虹色記憶シリーズ episode 1 -小さな惑星-

 とある大陸の奥地、小さな小さな村に、村で見るには珍しい一つのトラックが入ってきた。その運転席から青年が顔を出す。天気は良好だ。日が眩しく、静かに目を細める。その青年は青年にしてはやけに可愛らしいな顔立ちで、桃色の髪を風に揺らす。

「キット、あれが僕らの新しいお家だよ」

 青年はその目に目標を見つけると目の前にこじんまりと建っている、レンガ造りの家を指差した。すると、助手席から青年と似た、しかし金髪の少年がひょこりと顔を出す。こちらも、まるで少女のような可愛らしい顔立ちをした少年のようだ。少年は一言も言葉を発さず、差された家を確認して車の窓を閉める。

「素敵だろう?」

 青年は少年に向かってにこりと笑いかけると、その家の前にトラックを止めた。青年はそのままトラックからひらりと飛び降りると、事前に渡されていた家の鍵を開け、満足気に部屋を見渡す。

 1階はただ広い部屋に、机やソファが置いてあるだけの部屋だった。住居スペースはすべて2階。青年はトラックから、衣類や食器の入ったダンボールとひとつの看板を取りだした。荷物はこれだけ。長旅に慣れた2人に無駄なものは何一つ無い。

『困ったことがありましたら、どうぞご相談ください』

『なんでも屋 もものき』

「さて、忙しくなりそうだねぇ」

 そうつぶやき、桃色の髪を風に揺らす青年、カースティの声に、キットは金髪を跳ねさせてあどけなく頷いた。

 ***

 僕らはとても仲がいい友達だった。本当のきょうだいのように。『彼』は僕を『兄』と慕ってくれていて、毎日のように馬鹿な遊びを繰り返しては怒られていた。

 そんなある日、『彼』と僕は谷に住む巨怪鳥の卵を一目見たいという好奇心から崖の道を進んでいた。タイミングが悪かったのか、僕らはその鳥に見つかって谷底に振り落とされた……あの日の事は忘れない。

『お兄ちゃん……』

 今も、『彼』の最後の声が耳から離れない。

 ***

「はぁ……折角の門出の日だっていうのに昔の夢見ちゃったよ……初心忘れるべからず、って事かなぁ」

 ガラス窓を拭きながら、カースティは息を吹きかけるのと同時にため息を吐いた。溜息に曇る窓を磨くのと同時に、モヤモヤした気分も拭き上げてやる。キットはカウンターを拭くのに夢中で、カースティのその小さな溜息は聞こえていないらしい。つま先立ちで必死にカウンターを磨いている。

「届かないならいいよ、そこは僕がやるから」

 流石に転んでしまっては可愛そうだ。代わろうか、とキットから雑巾を取り上げようとすると、キットは雑巾を手放さずにぶんぶんと頭を振った。どうしても手伝いたい、という意思をその瞳に見てしまえば、キットに甘いカースティはそれを無下には出来なかった。

「……そっか、じゃあよろしくね。開店時間が迫ってるから少し急いでくれると嬉しいかな」

 仕方なくその場は諦め、時計を見上げる。そろそろ『もものき』の開店時間だった。慌ててカースティが窓のカーテンを開けると、室内は朝の眩しい日光に照らされる。思わずキットがその光に顔を覆った。これがこの店の開店の合図だ。

「ん?」

 カーテンの次に開けるのは店の入口。お客さんが入ってきやすいようにドアを開け放とうとすると、すでにドアの前に誰かしゃがみ込んでいるのが見えた。小さな村なので挨拶の際に住人の顔は覚えたはずなのだが、その人に見覚えは無い。

「……どうしたの?」

 怪しいと思いながらも、そっとドアを開けて声をかけた。ゆっくりと、ドアの前に座っていた赤い髪の青年はこちらを向く。瞬間、ばっ、ととび跳ねるようにカースティの前に立ちあがった青年は、同じ勢いでバッと土下座をして叫び始めた。

「お願いします、僕をここで雇ってくださいッ!」

「……え?」

 唐突な叫び。眼の前で土下座されるその光景。思わず締まらない声を漏らす。

「……だめ……ですか……?」

 死に物狂いといった状態で土下座を繰り返す青年。しかし、今日開店で、まだひとつも仕事も無い状態で、あっさり「はい」と返事をするのは難しい。カースティは必死の形相の彼を前に冷や汗を浮かべるしか出来ない。

「雇っていただけないのならもう僕は……止めないでくださ゛い~ぃぃぃぃ!」

「ちょっ、は、はやまっちゃだめええええ! 雇います! 雇う!! ちょっと話でもしようか!!!?」

 しばらく言い淀んでいると、青年が急に危なっかしい事を言い始めたので、カースティは青年の腕を掴んで店内へ入れた。これも仕事の一環だと思えばどうってことはない。……と、いいが。

