさんがライと名乗る必要はあったのだろうか? ケンさんみたいに、明らかなペット名でもないし、ただ煩わしいようにも思えるのだけれど……。

「いえ、今の僕は『ライ』ですよ。ペットの名前は、捨てた名前です。」

 そう言うとライさんは悲しそうに笑った。新幹線はトンネルに入り、周囲は暗くなる。なんだかその光景が、あの日の海と重なって切なくなってしまった。そんな私の表情に気づいたのか、ライさんは話題を変えてくる。

「音胡さんは、お父さんとどうですか?」

 私はその言葉に頷く。寮の取り壊し中にしたあの話、ライさんきちんと聞いてくれてたんですね。

「あぁ……特に問題なくやってますよ。月一回ぐらいですけど、電話で話してますし……まだ打ち解けたとは言えませんし、実親の父の程ではないですけど、殆ど話もしない頃に比べたら進化した方です」

 私はあの後から、比較的だけれど、かなり今の父親とは打ち解けたと思う。まだまだ、実の父親とは遠いけれど、それでもようやく『他人』から『家族』へは、名前を変えることができそうだ。ライさんはその言葉を聞いて安心したのか、うんうんと何回か頷いてくれた。

「ならよかったです……音胡さん、僕の心配ばかりしてくれて、本当に嬉しいんですけど……そして頼りない僕が悪いのかもしれませんが、ちゃんとご家族を大事にしてあげてくださいね。僕はそっちの方がきっと嬉しいです」

「……善処しますぅ」

「あっ、真似しましたね?」

 私はライさんの気が乗らない時のものまねで答えた。ライさんはそれに気づいたらしく、むくれて見せる。確かにそうなんだけど、今は一人暮らしをしているし、より身近なライさんの方が心配なのは確かだ。気乗りしないとまでは言えないが、特に力を入れることでもないのかな、というのが今の私の認識だ。

「ところで、今から会いに行く双子の事ですが……本当に例の双子ではないんでしょうか……もしかして生きてた、とか……?」

 私は足元のバッグから書類を取り出す。そこには彼らの写真と、推測される生年月、住所、性別など……最低限のプロフィールが記載されていた。ちなみにその内容と言えば、宣材っぽい写真、十年前の春、住所は県と市だけ、男の子……こうである。最早プロフィールとは呼べない。

「僕の年齢から逆算して、生きてたら二十六歳前後のはずです。兎の方の平均寿命は三十年ですから、生きてても子供ではないでしょう。プロフィールも十歳になってますし、ニュースで見たときも明らかに子供でしたからね……最低、血縁関係ぐらいだと思いたいものですが……」

 ライさんもプロフィールを覗き込む。これだけでは、正直判断がつかない、というのが今の答えだ。

「でも、何十年も前から貴方達みたいなヒトが生まれるぐらいには、この国には技術があるんですよ、クローンとか……蘇生技術とか、若返りとかあってもおかしくないかも……」

「聞いたことないですけど……あったら怖いですね……僕、何も信じられなくなりそうです」

 ライさんはそう言うとブルッ、と震えてみせる。私も想像してゾッとした。何が怖いって、そんな事をされたら、私達の活動がまるっと無駄になるあたりだ。管轄だの保護だのの話ではなくなる。

「……ところで今さらっと言いましたけど、兎の方の寿命って三十年なんですか……あの……」

 そして私は聞き逃さなかった。今までライさんが語らなかった、ライさん達の寿命の話がさらっと出た事に。ライさんは一瞬だけ顔色を変えたが、聞かれたならしょうがないとでも思ったのか……涼しい顔をして説明を続ける。

「こればかりは隠してもしょうがないので言いますけど……最長記録は五十代、平均で言えば犬や馬の方だと四十年、そして猫は三十五年です。」

「………なんで、そんな事ばっかり隠さず言うんですか」

 ライさんは今二十二歳だ。今年の誕生日が来れば二十三歳。平均でも、もう十二年ぐらいしか時間がない。いつだか、『人間の二十歳って特別なんでしょう?』と言ったのを思い出す。

「……大丈夫です、結構永いですよ」

「数週間前に死のうとしたヒトの台詞じゃないです、ライさんのばか」

 そんな微妙な気持ちになった私を察してか、ライさんは笑ってそう言った。私はライさんの肩を軽くパンチする。ライさんは困ったように笑って、私の手を受け止めた。

「音胡さんは優しいですね、僕には勿体無い部下ですよ」

 違う、そんな事言ってない。

***

 やがて、新幹線はとある町へと辿り着いた。私達が管轄する町よりは都会的だが、地方都市といった印象の綺麗でこじんまりした町だ。都会的にデザインされた駅の中には、流行り物を集めたような小さなお店が並んでいる。これはこれで、いい雰囲気だと私は思う。

「ライさん、大丈夫ですか……?」

「う、うぅ……乗り物乗る前にやたらと食べるものじゃないですね……」

 そんな駅へとようやく新幹線を降りた私達だが、書類を見ながら喋っていたせいか、ライさんは軽い乗り物酔いをしたらしい。ホームのベンチにうなだれて座る彼の背を、私は擦る。

「……はぁ、大分落ち着きました、すみません……。マネージャーさんが待ってるはずですので、行きましょう」

 そのまましばらくして、ライさんはフラフラとベンチを立ち上がった。しかし、そのきっかけは落ち着いた……というより、次の発車を待つ人の視線。私もそうだったから強くは言えないけど、ライさんにやはり好奇の目を向けてしまう人は少なからずいる。ライさんはその人目を避けるように、そそくさと歩き出してしまった。

「……ライさん、気にしないでくださいね、知らない人は知らない事言っちゃうものです……悪口とかじゃ、決してないはずですから……」

「分かってます。……大丈夫です」

 本当かなぁ……。ライさんの大丈夫は信用がならない。今はフードとマスクに隠されている耳とヒゲ、上着の中にしまった尾は確実にしょげているように見えた。

 私達はホームを抜けると、人が少ない駅裏の改札から外に出る。タクシー乗り場の前で私達を待っていたのは、スーツ姿の女性だった。意外と若い。私よりちょっと年上ぐらいだろうか。

「ライ様、音胡様ですね……遠いところからわざわざありがとうございます。私、二人のマネージャーです」

「お世話になります、彼らは?」

 挨拶と共に差し出された名刺には、『TLBマネージャー』という名義が記されていた。ライさんはそれを丁寧に受け取ると、早速二人の姿を探す。

「……テレビ局の楽屋をお借りして待たせています。その、ちょっとやんちゃな所がありまして……外で待っているというのは、危険と思い判断させていただきました」

「なるほど、ありがとうございます。そっちの方が、彼らも落ち着いて話せるでしょうし、すぐ向かいましょう」

 そう言うと、マネージャーさんは、すぐ近くの待合場所に横付けされたタクシーに私達を案内する。どうやら用意されたタクシーはテレビ局のものらしい。私はマネージャーさんに促されるまま、後部座席に乗り込んだ。その時隣に乗ってきたライさんの表情は落ち着いていたが、目には『また乗り物ですか……』と書いてあった。確実にそう訴えていた。はしゃぎながら揚げ物食べるからです。書類を見せた私も悪いですが、吐かないでくださいよ……?