 ***

「前の職場に耐えられずに抜け出してきたんです、働くところも住むところもありません、ボディーガードでもメイドでもなんでもします……お願いです、雇って下さい……」

「め、メイドって……」

 キットが、青年(ニサクとお呼び下さいとの事)の前に背伸びをして危なっかしげにコーヒーを置く。

 カースティは前に置かれたコーヒーを、一口だけ啜った。手伝いたい感満載の瞳で訴えられたのでお茶くみを指示したけど……インスタントとはいえキットには作るの難しかったかなぁ……。味が異様に薄い。

「うーん、今は依頼ゼロだからなんともいえないけど……その時が来たらやることは、やってもらうからね」

「はい、ありがとうございます!!!!」

 カースティはカップを静かにテーブルに戻してから、ニサクの言葉に頷かざるを得なかった。勢いで雇うと言ってしまった以上、ニサクを無下に放り出すのも気が引ける。しばらくはキットに出来なさそうな雑用をして貰う分には仕事もなくはない……かもしれないし。

 その承諾を受けて顔をほころばせたニサクは、感激のあまりに接待ソファから飛び降りると、また土下座しながら叫んだ。

「ま、まずその土下座やめてよぉー……」

 調子狂うなぁ……と二人は顔を見合わせた。

 ***

 店を開いて3日後。ようやく『何でも屋』の名前が浸透して来たのか、初めての仕事が来た。街で雑貨屋を営む店の主人が、倉庫の整頓を手伝ってほしいというのだ。彼ももう歳で、重いものを運ぶほどの力が無いという。

「よーし、じゃあまずは試用期間だ。これで使い物にならなかったら、本当に君を追い出すからねニサク君」

「わ、分かりました……!」

 何でも屋にはよくある雑用作業。カースティには慣れたものだが、果たして『新人君』はどうだろうか。実力を試すチャンス兼、ダメそうなら追い出すチャンスにもなりそうだ。ニヤリと黒い笑顔でカースティは微笑んだ。キットは腕をパタパタさせて、そうだそうだと賛成するかのように飛び跳ねてアピールする。

 小さな試練を言い渡されたニサクは冷や汗をかきながらも、腕まくりをしてトラックに乗り込む。肉体労働は前の仕事でもやらされていたから、たぶん、大丈夫なはずだ。と心の中で意気込んだ。失敗したら今度こそ露頭に迷いかねない。

 そうして、内心、ニサクはひやひやしながらも目的地へと到着した。途中で失礼な事を言ったら追い出されるのではないかという不安と、予想外にカースティの微妙な運転技術にドキドキが止まらない。トラックの後ろでガタゴトと揺れる荷物を抑えながら席にしがみつくので精一杯だった。そんな中、明らかにニサクより小さなキットは慣れているのか、それとも恐怖感がまだ芽生えていない年齢か? めまぐるしく変わる窓の外を見ては、楽しそうにはしゃいでいた。この子……ある意味『強い』……。そう思わざるを得ないニサクであった。

 依頼された倉庫は、一生分の蓄えでも保存しておくものなのか? と思えるほど大きいものだった。店は小さな雑貨屋だというのに、こんなでっかい倉庫に何を置くんだろう。ニサクは内心呆れてしまう。

「いやいや、昔集めていた古い本がたくさんありましてね。今度、まとめて古本屋が買い取ってくれると言うので、ここから出して整理したいんですよ。店番の合間に私も手伝いますので、どうかよろしくお願いします」

 店主は、長いひげを撫でながらそう言って店に戻って行った。貰ったカギで倉庫を開けると、もわりと風に吹かれたホコリが舞う。

「うわぁ……演歌舞台みたいだねぇ」

「演歌のスモークはほこりじゃないですよ……」

 それに対して何処か呑気な感想を漏らすカースティ。キットといい、この2人の感覚が何処かズレている事にニサクは呆れてしまった。カースティのボケに対して、腕を振って賛成するキット。それを一人で突っ込むニサク。……あれ? 自分ってもしかしてかなり重要なツッコミ役にいたりするんですか? ……変な自覚を持ってしまうニサクであった。

 ***

「じゃ、とりあえず倉庫に詰まっている箱から取り出しますか~!」

 早速作業は始まった。カースティは気合を入れるつもりで伸びをしつつそう言いながら、取り出すと言うか、倉庫を掘り返すように突き進み始める。ホコリを吸ってじゃりじゃりするのか、口を開けたままぱくぱくして悶絶するキット。

 その横で、一見地味に出てきた箱を確認したり、本を開けて落丁を調べるニサク。

「……はっ、地味なのに確実に作業してるの僕だけだ……!」

 見た目に自分の働きの方が地味だが、客観的によく考えると目的を果たしているのはニサクただ一人。雰囲気だけで突っ走る兄弟に、もう、ついていけない……。とニサクは肩を落とす。それでもクビにはなりたくないので、黙々と、カースティにより積まれていく本の一つ一つを確認していく。