 そうして車で数分。辿り着いたテレビ局は、想像していたより静かだった。どうやらマネージャーさんが、人の少ない時間帯を選んでくれたらしい。今行われているのは、ローカル番組の収録が二本だけ。どちらも双子は出演済みの番組なので、パニックになることは無いと予測している、と彼女は言った。双子と共にライさんへの配慮も、しっかり対策できている。なるほど、出来る女性だ……。

「彼らはアイドルとして半年前から活動しており、先日のニュースが初の全国番組でした。ユニット名は『ツインリトルバニー』と申します。主にローカル番組やラジオで活動してきました。」

 双子に会う前に、私達はマネージャーさんから、二人の詳細を聞く。意外と経歴は長く、アイドルになる前から少しづつテレビに出ていたのだという。

「灰色が兄の『いのり』、三毛模様が弟の『のぞみ』と申します。数年前、局の前に捨てられていた子をスタッフが保護しました」

 そう言うと、マネージャーさんは二人の宣材写真を取り出した。書類にあった写真と同じだが、カラーで大きい写真を見ると、その可愛らしさは確かにアイドル向きだな、と思える。お揃いの衣装に、片耳には左右対象にシュシュをはめている。その姿は、双子ならではの華やかさがあった。兎特有の大きな耳も、踊るときに映えそうだ。

「あ、英雄の双子と色が逆ですね? 名前も和名なんですね。ライさんより上の世代だと英名の方が多いはずですけど……」

 その写真を見て気づいたのは、彼ら……いのりくんとのぞみくんの毛皮の色と名前だった。英雄の双子……確か兄が『アニー』で弟が『ポート』だったか。名付け親はスティーブさん。あの二人は兄が三毛で弟が灰色だったはずだ。

「でも、双子ですから入れ替わっても大差ないといえば……それに捨て子じゃ、明確じゃないと思います。名前はご存知の通り、ペット名と人名があるので判断材料になりませんし……」

「あ、なるほど……」

 ライさんに突っ込まれ、私は納得する。マネージャーさんの説明は続いた。

「……保護者は、彼らと家族になる意志はありません。彼ら自身も、保護者と家族であるという認識はないようです。もし、そちらで引き取られるとすると、親になってくれる方を探すことになりますよね……」

「そうなりますね、でも、難しい話ではありませんよ」

 マネージャーさんは不安そうにライさんに質問する。ライさんはいつもの穏やかな笑顔で頷いた。実際、うちの町では珍しいことじゃない。血の繋がっていない家族は、種族問わずそれなりにいるのだ。恐らく、ライさん達が作り上げた文化なんだと思う。

「いえ、その、先程も申したのですが、二人はかなりやんちゃというか……孤児なせいか、問題行動が多いんです。アイドルとして仕事をしている間は良いのですが、仕事が絡まない場面では本当に扱えなくて……正直、心配なんです」

 とりあえず、「会って話してみないことには……」と、私は促した。マネージャーさんは頷くと、楽屋へ案内してくれる。

「いのり、のぞみ。お客様がお見えです」

「「はーい」」

 ドアの向こうから揃った声が聞こえる。その声は幼いが、少なくとも拙い感じはしない。十歳というプロフィールは本当みたいだ。マネージャーさんはドアを引き、私達に入室を促そうとする。そのドアをライさんが手にとった瞬間だった。

「わっ!?」

「うわっ、ほんとーに猫のヒトだっ!!」

「しっぽながーいっ」

「わぁぁっ、ちょっ、ひぃっ!!」

 その隙間から、テレビで見たのと同じ衣装の双子が飛び出してくる。驚いたライさんの頭からフードが外れてしまい、その耳と尾に気づいた二人は、いたずらにライさんのしっぽをひっぱった。びっくりしたライさんは、慌てて二人を避けようとする。

「ちょっと、子供にまでビビらないでください、ライさん!」

「す、すみませんっ……!」

 おっとりなライさんとはまるで真逆の元気な二人。ライさんは完全に扱いきれず、おちょくられていた。

「ねえ、二人共、ちょっとお話したいんだけどいいかな?」

「お姉さん、もしかして僕たちのこと連れてくの?」

 私は慌てて二人の間に入り、話しかける。そう聞いたのはお兄ちゃんの方だった。確か、いのりくんだっけか。

「……うん、だからお話を……」

「「やだ!!」」

「えっ」

 私はその質問に頷く。連れて行くのは確かだったし、特に意味を持たせた言葉ではないつもりだった。しかし、彼らから声を揃えて出たのは否定の言葉。

「「僕らのこと連れて行きたかったら捕まえてごらんよ!」」

 そこから始まったのはかけっこだった。

 ライさんの足元をすり抜け、二人は楽屋の向こう、廊下の向こうを好き勝手に駆け回っては、こちらを煽るかのように戻ってくる。捕まえようとすれば、二人がバラバラに動いて二人ともすり抜けた。素早い……予想以上の素早さだ。

「ライさん、そっち行きましたよっ」

「ひ、ひぇっ、待ってくださいっ!」

 気がつけば、戯れに二人はライさんの足元をぐるぐる廻っていた。ライさんはその光景にほとんどパニックで、まさに二兎追う者は一兎も得ず。慌ててライさんは二人を追いかけるけれど、どっちも捕まえられそうにはなかった。

「捕まらないよーだ」

「ばいばい!!」

 そして、ライさんのすぐ後ろにあるドアへと飛び込んでいく。私達もすぐ後を追った。まるでおとぎ話だ、兎を追ってドアの向こうへと走るなんて……。

「っ……!」

 ドアを開けた瞬間、私の目に入ったのはライさんの背中と、背中越しに見える眩しい光だけだった。そこが収録中のスタジオだと気づいたのは数秒後。双子は照明の向こう側から、カメラマンの足の下であっかんべーをしている。スタッフ達はその様子に、ただ驚くだけ……と思ったには一瞬、その視線の先は双子ではない事に気づいた。

「……ライさん?」

「ぅ、あ」

 録画放送の収録のようだが、一般の観客がいるスタジオ。突然のことに観客も、演者も、カメラもこちらを向く。真っ先に飛び込んだライさんは、その視線を全て浴びていた。ライさんはその視線に、立ちすくむだけ。

「ご、ごめ、なさ……!」

「ライさんっ!!? ……ええと、邪魔してごめんなさい!」

 次の瞬間、ライさんは踵を返して廊下へと戻り、そして廊下も通り過ぎて、駆け出していく。私は突然の事に一瞬呆然としてしまったが、すぐに追いかけた。私と入れ違いで双子のマネージャーさんが、間に入ってくれる。どうやら状況を説明して謝ってくれたので、騒ぎにはならずに済んだみたいだ。

 しかし、ライさんの足は止まらない。走るのは苦手なはずの身体で、どんどん先へ行ってしまう。

「ライさん、ライさんっ! 落ち着いてくださいっ」

 私はその小柄な背を追いながら、どうにか彼を止めようと叫ぶ。すれ違う人たちが、見たことのないヒトの騒ぎを遠くで囁く声が後から耳に入った。なんだか、嫌な雰囲気。署に入ったばかりの時、まだライさんの正体を知らなかった時に感じた、『ちょっと遠巻きに笑われている』雰囲気をふっと思い出した。

 ライさんは廊下の向こうまで逃げ出すと、少し入り組んだ場所にある自動販売機が並んだ休憩所へと逃げ込んだ。追いついた頃には、その片隅に、その大きな耳を塞いでしゃがみこんでいるのを発見する。私はそっと彼の背に近づいて、ライさんの隣に、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「ライさん」

 優しく声をかけると、ライさんの濡れた瞳が私を捉える。私の声かけに安心してか、ようやく我に返ったようだ。

「……っ、うっ……ひっ、はっ……ぁ、音胡さん、ごめんなさ、い、っ、僕、あ、あぁ……」

 ライさんはたどたどしく私の腕を掴み、途切れ途切れに謝った。その手は酷く震えていて、力は入っていない。

「僕、また、っ、ごめんなさい………っ」

「いえ、こちらこそ気が付かなくてすみません。……移動も長かったし、事前調査も全部おまかせしちゃってましたし、双子ちゃんを追いかけていきなり走っちゃいましたもんね、疲れてましたよね……」

 私はライさんの背中を撫でる。ライさんは肩を上下させながら泣いていた。随分苦しそうだ。

「……今日のところは一旦引きましょう。双子ちゃんもお話してくれないみたいですし、明日と明後日もまだあります。すぐ近くに会社が取ってくれたホテルがありますから。……苦しいですよね、待ってくださいね、薬使いますよ」

 ライさんの足元に、あの発作を止めるスプレーが転がっていた。私はそれを拾い上げて、ライさんの口にあてがう。恐らく、自分で取り出そうとして、手が震えて落としてしまったのだろう。

 そのまま、ライさんに肩を貸しながら立ち上がる。マネージャーさんに事情を説明して、私達は一時撤退した。

***

「ライさん、部屋着きましたよ、もう大丈夫です。」

「す、みま、せん……」

 隣同士に取られた部屋のとりあえず片方に入る。顔を隠すためライさんにかぶせていた上着を取ってあげると、明らかに疲れた顔のライさんがそこにはいた。疲労からだろうか、もう大分ぐったりとしているがライさんはそれでも謝る。それがとても痛々しい。謝る必要なんて全然ないのに……。