 そのうち、カースティとキットが奥に行けばいくほど、積み上げるのが面倒になってきたのか、カースティが箱を投げるようになってきた。受け止めるのに一苦労なニサクは耐え切れず声を上げる。

「か、カースティさん! 人のものなんですから、放り投げずちゃんと運んで来てください!」

「えー、投げるのが楽しいのに?」

 『たのしいのにー』と同調する感じで同じポーズをとるキット。反省する様子は一切ないようだった。ニサクは深くため息をつき渋々と作業に戻る。「……だめだ、こいつら」と内心呟いた。ここに雇われようとしているのは、もしかして間違いだっただろうか。そんなニサクの落胆もつゆ知らず、「これで最後だからー」と言いつつ、まだ箱を投げてくるカースティ。

「ちょっ!? あ、ああぁ!!!!?」

 唐突に投げられたその箱を受け止め損ね、ニサクは思わず悲鳴を上げる。最後の箱は今まで積み上げられていた箱にぶつかり、隣の箱にぶつかり、また隣の……速い話、すべての箱がバランスを崩し、彼の頭上に雪崩のように迫ってきた。

 ……だめだ、逃げられない。瞬時にニサクは自分の命に危機を感じる。僕の人生は古本とともに去るのか。人にこき使われて逃げ出した先がこれとは、なんの罰だろうか。己に迫るあまりにも大きな雪崩に、人生をあきらめかけたその時、キットが自分の腕の中に飛び込んできた。まずい、被害者が増える……ニサクは新たな展開に完全な絶望を抱いた、その時。

 キィンと金属のような、氷のような、ベルのような……固い音が耳から入って頭の芯まで響く。

「……へ?」

 ニサクはうっすら、恐る恐る目を開ける。崩れかかっているはずの本は、それ以上迫ってくることが無かった。まるで重力を無視したかのように目の前でピタリと止まっている。と思いきや、すぐに一冊、横にズレて転がり落ちていった。完全に静止した訳では無い……? 一体何が? 一瞬、ニサクの思考も目の前の本と同時に固まった。

 慌ててその視界を巡らせる。足元にはキットの姿。そして頭上には……まるでシャボン玉のようなドーム状の薄い膜。それに支えられて、本が空中で静止している。その膜よりこちらには入ってこれないらしい。

「ど……どうなってるんですか……これは……」

「いいから出て来て!」

 思わず、空中で静止した本におそるおそる触れる。こちらに寄りかかっては来ているものの、膜よりも奥に動く気配は一切なかった。カースティが外側から本を退けて、出口を作ってくれる。なんとか這い出ると、カースティは「キット、もういいよ」と声を掛けた。その合図と共に、まるで膜が弾ける。瞬間、本がばらばらと崩れ、重力に従って地面に散らばった。

 キットはその中から、するりと無傷で生還しカースティとハイタッチ……と言っても彼は小さいのでカースティからみれば低タッチを交わした。ニサクはその一連の行動に、この事象が2人の意図で行われていた事を察し、わなわなと震えながら彼らの姿を交互に見比べた。

「……あ、貴方達は……一体、何者……なんですか……?」

 その質問にカースティは少し困ったような笑みを返す。何かが成功したことを喜ぶだけのキットを抱きしめ、仕方なそうに笑った。

「仕事が終わったら話すよ、さ、仕事を続けようか。散らかっちゃったから少し急ごう」

 その後の仕事は全然手に着かなかった。

 ***

「それで、結局あれはなんだったんですか?」

 夕食時、皿に大量のカレーをよそったカースティに、ニサクは改めて聞きだした。カースティは山盛り大皿を3つ用意して「少ないかなぁ」等と呟きながら食卓に着く。燃費はかなり悪いタイプらしい。

「僕たちは、」

「…………」

 そこまで言ってカースティは水を飲んだ。キットも同じくジュースを口に含む。

「……魔族の血をひく、『能力』の持ち主。世間では『能力者』って言われてるね」

「……能力?」

 スプーンでカレーとライスを混ぜながら、カースティは微笑んで頷いた。ニサクは突拍子もない話に首を傾げる。少なからず、ニサクは聞いたことのない言葉がそこには並んでいた。

「人間から見たら「魔法」って言うのかな? 「超能力」って言うのかな?」

「はぁ……」

 そんなお伽噺みたいなことが、今この目の前のふたりに……見かけは青年と少年にしては少し可愛らしいだけで、他は別に気にならない、普通の人間に見えるふたりに起きているなど、この目で見ても未だ信じられない。キットをちらりと盗み見る。……やっぱり、目の前でカレーをベタベタ食べているだけの、普通の子供だ。