「椅子に座ります? ……あ、ベッドに横になったほうがいいですかね」

私はライさん をベッドに横にさせようとする。が、ライさんはそれより先にフラフラとした足取りで、ベッドへと歩んで……倒れ込むように身体を預けた。

「…………ごめんなさい、音胡さん」

「もう謝らないでください、私は怒ってませんから。私こそごめんなさい、走らせちゃって……」

 ライさんは突っ伏したまま、また謝った。私も、ライさんの無茶を止められなかったので、彼に謝られる事なんか何一つ無い。双子が走り出したのも、きっかけは私の声がけだったし、乗り物酔いさせたのも私だし。しかし、ライさんは頭を何度も横に振った。

「違うんです……分かってるんです、僕らにはもうちゃんとした人権があるのは分かってるんですけど、でも、僕は要らない子として育ったし、その前に英雄の双子が訴えなければ、処分されても良いとさえ思われていた存在で……。スタジオ入ったら人やカメラが皆こっちを見てて、町外で働いてた時の事とか、わっと蘇って……怖かった。気がついたらもう、息、できなく、っ、なっ……ててっ……弱虫、ですよね……っ、あの二人、よくアイドルなんてやってるなぁ、って……怖くないんでしょうか……」

「ライさん……」

 ライさんは寝返りを打つと、くすんくすんと泣き始めていた。このヒトの泣く所は何度と見てきたが、こんなに悲しそうに泣く姿は初めてだ。

「……ライさんのそれは、弱虫じゃないですよ。不安になるのは当たり前です。」

 ライさんの悩みには幾度となく触れてきた。だからこそ、私は彼らを解放したいという目標を持った。だけど、ライさんの不安は現実にあるよりもずっと深い。身体に染み付いた恐怖と戦いすぎて、いつもいっぱいいっぱいなのだ。

「でも、全部を知る前に自分で決めつけちゃダメですよ。ちゃんと見てみれば、意外と悪いことなんて起きてないはずです。…………ですが、今日は疲れちゃいましたね、もう休みましょう」

 私はライさんの身体に、いたずらのようにやさしく布団をかける。顔まで覆うように。ライさんが少しでも落ち着けるように。すると、布団の端から、ライさんの腕が私の手をおそるおそる掴んだ。

「………すみません、音胡さん、もう少しだけ居てください。今、一人になるの、ちょっとこわい、です……」

 遠慮がちに言う声は、やっぱり震えている。また苦しくなるかもしれない今、ライさんから目を離すのは確かに危険だ。私はその手を優しく握り返す。

「勿論ですよ。落ち着くまで此処に居ます、大丈夫です」

 まるで子供をあやすように、私はライさんにそう呟いた。

 ……目が覚めたらまた、笑顔が見られるといいんだけど。

***

「おはようございます、すみません、待たせてしまって……」

 翌朝、ライさんは穏やかな笑顔でホテルのロビーに現れた。まあ、少し元気はなさそうだけど、泣いてないだけでも少し安心する。

「部長って、本当に猫みたいな寝相してるんですねぇー」

「や、やめてくださいよ、からかわないで下さい……まさか寝起きドッキリ仕掛けられるとは思いませんでした」

 朝、ライさんを部屋まで起こしに行くと、ライさんはまだ寝ていた。前日のゴタゴタはどうやら相当響いたようで、丸まって眠るライさんをポンポンと叩いても一向に起きる気配はない。丸まって眠る人って寂しがりの傾向がある、ってネットで見たことがあったけど、ライさんはその通りだな……と思いながら、私は布団を一気に剥がし、ライさんのしっぽを掴むのだった。

「ひあぁっ!?」

「おはようございます、ライさん」

「……あっ、音胡さん……? び、びっくりしました……」

 ライさんは予想通り、成人男性とは思えない可愛らしい悲鳴で飛び起きる。何が起きたのか一瞬わからない、という顔で呆然としている姿は、正直写真を撮りたかった。が、そこは耐えて、私はライさんに頭を下げた。

「おはようございます。ちょっと早いですけど……ライさん昨日そのまま寝ちゃったし、身支度した方がいいかなと思って起こさせて貰いました。……待ってるんで、準備出来たら来てくださいね」

「あ、そうですね、わざわざ、ありがとうございます……」

 と、言うわけで、ライさんの身支度を待ち、私達はホールで待ち合わせた。ちなみに騒がしい起床にしたのはわざと、ライさんが気まずくならないようにした結果だ。決して上司をいじめて楽しんでる訳ではないです。本当に。

「マネージャーさんには先に連絡させて貰いました。双子ちゃんはお昼までお仕事だそうなので、その後また局で待ち合わせにしてあります」

「お昼まで、ですか。まだ大分時間ありますね……」

 そうして軽い朝食をロビー横のラウンジで済ませつつ、私は業務連絡をした。ライさんはその言葉に、ちらりと時計を確認する。今日もライさんは、フード付きの上着にマスク、しっぽも上着の下に隠していた。さっきシャワーを浴びたばかりでは暑そうな格好だ。

 ちなみに、ライさんは今、マスクの隙間からトーストを半分だけ齧っている。食べづらくないんですかね……。そして、例の食レポはなかった。ホテルのパン、美味しいんですけどね。やはりペラペラ喋る程の元気はないみたいだ。

 そこで、私は唐突に、ライさんを励ます為の提案をした。

「ライさん、せっかくですしちょっと遊びに行きませんか?」

「……へ? で、でも……」

 私はホテルの出入り口を指さす。勿論、昨日も人目に晒されたばかりのライさんは、簡単には私の思いつきにイエスとは言わない。

「去年の夏は書類探しが始まったばかりで、どこにも行けなかったじゃないですか。流石に私の出身地ほどではないですけど、署のある町よりは発展したいい町ですよ。なんか食べに行ったり、見に行ったりしましょうよ。今日平日ですし、どこもそこまで混みませんよ」

 慎重派のライさんから見たら、恐らく、いや、かなり荒療治な励まし方だと思う。しかし、私はいっそ思い切った方が楽だ、という事を確信していた。勿論、無理強いはしないけど、どうせなら楽しんだ方が絶対にいい。

「仕事中、ですし……」

「バレませんって、バレても許してくれます。どうせ時間が余ってますし、署の皆にお土産でも買っていけば誤魔化せますよ」

 ライさんは目線をうろうろと泳がせていた。その目にはじんわり、涙が溜まっていく。泣き出す寸前だ。恐らく、昨日の恐怖を思い出してしまったのだろう。

「ライさん、自分の身バレの影響を、双子の署名活動と同じ規模で考えてませんか?」

「え……?」

「双子の時代は、ニュースと時代背景が合わさって大きなニュースになっただけで、今ライさんがそこらへん歩いてたぐらいで、どうにかなる世の中じゃないですよ。客寄せパンダにはなりません。現に管轄外でアイドル活動してるヒトまでいて、彼らはあんなに元気だったじゃないですか。」

 ライさんが必要以上に人の目を気にする理由は、もう大体目星がついていた。勿論、ライさんの育ちの影響や、過去の町外での失敗もある。しかし、根本的なイメージはきっと英雄の双子がした事。あれだけの人を集めた光景を知ってしまえば、思い込みが激しいライさんはそのイメージにつられてしまう。

「……そ、そうですけど……」

 私の正論に、ライさんは口ごもる。ライさんだって、理屈は分かっているのだ。だけど、イメージが先走ってしまう。そしてパニックを起こしてしまう。ならば、そのイメージを上書きしてしまえばいい。それが私の作戦だった。

「逆に、隠す必要がありますか? ライさんは悪いことなんか何もしてないじゃないですか。むしろ真面目すぎるぐらいです。堂々としてればいいんです。たまには警察でもない、お父さんや双子の面影も追わない、ライさんとしてのお暇があってもいいと思いません?」

 私はそう言うと、ライさんのマスクをおもむろに引っ剥がした。

「ひゃ!? や、やめてくださいっ、いきなり……」

 ライさんはそれを取り返そうとするが、私はそれをくしゃくしゃに丸めてホールのゴミ箱にイン。予備は既にクロークに預けているので、ライさんが替えを入手できないのも計算済みです。普通のマスクじゃ、ライさんの耳にはゴムが回らないですし。