「元は天使や悪魔、妖精なんかが持っていた力を人間が宿す事があるんだ……まぁ、特技の規模が大きい版みたいなものかな。これが出来る人を『能力者』って言うんだ。キットはバリアを出して物体を空中で止めて、身を守る能力を持っている。キットは戦えるほど力が無かったから、自分を守るために覚えたんだろうね」

 それでもカースティはその傍から見れば異様にも見える『特技』とやらを隠すつもりもないらしい。あっさり言い放って、カースティはカレーを口にした。

「貴方は? 貴方にもあるんですよね……どのような能力を持っているのですか?」

 ニサクは次に気になった事を質問した。僕たちは、と言うからにはカースティにも『特技』があるのだ。

「さぁ? なんだろうね?」

 誤魔化すように、彼はまた笑った。その目が聞くな、と言っているように見える。もう、質問は出来そうになかった。

 ***

 それから、というもの、ニサクは引き続き試用期間、と称して、町の雑用をこなしていった。町民に頼まれた仕事はとにかくなんでも請け負ってしまうカースティのお陰で、化石の発掘やゴミ拾い、犬の散歩からスーパーの店員までやらされた。しかし、結局数日を経過しても、カースティの技をニサクが目撃することはなかった。

「……キットさんが守備ならカースティさんは攻撃に特化した何か……なんでしょうかね」

 そのうち、なんとなくニサクはカースティの能力を思考するようになった。聞けない雰囲気なのが逆に気になってしょうがない。なんとなくあの二人は対照的なイメージがあるから、恐らくキットとは種類が違う力を持っているのだろう。

 そんな事をぼやぼや考えながら、ニサクは依頼を受け付ける為に設置されたカウンターでぼんやりしていた。横でお茶をすするキットは、小さい子供だというのに貫禄がある……。

「……キットさんと喋ることができたらなぁ」

 そこで疑問に思う。いくら小さいからといっても、普通であれば喋れない歳ではない。能力と関係している訳でもなさそうだ。何故、彼は喋れないのだろうか。

「……あんまりプライベートに関与したら追い出されそうだなぁ……」

 なんせ、今の自分は居候の身だ。自重しよう。はぁ、とカウンターに肘をつき、ため息を吐く。さて今日はどんな無理難題が転がり込んでくる事やら……と思考を仕事に移した次の瞬間。

「?」

 遠くから聞こえるエンジンの音。急に外が騒がしくなった、と思うと、店の前に乱暴に車が止められた。

「げっ!?」

 その聞き覚えのあるエンジン音にニサクは飛び上がる。カウンターの置く、住居スペースにいたカースティを引っ張り出し、その後ろに隠れた。

「ど、どうしたのニサクく……」

「た、助けて下さい! あの方とはどうしても顔を合わせたくないんですぅうううぅ!」

 ドアの前にスーツ姿の青年が数人現れ、サーッと赤いじゅうたんが引かれた。その青年たちは皆揃って赤毛で、ニサクに雰囲気がそっくりだ。その横を騎士と思しき、重々しい装備の男が歩く。

「王、こちらが例の噂の店です」

 更にその後ろからガウンを着た、偉そうなオジサンがのしのし歩いてきた。恰幅の良い姿は当に、贅沢三昧の生活を送って来たのだろう、体格がそれを物語っている。偉そうなオジサンはわざとか、ドカッとドアをひと蹴りし、店に文字通り乗り込んで来た。

「ふむ、普通の店だな」

 そりゃそうでしょうよ。話の流れを聞いていたニサクは心の中でツッコミを入れながらカースティを盾に身を潜めた。偉そうなオジサンは、わざとらしくカウンターの前で咳払いをして、ぽかんとしているカースティとキットの前で、カウンターを叩く。

 横に付いていた護衛らしい騎士は、礼をしろといわんばかりの強気な目線を送って来るが、二人は未だぽかんとしたままだった。

「……ごめん、誰?」

「……この国の……国王です……」

 こそこそとニサクに確認を取るカースティ。ニサクはこの国王の事をとてもよく知っていた。

「……かなり無茶苦茶な方ですので、気を付けてください……」

 逃げる隙もなかったニサクは、とりあえずカースティの後ろで身を縮める事しか出来なかった。

 ***

「お前たちに、『太陽を喰らう彗星』を退治を依頼したいッ!」

 バンッと再度カウンターを叩き、国王がそう叫んだ。裕福な生活を送ってきたのであろう腹が同じだけ揺れる。声が店内に響いてビリビリと部屋が揺れた。その大声で部下を威圧する王の姿は、ニサクが知る王の姿と何一つ変わらない。やっぱり無理難題を押し付けに来たらしい。

「『太陽を喰らう彗星』?」

 カースティは首をかしげた。

「この街に伝わる伝説だ。太陽を食べるかのように、じわじわと消し去ってしまう彗星が何千年に一度の割合で接近するらしい。明日がその日なのだが、誰もその対策が出来ないままこの日が来てしまった……我々に打つ手はない。そこで、最近町民の間で『なんでもやってくれる人物』が話題に登った。あなたたちの事だ、国王命令で協力を要請する。」

 恐らく王の部下なのだろう。素性も分からない騎士に淡々とそう説明され、カースティはうーん……と考え込んだ。

 後ろで話を聞いていたニサクもその反応には同意だ。そりゃあそうだ、突然すぎる。彼の無茶苦茶ぶりはいつも通り、他力本願、思いつきの産物だ。どう考えても地上の人間と彗星が戦えるわけがない。カースティさんだって応えるはずがない。早く去ってくれ。ニサクはそう心の中で思う。

「……分かりました、その依頼を受けます」

「ちょっ……!!」

 しかし、次の瞬間あっさりとその無茶振りを応えたカースティに、キットも手を振って賛成する。予測しなかったまさかの展開にニサクは思わず声を上げた。

「あ、」

「ん……? そこに居るのは……」

 カースティはあーあ、と言った表情で後ろを振り向く。やらかした。見つかってしまっては仕方がない。ヘンに取り繕うより傷が浅いうちに素直に、ニサクは前に出る。

「…………どうも」

「やはり、逃走した兵士だったか」

「へ、兵士!? ニサクくん、お城の人だったの!?」

 そこでカースティが初めて国王の言葉に驚きの声を上げた。ニサクは何も言えず、ただうつむく。

「我が城の兵士はすべて、元々とある村の民族でな……その赤毛が何よりの証拠、我が町の民族に赤毛は一人も居ない」

「そういや……街で見る人にはいないなぁ……」

 カースティがその言葉に頷く。ニサクは正体がバレたことに苦い思いでその場に立ち尽くす事しか出来なかった。これでもう、『もものき』の従業員としての立場も終わっただろう。なんせまだ試用期間、それも城の従者を抜け出してきたと分かれば、引き戻されるのも当然だ。このまま城に戻され、なた、誰が誰という区別すらされずにまたこき使われるのだろうか。

 そう思うとニサクの足は震えた。もう嫌だ、あんな生活送りたくない。その一心で逃げ出してきたのに……。

「貴様、兵士番号は何番だ」

 騎士が、腰に刺していた短剣の鞘に手をかけながらニサクに聞きだした。ここで抵抗すれば斬られる。彼はそういう性格の人だ。冷徹で誰の言葉も聞かない、残酷な番人。自分たちも彼の存在に今まで怯えて生きてきた。

「23、9……」

「……上から何番目だ?」

「最後の兵士です」

 兵士の間では、数字を名前に置き換えて「ニサク」と呼ばれていた。その名は王には分からない。なぜなら、彼にすべて同じ遺伝子を持つ兵士の見分けはつかないからである。クローンのように同じ顔をした種族。昔から大勢で作業をする仕事を強制されてきた種族。彼はその一番最後の子供であった。

「ごめんなさい……」

 国王の質問に騎士が答え、ついに正体が割れる。もう戻れない。ニサクは咄嗟に謝ることしかできず、国王もその言葉で自分の非を認めたと認識したのだろう。国王がにやりと笑って、彼の腕を掴む。そこに抵抗はなかった。

 国王がさぁ、帰るぞ、と腕を引っ張る。もう逃げられないと分かっていても、頭が嫌だ、と叫びそうで涙が滲んだ。あぁ、また誰が誰かも分からない……機械敵で普遍的な生活に戻るのだと、そう思った。

「ちょっと待ってください」

 瞬間、カースティが国王からニサクの腕を取り上げた。

「……僕は彼に依頼を受けています。彼を『ここに置く』と言う依頼を。代金は仕事を手伝うことで支払ってもらっています。このまま彼を城に戻しますと、依頼達成にならないどころか支払無しで逃げられたことになりますので、黙って返すわけにはいきません」

「カースティさん……?」

「彼を連れていくのであれば彗星退治分を含め、今すぐ払って頂くようお願いしたのですが……どうされますか? 王様?」

 カースティは国王を強く睨んだ。その剣幕は只者の雰囲気ではない。ニサクはさっきまで考えていた、カースティの『能力』のことが頭を過る。その横で騎士が「……ここは引いた方がよさそうです」と囁く。どうやら彗星対策も付きて、直ぐ代金を支払う余裕が城に無いようだ。