「それとも、なにかやましいことでもあるんですか?」

「な、ない、です、けど……」

 それでもまだ踏ん切りのつかないライさんに私は詰め寄る。ライさんは歯切り悪く否定した。その否定の仕方じゃ、なんかあるんじゃないかって思っちゃいますけど、いいんですか? と体全体で訴える。届いているかは知らないけど。

「つべこべ言わない!」

 私はついにライさんのフードも上げた。完全にいつものライさんの顔が出てくると、周囲はライさんに注目こそしたものの、数秒もすれば皆目線をそらす。何が起きることはなかった。

「……大丈夫です、もしも誰かが何か言ってくるようなら、ちゃんと私が言い返します。何か起きたらちゃんと助けます。苦しくなったら言ってください。怖かったら言ってください。」

 ライさんはその言葉に何も言わなかったが、一度だけ確かに頷いてくれた。私はそれを答えと受け取り、笑顔で返す。

「じゃ、行きましょうか!」

 私はライさんの手を引いてホテルを出た。ライさんはホテルのドアをくぐると、一度だけ手をギュッと握り返してくる。久々に握ったライさんの手は、やっぱりちょっとふにっとした。

 昨日から……いや、もっと前からそうだけど、上司の相手というよりは、まるで子供の相手をしているような気分になる。ライさんは子供の頃に遠慮していた自分を何処かに持っていて、時々その子供が顔を出すのだ。

 そして、それを癒やしてあげられたらきっと……ライさんの怖い思いはいつか、薄れてくれる。そう、信じて私とライさんは町へと繰り出した。

「わ……綺麗ですね、これ。アイスなんですね」

 そんなライさんが、子供のような笑顔で最初に見つけたのは、SNS映えを謳ったアイスクリームだった。流石甘党。目の付け所が女子ですね。

「買います?」

「……い、いいです」

 食べたいのかな、と思いそう提案すると、ライさんは耳を伏せて目を逸らしてしまった。サンプルのショーケースはお店の窓側に並んでいるけれど、受け取り口はお店の中。店員さんに、カウンターから直接注文しなければいけないものだった。

「もう、そういう遠慮がダメだって言ってるじゃないですか!」

「……たべ、たいです、でも、でも」

 欲求と理性の間で揺れ動くライさん。普段のハキハキ説明するライさんはそこにはいない。私もライさんとお店を交互に見つめる。ふと、ショーケースの奥を見ると、見覚えのある名前が並んでいた。

「あ、ここ双子ちゃんがロケで来てるじゃないですか」

「あっ……本当ですね」

 並んでいたのは、いのりくんとのぞみくんのサインだった。番組名も入っている。どうやらラジオの収録で来たらしい。日付もそこまで古くない。

 ……ならば、彼らの姿も一度見てるはず。存在を知っているはずだ。今更ライさんが行った所で、特別びっくりはしないんじゃないだろうか。私は再度ライさんの手を引いて、店内へと入った。

「ライさん、何味のがいいんですか?」

「え、えと、苺のやつがいいです……。」

 どうやらアイスは混ぜるフルーツとトッピングが選べるタイプのようだ。メニューをライさんに示して希望を聞くと、予想外のフレーバーをライさんは指差す。い、いちご。かわいいなオイ。私はそのなんとも言えないチョイスに内心突っ込みながら、二人分のアイスを店員さんに注文した。

「アイスの苺のとバナナの、一個ずつください」

「はい、ありがとうございまーす! 苺、バナナご注文でーす!」

 元気よく返事をした店員さんは、通りすがりにライさんの事をちらりと横目に見る。しかし、特に何か言われることはなく、事は進んだ。ライさんは怖いのか目をつぶってうつむいていたので気が付かなかったようだ。

「ライさん、ほら見てくださいよ、アイス混ぜてるのすごいですよ」

「………。」

 私の呼びかけに、ライさんは恐る恐る目を開ける。目の前のカウンターでは、冷凍の苺とミルクが、冷やされた鉄板の上に並べられ……捏ねていく内にアイスになる。そうしてカップに盛られたアイスは、まるで花びらのように綺麗に丸くなり、その隙間にまた苺のスライス。そして練乳とチョコソースがかけられていった。

 隣では、同じような手順で私が注文したバナナのアイスも盛られていく。砕いたナッツをかけ丸いウエハースが二つ並んだ。

「お兄さん、アイス好きなのー?」

「ひぇっ!?」

 その工程に夢中になっていたライさんに、アイスを作っていたおじさんが話しかけてきた。ライさんはびっくりして、二、三歩後退する。

「あ、ごめんごめん。僕、規制前の世代だから、お兄さん見たら懐かしくなっちゃって……びっくりさせちゃったね」

「あ、す、すいません……そ、そうですよね。規制されたの、十二年前ぐらいですもんね……」

 あまりのライさんのおっかなびっくりぶりに、おじさんは気を使ってくれた。そう言われると、ライさん達が管轄下に置かれたのは、割と最近だ。ライさん達を完全に見たことがない世代は、殆ど学生。今の時間、往来の場を歩いている人は少ない。

「懐かしいなぁ、何人か遊んでた友達が居たんだけど……もし会ったらよろしく言っといてくれよ!」

「は、はい……」

 そう言うと、おじさんはライさんの分のアイスのウエハースを、三角にカットしてアイスのてっぺんに刺した。そしてチョコソースで顔を描く。

「お兄さんの似顔絵、なんちゃって」

 ライさんの手には、可愛らしいスプーンを携えた苺猫が手渡された。

「美味しいです! 凍ってる苺がサクサクで、クリームは凍ってるのにふわふわで、スッと溶けて、でも甘すぎるって感じじゃないです!!」

「お、おお……レイル線食レポ行きが通常運行に戻った……」

 買ったアイスは自慢用に写真を撮った後、近くの公園で食べることにした。綺麗に整備された自然公園は、街中にあるというのにとても広い。噴水の光がキラキラ反射して、初夏のいい雰囲気に包まれて食べるアイスは美味しかった。ライさんの機嫌はすっかり元に戻り、いつもどおりの食レポが炸裂する。

「すごいですね、すごかったですね、熱くない鉄板ってあるんですね」

「ライさん、溶けますから……食べきってから語って頂けますか?」

 私のバナナのアイスも勿論美味しいのだが、ライさんの怒涛の喋りに邪魔されて、ちょっと溶けかけている。

「……バナナのも美味しいですか?」

「食べます?」

 ライさんの期待の目に負けて、私はアイスを差し出す。ライさんはちょっぴりスプーンにアイスを取ると、味わうようにスプーンを咥えた。

「あー、こっちもいいですね、重めでねっとりしててクリーミー……口溶け滑らかな感じ、好きです。このアイス、地元にもお店欲しいですね」

「それは確かに……あっちは有名チェーンのアイス屋さんひとつですもんね……あと駄菓子屋」

 そう言われると、私もしみじみとそう思う。駄菓子屋は厳密にはアイス屋ではないけど……もう少し何かあってもいいよな、あの町……。悪い町じゃないんだけど。……どうなるのが理想なんだろうか、と私はふと思う。

「音胡さんの実家の方にお店あったら買ってきてくださいよー」

「え、ええ……? アイスはちょっと持ち運べませんよ」

今朝の遠慮がちなライさんは何処へやら、なんだかわがままな方向へとライさんの緊張は解けていた。でもまあ良かった。やっぱり辛そうで、悲しそうなライさんは見てられない。

「……いい場所ですね、なんていうか、平和な平日って感じ、なんかいいです。こう、町民が集う感じの公共施設って地元にないので、良くも悪くも滞る感じがするんですよね……公園も子供を遊ばせるような、遊具があるだけの公園しか無いですし……地域の風通しの良さ、欲しいですよね」

 なるほど。ライさんは私が感じた疑問を、あっさり見抜いて考え込む。町の為に、人の為に何かをしようとする考え方は、いつ何処にいてもライさんだ。

「いっそ政治家にでもなっちゃいます? 公園ぐらいバーンと建てられるんじゃないですか? そうしたら私を秘書として雇ってくださいね」

「え、嫌です。なる前に選挙活動が怖いです。票が集まらなかったら凹みそうですよ……」

 困ったように笑うライさん。私も釣られて笑った。

「……? 何か声がしませんか?」

「へ? ……すみません、私の耳じゃ聞こえるレベルじゃなさそうです」

 ひとしきり笑うと、ライさんはそう言って立ち上がった。私も耳を澄ませてみるけど、いくら耳が良いとはいえ、ライさんの聴力とまともに張り合って勝てるはずはない。

「あっ」

 ライさんは数歩、声のする方向に歩き出す。すぐに早足で公園の片隅へと向かっていった。

「音胡さん!」

「どうしました……あっ!」

 私も立ち上がり、呼ばれた方向へと走った。噴水と植え込みの間を覗くと、その隙間にある深い穴に、男の子が一人挟まっている。偶然深い穴になっていたようで、落ちてしまったらしい。