「わ、わかった、連れては行かない。支払いは待ってくれ」

「じゃあ彗星の対策に入ろうかな!」

 ぎりぎりと力を入れて掴んでいたニサクの腕をぱっと離して笑顔になるカースティ。ニサクは握られていた場所を痛みから逃す為にふーふーと吹いて誤魔化した。

 ***

「こんな場所があったんですね……」

「ま、こういう依頼もあるからね」

 カースティ、キット、ニサク、国王、騎士は、店舗スペースと住居スペースの間にあった階段、そしてその上の廊下から梯子をさらに上り、隠されていた屋根裏部屋に到着した。

「狭い狭い!」

「国王……少しお痩せになられてはいかがでしょうか……?」

「うるせぇ! 『少しお痩せに』そう簡単になれたら苦労はしてないわ!」

 しかし、そんな屋根裏に行くための床下の扉から抜け出すことが出来ず、引っかかっている国王を騎士が引っぱり出している。そんなことはもうお構いなしに、カースティは屋根の上まで飛び出た望遠鏡をのぞいた。

「あ、あれかな? どう? キット、見える?」

 カースティはすぐに目標を捕らえたらしい。代わってキットにも望遠鏡をのぞかせる。キットは頷いた。ニサクも覗いてみる。太陽より少し先に、干しブドウみたいな歪な形の楕円の星が浮いていた。

 騎士は国王を引っ張りだすのを諦めたのか、続いて望遠鏡を覗く。

「あれで間違いない。星自体は脆い隕石らしいが、なんせ規模が大きい……少しづつ砕く他ないが、手段が……」と説明を始めた。

「俺様にも見せろおおおおおお!!!」

 まだ挟まっている国王はじたばたと手足を動かす。その振動が伝わったのか唐突に身体は抜けた。下に。どすんどるんと転がり落ちてしまう。

「望遠鏡を画面に繋げようか」

 カースティはそんな事どうでもいい、と言った感じで、望遠鏡の画像をスクリーンに映し出した。

 騎士の情報によると彗星は脆く、音のような小さい振動でも広範囲に届けばすぐ崩れてしまうらしい。しかし規模が大きすぎるために、宇宙空間に行ってすべてを砕くまでの時間がとれないのだ。

 その間に彗星は太陽にぶつかってしまうだろう、と誰もが首を横に振り、請け負ってくれないのだという。どの専門家を訪ねても門前払い。その結果、ここに頼むしかなったのだと言う。

「なぁんだ、結構簡単じゃない」

 すべての説明を終えた時、カースティとキットはあどけない笑顔で微笑んだ。

 ***

「簡単だと!?」

 そんなわけないと笑いながら、国王がモグラたたきの勢いで梯子からにゅうっと顔を出した。騎士はふぅむ、と二人を見つめてから、何かに気づいた国王に耳打ちする。

「貴様、『能力者』という噂は本当のようだな」

「へぇ、珍しいね……能力者を知ってる人、この町であんまり見ないから」

「昔、能力を持った部下が居たからな……彼女は珍しく優秀な部下だった。失踪してしまったがな」

 国王は、少し表情を和らげて思い出すように言葉を発した。つられて騎士は逆に苦い顔をする。その様子を察したカースティがわざとらしそうに微笑んだ。少しだけ表情を硬くして。ここに昔いたという能力者はどうやら、国王にとっては有益だったようだが、兵士にとってはそうではなかったらしい。

「天使や悪魔に魅入られた人間に与えられる能力。……人を滅ぼすためにしか使えないと聞いていたが?」

 騎士が少し声色を変えて、そうつぶやく。その説明から、カースティの脳裏にもとある人物が過るが、今は話をしないほうが良さそうだ。カースティはその苦い思い出を誤魔化すように、国王に背を向けるようにして画面を見た。彗星は、じわじわと太陽に向かっていく。

「……そっか、君達が出会った能力者はそういう人だったんだね……。でもそれは人間が作った嘘。能力は人や種族によって違うから……。少なくとも僕は……僕と、この子を守るために、この能力を持ってるつもりだよ。……そして人のために使うと決めてこの仕事をしているんだ」

 何かを察したキットがカースティに駆け寄った。キットの頭を撫でながら、続ける。

「ここに来る前……実は僕は、僕の体は男でも女でも無いんだ。そのせいか分からないけど、キット以外の友達を持たなかった。村の大人はキットも特殊な身体なんじゃないかって疑って、僕らをこっそり隔離していた。キットは生まれつき『能力』を持っていただけで、能力を使ったことは無い。けれど、皆気づいてたんだろうね。身体以外にも何か秘密があるって事に。ある日も僕らは、二人だけで遊んでいたんだ」

 カースティの頭が、静かに下を向いていく。膝上では、キットが『彼』のストールを心配そうに握っていた。カースティの話す口調は穏やかだが、悲しみと怒り、後悔の混じった声に変わっていく。