「ぼく、大丈夫ー?」

「…………。」

 私は男の子に話しかける。が、さっきまで泣いていた男の子は、返事すらしない。ただ、ぽかんと宙を見つめている。

「あ、そう、でした……」

 ライさんは慌てて身を引いた。幼稚園未満ぐらいの男の子にとっては、ライさんは未知の生物である。男の子はあっけにとられていたのだ。

「ライさん、とりあえず引き上げたいので、私が落ちないようにしてもらっても?」

「……あ、はい、そのぐらいは……」

 ああ、折角回復したのに。ライさんは耳からしっぽの先まで、またしょんぼりしてしまう。とりあえず私はライさんに身体を支えてもらい、男の子を引き上げた。小さな男の子は、私の力でも軽く引き上げられる。

「大丈夫? ママと来たのかな? 何処に居るかわかる?」

「……ママ、いなくなっちゃったからさがしにきたの……そしたらどーんって」

「迷子ですか……」

 どうやら怪我はないようだが、保護者に説明ぐらいはしといた方がいいだろう。しかし、男の子は母親の居場所を知らないと言う。どうやら迷子で、はぐれている内に落ちてしまったようだ。ライさんはうーん、と唸り、なんとか探し出す方法を考える。普段ならば、慣れた町。勝手の分かる仕事の一つだ。

 しかし、今はそうは行かない。

「パパとか、お兄ちゃんはいますか?」

「……パパはきてない。おとうとのあかちゃんがいる……。」

 ライさんはふいに、何かを思いついたようにそう男の子に聞き出した。

「どうするんですか?」

「……聞き分けます」

「はい?」

 何か策があるのだろうか? 聞いてみたが、私はその意味が分からず首を傾げた。

「弟さんと君の名前を聞いてもいいですか?」

「おとうとはらいとくんだよ、ぼくはたくちゃん」

「………犬も一緒に来てますか?」

「……うん、おさんぽ!」

 えっ、なんですかこの質問。なんだかピンポイントに、家族構成を聞き出し始めた。ライさんはその質問をし終えると、目を閉じ、耳をただピンと立ててその場に立ち尽くす。私の耳には、ただしん、とした張り詰めた空気しか感じない。

「………音胡さん、たくくんをこの噴水広場の入り口辺りまで案内してあげてください」

「え、あ、はい……?」

 ライさんは数秒、何かを聞いていたようだ。そして、そう言い放つ。私が返事をすると、さっきまで座っていた場所に戻った。ちなみにさっきまで座っていた場所は木陰になっていて、ライさんからその入り口は見えないし、入り口からもライさんは見えない。

 私は不思議な気持ちになりながら、たくくんを連れて公園の中を横切った。すると、公園の門を背に、赤ちゃんをあやしながら犬を連れている女性と鉢合わせる。

「たく! 良かったわ、一人で帰っちゃったのかと思って戻ったけど、ここにいたのね」

「すみません、私、通りすがりの警官なんですけど……たくくん、お母さん探しててちょっと公園の縁に落ちちゃったみたいで……怪我はないみたいですけど、一応病院に診てもらった方がいいかと……」

「いいえ、ありがとうございます。……貴女が助けてくれたんでしょうか?」

 私は警察手帳を提示しながら、お母さんに事情を話す。助けたのは私じゃない。ライさんだ。この手柄を私のものにしてはいけない。ケンさんの時を思い出した。また彼が遠慮をして、損させるのだけは阻止したい。

「……いえ、彼を見つけたのは私の上司なんです!」

「おっきいにゃんにゃんさんだよ!」

「……?」

 たくくんは飛び跳ねながら、恐らくライさんの大きさを示したのだろう。彼からしてみれば、小柄なライさんは確かに『大きな猫』だ。しかし、その発言の意図を汲み取れなかったお母さんは、小首をかしげる。

 私はとりあえず会って頂けますか、と言って公園の中へと彼女を案内した。公園の奥で身を潜めるように座っていたライさんは、まさか戻ってくるとは思わなかったのか、慌てて立ち上がってしまう。結果、余計に目立って、彼女の目に映った。

「……まぁ……なるほど、親切にありがとうございました」

 彼女も規制前を知る世代だっただろうが、恐らく久々に『彼ら』を見たのだろう。ライさんを見て驚きはしたが、すぐに深くライさんに頭を下げた。ライさんも遠くから、深く頭を下げたのが見えた。

「ありがとうございます、他所の方なのにこんなに親切にして頂きまして……お世話になりました」

「にゃんにゃんのおまわりさん、またねー!」

 お母さんとたくくん達は、その後すぐに公園を後にした。たくくんは元気にライさんに手を振って、ライさんも小さく、小さくだけど振り返す。

「な、なんで戻ってくるんですか……何か苦情でも言われるんじゃないかと思って、ヒヤヒヤしましたよ」

「貴方の手柄だからに決まってるじゃないですか、それにしてもまた不思議な事をしましたね?」

 そうして私がライさんの元に戻ると、ライさんは酷くほっとした顔をしていた。私は不思議に思っていた事を問う。

「僕の耳なら公園の周囲の音が聞き分けられると思ったんです。音胡さんには彼の声が聞こえなかったみたいなので……流石にはっきり聞き分けるには難しかったですけど、名前を呼ぶ声さえ特定できれば、大体どこにいるかは分かるかな……と。偶然、何か呼ぶ声と犬の鳴き声が近づいて来てたんで、これは公園の外にいて、そして公園の方に近づいてきているなというのが分かりました。」

「す、すごい……。最早名探偵レベルじゃないですか。……そう言えば学生時代、成績はトップだったんですもんね、さすが、頭回りますね」

「……それ、またOBさん情報ですか? 音胡さん程は回りませんよ」

 ライさんはそう言って困ったように笑った。そしてその後、軽くため息をつく。安心したように。

「……でも、良かったです。僕が落としたのか、とか、子供を襲ったりしてないだろうな、とか言われるかと思っちゃって、一人で怖くなっちゃって……ちょっと、まだ震えてます……」

「……ライさん、頑張りましたよ。流石、部長です。……ね、言った通り、ライさんが思ってるより、悪いことは起こらなかった、ですよね?」

 私は得意げに笑った。ライさんも少し疲れた表情だったが、確かに頷いてくれる。

「音胡さん、やっぱりかっこいいです」

「ま、またその感想ですか……」

***

 そうして私達は、マネージャーさんと合流した。マネージャーさんは公園の方まで迎えに来てくれて、開口一番、私達に深く頭を下げる。

「昨日は申し訳ありませんでした……」

「いえ、こちらこそすみません。今日こそはきちんとお話をしたいと思ってます」

「こちらも今日こそと思っておりますが……あっ、今日はフードとマスク、されてないんですね……?」

 マネージャーさんは、昨日と違い変装をしていないライさんを見て、軽く驚いた。が、ライさんは「双子がアイドルとして地域に根づいてくれたから、勇気が出せました」と彼女に告げる。

「……そうですか、ありがとうございます。そう言って頂けると、きっと二人も活動している甲斐があると思います。」

 彼女はお礼を言いながらも、どこかほっとした顔をしていた。二人の仕事を身近で見てきたマネージャーさんだ、仕事の成果が少しでもあると知って、嬉しくなったのだろう。私達もその姿に、少し嬉しくなった。

「……二人には前日から貴方達が来て、そして町へ行くことは説明しておりました。二人に、昨日の夜も説明をし直したつもりなのですが……嫌がるんです。どうしても行きたくない、と……。理由を聞いても具体的な言葉が出ず、分からなくて……」

「あの後、夜までお話されたんですか?」

 局へ向かう途中の車で、マネージャーさんはそう言った。私はその言葉に首を傾げる。子供である二人が夜まで、仕事相手であるマネージャーさんと話すことがあるのだろうか、という小さな疑問だった。

「いいえ、帰宅してからです。……実は、彼らを保護したのは、局のスタッフである私の夫なんです。当時、私達は新婚夫婦でした。私はお腹に腫瘍があって……子供が作れません。だから、彼らを子供代わりに迎え入れよう、という話で最初は面倒を見ていたのですが……」

「……それが、覆った、ということでしょうか……」

 ライさんが静かに聞いた。マネージャーさんは頷く。

「夫はやっぱり、私のお腹から生まれなくとも、血の繋がった人間の子が欲しい、と言いました。彼らはまだ私達の保護下に居ますが、夫は家族としては彼らを認めていません。彼らもそれを分かってはいるみたいで、どうにかアイドルで自分達の居場所を作ろうとしました。……ここは管轄外の町ですし、私は管轄地区の連絡先も知らず……貴方達から連絡が来た時はほっとしました。もう彼らも十歳です。私は彼らを家族にしてあげられませんでしたが、せめて、保証と人権のある場所で、医療の受けられる場所で生きて欲しいんです……」

 そうしてマネージャーさんが語ったのは、彼らへの心配。不安。そして、私やライさん達のようにすんなりとはいかない、『血の繋がらない家族』の難しさだった。

 そうして車は間もなく双子の待つテレビ局へと到着する。昨日と同じように楽屋へ向かうと、二人はすっかり私達を警戒していた。

「あっ、また来たっ、僕達を連れてくつもりなんでしょ!?」

「逃げろーっ!」

「ま、待って二人共、まずはお話しよう? ね?」

 私達を見るなり、双子はまた逃げ回る。昨日と同じような追いかけっこが始まってしまい、また騒然とし始めた。

「音胡さん、まともに追っていてはまた、何処かスタジオにでも逃げ込まれてしまいます。二手に分かれて追い詰める形の方がいいです!」

「そうですね、私とマネージャーさんが追いかけるんで、ライさんは行き止まる所に誘導してもらってもいいですか?」

「了解です!」

 ライさんは機転を利かせ、双子を追い詰める作戦に出る。私は兄を、マネージャーさんが弟を追いかけて、局の廊下を一周。双子は兎らしく伸びた耳をぴょこぴょこ跳ねさせながら、分かれたり合流したり……流石双子のコンビネーションだ。アイドルで鍛えられた動きも合わさって、確実に大人を翻弄している。

「捕まっちゃったら連れてかれちゃう!」

「病院行くのやだぁー!」

「まっ、待って、なんでそんなに嫌がるの?」

 廊下を互い違いに走っていく二人はやはり、町へ行き、検査をされる事を嫌がっているらしい。子供だし、病院の無い環境に生まれた二人が、何をされるか分からない恐怖は確かにあるだろう。しかし、此処まで逃げ回る理由は、何やら他にありそうだ。

「僕、まだ歌ってたいもん!」

「僕もまだ踊ってたいもん!」

「別にアイドル辞めさせたりはしないよ!?」

「「わかんないじゃん!」」

 追いかけながらも二人は話に応じてくれる。しかし、二人は立ち止まらずドタバタは続いた。私は彼らの気持ちをなんとか考えようと必死になる。病院が怖いのか。この町を離れるのが嫌なのか。マネージャーさんと離れるのが嫌なのか。どの理由もあるかもしれないが、二人の言動にはしっくりこない。

 何故、アイドルを辞めさせられると思っているんだろう?

 追いかけっこを続けている内に、ライさんが待つ廊下の突き当りに接近してきた。その先にあるのはスタッフの会議室。通り抜け出来ない、窪んだエリアだ。

「よし、追い詰め、た……!?」

「――う、ぐっ!!」

「……のぞ!!」

 私はついに追い詰めた二人を捕まえようと手を伸ばした。しかし、その直前。三毛模様の弟、のぞみくんが失速する。すぐに、顔色を変えた兄のいのりくんが、彼の元に駆けつけた。私も、ライさんも、マネージャーさんもすぐに彼らの側に駆け寄ろうとする。

「こ、来ないでっ!! のぞに触らないでっ!!」

 しかし、私達が近づいてくるのを、悲痛な叫びが止める。いのりくんはのぞみくんを庇うように、彼の前に立ちはだかった。後ろでのぞみくんはがくりと膝を折り、その可愛らしい衣装のタイ……胸元を必死で抑える。

「……で、でも、いのり……のぞみは……?」

 マネージャーさんも初めて見た光景らしい。困惑した表情で声を絞り出した。

「来ないで、のぞは大丈夫なの、来ないで……」

 いのりくんは必死でそう訴える。でも、見るからにのぞみくんは平気そうではない。なんとか立ち上がろうとしているけど、フラフラで歩くのもままならない様子だ。私はその異様な光景に、マネージャーさんと二人で立ち止まることしか出来なかった。

 が、その中で一人、静止の言葉も構わずに動き出すヒトが一人。……ライさんだった。

「やだ、来ないでよっ、のぞに触らないでっ」

「……いのりくん、ごめんね。のぞみくん、ちょっとだけ我慢して、じっとしてて貰えませんか?」

 もう泣き出しそうな声で、いのりくんはのぞみくんを庇い続ける。そんないのりくんを優しく退かせて、ライさんはのぞみくんの腕を軽く掴んだ。手首に手を添えるように。

「ライさん?」

「……脈拍がおかしいです……何故、黙ってたんですか?」

 数秒、ライさんはのぞみくんの様子を見て、すぐそう判断した。脈拍、という言葉に私の心臓が跳ねる。英雄の双子も心臓病だった事を思い出した。いのりくんはライさんが発した鋭い言葉に、ブワッと涙を零し始める。

「やめて、おかしくないよ、のぞはおかしくない、僕らまだアイドルやれる、歌える、いやだ、いやだ」

「どうしたの、大丈夫だよ……ね、落ち着いて」

 ようやく私もライさんのように、慌てて彼らの元へ駆けつけ、いのりくんを抱きしめた。彼は私の腕をギュッと掴むと、だって、だってと言葉と嗚咽を零すが、その先の言葉は紡げない。

「いの……っ、も、やめよ。僕、ほんとはっ、くるしい、もん……もう、むり、だよ」

「やだぁぁぁあぁ………のぞと一緒にアイドルやる、いやだ、一緒にいる!!」

 二人の混乱は続き、私達も状況が読めず混乱する。一人、冷静なライさんはポケットから、あのスプレー薬を取り出した。

「のぞみくん、嫌かもしれないけど……薬、使いましょう」

「ライさん、それって使って大丈夫なんですか!?」

 私は慌てた。それはライさんが、発作を止めるために処方されているものだ。他人に、しかも子供に使っていいものなんだろうか?

「本当は処方された相手にだけ使うべきものですが、『僕ら』用に開発された微量な気付け薬のようなものです。危険性はありませんから重篤な副作用は無いと思います。僕がお医者さんに怒られる程度でしょう。それより、のぞみくんが歩けるようになるのが先です。」

 そう言うと、ライさんはのぞみくんに薬を当てる。のぞみくんは苦しさの方が勝っていたのか、素直に受け入れた。いのりくんはすっかり、私の腕の中でただ泣いていた。私は彼の頭をそっと撫でる。

「……うん、大丈夫だよ。私達、君たちが嫌がることはしない。君たちを守るために来たの。絶対、痛いことや苦しいことや、アイドルを辞めさせるなんてこと、誰にもさせないし、しないから……」

「……ほんと……? ………のぞが、もしものぞの身体がおかしくても……踊るな、歌うなって言わない?」

 いのりくんは顔を上げ、私にそう聞いた。なるほど、彼がのぞみくんを庇っていた理由が分かった。

「そっか、気づいてたんだね……」

 のぞみくんの持病に気づいていたいのりくんは、彼の病気がばれないように努めていたのだろう。不安そうな表情のいのりくんに、もう一度「大丈夫だよ」と言うと、彼もようやく落ち着いたようだ。のぞみくんもライさんの薬ですぐに落ち着いたらしい。ライさんに手を引かれて立ち上がると、いのりくんの元へ駆けてくる。