「子供だったからね。馬鹿な発想をして、村の近くに済む巨怪鳥の卵を見るために崖を上って、その崖からキットが落ちた。キットは助けられたけど、あの時から今まで会話ができないようになった。言葉が出ないんだ。」

「……」

「……」

「……」

 泣いているのだろうか、彼は完全にうつむいてしまった。キットだけが、彼の顔を覗き込むことができる。キットはその顔を無表情で見つめていた。

「それから彼の両親は亡くなった。僕の親もいつの間にか姿を消していた。キットが毎日泣いてるのを見て、僕は願った。『キットを守る力が欲しい』って。そう願ううちに、僕は今の能力がある事に気づいたんだ」

 キットはただじっと、ずっと、話をする彼を見ていた。今、キットが喋れたらなんて言うのだろうか。

「でも、僕が能力を得た途端、村から追い出された。僕たちは村に帰ることは諦めて、たくさんの場所を転々とした。他に行き場を無くした能力者達と身を寄せ合って過ごしたこともあった。……多分だけど、王様と騎士様の言う能力の子……多分僕も知ってる人だよ。彼女ともそこで出会った。……けど、彼女の力のせいかな。トラブルを起こしちゃってね。結局仲間割れして解散」

 そう言ってカースティは自身の巻いたストールを握りしめる。その指先に悔しさが滲んでいる所を見れば、そのトラブルとやらはきれいな解決ではなかったのだろう。誰も、何も口に出せなかった。

「僕らはトラックを買ってまた旅を続けた。そうしてここに家を買って、彼女たちから逃げるようにここに来たんだ。全ては少しでも自分の村のこと、仲間割れしてしまった仲間のことを忘れたくて。持ってるものをすべて捨てて、僕らは「見た目」すら変えた」

「……見た目?」

 その言葉に疑問が湧き、思わずニサクが復唱するかのように呟いた。

「僕に性別は無い……けど、キットは女の子」

 その場にいた全員が、一斉にカースティの足元に座るキットを見る。短く切った金髪と大きなタンクトップ、隠れるほど短いズボン。見た目は幼い、でもとても顔の整った『少年』だ。子供なのでそう見ればそう見えてしまうかもしれないが……確かに言われてみなければ正体は分からない。

「でも、忘れようとして忘れられるものじゃなかった。今の話で思い出しちゃったよ。……忘れちゃだめだったんだね」

 彼は、ごめんね、変な話をして。と言いながら、顔を上げる。それでも、どこか遠くを見つめる目をしていた。

 ***

 さぁ、始めようか。カースティは先程までの悔いの雰囲気から、ころり、と表情を変えにこりと笑って手を広げた。

「僕の能力は口づけた物体に擬態する事なんだ」

 かっこわるいから普段は使わないんだけどね、と呟く。キットに向かってアイコンタクトをすると、「彼女」はあるものを持ってきた。

「……懐中電灯?」

「時間が無いなら急げばいい。それも、誰も追い越すことのできない速さで」

 彼は窓際に立ち、ライトの電源をぱちりと入れた。

「それじゃあ行こうか、キット」

 キットは敬礼でもするかのようにピッと背筋を正し、懐中電灯と彼に渡す。点灯部分に軽く口づけると、一瞬であっと言う間にキットを連れ去って光が窓から飛び出していった。

「なるほど……光に『擬態』すれば星までは数分も掛からない……」

「……そうか……」

 騎士が唖然としたまま説明をする。国王もぽかんとしたまま、2人の飛んでいった方角を眺めるだけだった。その場に取り残された3人は、窓の外をしばらく見上げた後、望遠鏡の映像が投影されているスクリーンを見た。ノイズ混じりの映像とはいえ、もう到着したのだろう。確かにカースティとキットらしい人影が手を降っている。

 これも擬態能力の影響なのか、二人は生身で宇宙空間に立っているというのに地上と何ら代わりなく星の上に立っている。違うところと言えば、多少カースティのストールや二人の髪、服の裾がふわふわしているだけだった。

「こんな事で成功、するのでしょうか……」

「……さあ……」

 ニサクが呟けば、国王が首を捻る。誰もその行く末は分からなかった。

 ***

「さて、どうやって壊そうかな? 突いただけでもヒビが入るし、そんなに乱暴にしなくてもいいみたいだけど」

 星の周りを調べるつもりでふわりと回ってみる。喋るだけでも、振動でぼろぼろ崩れていく。軽く殴るだけでも恐らく粉砕は可能だろうが、触って崩すには少し面倒にも思えた。

「キット? どう思う?」

 するとキットは深呼吸のように息を吸い、声を出すようなしぐさをした。もちろん彼女から声が発せられることは無い。肩を上下させ、手で声を前に出すしぐさをする。

 最後にカースティをじっと見つめた。

「……歌うの?」

 こくり、と頷かれた。彼女が声を無くしてから、彼は一度も歌を歌ったことが無い。そんな気分になれなかった。けれど、2人で毎日遊んでいたあの日々。小さい頃は、もう飽きずに毎日ハズれた調子で歌っていたものだ。今の仕草はその時の真似だろう。