「……お兄ちゃん、逃げてごめんね。」

「お姉ちゃんも、マネージャーさんも……僕ら、お話聞くよ」

***

 楽屋に戻り、私達は双子と話をすることが出来た。一応、のぞみくんは大事を取って横になっている。

「僕らはマネージャーさんと、スタッフさんに拾われて……珍しいからって理由でテレビに出たんだ。嫌だって言ってもカメラが入ってきて、沢山の人に笑われて……」

 そして彼らが語ったのは、町外で保護されたからこそ、テレビ局で拾われたからこその壮絶な理由だった。

「……最初に発見された時の彼らは、本当にただの見世物でした。……この町に彼らを保護する仕組みはない。事実上、保護が決まっている世界とはいえ、此処では彼らに『人権』はありませんでした」

 マネージャーさんもその扱いを止められなかった事を悔しそうに語る。同族も保護者も居ない世界で、見世物にされた彼ら。でも、逃げる場所も出ていく先も無い。関係者に保護された以上、関係者の元で暮らすしかなかった。

「だから、いっそタレントとして活動させたんです。幸い、二人共歌と踊りは好きだったので、とても良く覚えてくれました……でも、根底は今だって変わってません。二人も捨て子という境遇を面白がられ、やがてその扱いに疲れ切り……でもお医者さんは居ないので、独学で面倒を見ていたんです。……そうしてなければ、二人は苦しい思いをしなかったんでしょうね……ごめんね、のぞみ」

 マネージャーさんはのぞみくんを軽く抱きしめた。本当にこの人は、この二人を愛している。それが痛いぐらい伝わるのに、彼女一人じゃ二人を守れない。私まで悔しい気持ちになった。

「……気のせいだと思いたいんですけど、捨てられる子、多くないですか?」

 そして、やっぱり二人を捨てた『誰か』に疑問を持つ。ライさんは私の質問に、自分の事も思い出したのだろうか……悲しそうに答えた。

「ペット世代の方は実際多いんですよ。人権保護前は罪になりませんでしたし、ペットとして取り上げられ、人間に保護されるのが当たり前の時代だったので、育て方も育ち方も分からない人が多くて……それに寿命も短いですから、年齢によっては子供の内に親と死に別れるケースもあります。とはいえ、最近は人間の子が捨てられるのとあまり大差はなくなりました。それが良いのか悪いのか分かりませんが……」

 その回答に、私は新幹線で聞いた『兎のヒトの寿命』を思い出した。確か三十年だっけか。彼らの親が二十で産んだとすれば、彼らは十歳。平均ならもう亡くなっている可能性もあるのだ。……なんだか、理不尽っていうか、仕方ない事なんだけろうけど、私はこの気持ちを何処にぶつけていいのか分からない気分になってしまう。唇を噛んだ。

「僕、本当にアイドルやるのが楽しいから、辞めるの嫌で黙ってたの……でも、苦しくなった時はやっぱりどうして、助けて、って何回も思ったよ……。でも、僕らは最初から……テレビに出て初めて、行きていける、居場所がある生き物なんだなっていうのも分かってて……見つかったら働けなくなる、居場所がなくなるって思ったんだ」

「だから、内緒にしようって二人で決めてたの、病気がバレたら行く所がなくなっちゃうから……ごめんなさい、黙ってて……」

 二人はその後も、ぼそぼそと今までの不安、苦しみ、そして居場所を奪われてしまう恐怖を口にした。もしも、のぞみくんの病気が発覚して、アイドルを辞めさせられてしまえば、『見世物』としてしか生きてこなかった二人は、居場所を失う。二人は、それを恐れた。私達に保護されて病院に行けば、きっと病気がバレてしまうと思ったのだろう。マネージャーさんが問題行動だと思っていた二人の態度も、おそらくわがままではなく自分たちを守るために取った、防御の行動だったのだ。

「……わかりますっ……どうにもならないのは分かってても、それで居場所を無くすかもしれないってすごく怖いことです……」

「ライさん……」

 二人の話を聞いて、ライさんも泣き出した。

「僕も拾われた時、父が僕の貰い手を集っている声を……熱を出しながら、弱った身体で、眠れない時にずっと、ずっと聞いてました。言葉は分からないぐらい疲れてたのに、声で断られるのが分かって、ああ、また僕断られたんだ、これからどこに行けば、どうすれば生きられるんだろう、ノラで生きてくってどうしたらいいんだろうって、そればっかりになっちゃって……殴られても蹴られても、暖炉の火を押し当てられたとしても……我慢してれば、一応家があって食事があったんです……」

 ライさんは、虐待から捨てられ、保護されたばかりの時の記憶を語る。漠然とした不安。何も知らない子供には何も出来ない、それだけは分かってしまった時の恐怖。

「でも、つらい事を我慢していい事なんて、何もなかった。恐怖が染み付いてしまっただけでした。耐え続けるのは、いけないことです。……ですから、お二人には町に来て、検査を受けて頂きたいと思っています。その為の、僕らの町の決まりごとなんです。」

 ライさんは涙を拭いながら、二人にまっすぐ自分の思いを話した。こんなにしっかり自分の意見を他人に語るライさんを、私は初めて見る。内心驚いた。そして、その内容がとてもポジティブだった事にもだ。

「お兄ちゃんも、苦しかったんだね……」

「……お兄ちゃんは、今、警察にいて楽しい?」

 双子はその言葉と、二人を想って泣くライさんの姿に驚き、そして共感したようだ。いつの間にかライさんの膝元に二人揃って並び、ライさんの言葉を聞いていた。

「……正直に言えば、苦しい時はまだいっぱいありますよ。でも、何も知らないまま怖い気持ちを我慢するよりは、楽になれるようになりました……つい、今朝からの事なんですけどね」

 二人のそんな質問に対し、そう言ってライさんは、泣き笑いをした。私はその言葉に、昼間の事を思い出す。よかった、そう思ってくれたんだ。私も微笑んでしまう。

「……正直、アイドルを続けられるかどうかはお医者さんの判断によります。僕みたいに薬を続けなくなるかもしれないでしょう。でも、仮に形が変わってしまったとしても、君たちのやりたい事は失わせません。歌って踊る事に変わる何かを見つけたり、居場所を失わせたりはしません。」

 ライさんはそう言い切って、私も深く頷く。双子は顔を見合わせ、安心したように笑いあった。マネージャーさんも、そんな二人と私達の様子に安心したように笑う。

「……ただ、その為にはこの町を離れ、新しい家族を探すことになります。マネージャーさんとはお別れになるでしょう……」

「そっか……でも、マネージャーさんの家は、もう居れないの知ってるから……」

「マネージャーさんは、ちゃんと元気な赤ちゃんと暮らしてね?」

 しかし、そんなマネージャーさんの愛情は、現実には叶わない。私達が彼らを保護するというのは、この街に住むマネージャーさんとはお別れになるということ。その事も、ライさんは隠さず伝えた。双子はその誠意の事実に、しっかり頷く。双子は彼女の元にも居場所がないということを、既に知っている。

「いのり、のぞみ……ごめん、ごめんね……」

 マネージャーさんは二人を両腕に抱きしめた。子供の二人には残酷な現実を沢山背負わせてしまった、という懺悔にも似た『ごめんね』を繰り返す。私はそんな三人にそっと触れて、優しく言い放った。

「……二人共、マネージャーさん……約束します。今は管轄が決められているけれど、また……絶対にまた、彼らがいつ何処にでも、安全に暮らせる世界を約束しますから……お別れじゃないですよ、これは……また、一緒に暮らせる日まで、またね、です!」

 いつか、絶対に変えてみせる。その約束を込めて、お別れの言葉は言わない。それが、私達の約束だ。

***

 マネージャーさんと双子と別れ、私達は局を後にすることとなった。移住準備をする為、数日後、二人とは署で再会することになる。さて、誰か二人を迎え入れてくれる人が現れるといいんだけど……と、楽屋を出た私達に待っていたのは、数人の記者と数本のマイクだった。

「すいません、この町の新聞社の者なんですが取材させてください!」

「ひぇっ!?」

 突撃取材が待ち構えていたのだ。マイクとカメラを向けられたライさんは、咄嗟に私の後ろに隠れてしまう。やはり、まだ好奇の目は怖いらしい。

「う、うぅ……」

「ライさん、大丈夫ですから」

 私は震えるライさんの手をポンポン、と優しく叩いた。さっきまでは本当に勇気に満ち溢れていたのに、すっかり自分の事になると臆病になってしまうのがライさんだ。でも、そんなライさんの臆病は、時折私の背中を押す。私は記者の前に出ると、強く彼らに抗議した。