「……まぁ、やってみない事には始まらない、か……」

 彼は、深く息を吸った。

 ……彼女は昔に戻りたいのかもしれない。僕が歌えば、彼女も歌うようなしぐさをした。声はやはり出ない。でも、僕らはあの頃に戻りたい。その言葉だけは、しっかりと聞こえてきた。捨てちゃいけない。キットはもしかしたら、ずっとそう言いたかったのかもしれない。

 彼らには明かさなかったが今までの長旅の中、何度も2人でいては幸せになれないとキットを諭した事もあった。あの事件の時、カースティは仲間の一人に手を掛けてしまったから。友達を守りたい筈だったのに、傷つけてしまったから。綺麗なままでは居られなかったから。

 ……それでも、彼女が何度も僕の側に戻ってきた理由が、ようやくわかった気がした。

「……ありがとう、キット」

 その声を最後に、まるで水に溶ける角砂糖のように星はほろりと宇宙空間に溶けた。僕らは隕石になって、まっすぐ地上へと戻る。絶対にこの力を、もう誰かを傷つけるものにしないと再度固く誓いながら。

 ***

 空にぽかりと浮いていた塊が、さっと崩れ消えるのにそう時間は掛からなかった。何に擬態したのか、ものすごい速さで落ちて来たにも関わらず、二人は着地してすぐにお互いを抱きかかえあって、くるくる回って喜んでいる。その姿は正体も隠さず、何も飾らない、いつかの2人の姿そのものだ。

「……凄い、本当に出来るとは思わなかった……」

 国王がぽかんとしている。

 いつの間にか騒ぎを聞きつけ、周囲の住人が集まってきては新たな英雄に拍手をし、二人を取り囲んで騒ぎ始めた。照れたようにインタビューを受ける二人を、ニサクは唖然と見ている事しか出来ない。

「国王、報酬の件はどうなされますか?」

「……これは相当出さないとひんしゅくを……」

 まさかこんなにもスピード解決されるとは思っていなかった国王と騎士は、その騒ぎの後ろでひそひそと耳打ちを始める。今すぐ大金を用意できるほど大きな国ではない。この騒ぎを円満に納める、悪く言えば逃げ切る方法を考えざるを得なかった。青ざめた顔で相談を始めた国王と騎士に、カースティはこう叫んだ。

「報酬はいらないよ! だけど欲しいものが3つある」

 そう言うと、群衆から戻ったカースティは途端にニサクの腕を掴む。咄嗟に腕を捕まれ、バランスを崩したニサクをカースティは咄嗟に支えた。

「その1、ニサク君は助手として貰って行きます」

「え? ええ??」

 あまりにも唐突な助手への任命に、ニサク自身が困惑の声を上げる。が、カースティは構わず続けた。

「その2、『僕』とキット……彼女に似合う『女の子』の服を。その3、今のより大きな長距離を走れそうなトラック……古いのでいいから、それを。」

 そこまで言い切って、にこり、と『彼』は微笑んだ。国王は一瞬ぽかんとするものの、慌てて城に連絡を取り始める。

「おまけ、以上の代金を差し引いた報酬代の残りは他のなんでも屋を雇う、もしくは村の雑費に当てること」

「え、そ、それって……」

 その言葉にニサクが震えた声を漏らす。つられて群衆もぴたりとその声援と止め、国王も騎士も口を噤んだ。

「……『もものき』は閉店だよ」

 その場が、しんと静まり返った。

 ***

 『彼女たち』はそれから、貰ったトラックに荷物をすべて詰め込んだ。

 正体を隠さず生きることを決めた彼女たちの目に迷いはない。開店数ヶ月、来たばかりのこの村を離れ色々な土地を回って仕事をしていくという。

 それは、助手として連れて行かれる僕も同じだ。元の仲間たちはいいなぁ、と口をそろえて言うが、僕一人では突っ込みきれないと思うと少し気が重い。

 カースティは髪と同じ桜色をした短めのワンピースに、細めのズボンを履き例のストールを巻いている。キットは薄い色をした、ボリュームのあるまるでドレスのような可愛らしいワンピース1着だ。2人は『似あう?』『似あう!』と繰り返し、二人は再出発を飾る衣装に喜びを見せた。

 どこまで続くか見当もつかない旅ではあったが、僕たち3人は約束した。いずれまた、此処に戻って来る。その時にはどうか、今よりも素敵な国で居てくれればいい。国王の無理難題も、兵士たちの過酷な労働環境も、いつ何処かでまたやってくるかもしれない『能力者』も、誰も傷つかない素敵な国になっててくれれば……。