「すみません。私達仕事で来てるんで、取材はご遠慮願いたいのですが。そこを通りたいので退いて頂けますか?」

 毅然と、そしてはっきりと私は言い放つ。私達は悪いことは何もしていない。双子もマネージャーさんも、隠すことも、話すことも、何ひとつない。そんな態度を全身で示す。

「ツインリトルバニーのお二人はどうなるんですか?」

「そちらの猫の方はどのような特徴を持っておられるんですか? 我々と違う点などは?」

「やっぱり魚とか生で食べるんですか?」

 ……だめだ、全く話を聞かない。これだからマスコミって奴は……。私は強引にでも人の間を抜けようか、とも考えた時だった。ライさんは、私の肩越しからではあるが、おずおずとマイクに回答をする。

「……お、お二人は、国の決まりで『僕ら』に詳しいお医者さんがいる地域に引っ越すことになります……十年以上前に、人権保護の法律で決まった地域に住まなければなりません。で、でもっ、そのうち……その壁は、なくなればいいなと思います……」

「ちょっ、ライさん? いいんですよ、頑張って相手しなくて!」

 私は慌てた、が、ライさんはビクビクしながらも、質問に、丁寧に答え続ける。

「僕は、特には人間と変わった点はないとは思います……。聴力と嗅覚が良いとか、効く薬が違うとか……細かく言えば沢山ありますが、そのぐらいです。個性のひとつみたいなものだと思います」

「僕自身は、あんまり魚は好きじゃないです。食べる時は、焼いて食べるのが多いです……。種族と食の好みは、あまり関係ないと言われています……。」

 仕事でも義務でもない、興味本位の中身の無い質問にですら、誠意で答えた。

「ご協力ありがとうございました!」

「……っ、はぁ……」

 数分、質問攻めにされた後、ライさんはようやく開放された。脱力してしまったライさんは、くたり、と私の腕の中によりかかる。私は慌てて彼の腕を支えた。

「わっ、ライさん? 大丈夫ですか? 薬、取りましょうか?」

「……だ、大丈夫です。ちょっと、疲れました、けど……あの、音胡さん……」

 遠慮がちにライさんは私の名を呼ぶ。ライさんはうつむいたまま、私の腕をぎゅっと掴んだ。

「はい」

「僕らに興味を持って頂けるのは、怖がることではないですよね? ……きっと、受け入れて貰えると思うんです、音胡さんがそうだったみたいに……」

 そう言うと、ライさんはへにゃり、と疲れた様子で、でも得意げに笑った。

***

「はぁ、ようやく帰れますね」

「流石に疲れました。ちょっとだけ座席倒してもいいですか?」

 夕方、私達は帰りの新幹線に乗り込んだ。私達の町の方角に行く人は少なく、ライさんも変装せずに済む。座席を倒すのにも断りが要らないほど、座席は空いていた。

「何なら寝てても大丈夫ですよ、着いたら起こしますから」

「いえ、一応帰るまでが仕事中ですので……ああ、でも寝てしまいそうです。寝てたら起こしてください……」

 ライさんはもう精神的にもクタクタで、私の隣でぐったりしている。私も疲れてしまったので、足を上げた。帰ってからも書類作りや報告書の仕事がある。今ぐらいゆっくりしても怒られはしないだろう。

「ライさん、今日は本当に頑張りましたよ?」

「あはは、もう泣き疲れちゃって、目が痛いです……緊張もし尽くしました……」

 ライさんはそう言うと、眠そうに目を擦る。走ったりなんだりもした影響か、もう体力が限界そうだ。

「あ、そう言えば……かなり今更になりますけど」

「はい?」

 座席を倒したライさんは、そこでふと思いったったように口を開いた。私は思わず振り返る。

「……今回の双子の件、なんで隠されなかったんでしょう……。いつもだったら皆、きっと僕に黙ってたと思うんですよ。彼らが誰であろうと、昔のことを思い出すから、みたいな理由で……」

 お、今気づきましたか。正直、いつ気づくかなと思っていたけど。私はその質問に『来たか……』と思いつつ、悟られないようにさらっと返す。

「……実は、皆で相談したんです。ライさんにもう、隠し事はやめようって」

「え、じゃあ、あの事もまさか……?」

 ライさんはその答えを聞いて、一瞬慌てた顔をした。死のうとしたことをバラされたのでは、と焦ったようだ。

「いえ、ライさんが少し考えすぎてしまった事は言いませんよ。あれは私とライさんだけの秘密です。でも、ライさんが隠し事をされて怒っていることだけは、お伝えしたつもりです。」

 その言葉を聞いたライさんの目がまた、密かに潤む。

「もう泣かせないでくださいよ、目が限界です……でも、ありがとうございます」

「いえ、私は部下として当然のことをしたまでですよ」

 私はそう言って、ライさんと同じぐらいまで座席を倒した。ライさんも照れ笑いしながら、座席に身体を預ける。発車ベルはすぐに鳴って、新幹線は徐々に走り出す。

 ライさんはしばらく眠らないように我慢していたが、やはり限界だったのだろう。数分もしないうちにすーすーと寝息を立てていた。

「もう寝ちゃいましたか。……仕方ない、ギリギリまで起こさないようにしてあげましょう」

 窓の外は日が落ちて、ライさんの毛にまで綺麗なオレンジ色が反射している。私はその、上司とは思えないぐらいあどけない寝顔を眺めてから、そっとライさんの肩に上着をかけてあげた。

***

 その数日後。

「「じゃーね、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」」

「おいコラ、のぞみ、てめえ体重かけてんじゃねえぞ、重いって!」

「えー、ケン兄力持ちだから重くないよ」

「いのりお前、勝手に決めんなっ!」

 双子の検査と移住の手続きは無事終わり、双子は例の和菓子屋さんの息子に引き取られた。まだ正式ではないが、おばあちゃんが子供好きだという事で、とりあえず正式な預かり先が決まるまでのご指名だった。

 お店を預かる彼の代わりに、迎えに来たのはケンさんだ。もうすっかり仲良くなった三人は、はしゃぎつつのこれから町見学だ。しっかりケンさんの両腕に手を繋いで、二人は互い違いに飛び跳ねて喜んでいる。子供は無邪気でいいなあ……と、私はまだ作成途中の書類を胸に抱えてその姿を眺めていた。

「結局、お二人の検査の結果は?」

 そこに戻ってきた、お見送り帰りのライさんに二人の検査の結果を聞く。ライさんは手元の病院の封筒を確認しながら答えた。病院に連れて行ったのはライさんなのだが、双子が言うには、ライさん自身が検査にビビっていて、泣いていたらしい。病院に行ったことがない子供より病院嫌いってなんですか。

「のぞみくんは、ちょっと疲れると不整脈気味になるみたいです。先天性の症状でしょう。あの時は仕事の後に走り回りましたからね……もう少し大きくなるまで様子見だそうで。しばらくは僕と同じく薬を持つみたいです。きちんと管理していれば活動に支障はないので、アイドル活動は認められています。」

「そうでしたか……大人になるまでに落ち着くといいですね」

 私はその結果にほっと胸を撫で下ろす。ライさんは頷いて、書類をめくった。

「誕生日の特定とDNAの検査もしてます。結果はまだですが……『英雄の双子』とは、結局関係ないようです。恐らく、親も違うでしょう……心疾患が兎特有の症状、という訳でもないので、病気の方もただの偶然だったようです」

「そうでしたか……いやぁ、変な期待というか、不安というか……」

「そうですね、でも良かった……余計な心配がひとつ減りましたよ」

 いろんな意味で緊張の一件だった。私はその報告に一安心する。まさかこんな物語みたいな事が起こるなんて……と、すら思ってしまえる程の奇跡というか、偶然というか……。ライさんも本当に安心したような顔をして、いつもどおりふんわり笑った。

 その時だった。

 聞き覚えのある声が、カウンターを背にしていた私達の背後から聞こえたのは。

「……なぁ、俺も心配したよ。寂しさで死んだのは、一体誰だったんだろうなぁ? ってよ」

 ライさんはその声に、目を見開いて、ゆっくり振り返る。

 私も恐る恐る、振り返った。

「……な、レイル」

「…………おじちゃん」

 カウンターに肘をついて立っていた人物。

 それは、確かに。

 スティーブさんだった。